疎開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 00:30 UTC 版)
駐日外国人の疎開
1941年12月、日本政府は長野県の軽井沢、山梨県の山中湖、神奈川県の箱根を外国人の強制疎開地に指定、これらの土地にあった外国人所有の別荘は、敵産管理の法令により没収され、敵国人資産として競売にかけられた。1943年以降には、日本に滞在している枢軸国や非対戦各国の外交官や宣教師、一般外国人達が、日本政府が強制疎開地として指定した前述の地に集住させられる事となった。箱根には、約1500人の外国人が疎開、東京・横浜所在の大使館・公使館、領事館、商社などの多くがこの地区に移転した。同じく、枢軸国・中立国13ヶ国約300人の駐日外交官と千数百人あるいは2000人以上の一般外国人の疎開地となった軽井沢では、三笠ホテルに外務省軽井沢出張所が設置され、1943年には万平ホテルにソ連とトルコの大使館が疎開し[注釈 1]、1944年8月には民間の貸別荘だった深山荘にスイスの公使館が置かれる事となった。
自然災害における疎開
震災疎開
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災では焼失家屋212,353戸、非焼失全潰家屋79,733戸、流出・埋没家屋1,301戸で、被災後に疎開により他地域に移住した者も少なくなかった[19]。
2024年1月1日に発生した令和6年能登半島地震では2024年1月17日、輪島市の市立中学校3校の生徒401人のうち保護者が同意した258人が白山市の県立施設に集団避難した。輪島市の教員25人が施設内で授業を行う。また、珠洲市と能登町は1月17日、同意した中学生144人が保護者の元を離れて1月21日に金沢市へ1月21日に集団避難すると明らかにした。両市町の校舎が避難所として使われていることから学習機会の確保を目的に実施する。[20]予定は2か月。
火山噴火
1962年(昭和37年)の三宅島噴火では島外への学童疎開が実施された[21]。
渇水疎開
渇水時の疎開は渇水疎開と呼ばれる[22]。1964年(昭和39年)の東京の渇水では一部地域で4日間完全断水し疎開が実施された[22]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b デジタル大辞泉「疎開」
- ^ a b コラム図 震災疎開パッケージ 内閣府、2019年7月25日閲覧。
- ^ a b 越澤明:東京の都市計画、岩波新書、1991.
- ^ [逸見:親もとを離れて2003年]
- ^ [逸見:ひもじさに耐える2003年]
- ^ [逸見:絵日記にみる疎開生活2003年
- ^ 内藤[2001]
- ^ 与那原学童疎開疎開史編集委員会[1995:24-27,298-299]
- ^ 2014年8月9日NHK Eテレ ETV特集「戦闘配置されず肢体不自由児の学童疎開」
- ^ 逸見[2003-1-pp10-18]
- ^ 近代日本教育制度史料7 編纂委員会編
- ^ 内藤[2001:228]
- ^ 逸見[2003-1-12]
- ^ 逸見[2003-1-15]
- ^ 大内健二『輸送船入門 新装版』光人社〈光人社NF文庫〉、2010年、287-292頁頁。ISBN 978-4-7698-2399-5。
- ^ 越澤明:東京都市計画物語 第10章 防空と建物疎開、ちくま学芸文庫、2001.
- ^ “戦中・戦後の総合図書館”. 東京大学附属図書館. 2023年2月9日閲覧。
- ^ 辻田 2011 p.322
- ^ 1923年9月1日関東大震災その4 内閣府、2019年7月25日閲覧。
- ^ 読売新聞2024年1月18日発行。
- ^ 三宅島 有史以降の火山活動 気象庁、2019年7月25日閲覧。
- ^ a b 今後さらに取り組むべき適応策(渇水)について 国土交通省、2019年7月25日閲覧。
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