熊本市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 06:15 UTC 版)
歴史
古代
- 旧石器時代〜古墳時代
豊かな土壌や有明海の海の幸にはぐくまれた熊本市地区は古来からの居住形跡があり、旧石器時代から古墳時代にかけての遺跡(貝塚、古墳なども含む)が市内各所で多数確認されている。
律令制下では、概ね肥後国の飽田郡・託麻郡の区域に当たる。 8世紀、水前寺成趣園そばの砂取に肥後国の国府(託麻国府)が置かれ、その近くに国分寺・国分尼寺も設置されたとされる[1]。 その後国府は城南の益城国府を経て、平安時代中期までに二本木(飽田国府)に移転しているが、すべて現在の熊本市域内での移転であることから、少なくとも奈良・平安期の時点で熊本市地区が肥後国の中心として機能していたことがわかる。 また、神話時代からの歴史とされている健軍神社をはじめ、8世紀には城南に熊本県内で最古の寺院とされる「陳内廃寺」や味噌の神様として名高い「味噌天神」が、9世紀には池上町に山岳寺院として「池辺寺」が、10世紀には現在の藤崎台県営野球場の位置に藤崎八旛宮がそれぞれ設置され、同じころには北岡神社も創建されている。
古代官道(駅路)も熊本市域を縦断しており、大宰府から南下してきた西海道の延長として立田山の西から蚕養駅(子飼)を通って託麻の国府へ、さらに城南方面へ進んでいた。 律令政治の崩壊とともに一時肥後の中心地としての機能は失うが、二本木はその後も大きな集落として継続し、古国府と呼ばれることになる。その後、現在の熊本市北部には寄進型荘園で有名な鹿子木荘が拓かれる。
中世
- 鎌倉時代
鎌倉時代に河尻実明が河尻城を築いたことから発展した、現在の川尻地区は港町として栄え、早くから海外交易も行われていた。中国、明の時代の地理書にも「開懐世利」として記述されている。また、城南町では隈庄城が築かれ、益城地方の中心としての役割を担った。
- 南北朝時代
南北朝の騒乱の一端として1378年(南朝:天授4年、北朝:永和4年)、託麻原の合戦が市内東部で繰り広げられ、京塚など合戦の故事が由来の地名も残っている。
- 室町時代
その後、応仁年間(1467年 - 1469年)に出田氏が千葉城(現在のNHK熊本放送局所在地)を居城とし1496年(明応5年)、豊後守護大友氏に属する鹿子木氏が茶臼山西南麓に隈本城を築城した。 やがて鹿子木氏が菊池氏についたため、1550年(天文19年)、大友氏配下の城親冬(じょう ちかふゆ)が入った。
近世
- 加藤清正の入国
戦国時代の肥後国は数十の国衆が割拠していたが、安土桃山時代に入り豊臣秀吉の九州平定により、1587年(天正15年)に佐々成政が肥後49万石に封ぜられ、隈本城へ入る。 しかし、失政により肥後の国衆一揆が起きると、翌年改易され、代わって加藤清正が肥後北半24万石に封ぜられ、隈本城を居城とし統治を開始。 治山、治水や干拓による土地開発などを積極的に行い、荒廃していた土地を改良し生産力を向上させた。
- 江戸時代
清正は1607年(慶長12年)に新たな隈本城を築き、その後、当地の呼称を隈本から熊本へと改名した。これ以降、熊本は近世城下町として発展していくことになる。加藤氏は清正の子、忠広の代で断絶し、1632年(寛永9年)以降は小倉藩から移封され熊本藩主となった、細川氏の城下町として発展していくことになる。
近世城下町としての整備は、清正が肥後に入国した天正時代に開始された。まず水害対策と内堀としての活用のため坪井川をつけかえ、古国府の商家も一部移す形で、城の南側(現在の市電呉服町電停一帯)に町人・職人町が作られた。その後城の西側にも町人・職人町が拡大するが、従来からの町人・職人町が「古町」と呼ばれたのに対し、城の西側に開かれた新しい町人町は「新町」と呼ばれることになる。熊本城下町の特徴として碁盤の目状に区画された町の中に寺院が1つずつ設置されており、現在でもこの町のつくりが引き継がれている。有事の際の防衛上の観点からも見逃せない形態となっている。なお、古町界隈は明治以降、昭和戦前期まで熊本市の繁華街の一つとして賑わいを見せていた。
一方、武家屋敷は、城の東側の山崎から高田原(現在の熊本市の繁華街一帯)・坪井にかけての一帯や、城の北の台地上にあたる京町に造成された(京町は、関ヶ原の戦いで敗れた小西行長の家臣や柳川藩の家臣を清正が引き取って住まわせた町である)。このうち、上級武士は城内(二の丸)や内坪井・山崎に居を構え、下級武士は手取・千反畑・高田原エリアに住んだとされる。
また、1601年(慶長6年)に初代の長六橋(橋名は架橋された1601年 = 慶長6年より)がかかり、薩摩街道や日向往還、南阿蘇へ向かう南郷往還の分岐点として迎町が賑わいを見せ、幕末には安政橋(当時の安巳橋)の対岸に新しい武家屋敷町 = 新屋敷が造成される。これらの区域が近代における熊本区 - 熊本市としてのおおまかな輪郭となる。
郊外では薩摩街道の宿場町、緑川水系の物流集積地(港町)として前代から引き続いて、川尻が栄えた。藩の奉行所や税関、軍港(御船手)がおかれたほか、薩摩藩の参勤交代路として本陣もおかれた。稲荷神社の所在地として発展した高橋は、坪井川の付け替え後に熊本の外港としても繁栄した。川尻と高橋は熊本(城下町)、高瀬、八代とともに肥後の五ケ町の一つに数えられることになる。
また、北へ向かう豊前街道と三池街道の分岐点に元禄時代、「味取新町」という宿場町が造られたが、ここが後に植木の中心商店街となる。参勤交代道として整備された豊後街道には里数木として黒髪に一里木が、龍田に二里木が植えられ、現在もバス停名として名残をとどめる(菊陽町にある三里木は駅名にもなった)。二里木のすぐ東側には17世紀半ば、細川藩に招かれた宮本武蔵ゆかりの史跡である武蔵塚がある。東へ向かう木山往還沿いには17世紀後半、桃山式回遊庭園の水前寺成趣園(水前寺公園)が造られた。
近代
- 明治時代 - 第二次大戦前
幕末から明治にかけて、開明思想家として知られる横井小楠の活躍や熊本洋学校の設置、熊本の自由民権主義を牽引した植木学校の開校、熊本バンド結成など熊本に近代化の波が押し寄せる一方で、旧体制側である士族の反乱も勃発する。
1876年(明治9年)には神風連の変がおこり、そして1877年(明治10年)の西南戦争により植木の田原坂の戦いでは激しい戦闘が繰り広げられた。 さらに主戦場となった熊本の町は熊本城の天守閣を含め灰燼に帰した[1]。また、1889年(明治22年)には熊本大地震にも見舞われた。
- 九州一の大都会時代
しかしその後の熊本市地区は、熊本県(一時期は白川県)の県庁所在地としてだけでなく、九州地方の中央部にある主要都市であるため「九州の中核都市」と位置づけられ、熊本鎮台・第五高等学校など、九州域内を管轄する国家機関・教育機関が相次いで設置されていく。 1878年(明治11年)設置の熊本区を経て、1889年(明治22年)、市町村制度施行により市制施行。当初の人口は42,725人[1]。1900年(明治33年)に成立した鉄道唱歌第2集山陽・九州編で「九州一の大都会 人口五万四千あり」と歌われるに至った。 そのため、新聞発行や電灯設置、放送局の開局などで熊本が九州初の事業地となることも多く、また第五高等学校が設置されたことから、夏目漱石や小泉八雲などの著名な作家が教師として熊本に赴き、熊本を舞台とした作品を残している(なお、森鷗外も数日ながらも熊本を訪れ、熊本にも関わりが深い作品(「阿部一族」)を残している)。
市内中心部の山崎には明治以降、武家屋敷を取り壊した跡地に練兵場をはじめとした軍施設が設置されたため、市街地が軍施設で分断されてしまい都市発展の障害となっていた。その後軍用地は、大正時代までに城内を除いてほとんどが大江や渡鹿など郊外に移転し、その跡地には新市街をはじめとした新しい商業・娯楽の中心地が形成された(軍用地であった名残として練兵町という町名が残っている他、軍用地の移転に力を入れた当時の市長・辛島格の名前を取って辛島町という町も誕生している)。
大正に入ると近代都市としての整備に拍車がかかる。熊本軽便鉄道・菊池軌道・御船鉄道・熊本市電・バスといった交通機関の拡充は市街地の拡大にもつながり[1]、1921年(大正10年)には春日や黒髪、島崎など周辺町村を大合併して人口は13万となり、これまで旧城下町内だけにとどまっていた市域が郊外へ大きく広がることになった。また、1922年(大正11年)当時の市長・高橋守雄は市三大事業(上水道の整備・市内電車の開業・歩兵第23連隊の完全移転)を掲げ、これを実行に移すことに成功した。それまで南千反畑にあった市役所も、1923年(大正12年)に手取本町の現在地に移転している。
昭和になると桜町一帯に勧業館や公会堂といった施設が立ち並び、隣接する新市街には当時の最新の娯楽である映画館が多数オープンし、それまでの古町にかわる新たな都市核として急発展する。市内中心部には「千徳百貨店」や「銀丁百貨店」といった百貨店も開業した。
1935年(昭和10年)3月25日、水前寺会場を中心に新興熊本大博覧会が開催された[16]。
現代
- 第二次大戦後 - 現在
1945年(昭和20年)7月の大空襲で熊本市の市街地は焼け野原になり、さらに1953年6月の大水害、1957年(昭和32年)7月の大水害で市内の低地を中心に大きな被害を出したことから、東部の丘陵地帯に新しい住宅地が造られた[1]。
これまでの水前寺・出水といった郊外の住宅地に加え、旧軍用地であった大江・渡鹿地区には、住宅団地や専売公社などのほか、熊本商科大学、熊本女子大学(のちに月出に移転し、跡地には県立劇場が建っている)、熊本電波工業高等専門学校(1973年(昭和48年)に合志市へ移転)、警察学校などが建設され、既存の熊本高校などとあわせ、文教地区として成熟した。
また、戦時中に飛行場や三菱の飛行機工場が建設され、市電が延伸してきた健軍町一帯は戦後、自衛隊や官公庁、大規模な公営団地、学校などが建てられ人口が急増。市電の終点ターミナルとしての役割も得たことから商店街や歓楽街も形成され、熊本市東部地区の一大拠点に成長した。
さらに県庁が水前寺に移転し、長嶺・月出にあった熊本空港が高遊原に移転した1970年代以降は長嶺や武蔵ヶ丘・楠方面に住宅地が拡大した。特に1971年(昭和46年) - 1972年(昭和47年)にかけて整備された熊本東バイパス(神水以北区間)はこれらの住宅地の背骨として重要な交通路となり、畑や雑木林が占めていた丘陵地は急速に宅地化された。
1960年代には国道3号の清水バイパスや川尻バイパスも開通。1971年(昭和46年)には九州自動車道の熊本インターチェンジが開設されるなど、市内周辺の道路交通網が整備されたが、その一方では熊延鉄道の廃止、市電の路線縮小などが行われた。鉄軌道に代わる新たな輸送機関の要として、1969年(昭和44年)に大規模バスセンターである熊本交通センターが開業している。1980年代以降も浜線バイパス、第二空港線など主要道路網の整備が充実してきたが、渋滞問題や道路事情の悪化に伴い鉄道や市電への再評価の気運も高まっている。
商業は千徳百貨店や銀丁百貨店に代わり、戦後世代の鶴屋百貨店や大洋デパート(後のダイエー熊本下通店、2014年5月閉店)、岩田屋伊勢丹(後の県民百貨店、2015年2月閉店)、スーパーマーケット系では寿屋やニコニコ堂が躍進し、商業地図は大きく塗り変わる。また、鶴屋や大洋の進出以降、通町筋や下通が、熊本を代表する繁華街として確立されるに至っている。
戦後は軍都の面が縮小したものの人口増加は続き(1977年(昭和52年)には人口50万突破)、行政・商業・観光の都市として順調な発展を続けた。しかし、1963年(昭和38年)に北九州市、1972年(昭和47年)に福岡市が政令指定都市に移行し、熊本市の拠点性は低下した。ただし、現在も九州を管轄する国の機関の一部(戦前に設置された機関が中心)は熊本市に置かれており、九州域内の主要な拠点都市としての役割は継続している。
平成の大合併において導入された期間限定の政令指定都市の要件緩和に基き、富合町、城南町、植木町の周辺自治体と合併して[1]、2012年(平成24年)4月1日に全国20番目(九州で3番目)の政令指定都市へ移行した。さらに道州制導入後の州都誘致を目指す動きも活発化してきている。
年表
- 古代 - 近代
- 558年(欽明19年) - 健軍神社創建。
- 646年(大化2年) - 砂取(現 熊本商業高校付近)に肥後の国府及び兵力4軍団が設置される。
- 713年(和銅6年) - 味噌天神創建。
- 935年(承平5年) - 藤崎八旛宮が設置される。
- 1278年(弘安元年) - 大慈禅寺創建。
- 1378年(南朝:天授4年、北朝:永和4年) - 託麻原の合戦 (参考:熊本県の歴史#征西府の成立と崩壊、[1][2][3] など)
- 1469年(文明元年) - 千葉城が茶臼山(現 熊本城)の東端に菊池一族の出田秀信により築城。
- 1496年(明応5年) - 隈本城が茶臼山の西南麓に菊池一族の鹿子木親員(かのこぎ ちかかず)により築城。
- 1588年(天正16年) - 加藤清正が肥後半国の領主として熊本に本拠を置く。
- 1601年(慶長6年) - 長六橋架橋。
- 1607年(慶長12年) - 熊本城が加藤清正により築城。隈本から熊本に改称。
- 1632年(寛永9年) - 細川忠利が熊本入府し、肥後領主となる。
- 1640年(寛永17年) - 宮本武蔵が熊本藩に招かれる。
- 1671年(寛文11年) - 水前寺成趣園完成。
- 1754年(宝暦4年) - 藩校「時習館」開設。総長は内膳家長岡忠英。
- 1756年(宝暦6年) - 「再春館」、「蕃滋園」が開設される。
- 近現代
- 1871年(明治4年)鎮西鎮台設置。熊本洋学校開設。廃藩置県により熊本県が設置される。
- 1873年(明治6年) - 鎮西鎮台を熊本鎮台に改称。
- 1874年(明治7年) - 白川新聞発行(九州最初の新聞)。
- 1876年(明治9年) - 熊本洋学校が閉鎖される。
- 1877年(明治10年)
- 1878年(明治11年) - 郡区町村編制法施行により、熊本を熊本区とする。
- 1886年(明治19年) - 熊本逓信管理局(郵便・電信関連)設置。
- 1887年(明治20年) - 第五高等中学校(後の第五高等学校、現 熊本大学)が熊本区域に創立される。
- 1889年(明治22年)
- 1890年(明治23年) - 10月10日、第五高等中学校開校(当時、九州唯一の高等中学校)。
- 1891年(明治24年)
- 1896年(明治29年)4月13日 - 池田駅(現・上熊本駅)に夏目金之助(後の夏目漱石)が到着。1900年(明治33年)7月20日に熊本を離れるまでの約4年3ヶ月、第五高等学校の英語教師として教鞭をとった。
- 1898年(明治31年) - 第23連隊練兵場が山崎から渡鹿に移転。
- 1907年(明治40年) - 熊本軽便鉄道開業。
- 1913年(大正2年) - 百貫電車開業。
- 1921年(大正10年) - 6月1日、飽託郡内の11町村を編入(人口133,467人)。
- 当時使用された「大熊本市」という呼称は、旧熊本市に対するより広域な熊本市(Greater Kumamoto)という意味が含まれている。
- 1923年(大正12年) - 熊本市役所が現在地に移転。
- 1924年(大正13年)
- 1927年(昭和2年)
- 1928年(昭和3年) - 九州初のラジオ局(現 NHK熊本放送局)開局。
- 1929年(昭和4年) - 7月26日、熊本市動物園が開園。
- 1930年(昭和5年) - 勧業館オープン(のちの産業文化会館)。
- 1935年(昭和10年) - 水前寺で「新興熊本大博覧会」が開催される。
- 1943年(昭和18年) - 健軍に三菱重工業の航空機製作工場が作られる。
- 1945年(昭和20年) - 八景水谷の現・北熊本駐屯地に米軍が駐留する(1956年(昭和31年)まで)。
- 7月1日 - 熊本大空襲 (死者469人、負傷者552人、焼失家屋約11,000戸)
- 1949年(昭和24年) - 第1回火の国まつり開催。
- 1950年(昭和25年) - 7月21日、熊本競輪場が開設される。
- 1952年(昭和27年) - 鶴屋百貨店と大洋デパートが開業。
- 1953年(昭和28年) - 6月26日、熊本6.26大水害発生。
- 1958年(昭和33年) - 熊本でテレビ放送開始。現在の熊本駅の駅舎が完成。
- 1960年(昭和35年) - 上通オーニング(アーケード)完成。
- 1962年(昭和37年) - 地方博「躍進熊本大博覧会」が熊本城で開催。
- 1964年(昭和39年) - 3月31日、熊延鉄道廃線。
- 1965年(昭和40年) - 2月21日、熊本市交通局(熊本市電)川尻線廃止。
- 1966年(昭和41年) - 熊本県庁が水前寺の現在地に移転。
- 1968年(昭和43年) - 熊本市民会館開業。子飼商店街入口前に日本初のスクランブル交差点が設置。
- 1969年(昭和44年) -下通がアーケード化。
- 1970年(昭和45年) - 5月1日、市電坪井線・春竹線廃止。
- 1971年(昭和46年) - 熊本空港が現在地に移転。パルコ熊本店の前身、長崎屋熊本店開店。
- 6月30日 - 九州自動車道の熊本インターチェンジ - 植木インターチェンジ間が開通(九州初の高速自動車国道)。
- 1972年(昭和47年) - 市電、水道町 - 子飼橋間廃止。
- 1973年(昭和48年)
- 1976年(昭和51年) - 戦前から営業していた銀丁百貨店閉店。新市街のアーケード完成。
- 1977年(昭和52年) - 熊本市の人口が50万人を突破
- 1980年(昭和55年) - ダイエー熊本店(熊本市大江)開業。
- 1981年(昭和56年) - 現在の熊本市役所庁舎が落成。
- 1984年(昭和59年) - 熊本市内(周辺の一部の町村を含む)の市外局番を3桁(0962,0963→096)に変更。政令指定都市(都市圏含む)を除けば全国初。
- 1986年(昭和61年) - 江津湖畔で地方博「グリーンピック'86」開催。
- 1989年(平成元年) - 市制施行100周年。「熊本百彩」が開幕[1]。
- 1991年(平成3年)
- 1992年(平成4年) - NHK熊本放送局の基幹機能が福岡に完全移管される。
- 1993年(平成5年) - 地方博覧会「火の国フェスタくまもと'93」開催。
- 3月 - 熊本新港がオープン。
- 1996年(平成8年)4月1日 - 中核市に指定される[1]。
- 1997年(平成9年) - 男子世界ハンドボール選手権大会開催。
- 1999年(平成11年) - 第54回国民体育大会開催(くまもと未来国体)。国体道路開通。
- 2002年(平成14年) - 手取本町(水道町)・上通地区の再開発事業完成。熊本市現代美術館オープン。
- 2006年(平成18年)
- 2008年(平成20年) - 熊本城本丸御殿落成[1]。
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年) - 3月23日、城南町・植木町を編入[1]。人口が70万人を突破。
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)
- 2015年(平成27年)
- 2016年(平成28年)
行政区画の変遷
- 1889年(明治22年)4月1日 - 市制・町村制施行により、熊本市が発足。
- 1921年(大正10年)6月1日 黒髪村・池田村・花園村・島崎村・横手村・古町村・本庄村・大江村・本山村・春竹村・春日町を編入。
- 1925年(大正14年)4月1日 - 出水村を編入。
- 1931年(昭和6年)6月1日 白坪村を編入。
- 1932年(昭和7年)12月15日 - 画津村を編入(編入と同日に画図村を画津村に改称)。
- 1936年(昭和11年)10月1日 - 健軍村を編入。
- 1939年(昭和14年)8月1日 - 清水村を編入。
- 1940年(昭和15年)12月1日 - 川尻町・力合村・日吉村を編入。
- 1952年(昭和27年) 秋津村秋田を編入。
- 1953年(昭和28年)4月1日 - 田迎村・御幸村を編入。
- 1953年(昭和28年)7月1日 - 高橋村・城山村・池上村を編入。
- 1954年(昭和29年)10月1日 - 秋津村を編入。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 松尾村を編入。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 託麻村のうち保田窪、新南部を編入。
- 1957年(昭和32年)1月1日 - 龍田村・小島町を編入。
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 中島村を編入。
- 1970年(昭和45年)11月1日 - 託麻村を編入。
- 1990年(平成2年)9月1日 - 嘉島町(上益城郡)と境界変更。
- 1991年(平成3年)2月1日 - 北部町・河内町・飽田町・天明町を編入。
- 1993年(平成5年)6月1日 - 益城町(上益城郡)と境界変更。
- 2008年(平成20年)10月6日 - 富合町を編入。
- 2010年(平成22年)3月23日 - 城南町・植木町を編入。
- 2010年(平成22年)6月1日 - 嘉島町(上益城郡)と境界変更。
住所表記の変遷
- 2008年(平成20年)以降
-2008年10月5日 | 2008年10月6日- 2010年3月22日 |
2010年3月23日- 2012年3月31日 |
2012年4月1日- | ||
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旧熊本市域 | 熊本市○○ | 熊本市北区○○ | |||
熊本市西区○○ | |||||
熊本市中央区○○ | |||||
熊本市東区○○ | |||||
熊本市南区○○ | |||||
旧富合町域 | 下益城郡富合町○○ | 熊本市富合町○○ | 熊本市南区富合町○○ | ||
旧城南町域 | 下益城郡城南町○○ | 熊本市城南町○○ | 熊本市南区城南町○○ | ||
旧植木町域 | 鹿本郡植木町○○ | 熊本市植木町○○ | 熊本市北区植木町○○ |
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