縄文人 縄文人と海

縄文人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/24 21:33 UTC 版)

縄文人と海

縄文人は基本的には狩猟採集民であったが、その中には海に深く関わっていた人々も存在したことが知られている。

勾玉の分布

遅くともBC5,000年頃(縄文時代中期)には勾玉が作られていたことが判明しており、特に新潟県糸魚川の「長者ヶ原遺跡」からはヒスイ製勾玉とともにヒスイの工房が発見されており、蛍光X線分析によると青森県の「三内丸山遺跡」や北海道南部で出土されるヒスイは糸魚川産であることが判明しており、縄文人が海を渡って広い範囲でお互いに交易をしていたことが考えられている。後年には日本製勾玉は朝鮮半島へも伝播している[30]

貝類の採集

縄文人が貝類を食糧資源・装飾品の原料として採取するようになったのは縄文早期前半で、代表的な遺跡として横須賀市の夏島貝塚が挙げられる[31]。縄文早期の半ばには瀬戸内海沿岸や東北地方でも貝塚が形成されるようになる。採取対象は当初は河口等の汽水域に生息するヤマトシジミであったが、やがて内湾干潟の牡蠣礁で得られるカキや、やはり内湾の軟泥干潟から容易に得られるハイガイなどにその中心は移る[32]

また、腕輪やペンダントの原材料として採取された貝類もある。特に目立つのが大型の定住性カサガイの一種で岩礁潮間帯低部から採取されるオオツタノハガイの利用である。オオツタノハガイは主に屋久島やトカラ列島に生息するが、縄文期には、特に縄文後期・晩期を中心に、関東全域から北は北海道の有珠10遺跡でも出土している。これについて、原材料となったオオツタノハガイは南九州から運ばれたという説と、三宅島以南の伊豆諸島にも生息域があったのではないかとの説が対立している[33]

オオツタノハガイの他には暖流域の浅海から得られるタカラガイの一種ハチジョウタカラガイも広く利用された。

伊豆諸島への進出

前述のように、先史時代の日本列島住民が今日の伊豆諸島に進出したのは旧石器時代である。しかし、縄文期の遺跡に限ると最も早いものでも縄文早期の半ばのものとなる。この時期の遺跡としては伊豆大島下高洞遺跡、神津島せんき遺跡、三宅島の釜ノ尻遺跡などがある[34]

縄文前期の末には黒潮の本流を越えた[35]。縄文人が八丈島に進出し[36]、倉輪遺跡からは関東、南東北、中部、関西地域の土器が発見されている。

九州島[37]と南島・朝鮮半島間の交流

縄文前期には九州島を中心として轟式土器と呼ばれる土器が広く使用されるようになった。轟式土器は九州島周辺の他、種子島や屋久島、朝鮮半島南部にも分布しており、これらの島々・半島間を航行した縄文人集団が存在したことを伺わせる。日本列島周辺や南西諸島周辺、朝鮮半島周辺の島々は国ができる以前からこれらの海域を行き来する海洋民族によって既知だったと推測される。

また轟式に続いて登場した曽畑式土器も、奄美大島の高又遺跡、沖縄島の読谷村渡具知東原遺跡、朝鮮半島の慶尚南道にある釜山市の東三洞貝塚などから発見されている[38]。縄文人が黒潮本流を越えた例としては、この曽畑式土器を持った集団による縄文前期の九州島・奄美大島間の航海が最も古く、関東における三宅島・八丈島間の航海よりおよそ800年早いものであるとされている[39]

1969年から1971年にかけて東三洞貝塚の下層から尖底・円底無文土器が発見された。これらの中には北松浦半島泉福寺洞穴福井洞穴などから発見された隆起線文土器と類似する土器、同じく北松浦半島の黒曜石と大形石斧も含まれていた。その他、慶尚南道真岩里や咸鏡北道西浦項貝塚などからも発見されており、縄文人は7000年前から朝鮮半島へ渡り、半島北部まで進出していた。 また、朝鮮半島南部の煙台島貝塚から発見された古人骨は縄文人の特徴と多くの点で一致しており、韓国人とは似ても似つかぬ形態であり、最初に半島に住み始めた人々は日本からやって来た縄文人だったという考古学からの推論が、形態人類学によって裏付けられた[40]

縄文人の用いた舟艇

これまでに出土した事例に見る限り、縄文人が航海に用いたのは一本の丸太を刳り抜いた丸木舟であったと考えられている[41]。帆柱の跡やオール受けの跡は検出されていないため、(カイトセイリングのように帆柱を用いない形式での帆走を行った可能性は否定出来ないまでも)基本的にはパドリングによる推進であった可能性が高い。

船体の断面は関東地方出土の丸木舟を見る限りでは半月型[42]あるいは三日月型であり、弥生時代以降の凹型断面の丸木舟とは異なる特徴を示している。船体長は最大で残存長7メートルから8メートルのものまであるが(例えば千葉県香取郡多古町島(七升)出土の縄文前期のものは残存長7.45メートル、残存幅0.7メートル)、小さいものでは4メートル以下のものも多数出土している。

材はアカマツクロマツカラマツカヤケヤキムクノキクスノキなどの例がある[43]

なお、1982年には松江市内の小中学校の教師の有志5名により、「からむしII世」と名付けられた丸木舟による黒曜石の運搬実験が行われ、隠岐の宮尾遺跡から本州の松江市美保関町の七類港まで15キロの黒曜石を1日で運搬することに成功している[44]


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  1. ^ 藤尾慎一郎『縄文論争』講談社、2002年、88-89ページ。 なお、もともと新石器時代という概念はヨーロッパを対象とした考古学における概念で農耕の存在を重視するものだったため、1960年代からしばらくの間は縄文文化は新石器文化に分類されていなかった。
  2. ^ 藤尾、前掲書、66ページ
  3. ^ a b 縄文人の頭骨の特徴 国立科学博物館
  4. ^ 藤尾、前掲書、110-111ページ
  5. ^ 藤尾、前掲書、94-100ページ
  6. ^ 同上
  7. ^ 崎谷満 (2005.8). “『DNAが解き明かす日本人の系譜』”. 科学 (勉誠出版). 
  8. ^ 道方しのぶ『日本人のルーツ 探索マップ』平凡社新書,2005年,61頁
  9. ^ Michael F. Hammer (2005) (PDF). Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes. The Japan Society of Human Genetics and Springer-Verlag. http://www.eva.mpg.de/genetics/pdf/Japan.pdf 2007年1月19日閲覧。. 
  10. ^ University of Pittsburgh, Jomon Genes - Using DNA, researchers probe the genetic origins of modern Japanese by John Travis
  11. ^ Kumarasamy Thangaraj, Lalji Singh, Alla G. Reddy, V.Raghavendra Rao, Subhash C. Sehgal, Peter A. Underhill, Melanie Pierson, Ian G. Frame, Erika Hagelberg(2003);Genetic Affinities of the Andaman Islanders, a Vanishing Human Population ;Current Biology Volume 13, Issue 2, 21 January 2003, Pages 86–93 doi:10.1016/S0960-9822(02)01336-2
  12. ^ Shi, Hong; Zhong, Hua; Peng, Yi; Dong, Yong-li; Qi, Xue-bin; Zhang, Feng; Liu, Lu-Fang; Tan, Si-jie; Ma, Runlin Z; Xiao, Chun-Jie; Wells, R Spencer; Jin, Li; Su, Bing (October 29, 2008). "Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations". BMC Biology (BioMed Central) 6: 45. doi:10.1186/1741-7007-6-45. PMC 2605740. PMID 18959782. Retrieved November 21, 2010
  13. ^ 藤尾、前掲書、101ページ
  14. ^ 『白保竿根田原洞穴:旧石器人骨からDNA…国内で最古』”. 毎日新聞 (2013年12月2日). 2013年12月2日閲覧。
  15. ^ The HUGO Pan-Asian SNP Consortium (December 2009). “Mapping Human Genetic Diversity in Asia”. Science 326 (5959): 1541-1545. doi:10.1126/science.1177074. 
  16. ^ 溝口優司 (2010.04). “日本人形成論への誘い─シナリオ再構築のために”. 科学 (岩波書店). 
  17. ^ 崎谷満『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』(勉誠出版 2009年) 
  18. ^ 日沼頼夫 (1998) 「ウイルスから日本人の起源を探る」『日本農村医学会誌』,46(6),908-911
  19. ^ 藤尾慎一郎『縄文論争』講談社、2002年、45-48ページ
  20. ^ 現在では、ブリテン島など新石器時代には殆ど農耕を行っていなかった地域もヨーロッパに存在したことが知られている(藤尾、前掲書、188-191ページ)。
  21. ^ およそ2万年前の後期旧石器時代の遺跡から神津島産の黒曜石が発見された例も多い。代表的なものとして東京都練馬区の比丘尼橋遺跡、同調布市の野川遺跡、相模原市の橋本遺跡などがある。ただしこの時期の海岸線は現在のものとは大きく違っており、伊豆諸島の利島から神津島までは一つの大きな島であった(橋口尚武編『海を渡った縄文人』小学館、1999年、6-7ページ)。
  22. ^ 橋口尚武編『海を渡った縄文人』小学館、1999年および橋口尚武『黒潮の考古学』同成社、2001年等
  23. ^ 荒俣宏・篠遠喜彦『楽園考古学』
  24. ^ ただしこうした説を唱える者は歴史学や人類学、考古学の専門家の中には存在しない。詳細はエクアドルの歴史を参照。
  25. ^ 古代の日本においては蝦夷(エミシ)、11世紀から12世紀にかけての日本では胡(エビス)、13世紀以降の日本人は蝦夷(エゾ)と呼んだ(佐々木馨『アイヌと「日本」』山川出版社、2001年、12-13ページ)。
  26. ^ 熊谷公男『蝦夷の地と古代国家』山川出版社、2004年、16-17ページ
  27. ^ 平山祐人『アイヌ史のすすめ』北海道出版企画センター、2002年
  28. ^ 小野有五『自然のメッセージを聴く』北海道新聞社、2007年
  29. ^ 熊谷、前掲書、5-6ページ
  30. ^ 門田誠一「朝鮮三国時代における硬玉製勾玉の消長」『古代東アジア地域相の考古学的研究』2006,学生社
  31. ^ 橋口、前掲書、52ページ
  32. ^ 橋口、前掲書、53ページ
  33. ^ 橋口、前掲書、10-21ページ
  34. ^ 橋口、前掲書、52-53ページ
  35. ^ 別の可能性として、黒潮本流のルートが一時的に変化し、八丈島の南に移っていたのではないかとも考えられている(橋口、前掲書、59ページ)
  36. ^ これより以前に湯浜人と呼ばれる人々が八丈島と神津島の間を行き来していたが、湯浜人の出自はまだはっきりしておらず、本州島から伊豆諸島に渡った集団であるかどうかもよく分かっていない。
  37. ^ 本節では島と島の間の航行が特に問題となる為、現在の九州地方で最大の島を特に九州島と表記し、九州島周辺の離島と分けて取り扱う。
  38. ^ 橋口、前掲書、55-57ページ
  39. ^ 橋口、前掲書、152-153ページ
  40. ^ 長浜浩明『韓国人は何処から来たか』
  41. ^ 堤隆は旧石器時代の神津島での黒曜石採取については、丸木舟を建造出来るような石器が存在しなかったことから考えて、カヤックのようなスキンボートを使用したのではないかと指摘している(堤隆『黒曜石3万年の旅』NHKブックス、2004年、93ページ)
  42. ^ ほとんど舷側が無い、サーフィンのロングボードに近いもの。例えばさいたま市の膝子遺跡出土の縄文後期と推測される丸木舟群の中には、残存長4.2メートル、残存幅45センチで舷側が殆ど無いものが含まれている(橋口、前掲書、161-162ページ)。
  43. ^ 本節の典拠は橋口、前掲書、158-172ページ
  44. ^ 堤隆『黒曜石3万年の旅』NHKブックス、2004年、96-97ページ
  45. ^ 柴田治呂 (1991) 『カムイから神へ』 筑摩書房
  46. ^ 縄文語の発見






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