福岡ソフトバンクホークス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 08:58 UTC 版)
主なキャンプ地
- 宮崎県宮崎市・生目の杜運動公園(2003年秋季から)
- 南海時代は、1960年頃には海外(ハワイ)キャンプを張ったこともあったが、晩年は呉でキャンプを張っていた。
- ダイエー時代は、初年度はハワイで実施。その後は沖縄県でキャンプを張った時期もあったが、多雨に悩まされたこともあり、高知にキャンプ地を移した。1995年にはオーストラリアのゴールドコーストでキャンプを行った。
スローガン
- ダイエー時代
- 1989年:Just Now For The Fan
- 1990年:Action Baseball
- 1991年:Action Baseball II〜嵐を起こせ鷹軍団
- 1992年:BIG CHALLENGE '92
- 1993年:GO WILD! GO!〜野生派宣言
- 1994年:ING 1994年、何かが起こる
- 1995年:AIMING 狙います。
- 1996年:一二三いかせます。
- 1997年:Wild but Balanced
- 1998年:AIMING2(エイミング アゲイン)
- 1999年:Get the top
- 2000年:めざせ! V2
- 2001年:Super Hawks 2001〜鷹の時代
- 2002年:2002 Super Hawks AGAIN〜All Together
- 2003年:Victory Again〜羽ばたけHAWKS
- 2004年:GOLDEN HAWKS〜果てしなき勝利への挑戦
- ソフトバンク時代
- 2005年:めざせ世界一!
- 2006年:めざせ世界一!
- ほかに「WE = HAWKS」、ロッテ戦限定スローガンとして「倍返し。」
- 2007年:めざせ世界一!
- ほかに「WE = HAWKS」、「ストロングホークス」、終盤戦・クライマックスシリーズスローガンとして「優勝へ、全開!」
- 2008年:めざせ世界一!
- ほかに「WE = HAWKS」、開幕戦スローガンとして「熱気ブン!ブン! 全員開幕」、シーズン終盤スローガンとして「誇りを胸に、頂点へ」
- 2009年:「フリキレ!! 全員、全開、前進ホークス。」
- ほかに「WE = HAWKS」、終盤戦スローガンとして「フリキレ!! いざ、頂点へ。」
- 2010年:「今年はやらんといかんばい!」
- ほかに終盤戦スローガンとして「勝たんといかんばい!」
- 2011年:「(ダ)」(◯の中にダ)。
- ほかに終盤戦スローガンとして「燃えるん(ダ)」
- 2012年:「VV(ブイブイ)」
- ほかに終盤戦スローガンとして「燃えろ! VV(ブイブイ)」
- 2013年:「超!ガツガツ行こう!」
- ほかに終盤戦スローガンとして「超! ガッツメラメラ」
- 2014年:「(俺)がやる。」(◯の中に俺。)
- ほかに終盤戦スローガンとして「ゼッタイ! (俺)がやる。」
- 2015年:「熱男」(アツオ)
- ほかに終盤戦スローガンとして「全員! 熱男!」
- 2016年:「熱男2016」(『熱男』の読みは2015年と同じ)
- ほかに終盤戦スローガンとして「熱男ファイヤー〜頂点へ燃え昇れ!」
- 2017年 : 「1(ワン)ダホー!」
- ほかに終盤戦スローガンとして「ALL FOR ワンダホー!」および、「全力! ワンダホー!」
- 2018年 : 「もう1頂!(いっちょう)」
- ほかに終盤戦スローガンとして「もう1頂! HAWKS魂」
- 2019年:「奪Sh!(ダッシュ)」
- ほかに終盤戦スローガンとして「V奪Sh!」
- 2020年:「S15(サァイコー!)」
- ほかに終盤戦スローガンとして「全員HAWKS S15」
- 2021年:「鷹く!(たかく!)」
- ほかに終盤戦スローガンとして「熱く鷹く!」
- 2022年:「もっと!もっと!もっと!」
- ほかに終盤戦スローガンとして「もっと!もっと!もっと!もっと!」
- 2023年:「鷹!鷹!鷹!(おう!おう!おう!)」
- ほかに終盤戦スローガンとして「頂点いくぞ!鷹!鷹!鷹!」
- 2024年:「VIVA 美破!(ビバ)」
主なトピック
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2012年10月) |
没収試合で掴んだ初優勝
1946年シーズンは、11月5日の最終日まで優勝の行方がわからなかった。この日、後楽園球場で東京巨人軍対セネタース、そしてグレートリング対中部日本軍の変則ダブルヘッダーが行われ、巨人が勝ってグレートリングが敗れると2チームが同勝率で1位となり、同点決勝戦に持ち越される可能性があった。だが、第1試合で巨人が1-4で敗れたため、グレートリングは出番を待たずに創部9年目、悲願のリーグ戦初優勝を決めた。なお、グレートリングはその最終戦で別所昭を先発に迎えたが、鼻血と失神により途中降板するアクシデントがあり、4-7で敗れている。
鶴岡一人は後年「(優勝したのは)パシフィックの藤本さん(同チーム監督)のおかげだよ」と述べている。これは、パシフィックは戦前の既存球団に在籍していた藤井勇・白石敏男を獲得。すでに両選手は戦前所属した球団から給料をもらっていなかったので、藤本は自由契約の身分だと考えて獲得したが、日本野球連盟は調査をすることを決めて「調査が完了するまでは公式戦出場を認めない」とした。だが、それを無視して2人を無断で5月の公式戦4試合に出場させてしまい、後にこれらが没収試合となってしまった。このうち2試合がグレートリング戦で、5月23日の試合は7-5でグレートリングが勝っていたので勝敗には関係ないが、26日の試合はパシフィックに4-7で敗戦していた。これが没収試合の規定で9-0でグレートリングの勝利となった。もし没収試合がなく、最終戦が上記の成績だったら、巨人対グレートリングの同点決勝となっていた。
毎回得点試合・毎回失点試合
南海時代の1952年6月7日、後楽園球場での対東急フライヤーズ戦で、日本プロ野球史上初の毎回得点記録が達成された。それも1回から5回までは毎回2点ずつを小刻みに取り、最後の9回には一挙4点を挙げ18-4での大勝劇で史上初の快挙を飾った。スコアは毎回得点の項にテーブルとして掲載している。
逆に毎回失点を喫してしまった経験は2回ある。1回目は南海時代の1975年5月11日の対阪急ブレーブス戦(阪急西宮球場)で4-15で敗れ、阪急に毎回得点[注釈 51] を献上している。2回目はダイエー時代の1997年5月7日の対西武ライオンズ戦で、7回に大量6点を失うなど、0-21の完封負けを喫している。
日本シリーズ最少観客動員記録
1953年の日本シリーズ(対巨人戦)は、本来第5戦を後楽園球場、第6・7戦を大阪球場で行う予定だったが、日米野球の日程の関係と当時の大会規定で「第1・3・5・7戦と第2・4・6戦は毎年両リーグが交互に指定し、また第1・2戦、第3・4戦、第5・6戦はそれぞれ連続して同じ地区の球場を指定すること」という取り決めもあり、予定を変えて5・6戦を南海主催、7戦を巨人主催の後楽園という日程で行った。このうち第6戦は本来の大阪球場ではなく大阪タイガースの本拠地の阪神甲子園球場を借りて開催したが、有料観客はわずか6346人というシリーズ史上最少記録となった。
こけら落しがサスペンデッドゲーム
1987年5月23日、この年に開場した新潟県・柏崎市佐藤池野球場のこけら落しとして、対ロッテオリオンズ戦が開催された[212]。ところが、当日は激しい降雨で、本来なら中止にしたいところだったが、柏崎市では1950年以来37年ぶり[注釈 52] の公式戦開催とあって、前売り券も売り切れる好調ぶりであることから、大会を主催した新潟日報と柏崎市は強行開催をしようと天候の回復を待った。
そして小康状態となるのを見てグラウンドの整備や土の補充を行い、当初発表の14時より32分遅れて14時32分に試合開始となったが、再び大雨になったため64分の中断を強いられる。それでも注目度が高いことを考慮して試合成立にこだわり、何とか試合は成立した。中断明け後は問題なく試合が行われ続けたが、佐藤池球場にはナイター照明設備が設置されておらず、日没になればその時点で試合を打ち切らなければいけない。当時の新潟の日没時刻は18時20分で、ギリギリまで開催することも可能だったが、雲が分厚かった影響もあり、これ以上試合を続けると球が見え辛くなって危険という理由で、8回表・4-4で迎えたロッテの攻撃途中の17時44分をもってサスペンデッドゲームが宣告された。この試合の続きは7月8日に平和台で開催され、河埜のサヨナラ適時打で勝利した[注釈 53][注釈 54][注釈 55]。
パ・リーグでは1950年代から1960年代にかけて7試合のサスペンデッドゲームがあったが1966年6月7日中断・6月8日再開の東映-東京戦を最後に途絶えており、21年ぶりのサスペンデッドゲームとなった。サスペンデッドゲームの条項はセ・リーグと交流戦にはなく、パ・リーグのみに設けられていたが、これ以降は実施例が一度もないまま2012年度に条項が廃止されたため、この試合が日本プロ野球最後のサスペンデッドゲームとなった。
このサスペンデッドの中断前の試合が行われた次の日の5月24日に新潟市の鳥屋野運動公園野球場で開催が予定されていた試合はこの豪雨の影響によりグラウンドコンディション不良という理由で開催中止された[213]。
なお、南海は1977年から1988年まで、夏季を中心として「新潟シリーズ」を行っており、初日の土曜は原則として長岡市悠久山野球場、2日目は鳥屋野運動公園野球場を会場として行った[214]。ただし、1981年の対西武ライオンズ戦では、初戦が上越市営球場、前述の1987年と1988年の対近鉄バファローズ戦の初戦は柏崎で行われている。また、日曜の開催のうち、1977年・1978年と1982年[注釈 56] は当時2シーズン制であったため、できるだけ1カード3連戦を消化できるようにするためにダブルヘッダーで実施されたことがある。
堺市への幻の移転計画
大阪球場は、1994年の関西国際空港開港に伴う難波地区の再開発計画の対象地域に指定されていたため、1990年を最後に閉鎖が決まった。親会社である南海電気鉄道は大阪球場に代わる新球場の建設を検討していたところ、大阪市に隣接する堺市が、当時の市長の意向で熱心に誘致を進めた。しかし、ダイエーへの球団譲渡と福岡市への本拠移転によって、この計画も幻となった。
大阪球場はその後、1989年・1990年の2年間だけ、近鉄バファローズが準本拠地として使ったのを最後に役目を終えた。暫定措置としてフィールド部を住宅展示場として使用した後、1998年に完全閉鎖。その後の再開発事業により、なんばパークスとなった。中百舌鳥球場も地元の草野球や少年野球などの一般利用向けに使われていたが、2001年に閉鎖され、跡地にはマンションが建設された。
生卵事件
1996年5月9日、対近鉄バファローズ戦(日本生命球場)での試合[注釈 57]に2-3で敗れた後、苛立ちを募らせた一部のファンが暴徒化し、王や選手の乗ったバスに向かって「お前ら、プロか」の罵声と共に生卵を投げつける事件が起きた。この年は開幕から低調で、チームはこの敗戦で4連敗、この日時点での成績は9勝22敗、借金13、勝率も3割を切る惨状に、前日にも敗戦に怒ったファンがバスを取り囲む騒ぎが起きるなど、主に福岡以外の球場で王の采配を疑問視するファンの暴走が相次いでいた。
保護地域でのロードゲーム
※福岡ソフトバンクホークス主催試合の地方球場一覧に詳細参照
これまでに公式戦で5試合(3カード)、地元福岡でロード扱いの試合を行ったことがある。
- 1999年6月11日 - 13日、対オリックス・ブルーウェーブ戦(福岡ドーム)
詳細はオリックス・バファローズ#敵地での主催ゲームを参照。
- 2008年5月29日、対横浜ベイスターズ戦(北九州市民球場)
- 2012年5月31日、対横浜DeNAベイスターズ戦(北九州市民球場)
以上の2試合は前日にそれぞれ別の九州地方(前者は新大分球場、後者は長崎ビッグNスタジアム)で試合を行う「九州2連戦」となっている。
以上の3試合とも、ベンチの配置の関係でロード扱いのホークスは一塁側、対戦相手側は三塁側のベンチを使用していた(協約上、ホームチームがベンチを選べる)。新大分球場、長崎ビッグNスタジアムではホークスが三塁側でベイスターズが一塁側を使用した。
オープン戦では、福岡ドームや北九州で読売ジャイアンツと、北九州ではこれに横浜DeNAベイスターズ・広島東洋カープと地元でのロードゲームを行ったケースはあった。この際、福岡ドームでのジャイアンツ主催はジャイアンツが三塁側、ホークスが一塁側を使用した。北九州市民球場では、ジャイアンツやカープが一塁側をホークスが三塁側を使用した。ベイスターズ主催は、公式戦同様、ベイスターズが三塁側を、ホークスが一塁側を使用した。
台湾での公式戦
2002年5月14日・15日に、台北市立天母棒球場で対オリックス・ブルーウェーブ2連戦を開催した。井箟重慶によると、台湾での公式戦はもともとオリックスが計画していたものの、収支面の見通しが立たずに断念。計画が宙に浮く格好になっていたが、2002年にダイエーが開催に漕ぎ着けたものだったという。なお、日本のプロ野球が海外で試合を行うのは戦後3回目(1961年5月20日の西鉄ライオンズvs東映フライヤーズ、1962年6月13日・14日の阪急ブレーブスvs大毎オリオンズが当時アメリカ合衆国の占領下にあった沖縄で行って以来)だが、台湾での公式戦は戦後初である。
試合は松浦亜弥の始球式で始まり、第1戦は5-4でダイエーがサヨナラ勝ち、第2戦はオリックスが8-7で勝利した。
球団は翌年の2003年にも高雄市で対西武ライオンズ2連戦を予定していたが、西武との交渉がまとまらず開催には至らなかった[注釈 58]。
東京での主催ゲーム
2004年6月15日、対大阪近鉄バファローズ戦(2連戦の初戦)を、王貞治の古巣である読売ジャイアンツの本拠地・東京ドームで主催ゲームとして初開催した。なお、この試合の数日前である6月7日の試合で監督通算1000勝を達成したため、急遽通算1000勝記念試合として開催された。また、2012年からは「鷹の祭典」の一環として毎年のように東京ドームで主催ゲームを1 - 2試合開催している。
大阪での主催ゲーム
2014年8月18日、ソフトバンクの主催により、京セラドーム大阪にて対西武戦を開催した。試合はソフトバンクが6-5で勝利し、観客は32,093人であった[215]。元々ソフトバンクは前身が大阪府を保護地域とした南海であったことから、京セラドーム大阪にて主催試合を開催することとなった。大阪での主管試合の開催は、福岡移転前の1988年以来26年ぶりのことであった。ソフトバンクは前日まで京セラドーム大阪にてビジターで対オリックス戦が組まれており、試合当日は大阪で主催試合を行い、翌日と翌々日の2日間については従来通り福岡で主催試合を行った。なおこの大阪と福岡での変則3連戦は、ソフトバンクへの球団譲渡10周年を記念した「福岡ソフトバンクホークス10thシリーズ」と題した特別シリーズとして行われた。
2015年以降も毎年1試合継続して行われているほか、京セラドームでの対オリックス戦1カードは年度により南海の復刻試合(オリックス側は年によって阪急または近鉄)として開催されることがある。但し、京セラドームを本拠とするオリックスがソフトバンク主管のビジター球団として出場したことはない。
注釈
- ^ 以降の達成者は、2019年9月6日に千賀滉大が達成するまで76年間誰も達成していなかった。
- ^ 1949年に近鉄が創立した近鉄パールス(後のバファローズ)は近鉄から南海鉄道の分離後に結成された球団であり、球団のつながりとしては無関係。また会社名については大阪法務局に「近畿日本野球株式会社」への変更を行ったのは1946年1月25日であり、この時点では「南海野球株式会社」のままであった。
- ^ 当時は「須田博」。
- ^ 巨人、阪神(当時は大阪タイガース)以外の球団としても初。
- ^ 『近畿日本鉄道100年のあゆみ』によれば球団名は南海電鉄への分離に先駆けて同年5月3日に近畿グレートリングから近畿日本ホークスに改称[8]。
- ^ 6月に9連勝、7月に5連勝、7月から8月にかけて10連勝、8月から9月にかけての8連勝。
- ^ 日本プロ野球球界初の事例とされる。
- ^ この年336奪三振で、パ・リーグ記録を更新しているが、最多奪三振は当時はタイトルではなかった。
- ^ 3勝1敗で同率、2勝2敗で南海優勝。
- ^ 1990年に巨人が最短優勝記録を更新。
- ^ フランチャイズ制導入以降の本拠地連勝の日本プロ野球新記録。5月27日の対近鉄戦で本拠地で初敗戦。
- ^ ダブルヘッダーを挟む南海に比べ、ダブルヘッダーもなく、本拠地の西宮球場での試合ばかりだった阪急が有利とされた
- ^ 高知市内だった阪急、高知市から1時間の距離にあった阪神にくらべ、南海は市内から鉄道で4時間かかるとされた。
- ^ 他に三浦清弘が八百長は行っていないが報告しなかったとして戒告処分。
- ^ 日本プロ野球でセーブが記録されるのは1974年から。
- ^ レギュラーシーズン通期勝率1位でない球団(この年の南海は68勝58敗4分.540で3位)のリーグ優勝や日本シリーズ出場は、これがNPB史上初であった。なお前後期制が1982年で終わった事もあり、通期勝率3位からの日本シリーズ出場球団は、2010年の千葉ロッテマリーンズ(クライマックスシリーズを制したもの。リーグ優勝扱いにはならないが、日本シリーズを制覇)まで37年間現れなかった。
- ^ 野村は解任の理由を、前妻との離婚調停中に離婚が成立しないうちに、伊東沙知代と同棲していたことが問題視された、としている[40]。
- ^ a b ロッテが毎日オリオンズ時代に日本一になった1950年の日本シリーズはフランチャイズ制導入前、近鉄に至っては、1度も日本一になることなく、消滅した。
- ^ ロッテも1984年当時の監督稲尾和久の熱望を受け、福岡移転を検討したものの、ダイエーへの球団売却が破談になったことにより、頓挫している。稲尾は移転が完全に白紙に戻った1986年オフに監督を辞任。
- ^ 奇しくも阪急は南海と同様、同年の10月19日にオリエント・リース(当時)(現:オリックス)に売却することが発表され、1989年から「オリックス・ブレーブス」に改称された。なお、オリックスは2年後の1991年に「オリックス・ブルーウェーブ」に改称された上、本拠地を阪急西宮球場から中内が希望していた移転先である神戸市のグリーンスタジアム神戸に移転している。
- ^ この試合は日生球場で行われた最後のプロ野球公式戦だった。
- ^ 前年度の順位が日本ハムの2位に対しダイエーは最下位だったため、扱いは5位。
- ^ 近鉄はパ・リーグ8チーム時代の1954年に4位となった。
- ^ 福岡市を本拠地とする球団としては、1963年の西鉄以来36年ぶり。
- ^ 球団の地元である北部九州地区でRKB毎日放送で中継された第5戦は、ビデオリサーチ調べで平均視聴率47.1%(RKB毎日放送史上1977年・1978年の日本レコード大賞に次ぐ歴代3位)、瞬間最高視聴率71.6%という驚異的な数字を記録した。ダイエー日本一視聴率71.6%、スポーツ報知、1999年10月29日。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
- ^ その後、同年10月13日に現役選手のまま死去。
- ^ この対戦は互いにホームグラウンドで全勝したため「内弁慶シリーズ」と呼ばれた。
- ^ 上記の通り1リーグ時代から数えてとなる。
- ^ 年間最高勝率球団たるポストシーズン敗退=日本シリーズ不出場は73年阪急・75年近鉄・79年阪急・82年日本ハムに次ぎ史上5度目。
- ^ ロッテは2005年にリーグ2位から2010年のクライマックスシリーズでは3位からそれぞれ日本シリーズに進出しているが、2005年はクライマックスシリーズの前身、プレーオフであり、この制度では日本シリーズに進んだチームがリーグ優勝という制度のため、ロッテはリーグ勝率2位以下で2回日本シリーズには進出しているものの、非リーグ優勝のままの日本シリーズ進出は2010年の1回のみである。なお、その当時のロッテの最終ステージでの対戦相手はいずれもソフトバンクである。
- ^ 10月9日に2位ロッテにゲーム差なしまで迫られた[156]。
- ^ 従来の記録は、1953年9月巨人・1954年8月中日・2002年8月西武の21勝、1954年8月中日(21勝4敗)・1960年6月大毎(20勝3敗1分)・1968年8月阪神(19勝2敗)の貯金17
- ^ オリックスとソフトバンクが同率首位(76勝65敗2分、勝率.539)で並んだ状態でレギュラーシーズンの全日程を終了したが、オリックスとソフトバンクの直接対決ではオリックスが15勝10敗と勝ち越していたため、規定によりオリックスが1位、ソフトバンクが2位となった。
- ^ 年間最高勝率は下記から1973年を除き、2004年・2005年含む22回。
- ^ 1973年は前期1位(年間勝率では3位)でプレーオフに進出、阪急を3勝2敗で破りリーグ優勝。
- ^ 1998年はオリックスと同率の3位であり、1997年はオリックスは2位・ダイエーは同率4位のため、1999年の開幕権を得られず。
- ^ 2021年は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から延長戦が無かった。延長戦がある年では1974年の16分が最多。
- ^ この年から、レギュラーシーズン最高勝率球団がリーグ優勝となり、クライマックスシリーズ自体は、日本シリーズへの出場権をかけた戦いとして位置づけられるようになった。
- ^ 南海側は前年の3倍の契約料を要求したという[185]。
- ^ 井上章一の『阪神タイガースの正体』には、1991年に刊行された毎日放送の社史で、1971年に甲子園の阪神・巨人戦の放送枠を得たことを強調したり、1970年代のナイター中継方針について「阪神、巨人を中心にしたセ・リーグに主眼を置き、パ・リーグ在阪球団のカードを混じえ…選ぶのが基本」と記されていることが紹介されている[187]。
- ^ 南海の前身の1つである阪堺鉄道(阪堺電気軌道とは別)以来のもので、さらに元をたどれば開業時に阪堺鉄道がイギリスから輸入した客車に付いていたカーテンのデザインに由来するという。
- ^ ロゴや鷹のマークなど、この年に登場したホークスの意匠は今竹七郎が制作した。
- ^ 鷹のマークからNHマーク(Nの右側とHの左側の縦線を共有するデザイン)に。
- ^ 翌1981年には当時の南海と同じく久保田スラッガーが納入していた大丸硬式野球部が同一色・素材の縦縞ユニフォームを使用していた。
- ^ 投手陣から「サイン交換の際に、捕手の出すサインが見づらい」との指摘があったため。
- ^ 帽子が1999年以降と同様にヘルメットと同じデザインのもの。
- ^ a b c これらの試合において、オリックスは近鉄バファローズの復刻ユニフォームを着用しており「近鉄対南海」を再現している。
- ^ ダイエーユニフォームにあったダイエーマークは入れ替わる形で削除されたが、レプリカユニフォーム用のワッペン(オフィシャルグッズ)として別途復刻された。
- ^ いずれの試合においても、西武は1995年まで使用していたビジターユニフォームを着用しており、「ダイエー対西武」を再現している。
- ^ 永井良和・橋爪伸也『南海ホークスがあったころ』(河出書房新社、2010)所載「球団と歌」では、歌詞を決めたのみで曲が付けられず未完成になったのではないかと推測されている。
- ^ この時は阪急が後攻なので9回の攻撃がなく、攻撃が行われた8回までの得点で毎回得点が成立する。
- ^ 前回は1950年7月18日に新潟県立柏崎高等学校の校庭で行われた読売ジャイアンツ対大洋ホエールズ戦。よってパ・リーグの公式戦は初めての開催だった。
- ^ 通常、サスペンデッドゲームの中断前の試合が地方球場(専用球場でない球場)で開催された場合は、続行試合は特例として専用球場で行われるが、続行試合も地方球場で行われるのはこれが事実上史上初だった。
- ^ なお、サスペンデッドの続きは、本来は7月7日の開催を予定していたが、こちらも雨天の影響で中止・順延されている。
- ^ 専用球場以外という点で考えると、1954年6月16日の中日球場での近鉄パールス対東映フライヤーズの続きが、8月10日に中日球場で行われた。当時の近鉄は、沿線地域を配慮して名古屋を準本拠地としていたためである。
- ^ 1981年もダブルヘッダーが予定されていたが、接近していた台風の影響で中止している。
- ^ この試合は日生球場で行われた最後のプロ野球公式戦で、日生球場は南海が堺市に本拠地移転が行われた場合、完成するまでの仮の本拠地として使うことも検討されていた。
- ^ 高雄での開催が予定された2試合は、北九州市民球場で代替開催された。この時、仮に西武と合意に達していたとしても、同時期に台湾が重症急性呼吸器症候群感染地域に指定されることとなったため、開催は不可能であった。
- ^ 大丸は関西圏の店舗で阪神タイガースの応援セールを行っている(梅田・心斎橋を除き、阪神百貨店以外ではダイエーとともに早くから球団名・ペットマークなどの意匠の使用を許諾されていた)。また経営統合で同系列となった松坂屋は中日ドラゴンズの応援セールを行っている。
- ^ マックスバリュ九州やホームワイド・ビブレ等を含む九州地区のイオン系の店舗では球団がソフトバンクに移行してからの2005年以降に応援セールや優勝セールを開始している。なお、イオングループは地域により応援する球団が異なる他(例:本社は所在地に近い千葉ロッテマリーンズを応援)、イオンに統合される前のマイカルは末期に地域性を考慮して広島東洋カープの応援に回っていた広島県や、マイカルグループ入りする以前のカネ長武田百貨店とヤクルト本社の関係からヤクルトスワローズの応援に回っていた青森県(現:さくら野百貨店)などの一部地域を除いて読売ジャイアンツの応援活動を行っていた。
- ^ 広島東洋カープと日本シリーズで対戦した2018年は、物流や地域性の関係から山口県西部を境界として、山陽小野田市以東がカープの、下関市以西がホークスの応援セールを行った[219]。
- ^ 球団公式サイトの「ホークスパートナーズ」ではイズミはゴールドスポンサー、エディオン(関連会社のエディオンコミュニケーションズ名義)・阪急百貨店(博多阪急)はシルバースポンサーとなっている。本来ゆめタウン(イズミ)・エディオン(旧デオデオ)は本社・本店所在地の広島東洋カープのオフィシャルスポンサーである。また旧デオデオと同一経営となっていたエイデンはエディオンに統合後も中日ドラゴンズのオフィシャルスポンサーを継続し、阪急百貨店に至っては同じグループ企業(阪急阪神東宝グループ)に阪神タイガース(阪神電気鉄道系列)が含まれている上に、かつては設立母体の阪急電鉄が同一リーグ内に阪急ブレーブス(現:オリックス・バファローズ)を保有したという経緯があるが、九州地区ではホークスの応援に回っている。
- ^ JR博多シティの百貨店出店には高島屋も名乗りを上げていたため、出店が実現すれば場所を変えてホークスの応援活動が復活する可能性もあったが、JR九州は条件面などから阪急百貨店の出店を選択した。詳細は博多阪急#歴史を参照。
- ^ FOXチャンネル・FOXムービープレミアム/スカチャンで生中継する場合は、当日に90分、翌朝に60分のハイライト中継を放送。
- ^ ケーブルテレビとIP放送のみ。スカパー!用はスカチャンで放送
- ^ 後述の通りダイエーとの主要取引企業がスポンサーとなり、CM前のジングルに『ダイヤモンドの鷹』を使用するなどダイエー応援の放送とした。それ以外は阪急時代同様オリックス応援の放送だった。
- ^ 1989-2022年現在において、佐賀・沖縄ではまだ1軍の主管試合を開催した実績がない(ただし1軍は、過去に沖縄県が春季キャンプ地としてオープン戦を開催したほか、公式戦でもビジター球団での登場歴はある)。
- ^ 2009年シーズンの大半の試合では、新型インフルエンザの感染拡大被害防止のためジェット風船が自粛された。
出典
- ^ ホークス四十年史 1978, pp. 95–98.
- ^ ホークス四十年史 1987, pp. 95–98.
- ^ ホークス四十年史 1978, p. 98.
- ^ a b ホークス四十年史 1978, p. 99.
- ^ ホークス四十年史 1978, p. 106.
- ^ ホークス四十年史 1978, p. 394.
- ^ ホークス四十年史 1978, pp. 106–109.
- ^ 近畿日本鉄道『近畿日本鉄道100年のあゆみ 1910 - 2010』近畿日本鉄道、2010年12月、216頁。
- ^ ホークス四十年史 1978, pp. 58, 114–117.
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- ^ 鷹の祭典2021特設サイト
- ^ a b 2022年「鷹の祭典」「タカガール♡デー」「ファイト!九州デー」開催日決定!
- ^ 鷹の祭典2022ユニ発表!千賀投手「新しい!」甲斐選手「応援を力に」
- ^ 鷹の祭典2023特設サイト
- ^ 『西スポWEB OTTO』2023年7月14日付「高勝率だった神イベントがなぜ…鷹の祭典が〝災典〟になったのはいつ?」(西日本新聞社)
- ^ 7/11鷹の祭典 クラブホークススペシャル開催(2021年度)
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