相模国 国内の施設

相模国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/07 01:39 UTC 版)

国内の施設

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国府

推定相模国庁跡(平塚市四之宮)
湘南新道関連遺跡。歩道上に大型建物跡(推定国庁西脇殿)の遺構標示。

相模国府の所在地は、史料では『和名類聚抄』(931年938年編纂)と『拾芥抄』では「大住郡」(平塚市)、『伊呂波字類抄』(平安時代末~鎌倉時代初期成立)では「餘綾郡」(中郡大磯町)にあったと見えることから、所在地に変遷があったとして長く論争が行われてきた[10]。いずれも国分寺の所在地である高座郡海老名市)と異なるため、江戸末~明治時代に「高座郡(海老名)→大住郡(平塚)→余綾郡(大磯)」という「国府三遷説A」が提唱された[11][12]。また大正昭和初期には「大住郡(平塚または伊勢原市)→余綾郡(大磯)」の「国府二遷説」も浮上した[11]。さらに1950年代以降、小田原市足下郡)で発見された「千代寺院(千代廃寺)跡[13]」を初期の相模国分寺と見て、その付近に初期国府もあったとし、「足下郡(小田原)→大住郡(平塚)→余綾郡(大磯)」という「三遷説B」(足柄国府説)が提唱された[12][11]

高座郡国府説
相模国分寺の地に初期国府の所在を求める説[14][12]。推定地は現在の海老名市付近。江戸時代の『新編相模国風土記稿』に高座郡国分村と見える一帯に推定される[12]
大住郡国府説
平安時代中期成立の『和名類聚抄』の記載に基づく説。別地から移ったと見る説では、元慶2年(878年)の関東大地震を契機として新たに建てられたと推測する[12]。平塚市四之宮において関連遺跡が発掘されている[注 7][12]。ただし比定地については、平塚市四宮説以外にも伊勢原市比々多説・秦野市御門説がある[12]
餘綾郡国府説
平安時代末期成立の『伊呂波字類抄』の記載に基づく説。推定地は相模国総社の六所神社が鎮座する大磯町国府本郷付近。

現代の考古学発掘調査成果では、1989年(平成元年)に平塚市四之宮の稲荷前A遺跡で「国厨」「大住厨」銘のある墨書土器が出土したことや[15]、2004年(平成16年)の湘南新道建設事業に伴う調査で同市四之宮の六ノ域・坪ノ内遺跡から国府脇殿と見られる8世紀前葉の大型掘立柱建物が検出されたことで[16]、相模国府は成立当初から平塚(大住郡)にあり、後に余綾へ移転したとする「二遷説」が有力化してきている[10][11]

国分寺・国分尼寺

海老名中央公園の国分寺七重塔模型(3分の1スケールでの復元)

なお、小田原市千代では古代寺院跡が見つかっており、これを初期国分寺と見る説がある。ただし近年では、その寺院跡は地元豪族による8世紀初頭の建立と見る説が有力視される[18]。また、同寺院跡を国分寺跡とする説の根拠の1つは、その伽藍配置が諸国国分寺で採用される東大寺式と推測されたためであったが、近年では法隆寺式の可能性が指摘されている[18]

神社

延喜式内社

延喜式神名帳』には、大社1座1社・小社12座12社の計13座13社が記載されている(詳細は「相模国の式内社一覧」を参照)。大社1社は以下に示すもので、名神大社である。

総社一宮以下

『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく一宮以下の一覧[19]

寒川神社は古くから現代に至るまで一宮とされている。一方で鶴岡八幡宮鎌倉市雪ノ下)も全国一の宮会に加盟しており、一宮として扱われることがある。同宮は鎌倉時代の創建で、式内社ではないにもかかわらず一宮と同格の扱いを受けた。これは、当時の将軍である源氏氏神を京都の石清水八幡宮から勧請した宮であり、鎌倉幕府が特別扱いしたためと考えられる。

また、一宮から四宮までの4社と共に国司巡拝の神社で「一国一社の八幡宮」として平塚八幡宮(平塚市浅間町)があるが、同宮は四宮以上の4社と違って式内社ではない。平塚八幡宮を「五宮」と呼ぶことはなく神社側も五宮とは名乗っていないが、5月5日の国府祭(こうのまち)では一宮から四宮と平塚八幡宮の五社が神揃山(かみそろいやま)に集まる神事があることから、五宮格と考えられている。一方、室町時代の兵火に合うまで権勢を誇った有鹿神社は五宮とされることもある(諸説あり)が、国府祭には参加していない。

安国寺利生塔

  • 安国寺 - 鎌倉市山之内に存在したといわれるが廃寺。
  • 利生塔 - 未詳。



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