笑点 出演者

笑点

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/25 23:33 UTC 版)

出演者

以下の表中の出演者名欄にある記号の意味は次のとおり。 ◎: 前身番組『金曜夜席』に引き続いて出演している出演者。

△: かつて演芸に出演した出演者(笑点メンバー時の出演を除く)。

○: かつて大喜利メンバーだった出演者(司会者のみ)。

☆: かつて若手大喜利に出演していた出演者。

□: かつて座布団運びの代理またはアシスタントをしていた出演者(座布団運びを除く)。

現在の出演者

出演者にはそれぞれ性格付けがしてあり、特に木久扇の与太郎(おバカ)キャラ、6代目円楽の腹黒・社会派キャラは、メンバーの代表的なキャラクターである。

冒頭の案内は原則として司会者が行うが、司会者が病気などにより休演した回は、以下に記載している(ただし、冒頭の挨拶が無い回もある)

座布団運びは大喜利で司会者が大喜利メンバーに差配する座布団を運ぶのが主な役目。

司会者
名前 色紋付の色と着衣期間 出演期間 出演回
春風亭昇太△○☆□     2006年5月14日 - 現在 2006年5月14日 - 現在 第2016回 - 現在
  • レギュラー前は若手大喜利に出演(レギュラー就任後も司会を担当)、1997年2月23日(第1552回)に演芸ゲストとして出演、1998年7月26日(第1625回)は大喜利の代理座布団運びを担当。
  • 2006年5月21日(第2017回)から2016年5月22日までは大喜利メンバーとして出演。
  • 2014年5月18日(第2415回)から6月1日(第2417回)、2015年9月6日(第2480回)は冒頭の案内役を担当。
  • 2008年7月6日(第2122回)、2015年1月25日(第2449回)、2015年7月26日(第2475回)[19]、2015年9月6日(第2480回)は大喜利の代理司会を担当。
  • 2016年5月29日(第2515回)に6代目の司会に就任した[20]
  • 司会就任当初は後輩にあたるたい平、2代目三平を指名するときは、君付けで、逆に先輩の小遊三、好楽、木久扇、6代目円楽は師匠付けと呼んでいた(歌丸時代に代理司会を務めた時も同様)が、2016年6月19日(第2518回)放送分以降は、メンバー全員の呼び方を従来の司会者と同様に「さん」付けで統一された[21]
大喜利メンバー
林家木久扇     1970年秋 - 1971年7月11日
    1971年9月5日 - 現在
1969年11月9日 - 現在 第171回 - 現在
  • レギュラー前は若手大喜利に出演。
  • 2007年9月16日(第2082回)までは林家木久蔵として出演。
  • 2008年6月29日(第2121回)と7月6日(第2122回)、2010年3月7日(第2206回)と3月14日(第2207回)、2015年7月19日(第2474回)は冒頭の案内役を担当。
  • 2005年11月20日(第1993回)、2010年3月7日(第2206回)、2014年5月11日(第2414回)、2015年7月12日(第2473回)は大喜利の代理司会を担当。
  • 2014年7月27日(第2425回)から10月12日(第2435回)は療養のため休演。
三遊亭好楽     1979年9月9日 - 1980年11月2日
    1980年11月2日 - 1983年10月9日
    1988年4月3日 - 現在
1979年9月9日 - 1983年10月9日
1988年4月3日 - 現在
第682回 - 第889回
第1116回 - 現在
  • 1983年3月27日(第862回)までは林家九蔵として出演。
  • 2010年3月7日(第2206回)と3月14日(第2207回)、2015年8月9日(第2477回)は冒頭の案内役を担当。
  • 2005年11月13日(第1992回)、2010年3月14日(第2207回)、2014年5月18日(第2415回)、2015年8月9日(第2477回)は大喜利の代理司会を担当。
三遊亭小遊三     1983年10月16日 - 現在 1983年10月16日 - 現在 第890回 - 現在
  • レギュラー前の1982年10月17日(第840回)に演芸ゲストとして出演している。
  • 2005年11月6日(第1991回)、2014年5月25日(第2416回)、2015年8月2日(第2476回)は大喜利の代理司会を担当。
6代目三遊亭圓楽     1977年8月28日 - 現在 1977年8月28日 - 現在 第578回 - 現在
  • 番組内では「三遊亭円楽」と表記。
  • 2010年2月21日(第2204回)までは、三遊亭楽太郎として出演。
  • 2008年6月29日(第2121回)と7月6日(第2122回)と2015年8月30日(第2479回)は冒頭の案内役を担当。
  • 2005年10月30日(第1990回)、2014年6月1日(第2417回)、2015年7月19日(第2474回)、2015年8月30日(第2479回)は大喜利の代理司会を担当。
林家たい平△☆□     2004年12月26日 - 現在 2006年5月21日 - 現在 第2017回 - 現在
  • レギュラー前は若手大喜利に出演、1997年7月20日(第1576回)に演芸ゲストとして出演、1998年7月12日(第1623回)は大喜利の代理座布団運びを担当。
  • 2004年12月26日(第1948回)から2006年5月14日(第2016回)までは代理出演扱い。
  • 2014年5月18日(第2415回)から6月1日(第2417回)、2015年8月16日(第2478回)は冒頭の案内役を担当。
  • 2008年6月29日(第2121回)、2015年2月1日(第2450回)、2015年8月16日(第2478回)は大喜利の代理司会を担当。
  • 2016年8月28日(24時間テレビ内のチャリティー大喜利)は24時間テレビのチャリティーマラソンランナーだったことに伴い、大喜利には不参加。
2代目林家三平    2016年5月29日
    2016年6月5日 - 現在[22]
2016年5月29日 - 現在 第2515回 - 現在
  • 2016年5月29日(第2515回)から出演[23]
  • 2006年5月14日に放送された40周年記念スペシャルの師弟大喜利にも出演。2009年4月19日(第2161回)は、林家三平襲名披露口上に出演した。
  • 初登場の2016年5月29日(第2515回)段階では色紋付の色が決まっていないため、真打昇進披露などで着用する黒紋付で出演した[24]
座布団運び
名前 色紋付の色と着衣期間 出演期間 出演回
山田隆夫     1984年10月7日 - 1985年7月21日
    1985年9月1日 - 現在
1984年10月7日 - 現在 第938回 - 現在
  • 6代目座布団運び。
  • 1998年7月5日(第1622回)から1998年7月26日(第1625回)までは休演[25]

終身名誉司会

終身名誉司会
名前 色紋付の色と着衣期間 出演期間 出演回
桂歌丸◎○     1968年冬 - 1969年3月30日
    1970年秋 - 2007年7月29日
    2007年9月9日 - 2016年5月22日
1966年5月15日 - 1969年3月30日
1969年11月9日 - 2016年5月22日
第1回 - 第139回
第171回 - 第2514回[26][27]
  • 5代目司会者。回答者による自身へのいじりに対して座布団を全没収することが多かった。全員の座布団を全没収することもたびたび起こっており、特に2013年10月13日(第2384回)の全員全没収の時は、翌週の放送(第2385回)で誰にも座布団を与えず、最初から最後まで全員を板の間に座らせるという珍事が発生した。最後の司会となった2016年5月22日の最終問題も全員全没収で終わる形となっている。
  • メンバーについては基本的に全員高座名に「さん」付け。ただし初代木久蔵→木久扇を「木久ちゃん」、楽太郎→6代目円楽を「楽さん」と愛称で呼ぶことも多かった。
  • 1966年5月15日(第1回)から2005年11月20日(第1993回)までは大喜利メンバーとして出演。
  • 2005年10月23日(第1989回)から2006年3月19日(第2008回)までは冒頭の案内役を担当。
  • 2005年10月23日(第1989回)と2005年11月27日(第1994回)から2006年5月14日(第2016回)までは大喜利の代理司会を担当。
  • 1985年4月7日(第964回)と4月14日(第965回)、2008年6月29日(第2121回)と7月6日(第2122回)、2010年3月7日(第2206回)と3月14日(第2207回)、2014年5月11日(第2414回)から6月1日(第2417回)、2015年1月25日(第2449回)と2月1日(第2450回)、7月12日(第2473回)から9月6日(第2480回)[28]は療養のため休演。
  • 2016年5月22日の生放送をもって『笑点』を勇退。「終身名誉司会」として事前番組『もう笑点』の出演など番組に関わり続ける。
  • 司会勇退後の放送でもオープニングの出演者表示では、「終身名誉司会」として引き続きクレジットされている。

過去の出演者

司会者
名前 色紋付の色と着衣期間 出演期間 出演回
7代目立川談志     1968年冬 - 1969年3月30日 1966年5月15日 - 1969年11月2日 第1回 - 第170回
  • 初代司会者。番組の企画・構成・放送枠確保の段階から深く関与し、現在に至る名物コーナー「大喜利」の形を確立したほか、初代のオープニングテーマ『笑点音頭』の作詞兼メインボーカルも担当。
  • 1969年4月の大喜利メンバー総入替え以降、たびたび収録への参加をキャンセルすることがあり、その際の代役司会は初期の演芸コーナー常連出演者の一人だった講談師の一龍斎貞鳳が担当した。
  • 1969年12月の第32回衆議院議員総選挙への出馬を理由として、同年10月収録分への参加を最後に番組を降板(ただし、これは表向きの理由であり、実際上は番組路線の転換を巡ってのスタッフとの関係悪化・出演者総入替え後の視聴率の低迷・度重なる収録不参加の責任を問われての事実上の解任に近い降板であったとされる)。
前田武彦     1969年11月9日 - 1970年12月13日 1969年11月9日 - 1970年12月13日 第171回 - 第228回
  • 2代目司会者。現在も使用されているオープニング曲『笑点のテーマ』の作詩も担当。
  • 司会就任前の1967年8月27日の「大喜利ゲスト大会」にメンバーとして出演していた。
  • 1970年2月8日の北海道収録の回は飛行機の欠航のため、コーナー進行部分のみ後楽園ホールにて後撮り収録し、大喜利は演芸ゲストだったてんぷくトリオの三波伸介に託した。
  • 唯一本名で出演していた司会者。
  • 司会前期のチーム対抗形式の大喜利(この時期の大喜利は「大喜利ナンバーワン」のコーナー名で放送されていた)では舞台上手ではなく、舞台中央に見台を置いて司会を行っていた(チーム対抗形式廃止後は従来通りに舞台上手で司会を担当)。
  • 当時『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)を筆頭に多数のレギュラー司会番組を抱えている最中での司会起用だったためか、番組内でのやり取りを巡りレギュラー出演者との間に考え方の相違があったこと[29]、個人事務所の設立や家庭に費やす時間を増やしたいという意向を持っていたことなどの事情が重なり、就任からわずか1年弱で降板。
初代三波伸介     1970年12月20日 - 1972年7月23日
    1972年9月17日 - 1982年12月26日
1970年12月20日 - 1982年12月26日 第229回 - 第850回
  • 3代目司会者。
  • 前田武彦司会時代の北海道収録の回(1970年2月8日放送)は大喜利の代理司会を担当。この際の仕切りぶりが好評だったことが決め手となって前田の後任司会者として正式に抜擢されることになった。
  • 現在も継承されている観客席での司会者によるオープニングの挨拶は三波司会時代から導入されたもの(公開放送番組の特性を生かしたいという三波の考えを踏まえて取り入れられたものだったとされる)。
  • 1982年12月8日に急逝したため、1983年の正月特番は司会者・案内役不在で進行し、コーナー司会としてドレミファ大喜利を林家こん平鶴亀大喜利愛川欽也が臨時に担当した(なお、愛川はこの特番収録を行うに当たって正式な新司会者就任の打診があったが、「落語家さんの評価をすることなんてとても自分には出来ない」との理由でこれを固辞している。同様のオファーは愛川以外にも、生前三波と親交の深かった伊東四朗中村メイコ東八郎に加え、愛川と並ぶ当時の人気司会者であった山城新伍にもあったが、いずれも愛川と同様の理由で司会就任を辞退している)。
5代目三遊亭圓楽◎○     1968年冬 - 1969年3月30日
    1970年秋 - 1977年3月27日
    1984年9月9日 - 2006年5月14日
1966年5月15日 - 1969年3月30日
1970年6月21日 - 1977年3月27日
1983年1月9日 - 2006年5月14日
2008年3月9日
第1回 - 第139回
第203回 - 第556回
第851回 - 第2016回
第2106回
  • 4代目司会者。当初は2回限りのゲスト司会者の予定で司会を引き受けたが、その後正式に司会就任の打診を承諾。以後、歴代司会者中最長の23年強にわたり番組の顔を勤め上げた。
  • 1966年5月15日(第1回)から1977年3月27日(第556回)までは大喜利メンバーとして出演。
  • 2005年10月23日(第1989回)から2006年3月19日(第2008回)までは病気療養のため休演。
  • 2006年3月26日(第2009回)に復帰を果たすものの体調面の不安から冒頭の案内役のみの出演となり、5月14日(第2016回)の最終大喜利の司会を歌丸と共に務めた。本編には、2008年3月9日(第2106回)の円楽一門真打昇進披露口上に出演した。
大喜利メンバー
名前 色紋付の色と着衣期間 出演期間 出演回
柳亭小痴楽
(のちの春風亭梅橋
    1968年冬 - 1969年3月30日 1966年5月15日 - 1969年3月30日 第1回 - 第139回
林家こん平     1968年冬 - 1969年3月30日
    1972年9月17日 - 2004年9月5日
1966年5月15日 - 1969年3月30日
1972年7月30日 - 2004年9月5日
2016年4月17日
第1回 - 第139回
第313回 - 第1932回
第2511回
  • 過去に(放送日不明)大喜利の収録に遅刻したため、当時のプロデューサーの判断により出演なしの回がある[30]
  • 2004年9月12日(第1933回)以降は一時降板、休演中。2015年8月23日の「24時間テレビ」内のSPで11年ぶりに出演した。本編には、2016年4月17日(第2511回)の真打昇進披露口上に、三本締めの発声として出演した(新真打の中にこん平の弟子である林家ぼたんが含まれていることによるもの)。
4代目三遊亭小圓遊     1968年冬 - 1969年3月30日
    1970年秋 - 1980年10月12日
1966年5月15日 - 1969年3月30日
1969年11月9日 - 1980年10月12日
第1回 - 第139回
第171回 - 第737回
  • 1968年9月22日までは三遊亭金遊として出演。
  • 1980年10月5日未明に急逝。
柳家かゑる
5代目鈴々舎馬風
1969年4月6日 - 1969年11月2日 第140回 - 第170回
三升家勝二
8代目三升家小勝
1969年4月6日 - 1970年6月14日 第140回 - 第202回
柳家さん吉 1969年4月6日 - 1970年6月14日 第140回 - 第202回
三遊亭好生
春風亭一柳
1969年4月6日 - 1969年11月2日 第140回 - 第170回
春風亭栄橋 1969年4月6日 - 1969年11月2日 第140回 - 第170回
2代目三遊亭歌奴
3代目三遊亭圓歌
1969年11月9日 - 1970年6月14日 第171回 - 第202回
  • 多忙のための休演回あり、その際には木久蔵(木久扇)作の歌奴似顔絵を掲げていた。
4代目三遊亭金馬 1969年11月9日 - 1970年6月14日 第171回 - 第202回
  • 多忙のための休演回あり、その際には小きん(つば女)作の金馬似顔絵を掲げていた。
柳家小きん
6代目柳家つば女
    1970年秋 - 1972年7月23日 1969年11月9日 - 1972年7月23日 第171回 - 第312回
6代目三遊亭圓窓     1970年秋 - 1977年7月17日 1970年6月21日 - 1977年8月21日 第203回 - 第577回
三笑亭夢之助     1977年8月28日 - 1979年7月15日 1977年8月28日 - 1979年9月2日 第578回 - 第681回
7代目桂才賀     1980年11月2日 - 1988年3月27日 1980年11月2日 - 1988年3月27日 第740回 - 第1115回
  • 1985年8月18日(第983回)までは古今亭朝次として出演。
座布団運び
名前 色紋付の色と着衣期間 出演期間 出演回
三升家勝松
4代目桂文字助
1966年5月15日 - 1967年1月22日 第1回 - 第34回
  • 初代座布団運び。
  • 元来、前座であり裏方であった。
  • 1967年1月29日(第35回)以降、裏方へ専念。
毒蝮三太夫     1968年冬 - 1969年3月30日 1967年1月29日 - 1969年11月2日
2016年5月8日
第35回 - 第170回
第2514回
  • 2代目座布団運び。
  • 1968年12月8日までは本名である石井伊吉の名で出演。
  • 初代司会者・立川談志の盟友であり、立川談志の誘いを受けて「座布団運び」となり、談志が司会を降板するまで「座布団運び」を務めた。
  • 2016年5月8日に、46年ぶりに「大喜利」に出演。
三遊亭笑遊
5代目三遊亭圓遊
1969年11月9日 - 1970年6月14日 第171回 - 第202回
  • 3代目座布団運び。
  • 北海道収録の回(放送日不明)は戸塚睦夫の補佐役に廻る。
初代三笑亭夢丸 1969年11月9日 - 1970年6月14日 第171回 - 第202回
  • 3代目座布団運び。
  • 北海道収録の回(放送日不明)は伊東四朗の補佐役に廻る。
小野千春 1970年6月21日 - 1971年7月11日 第203回 - 第258回
  • 4代目座布団運び。
  • 小野は出演開始当初は「前武の何でも入門」のアシスタントであった。1970年6月21日(第203回)以降、座布団運びも担当。
桂米助
ヨネスケ
1970年6月21日 - 1971年7月11日 第203回 - 第258回
  • 4代目座布団運び。
  • 小野の補佐役の位置付けであった。
松崎真     1971年9月5日 - 1984年9月30日 1971年7月18日 - 1984年9月30日 第259回 - 第937回
  • 5代目座布団運び。

アシスタント

番組内では、若手の落語家がアシスタントとして座布団運びの手伝いをしたり、収録前の前説を行っている。そのほとんどが大喜利メンバー(あるいは元大喜利メンバー)の弟子。

ほか多数




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  1. ^ 地上デジタル放送ではステレオ放送も実施。
  2. ^ 新春スペシャル等は麹町にて収録される。東日本大震災の影響により後楽園ホールで収録出来なくなった際にも、2011年(平成23年)5月分5本(45周年記念口上も含む)と6月分1本の計6本の収録を麹町分室にて行われた。
  3. ^ 50周年特別記念展のパンフレットにその旨記述あり。なお、全国放送でないものでは1962年9月に放送が始まった『よしもと新喜劇』(毎日放送)が最長寿となる。
  4. ^ “「笑点」50周年記念のフレーム切手セット発売”. お笑いナタリー (ナタリー). (2015年10月16日). http://natalie.mu/owarai/news/163126 2016年4月21日閲覧。 
  5. ^ 1980年3月と4月の朝日新聞縮刷版にて確認済
  6. ^ 字幕は、司会(現在は昇太)の声が黄色、アナウンサー大喜利の司会の声若しくは演芸ゲストが2人いる場合そのうち一人の声が水色、3人以上の場合さらにもう1人の声が緑色で表示される。開始当初は日本テレビ、読売テレビ、福岡放送など極少数の局でしか行われていなかった(当時は民放各局の字幕放送番組が現在よりも少なかった)が、1998年までにすべての同時ネット局で実施するようになった。
  7. ^ a b 2009年(平成21年)11月8日放送の5代目圓楽追悼の回では放送日が収録直後だったこともあり、リアルタイム字幕放送を実施。解説放送は行わなかった。
  8. ^ 2010年(平成22年)4月4日(第2210回)からは、解説放送のナレーター(NTVアナウンサー)が自己紹介するようになった。
  9. ^ 現場リポート おそらく世界初!? 8Kで"番組収録"してみました。”. 日テレ・テクニカル・リソーシズ(NiTRo) (2016年1月19日). 2016年2月23日閲覧。
  10. ^ 1966年5月15日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  11. ^ 1968年4月28日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  12. ^ 1968年5月5日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  13. ^ 1996年3月31日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  14. ^ 1996年4月14日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  15. ^ 以前は、新年最初の日曜日は新春特番や高校サッカーのハイライトなどで番組が休止だったため、新年最初の放送は1月第2週目からだった。
  16. ^ 通常は17:30 - 17:58まで。
  17. ^ 通常は17:30 - 18:00まで。
  18. ^ 龍角散の一社提供は日本テレビのみ。なお龍角散は、『笑点デラックス』と『笑点 特大号』にもスポンサーに入っており、また地上波の正月特番にもスポンサーを務めている。
  19. ^ 2015年7月26日(第2475回)放送回は日本テレビ女性アナウンサーペア大喜利の代理司会を担当。
  20. ^ a b “「笑点」6代目司会は春風亭昇太 恐縮「『え〜』と思いました」”. スポニチアネックス. (2016年5月22日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/05/22/kiji/K20160522012636220.html 2016年5月22日閲覧。 
  21. ^ 円楽「笑点」でテツandトモとコラボ「なんで…?」に答えた”. スポーツ報知 (2016年6月19日). 2016年6月22日閲覧。
  22. ^ “「笑点」新メンバー・林家三平、着物は丁子(ちょうじ)色に決定”. スポーツ報知. (2016年5月29日). http://www.hochi.co.jp/entertainment/20160529-OHT1T50200.html 2016年5月29日閲覧。 
  23. ^ “「笑点」大喜利の新レギュラーに2代目林家三平”. 日刊スポーツ. (2016年5月29日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1654717.html 2016年5月29日閲覧。 
  24. ^ “林家三平 昇太に「独身チビ野郎」で座布団ゼロに”. デイリースポーツ. (2016年5月29日). http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160529-00000113-dal-ent 2016年5月29日閲覧。 
  25. ^ 番組の雰囲気を変える目的で若手の噺家に座布団運びを任せるためスタッフが意図的に山田を休ませたものだがかえって番組のテンポが悪くなってしまい、司会の五代目圓楽が「やっぱり山田君がいないとダメだ!」と激怒したためわずか4回休んだだけで復帰となったことを山田自身が『笑点五〇年史』で明らかにした。
  26. ^ この後2週のスペシャルが挟まれるが放送回数には含まれていない。
  27. ^ オープニングでの出演者クレジットは同回以降も継続。
  28. ^ 8月23日の24時間テレビには出演した。
  29. ^ 歌丸は自身の著書『極上歌丸ばなし』で前田がわずか1年で司会を降りることになった理由につき、「前武さんじゃ、落語家のシャレが通じないんですよ。とにかくやりにくくってしょうがない。局側も(それに)気がついたんでしょうね」と述懐している。[1]
  30. ^ 「笑点の謎」(河出書房新社)より
  31. ^ a b c “【笑点50年 笑いのある人生】(5)演芸コーナー最多出演はマギー司郎の49回”. スポーツ報知. (2016年5月12日). http://www.hochi.co.jp/entertainment/20160511-OHT1T50182.html 2016年5月23日閲覧。 
  32. ^ 2014年(平成26年)5月4日放送では、当時若手大喜利レギュラーメンバーかつ落語立川流である立川晴の輔(旧高座名:志の吉)が前年2013年(平成25年)12月1日に真打昇進したため、晴の輔も落語協会・落語芸術協会の新真打とともに襲名披露に出演した。ただし、師匠の立川志の輔をはじめ、落語立川流から関係者の出演はなかった。
  33. ^ この際、進行役から「本来新真打はこの場(=襲名披露口上)では言葉を発しないのですが」などの前置きがされる。寄席の披露口上では、本人が主任をとることで挨拶に代えるため。
  34. ^ 一部の回、「笑点暦」の告知期間(11月~12月)は休止。
  35. ^ 『笑点』の裏側 台本は? リハーサルは?に木久扇が回答,ライブドアニュース
  36. ^ 1980年3月と4月の朝日新聞縮刷版にて確認済。
  37. ^ このバージョンでは、表記は6代目と同じ「三遊亭円楽」表記であった。以下、小円遊・円窓も同様。次の笑点大演芸編より旧字体の「圓」表記となる。
  38. ^ showtenntvの投稿 (784007658304582) - Facebook
  39. ^ 笑点Web 放送内容 第2350回 福島県郡山市での収録回。襖にしだれ桜(二本松市三春町など、福島県内に多数の名所がある)が描かれている。
  40. ^ 笑点Web 放送内容 第2371回 秋田県秋田市での収録回。襖に竿燈が描かれている。
  41. ^ 現在では日本での視聴率調査からはすでに撤退済み。
  42. ^ ただし、歴代最高視聴率を記録したこの放送回の記録媒体は日本テレビに残っていないため2016年現在VTRを利用できない状況にある(2013年5月15日放送『1番ソングSHOW 日テレ60年伝説番組が生んだ名場面&名曲大連発スペシャル』[出典無効]
  43. ^ 放送直前にCM未放送問題が発覚したため、これについての発言は実際の放送ではカットされた。
  44. ^ a b ただしこのとき歌丸は体調不良で休演。冒頭の挨拶および1週目の大喜利の代理司会を木久扇、2週目の大喜利の代理司会を好楽が担当した。
  45. ^ a b 歌丸が療養中であった為冒頭の挨拶を昇太とたい平、1週目の大喜利の代理司会を小遊三、2週目の大喜利の代理司会を円楽が担当した。
  46. ^ 歌丸の著書「極上歌丸ばなし」に記述あり。
  47. ^ 1997年の香港公演の特番冒頭に出演者から明かされ、その際に「サダム・フセイン、あなたのおかげでパリ収録が中止になりました」という皮肉めいた恨み節のテロップが表示されていた
  48. ^ 当日付の新聞テレビ欄読売新聞東京本社11版17面、朝日新聞東京本社11版11面、毎日新聞東京本社12版9面)にて確認。
  49. ^ 2016年5月15日放送で、日本テレビに現存する最古の映像(放送回)として紹介された。
  50. ^ 日本テレビ放送網 『大衆とともに25年 -沿革史-』、1978年、156頁。 
  51. ^ 「笑点」最高視聴率は74年36.1% 座布団は立川談志さん考案 Sponichi Annex 2016年5月23日発行、同日閲覧)。
  52. ^ 「笑点」の報道特別番組による休止は2004年7月18日の「曽我ひとみ一家帰国関連」以来である。
  53. ^ 桂歌丸 肺疾患と肋骨骨折で入院 「笑点」収録も欠席 スポーツニッポン 2014年4月4日閲覧
  54. ^ 林家木久扇さん、初期の喉頭がんで休養へ 「笑点」は代役立てず 産経新聞 2014年7月21日閲覧
  55. ^ 桂歌丸、インフル感染し入院…「笑点」司会など今月いっぱい休養 サンケイスポーツ 2015年1月8日閲覧
  56. ^ そのため冒頭の案内をやらずに、字幕で一部内容を変更した旨を伝えた上で、すぐ演芸に入った(翌週放送分の原口あきまさホリのものまねも同様)。
  57. ^ 三宅裕司&小倉久寛「笑点」コント延期に…「国際情勢を配慮」 スポニチアネックス 2015年1月26日閲覧
  58. ^ 2015年7月26日(第2475回)放送分(日本テレビ女性アナウンサーペア大喜利)、2016年1月3日放送分(手相大喜利)は休止。11月1日 - 12月20日放送分は笑点カレンダーの告知のため休止。
  59. ^ 歌丸また「笑点」欠席へ…腸閉塞で入院、退院時期は未定 デイリースポーツ 2015年7月12日閲覧
  60. ^ 桂歌丸が「笑点」司会引退「体力の限界です」 日刊スポーツ 2016年4月30日閲覧
  61. ^ 歌丸、笑点の司会を引退「体力の限界です」…5・22生放送がラスト スポーツ報知 2016年4月30日閲覧
  62. ^ 桂歌丸「笑点」50周年で大喜利司会引退発表 ラストは5月22日生放送 - gooニュース・スポニチアネックス、2016年4月30日14:35配信、同日閲覧
  63. ^ 番組冒頭から中盤にかけて(後述するTOKIOとの大喜利対決、笑点50年間の事件簿をまとめた再現VTR、ナイツと歌丸のコラボ漫才)は事前収録。なお、急遽の生放送決定のため、中京圏でそれぞれ別々の落語会を当日開催した好楽・6代目円楽・たい平は名古屋からの移動のため遅れて出演(生放送の大喜利には間に合った)。
  64. ^ a b c 一時期日本テレビ系列・テレビ朝日系列クロスネット局でもあったが引き続き放送。
  65. ^ 根拠:1971年4月〜1972年4月の東奥日報・陸奥新報・河北新報(青森県立図書館・弘前市立図書館・五所川原市立図書館で閲覧)の青森放送テレビ欄から
  66. ^ 2011年10月から水曜夕方の枠で再放送を行っている。
  67. ^ 東日本放送が開局するまでは、日本テレビ系列とNET系列のクロスネット。クロスネット時代はNETの番組(『ビッグスポーツ』『朝日新聞テレビ夕刊』)を同時ネットしていたため、日曜12:15から(開局-1973年3月まで)→土曜16:30から(1973年4月-)のそれぞれ遅れネットだったが、1973年9月でいったん打ち切り。その後東日本放送の開局に伴うクロスネットの解消で、1975年10月に同時ネットでネット再開。
  68. ^ 福島放送が開局するまでは、日本テレビ系列とテレビ朝日系列のクロスネット。また、1979年4月1日-1981年9月27日は『ANNニュースレーダー』(日曜日のみ)をネットしていたため遅れネット。
  69. ^ 1978年3月までは毎週土曜17時20分の6日遅れネット。1978年4月からは同時ネット。
  70. ^ それまで、当番組を放送していた新潟放送は、6日遅れの放送だった為、テレビ新潟は、開局前のサービス放送開始後のこの日から同時ネットし続けている。
  71. ^ a b ANN主体からNNNマストバイ局変更による。
  72. ^ それまでは『530ステーション』を放送していた。
  73. ^ 1989年4月からANNにも正式加盟したが、日本テレビ系優先のクロスネット局のためスポンサードネットでの放送を継続。かつては日本テレビ系列単独加盟でありながらANNともオブザーバー扱いで素材交換契約を結んでいたため、『ANNニュース&スポーツ』や『530ステーション』などのテレビ朝日の日曜夕方のニュースを1991年3月まで(1989年3月までは番組販売扱い)放送していたために6日後の土曜夕方に時差ネットしていたが、その後、自社番組などの放送を経て、本番組の30分化に伴って日本テレビとの同時ネットに移行している。
  74. ^ 根拠:読売新聞大阪本社発行岡山版のテレビ欄で確認
  75. ^ 17:00から『日曜劇場』の遅れネットのため(現在も別時間で継続)、当初は土曜正午に時差ネットしていたが、現在は日本テレビとの同時ネットに移行している。
  76. ^ 社史「四国放送の50年」による。
  77. ^ 1983年(昭和58年)4月に西日本放送が岡山県に乗り入れるまでは岡山県では放送されていなかった(ただし、多くの地域でRNCもしくはNKT・ytv・HTVで視聴することは可能であった)。
  78. ^ 根拠:読売新聞大阪本社発行岡山版(岡山県立図書館で閲覧)のテレビ欄
  79. ^ 佐賀県でも大部分で視聴可能。
  80. ^ 時期によっては土曜 16:15 - 16:45に時差ネット(編成の関係で放送時間変更や休止される場合あり)。また、テレビ大分では未ネットである『FNSの日』当該日の日本テレビとの同時ネットも行われない(『FNSの日』当該日には『TOSニュース』を放送)。2011年4月から現在の放送時間。
  81. ^ 日曜 17:00 - 17:40→火曜 11:15 - 11:45に時差ネット。1997年3月に一旦打ち切られたが(ただし2005年(平成17年)正月特番は放送)、2008年以降火曜10:45 - 11:15に放送を再開した。2010年4月に火曜11:15 - 11:45に移動し、2014年10月より現在の時間に移動。
  82. ^ 2003年4月から2004年3月は月曜15:55-16:25で放送。その後、2013年4月から放送再開。放送日時の変更が多い。2016年7月現在、約2ヶ月遅れ。
  83. ^ ネット当時は日本テレビ系列
  84. ^ ネット当時は日本テレビ系列およびNETテレビ系列とのトリプルネット
  85. ^ NSTでのネット終了後は、NETテレビの夕方のニュースの同時ネットに切り替えた。
  86. ^ 翌3月29日から、開局前のサービス放送中のテレビ新潟での同時ネットに移行。
  87. ^ この月にテレビ信州が、それまでのテレビ朝日系列・日本テレビ系列(ただしNNSは非加盟)クロスネットから、日本テレビ系列へネットを一本化(NNS加盟)した。
  88. ^ 1975年10月12日、1982年3月28日、1982年4月10日、1991年3月30日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  89. ^ ネット当時の名称は「静岡けんみんテレビ (SKT)」。
  90. ^ ネット当時はNNNにも加盟。
  91. ^ ネット当時は日本テレビ系列(NNN、NNS加盟)メインであった。
  92. ^ JNN基幹局でありながら、放送開始当時、福岡県に日本テレビ系列局がなかった事情から、同系列の番組もネットしていた。
  93. ^ ネット当時はNNN系列とフジテレビ系列に加盟
  94. ^ 同年10月にNNNを脱退したため、半年間長崎県では放送されなかったが、1991年4月に長崎国際テレビが開局して再開。
  95. ^ ネット当時はNNN/NNSとANNにも加盟
  96. ^ テレビ宮崎では開局と同時に放送を開始したが、途中で打ち切り・再開を繰り返していた。1997年3月で一旦放送は打ち切られたものの、2008年から放送を再開している。
  97. ^ ネット当時はNNN/NNSにも加盟。1982年9月まではANNにも加盟
  98. ^ 表にはないが、延友陽子(1998年入社)は2002年正月に出演。
  99. ^ 鈴木より改姓。
  100. ^ 葉山より改姓。
  101. ^ 上重は硬式野球(PL学園高 - 立大)、山本はサッカー(柏レイソルユース - 明大)、佐藤はラグビー(慶応普通部)やスキー(慶応高)、中野はテニス(明大)の経験者。
  102. ^ 藤井も鈴木と同じ枚数でトップとなったが「司会者の席の近い方」の鈴木のみ賞品獲得となった。
  103. ^ 2013年10月23日放送の『笑点 特大号』「本日の楽屋」コーナーでは、負けチーム用の千社札(上重は「甲子園」、中野は「テニス」、山本は「長友の後輩」)が披露された。なおこれらについては歌丸の優しさにより、後日上重らにも贈呈された。
  104. ^ 笑点Facebook 2016年3月13日付
  105. ^ 出演当初は春風亭あさ市
  106. ^ 出演当初は春風亭柳八
  107. ^ 出演当初は立川笑志
  108. ^ 出演当初は林家きくお
  109. ^ 当初は2011年(平成23年)4月10日放送予定分の若手大喜利の収録を3月12日に予定していたが、東日本大震災により延期。後に麹町分室にて収録した。4月10日放送予定分の収録は、長崎市公会堂で収録(放送では長崎市公会堂とはアナウンスされず)した歌丸の落語「つる」に変更。
  110. ^ いずれも米朝一門。
  111. ^ なお文左衛門も2代目木久蔵と同じ枚数でトップとなったが「2代目木久蔵のお父さんにお世話になっている」と言う理由で、2代目木久蔵のみ賞品獲得となった。
  112. ^ なお昇太は、生志が1問目の回答で自身の著書「ひとりブタ: 談志と生きた二十五年」の宣伝をした際「自分の書いた本とか紹介する奴は最低だよ」と発言したため、生志に賞品について突っ込まれた。
  113. ^ 大喜利メンバー史上最年少
  114. ^ 噺家ではないが、2013年以降はジャニーズ事務所所属の男性アイドルグループ・TOKIO城島茂(奈良県出身)も参戦(高齢になった笑福亭松之助に替わるリーダー格)。
  115. ^ 桂小米朝より改名。
  116. ^ 西軍初の女流メンバー。
  117. ^ 林家染弥より改名。
  118. ^ TOKIOスペシャルDAYS|日本テレビ
  119. ^ 後に2011年の東西大喜利に月亭方正として出演。
  120. ^ 正確には神奈川県出身であるが、当時千葉県在住のため千葉県代表として出演。
  121. ^ 40周年記念本では「さっこちゃん」と呼ばれ、2010年3月14日放送のフジテレビ系「ボクらの時代」で父や弟(2代目木久蔵)と対談した人物。
  122. ^ 木久扇と好楽のマネージャーは(それぞれの)自身の娘、山田のマネージャーは自身の息子である。
  123. ^ 第1部は16:30 - 17:30。第2部は18:00 - 18:55。
  124. ^ 同スペシャル本編にも出演。
  125. ^ 『笑点』(日本テレビ、2006年ISBN 4-8203-9955-1
  126. ^ a b 『笑点』(日本テレビ、2006年ISBN 4-8203-9955-1
  127. ^ 笑点 放送50周年記念特別展 日本テレビ
  128. ^ “あの座布団にも座れる! GWに「笑点 放送50周年特別記念展」開催”. ねとらぼ. (2016年4月14日). http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1604/14/news060.html 2016年4月21日閲覧。 
  129. ^ 放送ライブラリー 番組ID002976
  130. ^ 放送ライブラリー 番組ID011522
  131. ^ “「笑点」研究本に桂歌丸×阿川佐和子の対談、毒蝮三太夫や伊東四朗の証言”. お笑いナタリー. (2016年8月19日). http://natalie.mu/owarai/news/198721 2016年8月19日閲覧。 






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