竹下登
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対人関係
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- 佐藤栄作には初当選時政治資金を盛んに借用するなど世話になっており、佐藤の没後、税金対策として佐藤邸を借りて住んでいた[37]。
- 「気配り・目配り・金配りで総理になった」といわれる人間関係の達人であり、与野党・財界・官界に幅広い人脈を持ち、どこにも敵をつくらない人物だった。他派閥の中曽根康弘によく仕え、首相時代はライバル派閥の安倍晋太郎と盟友関係を築いた。他に宇野宗佑、海部俊樹、藤波孝生、河野洋平、三塚博、森喜朗、武村正義、他党では村山富市、山口鶴男、矢野絢也、塚本三郎などと交流があった。公明党が衆議院に初進出した際には、挨拶回りに来た矢野と竹入義勝に院内を案内して控室割り当ての仕組みなどをレクチャーしている[38]。「反経世会」を掲げた小泉純一郎とも大蔵大臣-大蔵政務次官としてコンビを組んだ間柄であり、悪い関係ではなかった。
- 早稲田大学のOB親睦会である稲龍会の名誉会長であり、母校を通じた人脈も重要だった。岡田克也の政界入りの契機となったのは、竹下が早大の後輩として親しかった岡田元也に声をかけたことである。
- 創政会結成後も二階堂進との私的な関係は悪くなかった。当時大蔵大臣の竹下が、二階堂の孫娘に500円の記念硬貨を十枚ほどプレゼントしたこともあった[39][注釈 2]。
- 自社さ連立政権で行政要職経験もないまま突然内閣総理大臣の職に就いた村山富市は、同い年の竹下が党派を超えて「良き相談相手」だったと語っている[40] (竹下は1924年(大正13年)2月26日生まれ、村山は同年3月3日生まれと1週間しか誕生日が離れていない)。竹下もまた、武村正義を交えて為替問題など村山に初歩から教えたことを述懐している[41]。
- 与謝野馨は「竹下さんは「ポスト小渕候補が加藤紘一だけじゃ寂しいわな」と私の顔をじっと見るんですよ。おまえもしっかりその日に備えておけ、と聞こえました。99年に入院された後も何度も携帯電話に連絡をいただきました。」と述べ、与謝野は1998年の総裁選は梶山静六を応援したが、竹下の後押しで小渕内閣で通商産業大臣で入閣している[42]。
- 亀井静香は「気配りの人だった。派閥は違えど選挙区が広島と島根で中国山地を挟んで背中合わせだった。選挙資金として毎年300万円くれた。」と述べている[43]。
注釈
- ^ 直接の後継校は早大学院だが現在の学制に直すと早稲田大学の教養課程
- ^ 後日に二階堂の孫娘が「大蔵大臣が来ると良いよ、お金をくれるんだ」と周囲に語ったことから「竹下が二階堂家の生活費を工面している」という風説が生じている。
- ^ 1984年にこの替え歌について「今はもう全く(歌わないのですか)?」とテレビ取材で尋ねられた竹下は、「あれはですね、世間から見ても全く可能性のない時に歌えば愉快な歌であって、自分がその気でなくても世間から見て可能性の範囲内に入ったら歌えば誤解が生じますから、歌わないことにしてます[49]」と答えている。
- ^ このエピソードはテレビ番組でDAIGOがよく披露している
- ^ 神一行 (2002)には「内藤武宜」と表記されているが「内藤武宣」が正しい
出典
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- ^ “(閣僚の横顔)復興 竹下亘氏”. 日本経済新聞電子版 (日本経済新聞社). (2014年9月4日) 2023年10月6日閲覧。
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- ^ 竹下本店 会社概要
- ^ https://www.dailyshincho.jp/article/2021/07091140/?all=1&page=2
- ^ 岩瀬, p. 18.
- ^ リベラルタイム社刊「月刊リベラルタイム 2007/09/03発売号」より
- ^ デコ・デ・グリーン物語
- ^ 『「天下取り」の人脈・金脈・戦略』69頁
- ^ 聞き手は伊藤隆、御厨貴
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