紫式部日記 翻訳

紫式部日記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/05 23:58 UTC 版)

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注釈

  1. ^ 7月とはこの日記自体の記述でなく、道長の『御堂関白記』や藤原行成の『権記』による。
  2. ^ 寛弘5年の記事とすれば、なぜこの部に収録されたのか、多くの説がある。萩谷によれば、道長の求愛という忘れがたい思い出を、目立たぬようにすべりこませたのではと指摘する。
  3. ^ この時どこまで源氏物語が完成されていたか。最低「若菜」の前までは書かれていた[4]、または「幻」までは書かれていた[5]という推定が多い。
  4. ^ 萩谷や中野の訳ではここに「夫の死後」を補う。

出典

  1. ^ e国宝 - 紫式部日記絵巻断簡”. emuseum.nich.go.jp. 2023年8月29日閲覧。
  2. ^ 第13回 紫式部日記”. 京都新聞 (2018年10月25日). 2021年1月10日閲覧。
  3. ^ 萩谷朴『紫式部日記全注釈』(角川書店、1973年)
  4. ^ 白方勝『紫式部日記臆説』(風間書房、1986年)
  5. ^ 鬼束隆昭「『紫式部日記』と源氏物語」(石原昭平ほか編『女流日記文学講座第3巻 和泉式部日記 紫式部日記』勉誠社、1991年)
  6. ^ 渋谷栄一 源氏物語の世界
  7. ^ 中野幸一『正訳紫式部日記』(勉誠出版、2018年)


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