甲骨文字
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 05:01 UTC 版)
甲骨文の記録内容
甲骨文は大きく分けて占卜の記録である卜辞とそれ以外に分けることができる。
卜辞
甲骨文のほとんどは占卜の記録で、卜辞と呼ばれる。占卜のほとんどは殷の国家あるいは殷王に関するものであるが、祭祀・軍事・狩猟・農業などの社会政経活動などから、気象・天災・健康状態・出産などの人間には制御不可能なものまで、さまざまな事柄が占われた。そのような具体的な事柄以外に、「卜旬」と呼ばれる定期的に行われる占卜があった。これは癸(みずのと)の日に「以後10日間に凶事がない」(命辞に「旬亡𡆥」と書かれる)ことを占うものである。[60][61][62]
一つの甲骨には複数の卜辞が刻まれていることが普通であり、互いに全く別の事柄を占ったものもあれば、複数の卜辞がグループをなしているものもある。そのようなグループはパターンによって呼称がある。[63][64]
- 重貞
- 全く同じ事柄を複数回占ったもの。全く同じ卜辞が繰り返されるものもあれば、二回目以降は全文省略されることもある。
- 対貞
- 特に亀の腹甲に多く見られるもので、同じ事柄の肯定文と否定文をそれぞれ占ったもの。卜辞は千里路(縦向きの中心線)を軸として線対称に刻まれる。例えば「雨がふる」対「雨がふらない」等。
- 選貞
- 同じ事柄について複数の選択肢をそれぞれ占ったもの。例えば「(祭祀の犠牲に)家畜を一匹捧げる」「家畜を二匹捧げる」「家畜を三匹捧げる」についてそれぞれ占い、最も適当な行動を決定した。
卜辞は占卜の工程が全て完了した後に刻まれた[65][66]。卜辞は管理用の記録であり、これをあたかも祝詞であるかのように説明する記述は誤りである。
卜辞の文章構成
卜辞には定形があり、以下から構成される(ただし実際には命辞以外は省略されることがあり、すべてが揃っている文章は少ない)。[67][68][69][70]
- 前辞(叙辞とも)
- 命辞(貞辞とも)
- 吉凶判断の対象となる事象。かつては前辞の「貞」が「問う」と解釈されていたため疑問文として翻訳されていたが、1970年代以降から非疑問文として扱う見方が強まっている。
- 占辞
- 占卜の結果の判断。例えば「王が卜兆を見て『吉である』と言った」のような内容である。
- 用辞(決辞とも)
- 選貞の場合、占卜の結果採用される選択肢に「用」、不採用となった選択肢に「不用」などと記される。
- 験辞
- 命辞の事象の当日実際の結果。命辞が天候に関するものであれば実際の天気、戦争に関するものであれば勝敗など。
非卜辞
甲骨に刻まれた文字には占卜自体とは無関係のものもある。その中で最も数が多いのは文字が刻まれている甲骨自体の仕入れ記録で、「署辞」と呼ばれる。署辞は卜辞と同じ甲骨に刻まれているが、多くは亀甲の橋の部分や牛骨の臼の部分にあり、占卜行為の跡とは位置的に隔離されている。署辞以外の非卜辞は占卜用ではない甲骨に刻まれ、内容としては軍功などを紀念したもの、単に発生した事件を記したもの、一族の名を羅列したもの、干支の一覧表、刻字の練習をしたもの等がある。[72][73]
注釈
- ^ 他に、甲骨に筆で記された文字がごく少量存在する。竹簡も当時既に使われていたと推測されるが、腐敗しやすい材料ということもありこの時代の考古学的出土はない。
- ^ 比較的数は少ないが、占卜とは関係のない甲骨文も存在する(#甲骨文の記録内容参照)。
- ^ より正確には、王懿栄が達仁堂という薬屋で購入した亀版に文字が刻まれているのを劉鶚が発見したという内容。
- ^ それに対して董作賓の、例えば第2期(祖庚・祖甲)は、「祖庚と祖甲の時代にまたがるグループ」ではなく「祖庚のグループと祖甲のグループの総称」を意図していた
- ^ こうした例は「両系説」に従って、同じ事柄や関連する事柄を村北の占卜機構と村南の占卜機構でそれぞれ占った例と解釈できる。
- ^ 貞人は甲骨文字の書記ではない。一つの甲骨に複数の書記が刻字する例は少ない。
出典
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- ^ 裘錫圭 2022, pp. 82.
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