秋山準 秋山準の概要

秋山準

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/01 09:34 UTC 版)

秋山 準
秋山 準の画像
プロフィール
リングネーム 秋山 準
本名 秋山 潤
ニックネーム 賢人
身長 188cm
体重 110kg
誕生日 (1969-10-09) 1969年10月9日(47歳)
出身地 大阪府和泉市
所属 全日本プロレス
スポーツ歴 レスリング
水泳
トレーナー ジャイアント馬場
ジャンボ鶴田
小橋建太
デビュー 1992年9月17日
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なおノア移籍以前の全日本時代はリングネーム「準」の下部にある「十」の右下に「、」をつけていた。

かつては対戦相手の負傷箇所を非情なまでに痛めつけるファイトスタイルから「氷の秋山」、「キラー秋山」等と呼ばれた。団体トップでありながら他団体マットにも積極的に参加している。

来歴

幼少期

幼稚園児の頃、生家から自転車で行ける海岸から埋め立て地にかかっていた大きな鉄橋のアーチに上って降りられなくなって海上警備員に見つかって親に怒られたことがある。小学生になっても友達を殴って母親と菓子折りを持って謝りに行き、後で家の前にあった桜の木に括り付けられるなどやんちゃぶりは変わらなかった。小学生の頃から自衛隊の駐屯地で剣道を習い始め、勉強も「わりとやっていた」と文武両道の幼少期を過ごした。プロレスは祖父が好きで一緒に大阪府臨界スポーツセンターへ見に行っていた。時代的には1970年代後半であり、ジャンボ鶴田のファイトを見て面白かったという記憶があるが、この頃はプロレスラーになろうとは全く考えていなかった。小学4年生頃までは顔を濡らすことさえも恐怖心を感じて頭を洗う時にシャンプーハットが必須であるほど水が苦手であったが、ある日おじに流れるプールに無理やり連れて行かれてプールに落とされた時に案外水は平気であると感じ、いつの間にかプールに入ることが大好きになった[1]

学生時代

中学時代は水泳部に所属。高校に進学してからも水泳を続けようと思っていたが高石高校は水泳が盛んではなかったため、レスリングを高校進学後から始めた。高校に進学したら柔道を行うつもりであったが、当時中学生だった友達3人と高石高校の柔道部の見学に行ったところ、なぜか顧問を務めていた白石俊次が柔道部ではなくレスリング部の説明をしていた。入学後も最初は柔道部に入っていたが、徐々にレスリングの練習をやるようになり、最終的にレスリング一本に絞った。これについては本人は後に「たぶんレスリング部の部員が少なかったから、オレらを入れたかったんだろうね。特に重量級がいなくて、オレはでかかったからね」と話している。週休2日で放課後練習のみの柔道部と異なり、始業前、昼休み、放課後まで練習があり、休みは年3、4日しかないレスリング部で鍛えられた。フリースタイル81kg級でインターハイ国体に出場するなど、素質とセンスの高さを見せた。白石はまた、自身がプロレスラーになりたかったことから秋山に対してことあるごとにプロレス入りを勧めるなどしていた。専修大学レスリング部時代(3年上の先輩に中西学がいる、柔道部の高阪剛は同級生で友人)は1年時に全日本学生選手権で準優勝を果たす他、4年時にはレスリング部の主将も務めた。2年時には本田多聞、3年時には中西に敗北するなど、後のプロレスにつながる物語ができていた。1年生の時、合宿所で同じ部屋であった4年生の中西学ともう1人の先輩はまったく偉そうにしていなかったため、秋山にとっては非常に気が楽であった。秋山は後のインタビューで「オレの部屋は中西先輩がすごく優しく気を使ってくれて、部屋にいやすくしてくれたからよかった。そんなに苦しさは感じなかったよね。中西先輩には世話になったよ。練習でもスパーリングパートナーだったし、オレはいまでも中西先輩に対して一切悪い気持ちはないからね。大学生活で1年生の頃が一番楽しかったっていえるぐらい」と語っている。大学4年生になってもプロレス入りするという発想はなく、大阪にある会社から内定が出たためそこでチームを作って社会人でもレスリングを続けようかと思っていた[1]

全日本プロレス

バスの中で吊革にもたれかかり疲れてうなだれるサラリーマンの姿を見て自分はああなれないと悟り、プロレスラーとして生きることを決意した。全日本プロレス入団へのきっかけとなったのはジャイアント馬場自らのスカウトによる。大学4年生時の7月のある日突然、当時専修大のレスリング部ヘッドコーチを務めていた松浪健四郎に「スーツを着て赤坂のキャピトル東急ホテルに来い」とだけ言われたとのことで、ホテルに馬場夫妻がいる事やスカウトの話である事はまったく知らなかったという[2]。秋山自身がジャンボ鶴田のファンだったこと、あまり裕福でなかったにもかかわらず自信を大学に進学させてくれた親に金銭的な面で楽をさせたいという思いもあり、馬場本人からのスカウトに感動して全日本プロレスへ入団した[1]。秋山が全日本プロレスへ入団することを知った専大OBの長州力は「何で秋山スカウトしなかったんだ?」と、同じく専大OBで当時新日本プロレスのスカウトも兼務していた馳浩に尋ね、「すいません、就職すると鈴木監督に聞いてました」と答えた所、「それはまともだ。口説き落とした馬場さんが凄い」と語っていた。

入団当初からジャンボ鶴田二世として期待され、在学中の1992年2月3日に専修大学における全日本プロレス入団会見に出席。他の格闘技からの転向組を除く新人選手の会見が行われるのは、鶴田以来19年ぶりのことであった。入門してからの練習で一番きつかったのは受け身であり、技を受けてはいけない競技であるレスリングの出身者であった秋山にとって、何百本も受け身を取ることはダメージで息が詰まる程の負担であった。1992年9月17日、後楽園ホールのセミファイナル(45分1本勝負)・小橋健太戦でデビュー。他の若手は地方でひっそりと初リングを踏むことがほとんどであった中、異例の厚遇であった。同年末の『'92世界最強タッグ決定リーグ戦』には病気療養中の鶴田の代役として出場を果たす(パートナーは田上明)。1993年1月にはエース候補の登竜門である七番勝負も組まれ、確実にトップ選手への階段を駆け足で登って行ったように見えたが、本人の中では”2年目のスランプ”であった。ようやく「できる」と感じるようになったのは1995年1月のアジアタッグ奪取前後であった[1]。同期の大森隆男や、先輩三沢光晴、小橋とのタッグでタイトルを獲得するなど、団体の看板レスラーの一人に成長する。プロレス四天王と並ぶ五強と呼ばれた。

プロレスリング・ノア

プロレスリング・ノア時代

2000年7月、全日本集団離脱からプロレスリング・ノアへ移籍。以前はイメージカラーのブルーのショートタイツを身に付けていたが、ノア移籍後は白主体へと一新した。三沢や小橋のパートナーという位置付けから独立し、若手を率いて「STERNNESS(スターネス)」を結成。旗揚げ戦初戦のメインで小橋とタッグを組み、1本目を三沢から、2本目を田上から取る。翌日のメインでの小橋とのシングルでも勝利を収める快挙を見せるなど、以降は団体の中心選手として活躍。

2001年7月27日、日本武道館で三沢を破りGHCヘビー級王座を獲得。念願のシングル王座初戴冠を果たし3度防衛。2002年9月には、齋藤彰俊とのタッグでGHCタッグ王座も獲得した。

全日本時代とは異なり、他団体との交流戦にも積極的に出場。新日本プロレスの永田裕志と団体の垣根を越えた信頼関係を築き、2002年1月の新日本東京ドーム大会ではメインでGHCヘビー戦を行い、永田に勝利した。2003年には新日本のG1クライマックスに参戦し決勝戦に進出するも、天山広吉に敗れた。

2004年3月には、団体の管理する正式ベルトの名称である『GHC』を模した白GHC(グローバル・ハードコア・クラウン)ベルトを創設した。

2005年10月にはWRESTLE-1 GRAND PRIX 2005に出場し、2回戦でボブ・サップとの対戦が実現するが敗れる。

2006年1月22日、GHCヘビー級選手権者・田上明を後頭部へのロージャンピングニーで下し、3年9か月ぶりにGHCヘビー級選手権者(第9代)へ返り咲いた。同年9月9日、挑戦者丸藤正道に完璧首固めで敗れ(27分29秒)、王座から陥落した。試合前に菊地毅と負けたら前座に戻ると約束していたため、翌月のシリーズでは6年3か月ぶりに青タイツで登場した。

2008年7月、秋山は東京スポーツ紙上で、森嶋猛力皇猛が挑戦するGHCヘビー級選手権でタッグパートナーの力皇が勝てなければ坊主にすると公約してしまった(自分がうっかり言ってしまったことを記者によって記事にされてしまう)。試合で力皇は王座獲得に失敗、8月のシリーズ開幕前に公約を守って坊主頭にした。

2009年3月、佐々木健介が保持していたGHCヘビー級王座に挑戦し、勝利。約2年半ぶりに3度目の王座に返り咲いた。翌月、潮崎豪と防衛戦を行ない、勝利。また、5月17日にはKENTAと初のGHCシングル王者同士の一騎討ちを行い"元祖"スターネスダストαを解禁し、勝利した。

6月14日、ヘルニアのため同王座を返上、以降の大会を欠場すると発表された。同年12月23日の丸藤正道プロデュース興行(ディファ有明)において橋誠戦でリングに復帰。リストクラッチ式エクスプロイダーで勝利した。橋は同年末付でノアとの契約が満了しフリーとなっており、師匠である秋山からのはなむけの師弟対決となった。

2010年3月 - 5月、ノア初のシングルリーグ戦となるグローバル・リーグ戦に出場。Aブロック1位となり、決勝戦で高山善廣とノアでは初のシングル対決を行うが、エベレストジャーマン・スープレックス・ホールドに敗れ準優勝となった。

2011年春にチャンピオン・カーニバルに出場。秋山にとって11年ぶりの全日の登場となった。また、ノアのグローバル・タッグ・リーグで斎藤彰俊とタッグを組んで優勝する。

9月の永田裕志主催の「BLUE JUSTICE. 3 〜青義〜」のメインタイトルマッチで永田とタッグを組んで出場、試合中に永田と一緒に腕固めを仕掛けた際に白目を剥いて行い、観客を湧かせた。

10月23日、全日本両国大会にて諏訪魔をスターネスダストαで破り、全日本時代には獲得できなかった三冠ヘビー級王者となる。その後、生やしていた頭髪を剃り落とし、スキンヘッドとなった。

12月、プロレス大賞殊勲賞を受賞する。

2012年1月22日、斎藤とタッグを組んで新日本プロレスに流出したGHCヘビー級タッグベルトを奪還すべく、BAD INTENTIONSと対戦。これに勝利し、三冠とGHCタッグの四冠王者となる。

7月22日のノア初の両国国技館興行ではTNAのマグナス、サモア・ジョー組の挑戦に敗北。齋藤彰俊と共に保持していたGHCタッグのベルトを流出させてしまう。

三冠ベルトは太陽ケア、大森隆男、武藤敬司ら全日本の挑戦者を退け4度の防衛を果たしたが、8月26日に船木誠勝に敗れて手放した。

12月、年内をもってプロレスリング・ノア退団が会社より発表、12月24日有明大会を最後に退団した。

全日本プロレス

2013年1月に行われた決起集会で、小橋からバーニングを託され、潮崎豪、金丸義信鈴木鼓太郎青木篤志らを率いて再結成した。

1月26日、全日本プロレス「2013新春シャイニング・シリーズ」の最終戦に5人で来場し参戦を発表。

4月には参戦している勢いのまま、チャンピオン・カーニバルに優勝する。

7月5日、バーニングが、全日本プロレスに正式入団を発表。

2014年6月6日、新会社を設立し7月1日付けで新会社側の社長に就任すると発表された[3]。その後新会社の社名が「オールジャパン・プロレスリング株式会社」と決まり、代表取締役社長に就任し7月1日より全日本の運営を引き受ける [4]

2015年9月26日、を破り王道トーナメント優勝を果たす。

2016年5月4日、WRESTLE-1後楽園ホール大会に来場。武藤敬司から8月11日のWRESTLE-1横浜文化体育館大会での対戦を要求され受諾。

入場曲

長年使い続けた「SHADOW EXPLOSION」を変えたとき、「大会場に映える曲」と発言していた。実際にこの2日後の10月8日に新日本プロレス東京ドーム大会に出場している。2014年以降は、「SHADOW EXPLOSION(ヴォーカル入り)」と「STERNNESS」を使い分けている。




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  1. ^ a b c d ベースボールマガジン社『レスラーヒューマンストーリーII プロレスラー男の履歴書』p48-55
  2. ^ 「レスラーヒューマンストーリー 第135回 秋山準編」『週刊プロレス』2013年3月27日号、pp.63 - 66
  3. ^ 「全日本プロレス」の商標権は白石伸生オーナーが所有しており、商標の譲渡の交渉を進めているためひとまず「新会社の社長就任」と発表された。
  4. ^ 全日本プロレス オフィシャルサイト – 公式ホームページ運営会社変更・事務所移転のご案内
  5. ^ 2006年9月9日のGHCヘビー級選手権試合(秋山vs丸藤)のテレビ中継の、解説者として発言。
  6. ^ “秋山が大森に「ワイルド・バーニング」結成呼びかけ”. 東京スポーツ. (2014年1月28日). http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/228517/ 2016年11月3日閲覧。 
  7. ^ “ワイルドバーニング短期決戦奏功 秋山組大逆転優勝”. 東京スポーツ. (2014年12月7日). http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/342515/ 2016年11月3日閲覧。 
  8. ^ 11/13【全日本】秋山は大森のグランドスラム後押し宣言 ワイルドバーニングが2種の合体技試し斬りで最強タッグ制覇→世界タッグ返り咲きに手応え(写真あり)”. プロレス/格闘技DX. 2016年11月3日閲覧。


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