秋山準 獲得タイトル

秋山準

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/01 04:13 UTC 版)

獲得タイトル

全日本プロレス

プロレスリング・ノア

DDTプロレスリング

プロレス大賞

  • 殊勲賞(2000年、2001年、2011年)
  • 技能賞(2003年)
  • 敢闘賞(1998年)
  • 敢闘賞(1992年)

人柄

他のプロレスラーとの関係

ジャイアント馬場との関係
新人の頃、馬場にシャツの裾が出ていることを注意され、一度裾をズボンに入れるがすぐに「馬場さん、やっぱりこっちの方が良いです」と言ってまた裾を外へ出した。全日本において絶対的存在であった馬場へ口答えした秋山を見て他の選手は慌てふためいたものの、「コイツは大物になる」と感じた馬場は「最近の若者はよく判らん」と言いながら笑って許した(馬場の教えから、現在もノアの選手の多くがシャツの裾をズボンに入れている)。
秋山を正統派のベビーフェイスに育てたかった馬場は「ストンピングのような下品なことはするな」と指導したが、秋山は試合中に使っていた。
小橋建太との関係
鳴り物入りで入団した秋山も、新弟子時代は厳しすぎる練習の日々と先輩からの嫉妬の目で心身とも参っていた。その時「何かあったら俺が相談に乗るよ」と言ってくれたのが他ならぬ小橋建太である。「人生で一番つらい時期」を助けてくれた小橋との歴史はここから始まる。小橋相手のデビュー戦は「何も出来なかった」と後に述懐しており、完全に小橋に引っ張ってもらった試合であったと語る。数年後、その小橋と「BURNING」を結成し、三沢・小川組の「アンタッチャブル」、川田・田上組の「聖鬼軍」、そして高山・大森組の「ノーフィアー」と激戦を繰り広げ、世界タッグ王者のベルトも巻いた。
しかし、2000年2月に下克上を掲げて反旗を翻し、NOAHの旗揚げ戦、有明決戦と経て現在は最大のライバル関係となっている。「小橋さんが居るからNOAHは最高」や、「僕がNOAHを辞める時は小橋さんが辞める時」、そして三沢光晴を破って初めてGHCを戴冠した時に長期離脱中だった小橋のために「小橋さんが戻ってくるまで巻いている」等の発言から分かるように秋山は心から小橋を尊敬しており、秋山のプロレス人生には常に小橋が存在していた。
2度目のGHCを奪取した時もベルトを腰に巻かなかった。理由として「小橋さんに勝つまでは巻かない」と、秋山の中ではたとえベルトを持っていたとしても、最強の人は小橋であると考えている。
川田利明との関係
川田はあまり好きではなかったと公言しており、「全日本時代、川田さんのことは本当に嫌いだった。でも、自分がプロレスラーとして強くなれたのは、川田さんに叩きのめされ続けてきたから」と、多くのインタビューで語っている。なお、対四天王シングル戦では唯一、川田にだけ未勝利であるため、川田に勝つことが出来れば旧四天王越えが達成される。
大森隆男との関係
大森は同い年(誕生日も一週間違い)でデビューも一ヶ月違いと、唯一の同期と呼べる存在である。大森とのコンビで、アジアタッグ王座12回連続防衛(力道山&豊登組に並ぶ歴代2位タイ)の記録を残すが、早くからトップグループに入った秋山に対し、大森はなかなか芽が出なかった。その後、大森は高山善廣とのタッグ「ノーフィアー」でブレイクし、シングルでも2000年のチャンピオン・カーニバルにてわずか7秒で秋山を下す(後述)。しかし、2003年に大森がノアを飛び出す形で退団。秋山は直後の試合でアックスボンバーを出すと、「くされアックスボンバー!」と絶叫し、怒りを露わにしていた。
その後、紆余曲折を経て大森は全日本プロレスに再入団。2012年にはノア所属の三冠王者・秋山に、全日所属の大森が挑戦するタイトルマッチが実現した。さらに翌年には、秋山も全日に再入団。「GET WILD」で再度ブレイクを果たしながらも、征矢学の退団によりパートナー不在となっていた大森に救いの手を差し伸べ、「ワイルド・バーニング」を結成[8]。世界タッグ王座の獲得や、2014年世界最強タッグ決定リーグ戦での優勝を果たす[9]。全日再入団後は、大森を立てる発言も残すなど、関係も円満になった[10]
KENTAとの関係
尊敬する小橋をめぐって、KENTAとは犬猿の仲であり、試合でタッグを組むことは無い上、対抗戦となるとKENTAは、感情を剥き出しにして秋山に攻めかかり、秋山も冷徹非情にKENTAを痛めつける。KENTAは秋山のことを『秋山氏』、『白パン』と呼ぶほど両者の溝は大きいが、秋山自身は雑誌インタビューで「丸藤正道とKENTAはどちらが将来性があるか」と尋ねられた際、「身体を張って頑張っているのだからKENTAの方が将来性がある」と認めており、GHC防衛戦の際も「ジュニアが身体張って頑張っているのだから」と認める発言を最近は繰り返している。

不覚

普段は冷静沈着な試合運びをみせるが、ビッグマッチでは一瞬の隙を突かれ短期決戦で敗れたことが幾度かある。

  • 全日本時代の2000年のチャンピオン・カーニバルでは、1か月前にシングルで三沢超えを果たし優勝候補に上げられていたが、トーナメント1回戦大森隆男戦で開始直後にアックス・ボンバーを喰らい、わずか7秒(ゴングが鳴る前を含めると約30秒)でフォールを奪われ敗退した。
  • 第2代GHCヘビー級王者時代の2002年4月7日、4回目の防衛戦となった有明コロシアム小川良成戦では、「5分以内に片付ける」と小川を挑発していたが、逆に4分20秒・変形首固めによって丸め込まれて3カウントを奪われ、ベルトを失った。
  • 2度目のGHCヘビー級王者時代の2006年9月9日、3度目の防衛戦となった日本武道館の丸藤正道戦ではまだ余力は残っていたが、一瞬のスキをつかれた完璧首固めで、丸藤にGHCを奪取された。
  • 2011年11月8日第2回グローバル・リーグ戦(後楽園)における金丸戦では、NO MERCY平柳玄藩の介入もあって5分14秒リングアウト負けを喫した。
  • 2012年8月26日、船木誠勝との三冠ヘビー防衛戦で、試合開始から船木の得意とする打撃戦に臨むも、4分37秒ハイブリッド・ブラスターに破れる。
  • 一方、2006年1月8日、田上明とのGHCヘビー級選手権試合の前哨戦では、開始早々のエクスプロイダー・ジャンピングニーからのエビ固めで、田上から0分12秒でフォール勝した。なお、この試合は特別再試合となり、秋山が勝った試合を通常通りの第8試合、志賀賢太郎が勝った再試合を追加試合の第9試合とされた。

体調

  • ノア旗揚げ頃から、小橋の長期離脱や団体を引っ張らなければならない責任感などのストレスで自律神経失調症に悩まされるが、必死の努力で克服した。
  • 2009年2月13日、NOAHが帝京平成大学と提携し講師として活動を行う発表の際、自身が27歳からパニック障害を患っていることを公表し、有用な克服法などを学生らと模索すると述べた。
  • 三沢が急逝した2009年6月13日の広島大会で椎間板ヘルニアを患い、GHCヘビー王座を返上するなど、40歳代を前後にコンディション不良に苦しんできたが、その後は2011年の三冠ヘビー級獲得などタイトル戦線に復帰している。近年は盟友永田裕志が唱える「アンチエイジング」に共鳴している。
  • 2012年をもってノアを退団。『休養のため試合に出ないとなると会社に迷惑がかかる。』と退団理由の1つに挙げている。

プライベート

  • リング上の厳しい戦いからは想像も出来ないが「買い与えられるものは全て買い与えてやりたい」というほどの子煩悩である。また大変な動物好きで犬1匹と猫5匹を飼っており、『どうぶつ奇想天外』にも出演したことがある。
  • 2005年4月1日に自身が社長を務める会社を立ち上げ、9月からは「+波動水」という天然水の販売を行う。その後商品名を「みんなの潤水」へ変更し販売中。
  • 自身のブログ「秋山社長の徒然日記」では闘病中の小橋建太の経過を伝えるレポーターも兼ねていた。秋山の弟子でありいじられ役である橋誠や、秋山の家族、先輩である泉田純至川畑輝鎮らと並んで小橋のエピソードが登場することが非常に多い。また、最近では秋山自身が薄毛を気にしていることもネタにしている。
  • 2004年からは「週刊プロレス」(ベースボール・マガジン社)でコラム「NOAHがわかる、NOAHがかわる」を連載(当初は毎週だったが、2005年から隔週となる)。ノア所属選手の裏話や次期シリーズの見所などを紹介していたが、2006年からはタイトルを「クロブタノート」と変更、泉田を主役としながらも秋山も「ブタ番」として、ノア番(ノア担当の番記者)とのトークや泉田のお見合い企画に参加した。「クロブタノート」が5回で終了した後は「NOAHがわかる、NOAHがかわる」が復活した。しかし77回で終了することを予告しており、その通りに終了した(秋山はコラム内で「次回からは爽やかなコラムが始まります」と予告しており、DRAGON GATE所属のCIMAが後を引き継いでいる)。
  • 2006年3月に日本公開された映画力道山」では、遠藤幸吉役を演じた。



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  1. ^ a b c d ベースボールマガジン社『レスラーヒューマンストーリーII プロレスラー男の履歴書』p48-55
  2. ^ 「レスラーヒューマンストーリー 第135回 秋山準編」『週刊プロレス』2013年3月27日号、pp.63 - 66
  3. ^ 「全日本プロレス」の商標権は白石伸生オーナーが所有しており、商標の譲渡の交渉を進めているためひとまず「新会社の社長就任」と発表された。
  4. ^ 全日本プロレス オフィシャルサイト – 公式ホームページ運営会社変更・事務所移転のご案内
  5. ^ 週刊プロレス2017年9月13日号pp.15.
  6. ^ 週刊プロレス2017年9月13日号pp.15.
  7. ^ 2006年9月9日のGHCヘビー級選手権試合(秋山vs丸藤)のテレビ中継の、解説者として発言。
  8. ^ “秋山が大森に「ワイルド・バーニング」結成呼びかけ”. 東京スポーツ. (2014年1月28日). http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/228517/ 2016年11月3日閲覧。 
  9. ^ “ワイルドバーニング短期決戦奏功 秋山組大逆転優勝”. 東京スポーツ. (2014年12月7日). http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/342515/ 2016年11月3日閲覧。 
  10. ^ 11/13【全日本】秋山は大森のグランドスラム後押し宣言 ワイルドバーニングが2種の合体技試し斬りで最強タッグ制覇→世界タッグ返り咲きに手応え(写真あり)”. プロレス/格闘技DX. 2016年11月3日閲覧。


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