紫式部 紫式部の概要

紫式部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/11 05:46 UTC 版)

紫 式部
(むらさき しきぶ)
紫式部(土佐光起画、石山寺蔵)
誕生 不明[注釈 2]
死没 不明[注釈 1]
職業 歌人作家女官
言語 日本語
国籍 日本
活動期間 990年代 - 1000年代
ジャンル 和歌物語日記文学
代表作
配偶者 藤原宣孝
子供 大弐三位
親族 藤原為時(父)
藤原為信女(母)
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源氏物語』の作者とされ、この作品は生涯で唯一の物語作品となった。歌人としては、『百人一首』の和歌が知られており、『紫式部日記』(18首)、『紫式部集』、『拾遺和歌集』などにも和歌を残し、和歌795首が詠み込まれた。『中古三十六歌仙』、『女房三十六歌仙』の一人でもある。また、娘の大弐三位も『百人一首』、『女房三十六歌仙』の歌人として知られる。

紫式部 百人一首 57番「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」
眠る紫式部(菊池容斎前賢故実江戸末期から明治初期の作)

注釈

  1. ^ 正確な没年は不明である。近年の研究では少なくとも寛仁3年(1019年)までは存命したとされる。その後の没年は、研究者ごとに様々な説が出されるがどれも確証はなく不明である[1]。(各説は「生没年」参照)
  2. ^ 正確な誕生年は不明である。近年の研究では天禄元年(970年)から天元元年(978年)の間に生まれたとされる。その間の正確な誕生年は、研究者ごとに様々な説が出されるがどれも確証はなく不明である[1]。(各説は「生没年」参照)
  3. ^ 研究者ごとにいくつか説もある。各説は「名称」「生没年」参照。
  4. ^ 律令制における「貴族」とは五位以上の者を指した。五位は、さらに4つに分かれ、上から、正五位上、正五位下、従五位上、従五位下。詳細は「律令制における位階」とその一覧表を参照。
  5. ^ 『紫式部日記』より。日本文学研究者の三田村雅子によれば、当初、仲間内で意見を言い合ったり手紙のやり取りで批評し合ったりして楽しんでいたことから「最初は現代の同人誌のような楽しみ方だった」という[6]
  6. ^ 意味は「夫が火葬により煙となった夜から塩釜をとても身近に思う」。「塩釜」は海藻を焼き塩を取ることで知られる地名で、現在の宮城県塩竈市
  7. ^ 一例として、「若紫」の帖で、光源氏が10歳の少女(*)を家に迎え「書」や「琴」など教え教養豊かに育て少女が成人し14歳の夜に突如男女の関係にしてしまう場面は(「」の帖)、文章にはその夜の描写・記述は一切ない。朝、枕元のすずり箱に置いてあった和歌『あやなくも隔てけるかな夜を重ね さすがに馴れし夜の衣を(*2)』のみが読者にその夜の出来事を知らせている。ちなみに少女は父親のように慕った相手から突然思いもしないことをされて心に負った傷は深く以後かなり長く光源氏を拒絶することになる[10]
    (*)後の「紫の上」。(*2)今まで仲良くして来たが、なぜもっと早く一線を超えなかったのか、一線を超えた今はすばらしい関係になれた[10]
  8. ^ 一条天皇は源氏物語を女房に読ませそれを聞いて述べた言葉、『この人は日本紀(*)をこそ読みたるべけれ、まことに才あるべし』(作者は日本紀(*)を読んでいるはずだ、かなりの学者のようだ)[12]
    (*)日本紀、漢文で書かれた6つの史書「六国史」を指す。「日本書紀」、「続日本紀」、「日本後紀」、「続日本後紀」、「日本文徳天皇実録」、「日本三代実録」。
  9. ^ 紫式部の父方の祖母と、宣孝の父方の祖父・藤原朝頼がともに藤原定方の子である。
  10. ^ なお、発表後にあった批判に対する反論と誤謬の訂正を加え、『紫式部伝― その生涯と『源氏物語』―』(法蔵館、2007年)に角田説は集大成されている。

出典

  1. ^ a b c 三田村雅子『「100分de名著」ブックス 紫式部 源氏物語』(NHK出版、2015年12月25日発行)p.26。
  2. ^ "紫式部". 朝日日本歴史人物事典. コトバンクより2020年7月9日閲覧
  3. ^ 堀内秀晃「紫式部諸説一覧 九 式部と呼ばれた理由」(阿部秋生編『諸説一覧源氏物語』明治書院、1970年8月)pp. 348。
  4. ^ 荻生待也編著『日本人名関連用語大辞典』(遊子館、2008年7月1日)p,100
  5. ^ 大藤修『日本人の姓・名字・名前―人名に刻まれた歴史― 』 (吉川弘文館 、2012年9月1日)p,81-91
  6. ^ a b c 三田村雅子『「100分de名著」ブックス 紫式部 源氏物語』(NHK出版、2015年12月25日発行)
  7. ^ 『百科事典マイペディア』「紫式部」の項(平凡社2006年
  8. ^ 南波浩校注『紫式部集』 (岩波文庫、1973年10月16日)前書き
  9. ^ "紫式部". 朝日日本歴史人物事典. コトバンクより2020年7月9日閲覧
  10. ^ a b NHK出版 100分de名著『源氏物語』 第2章、三田村雅子 (2012/3/24)。NHK 2012年4月11日放送「100分de名著 源氏物語」、「第2回 あきらめる女 あきらめない女」での和歌の解釈より。
  11. ^ NHK出版「100分de名著」ブックス『源氏物語』P29~P30、三田村雅子。NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回
  12. ^ NHK出版「100分de名著」ブックス『源氏物語』P29、三田村雅子。NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回
  13. ^ 『紫式部日記 現代語訳付き』 (角川ソフィア文庫) 前書き。2010/8/25
  14. ^ 「(34)里居物憂い心、11月15日前後」p,205~。日本古典文学全集18「和泉式部日記 紫式部日記 更級日記 讃岐典侍日記」小学館
  15. ^ NHK出版「100分de名著」ブックス『源氏物語』P27~P28、三田村雅子。NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回
  16. ^ 堀内秀晃「紫式部諸説一覧 二 惟規との前後関係」阿部秋生編『諸説一覧源氏物語』(明治書院、1970年8月)pp. 338
  17. ^ 徳満澄雄「紫式部は鷹司殿倫子の女房であったか」(『語文研究』第62号、1986年)pp. 1-12
  18. ^ 美喜子, 藍 (1998). “紫式部と六条の宮・具平親王”. 甲子園短期大学紀要 16: 123–133. doi:10.24699/koshient.16.0_123. https://www.jstage.jst.go.jp/article/koshient/16/0/16_123/_article/-char/ja/. 
  19. ^ a b 角田文衞「紫式部の本名」『紫式部とその時代』(角川書店、1966年)。
  20. ^ 岡一男「紫式部の晩年の生活附説 紫式部の没年について 『平兼盛集』を新資料として」(『増訂 源氏物語の基礎的研究 紫式部の生涯と作品』東京堂出版1966年)pp. 143-170。
  21. ^ 萩谷朴「解説・作者について」(『紫式部日記全注釈』下巻、 角川書店、1973年8月)pp. 467-508 ISBN ISBN 978-4047610217
  22. ^ 『森本元子「西本願寺本兼盛集付載の佚名家集―その性格と作者」『古典文学論考 枕草子 和歌 日記』』新典社、1998年9月1日。 
  23. ^ 上原作和『紫式部伝-平安王朝百年を見つめた生涯』勉誠社、2023年10月20日、295-301頁。ISBN 978-4585390350 
  24. ^ 堀内秀晃「紫式部諸説一覧 九 式部と呼ばれた理由」阿部秋生編『諸説一覧源氏物語』明治書院、1970年8月)pp. 348。
  25. ^ 堀内秀晃「紫式部諸説一覧 10 藤式部が紫式部と呼ばれた理由」阿部秋生編『諸説一覧源氏物語』(明治書院、1970年8月)pp. 348-350。
  26. ^ 上原作和「紫式部伝4-生い立ちI-幼名「もも」説の提唱」上原作和・編集『人物で読む源氏物語』「藤壺の宮」巻(勉誠出版2005年5月)pp. 317-319 ISBN 978-4-585-01144-6
  27. ^ 今井源衛「紫式部本名香子説を疑う」(『国語国文』34巻1号、1965年) のち『王朝文学の研究』(角川書店、1976年)および『今井源衛著作集 3 紫式部の生涯』に収録。
  28. ^ 岡一男「紫式部の本名 藤原香子説の根本的否定」(『増訂 源氏物語の基礎的研究 -紫式部の生涯と作品-』東京堂出版、1966年8月)pp. 598-613。
  29. ^ 萩谷朴「解説・作者について」『紫式部日記全注釈』下巻(角川書店、1973年8月)pp. 467-508 ISBN ISBN 978-4047610217
  30. ^ 上原作和「ある紫式部伝 本名・藤原香子説再評価のために」南波浩『紫式部の方法 源氏物語 紫式部集 紫式部日記』(笠間書院、2002年11月)pp. 469-492。ISBN 4-305-70245-2
  31. ^ 紫式部日記
  32. ^ 堀内秀晃「紫式部諸説一覧 出生年次」(阿部秋生編『諸説一覧源氏物語』明治書院、1970年8月)pp. 336-338。
  33. ^ 今井源衛「紫式部の出生年度」(『文学研究』第63輯、1966年3月)。のち『王朝文学の研究』(角川書店、1970年)及び『今井源衛著作集 3 紫式部の生涯』(笠間書院、2003年7月30日)pp. 181-205。ISBN 4-305-60082-X
  34. ^ 稲賀敬二「天禄元年ころの誕生か」『日本の作家12 源氏の作者 紫式部』(新典社、1982年11月)pp. 13-14。ISBN 978-4787970121
  35. ^ 小谷野純一「解説」『紫式部日記』笠間書院、2007年4月、pp. 197-227 ISBN 978-4-305-70420-7
  36. ^ 岡一男「紫式部の生涯」『源氏物語講座 第二巻作者と時代』(有精堂、1971年12月)pp. 1-58
  37. ^ 角田 2007, p. 600.
  38. ^ 萩谷朴「解説・作者について」『紫式部日記全注釈』下巻、角川書店、1973年8月、pp. 467-508 ISBN ISBN 978-4047610217
  39. ^ 南波浩『紫式部全評釈』笠間書院、1983年
  40. ^ 島津久基『日本文学者評伝全書 紫式部』青梧堂、1943年。
  41. ^ 堀内秀晃「紫式部諸説一覧 紫式部の没年」(阿部秋生編『諸説一覧源氏物語』明治書院、1970年8月)pp. 352-354。
  42. ^ 岡一男「紫式部の晩年の生活附説 紫式部の没年について 『平兼盛集』を新資料として」『増訂 源氏物語の基礎的研究 紫式部の生涯と作品』(東京堂出版、1966年)pp. 143-170。
  43. ^ 与謝野晶子「紫式部新考」(『太陽』昭和3年2月号)。のち『日本文学研究資料叢書 源氏物語 1』( 有精堂、1969年10月)pp. 1-16。ISBN 4-640-30017-4
  44. ^ 山中裕「紫式部の生涯と後宮」(書き下ろし)『源氏物語の史的研究』(思文閣出版1997年6月1日ISBN 978-4-7842-0941-5
  45. ^ 萩谷朴「解説・作者について」(『紫式部日記全注釈』下巻、角川書店、1973年8月)pp. 467-508 ISBN ISBN 978-4047610217
  46. ^ 『紫式部伝-平安王朝百年を見つめた生涯』勉誠社、2023年10月20日、295-301頁。ISBN 978-4585390350 
  47. ^ 倉本一宏『紫式部と藤原道長』講談社現代新書、2023年9月21日、312-317頁。ISBN 978-4065332542 
  48. ^ 角田文衞「紫式部の歿年」(『紫式部とその時代』角川書店、1971年)所収、のち『紫式部伝―その生涯と「源氏物語」』(法藏館、2007年)pp. 216-241。
  49. ^ 『観世三十三巻』檜書店、12月1日 1966年12月、q22-23頁。 
  50. ^ 紫式部顕彰会”. murasaki-shikibu.la.coocan.jp. 2019年4月7日閲覧。
  51. ^ 『紫式部外伝-その生涯と『源氏物語』-』法蔵館、1月25日 2007、255-256頁。 
  52. ^ 廬山寺公式HP-紫式部 - 天台圓淨宗廬山寺 2018年4月15日閲覧
  53. ^ 角田文衛「晩年の清少納言」『王朝の映像』1970年、390-430頁。 
  54. ^ 山本淳子「『紫式部日記』清少納言批評の背景」(『古代文化』2001年9月号)。






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