瀬戸内海
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産業
古来より海運が盛んで沿岸地域に大きな港湾の多い瀬戸内海には重要な航路が多い。日本の総面積の12%にあたる4万7千km2におよぶ瀬戸内海沿岸地域には日本の総人口の約4分の1の3千万人が住んでおり、重工業、石油化学産業などが多く立地している。全国に占める製造品出荷額は鉄鋼業46%、石油化学産業40%、化学工業35%、パルプ・紙産業30%と工業化が進んでいる地域であるが、これら第二次産業の総生産額に対する比率は年々減少している。比率がもっとも高かったのは1970年で42.6%であったが、2002年には25.4%まで下がった。農林・水産業など第一次産業は、1965年には7.4%であったが、2002年には0.8%となっている。比率が増加しているのは、運輸・通信、卸・小売、金融・保険業、サービス業などの第三次産業で、1965年には52.6%であったが、2002年には73.8%となっている。人口の密集度や産業の多さから古代より海運が発達していた。漁業も盛んであったが、2000年代は1980年代に比較して漁獲量(重量)は約35%減少した[79]。
各地で埋め立てが行なわれ、藻場、干潟、自然海岸などの浅海域が減少しており、閉鎖水域であるため下水道や油流出事故などの影響で赤潮発生など水質汚染が憂慮されている[79]。
瀬戸内海は重要な水路として海運や漁業で多くの船舶が運行しており、近年はレジャーボートの数も増し、多島部や狭い水域では海難事故も多発している[80]。
漁業
江戸以前の漁業
瀬戸内海は縄文時代から今日に至るまで、多様な漁業の場となってきた。弥生時代には既にタコツボによるタコ漁が行われていたことも、出土物によって明らかになっている。
江戸時代には肥料に用いるイワシを獲る地引き網や船引き網漁が盛んとなった。またイカやアナゴ、キス、エビ、ナマコなどを狙う手繰網漁、現在も鞆の浦で行われている鯛網漁、帆走しながら網を引く打瀬網漁など、様々な網漁が行われていた。これらの漁法は瀬戸内海にとどまらず、房総半島などにも伝播した。また瀬戸内海の内部でも、紀州で考案されたイワシの船引き網漁法が真鍋島、宇和島、安芸草津など各地に伝播したことが知られている。
大物を狙う一本釣り漁も江戸時代に発達した漁法である。これは主に潮流の早い瀬戸を中心に行われた漁法で、鯛、ハマチ、カレイ、サワラなどを対象とした。一本釣りの発達を促したのは、中国から輸入されるようになった天然のテグスの存在である。これを最初に一本釣り漁に用いたのは、現在の鳴門市にある堂浦の漁民であったが、この漁法が17世紀後半に現在の周防大島町にある沖家室島に伝播し、沖家室島は瀬戸内海有数の一本釣り漁の基地として栄えた。現在も大物釣り用の釣り針の基本的なデザインである「かむろ針」は沖家室島で考案されたものである。その他、佐賀関、音戸、三津浜、牛窓、雑賀崎などが一本釣り漁で有名な漁村である。
こうして獲られた高級魚は船内の生け簀に入れたまま大坂まで運ばれ、高値で売却された。祇園祭の頃に旬を迎えるハモは活け締めにして京まで運ばれた。広島のカキも江戸時代には関西に広く流通していた。
瀬戸内海の漁民の国外出漁
明治維新後には、瀬戸内海の漁民たちが漁場を求めて日本国外に出漁する事例が増えていった。山口県や広島県の一本釣り漁師たちは台湾、ハワイなどに渡り、打瀬網を使う漁民はフィリピンに出漁した。森本孝は沖家室島の漁民がハワイの漁業の屋台骨を担った状況を明らかにしている[81]。また日本国内でも、周防大島の漁民が対馬に集落を建設して移住した事例が宮本常一によって報告されている[82]。
家船
瀬戸内海は、20世紀後半まで家船(えぶね)に乗った漁民が活動していたことでも知られている。家船とは木造の小型の漁船に簡易な屋根を装備し、布団や炊事道具など生活用具を積み込んだ船のことである[83]。瀬戸内海の漁民の中には、こうした家船に夫婦単位で乗り込み、生涯を海の上で暮らす者も多かった[84]。彼らの出自については、豊臣秀吉によって解体された村上水軍の末裔なのではないかとの説もある[85]。
別府温泉では、持ち舟で寝泊まりしながら浜脇温泉や別府温泉に通う湯治の習慣が古くから見られ、戦後しばらくまでは続いていた。春には波止場に係留される舟は100艘近くにのぼり、湯治舟とよばれて季語にもなるほどの別府の春の風物詩となっていた。
乱獲と漁業資源の減少
第二次世界大戦後、瀬戸内海の漁獲量は爆発的に増加し、ピークとなった1982年には昭和初期の4倍にも達した。しかしその後は環境破壊と乱獲によって資源量は減少し、イワシ、鯛、サワラ、トラフグなど主な魚種の資源量は、回復にほど遠い状況である。アサリも埋め立てなどで生育環境が破壊された為に激減しており、ハマグリはほぼ絶滅となっている。
カキ、ブリ、鯛、ワカメ、海苔などは養殖も盛んに行われている。広島でのカキの養殖は室町時代まで遡る。
ブランド品
瀬戸内海のアジ等の青物は回遊しない「瀬付き」が多いことで知られ、特に佐賀関で揚がる「関アジ」「関サバ」が著名である。その他に各沿岸地で鯛、蛸、鰈(特に城下かれい)、鱧、河豚(特に下関)など、全国的なブランド品となっている品目も含め瀬戸内海には存在している。
農業
段々畑
瀬戸内海に浮かぶ離島は耕作可能な平地も少ないことから、住民たちは山を開墾して段々畑を作ることが多かった。しかしこうして開墾された段々畑は土壌が痩せていることが多かった為、農民たちは下肥や海藻を人力で運び上げて施肥し、土壌を改良していった。一般に、開墾してからまともな作物が収穫出来るようになるまでに10年かかるとされた。この段々畑はみかんの栽培に適しており、特に愛媛みかんが著名である。
出作
島内の山を全て開墾し尽くした後には、近くにある島に渡ってそこで開墾を行うこともあった。こうして別の島に農地を持つことを「出作」「出作り「渡り作」などと呼んだ。農民たちは出作用の小さな木造船(農船)を手に入れ、それで農地を持つ島まで行き来していた。
柑橘栽培
このようにして開墾された段々畑は、第二次世界大戦後、多くが柑橘類の栽培に転用された。日照と水はけに優れた段々畑は、糖度の高い柑橘の栽培には適していた。しかし段々畑での農業には非常に手間がかかることから、近年、耕作放棄地が増加しつつある。
綿花栽培
瀬戸内海沿岸の気候は綿花栽培にも向いていた為、江戸期には各地で綿花栽培が行われた。特に綿花栽培が盛んだったのは河内地方、播磨地方、岡山平野、福山周辺、広島周辺、観音寺周辺などである。しかし明治期に海外産の良質な綿が輸入されたことで、これらの地域の綿花栽培は衰退した。
除虫菊栽培
18世紀末に日本に移入されたシロバナムシヨケギク(除虫菊)は、20世紀に入ると広島県で盛んに栽培されるようになり、島嶼部も含めて第二次世界大戦後まで除虫菊栽培は農業の中心となった。
製塩業
瀬戸内海沿岸は少雨で温暖な気候を生かし、古代より製塩が盛んに営まれてきた。弥生時代には吉備地方で土器に海水を入れて煮詰める製塩が始まり、奈良期には砂浜を使う「塩尻法」へと移行する。中世には汲み上げた海水を砂浜に撒いて水分を蒸発させたうえで煮詰める揚浜式塩田に移行、更に17世紀前半には姫路藩で潮汐を利用した入浜式塩田が考案され、瀬戸内海は製塩の中心地となる。この時期の瀬戸内海産の塩を「十州塩」とも呼んだ。これは播磨国、備前国、備中国、備後国、安芸国、周防国、長門国、阿波国、讃岐国、伊予国の10国で生産された塩という意味である。
瀬戸内の気候を生かした製塩業だったが、天候や気候に左右されないイオン交換膜製塩法の開発により、1972年に一時全て途絶えた。しかし2002年に塩の販売が完全自由化されると、仙酔島などで小規模ながら製塩業が復活した。
製塩業と白砂青松
製塩業は大量の燃料を消費する産業である。瀬戸内海沿岸は製塩が盛んであったため、燃料としての木材を供給した里山は乱伐により次々にはげ山なっていった(詳しくは「里山」を参照)。瀬戸内海に白砂青松が多かった理由の一つとして、こうしてはげ山となった里山から花崗岩が浸食により流出し、川を流下して瀬戸内海に入り「白砂」となったという指摘がある。
工業
太平洋ベルト工業地域の一角を担う瀬戸内工業地域を形成し、全工業地域総出荷額のおよそ9%を占める。西部は北九州工業地帯を形成し、東部は三大工業地帯の一つである阪神工業地帯を形成している。
また海の中の離島であることを生かし、亜硫酸ガスによる煙害で批判を浴びていた銅精錬業が瀬戸内海に進出した。三菱マテリアルの直島、住友金属鉱山の四阪島など。
注釈
- ^ 例えば、2007年5月に瀬戸内海を通過したハワイの航海カヌー「ホクレア」のクルーは、公式報告の中で次のように瀬戸内海の美を表現している。「瀬戸内海の風景はまるで夢の中のようでした。柔らかく丸みを帯び緑に覆われた島を、私たちは無数に通り過ぎました。島々を包むように波が立っています。こんな航海をこそ私は夢見ていたのです。もちろん私は福岡も楽しみましたが、この大自然の美は別格です。いや、今日のこの航海の感動は、単なる大自然の美という言葉では言い表せないでしょう。」[4]
- ^ 面積 1万9,700km2
- ^ 面積 2万1,827km2
- ^ 北緯33度52分55秒・東経135度3分40秒
- ^ 北緯33度50分3秒・東経134度44分58秒
- ^ 北緯33度20分35秒・東経132度54秒
- ^ 北緯33度16分・東経131度54分8秒
- ^ 北緯33度57分2秒・東経130度52分18秒
- ^ 北緯33度56分28秒・東経130度51分2秒
- ^ 北緯33度52分55秒・東経135度3分40秒
- ^ 北緯33度50分3秒・東経134度44分58秒
- ^ 北緯33度20分35秒・東経132度54秒
- ^ 北緯33度16分・東経131度54分8秒
- ^ 近年は伊勢湾や大村湾など、瀬戸内海以外にもスナメリの生息地として知られる諸々の海域に本種の再定着が確認されてきている。
- ^ 海棲哺乳類関連としては南西諸島のジュゴンと本例の二つのみである。
- ^ 空港のターミナルが人工環礁として機能している[9]。
- ^ 鯨類やニホンアシカ。
- ^ 外洋性とされることも多いが沿岸に棲息する事例も少なくなく、本種も瀬戸内海に回遊していた可能性があるとされる[24][25]。
- ^ 瀬戸内海の各地に小規模な捕鯨会社が設立されたこともあった[23]。
- ^ 瀬戸内海や豊後水道の周辺には多数の鯨類に関連する記録や昔話や鯨塚・鯨墓が残されており[29]、小規模な捕鯨基地が複数存在したり、芸予諸島には『まんが日本昔ばなし』でも紹介された「くじらのお礼参り」という民話や[30]、豊後水道には「鯨の背比べ」と呼ばれる、鯨類の海面での繁殖行動を連想させる話が伝わっている。古記録上でも大型のナガスクジラ科と思わしき鯨類が、渡し船上から度々目撃されていたとされる[31]。
- ^ 祝島や小野田市の沿岸など。
- ^ 大鯨島および小鯨島
- ^ セミクジラとコククジラとナガスクジラ。
- ^ 臼杵市にはシロナガスクジラと思わしい漂着記録も存在し[34]、日本国内で近代初のホッキョククジラの迷入例は大阪湾にて発生している。ツノシマクジラが新種として認定されたのは瀬戸内海の水域からほど近い角島にてであるだけでなく、新種として認定される1年前の2002年には香川県の粟島に座礁している[35]。また、通常は深海性であるマッコウクジラの確認も特に東西両方の太平洋につながる海峡内部にてある。
- ^ 豊後水道には現在、少なくともハンドウイルカ、ミナミハンドウイルカ、ハセイルカの3種類が季節的または年間を通して定住していると考えられており、各々が時節瀬戸内海でも確認されている[39]。
- ^ 2002年の確認は産卵との情報があるが、これまで日本で唯一の産卵の確認例は奄美大島のみである[52]。
- ^ バショウカジキ[28]やカジキマグロ[57]など。
- ^ ホオジロザメ[58][59]、アオザメ、イタチザメ、シュモクザメ、クロトガリザメ、ヨシキリザメ、ニタリなど[60][61]。
- ^ ホシエイ、マダラトビエイなど[62]。
- ^ 周防灘と伊予灘の境目に位置している[32][23]。
- ^ 船の手前の二つの小島[23]。岡山県玉野市の無人島の「くじら島」とは異なる。
- ^ 所属は尾道市[65]。
- ^ 岡山県の水島港を拠点とする、JFEスチール西日本製鉄所倉敷地区で生産されるスチールコイル製品輸送に使われているために、新しく導入された直後の鉄道用12フィート型、5トン積みコンテナ。2008年5月11日、倉敷市・東水島駅にて。
- ^ ただし、この時期の「瀬戸内海」は明石海峡から関門海峡までの海域を指していることが多く、現在のようなより広い海域に「瀬戸内海」の概念が拡張されるには、さらに時間を要した。
- ^ この概念についてはジョン・アーリを参照。
- ^ 多島海、段々畑、白砂青松、行き交う和船など。
出典
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