浅井長政 家臣

浅井長政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/05 06:46 UTC 版)

家臣

一門衆

他にも、弟の浅井政元浅井政之浅井治政、庶流の浅井惟安もいた。

浅井長政を主題とする作品

小説
  • 伊藤浩士『覇者の系譜』朝倉氏に近しい久政の一派を長政が完全に統制したと仮定したif小説。
  • 鈴木輝一郎『浅井長政正伝 死して残せよ虎の皮』浅井長政出生から父久政の放逐、信長との離反、滅亡を長政から描いた歴史小説。
  • 江宮隆之『浅井長政 信長を追いつめた義弟』三代家光の外祖父、明正天皇の曽祖父として、その血脈が将軍家と天皇家に受け継がれた男の29年の壮絶な生涯を描く歴史小説。
  • 徳永真一郎『浅井長政』光文社文庫。亮政-久政-長政と三代続いた浅井家の興亡を描いた長編歴史小説。
  • 近衛龍春『浅井長政とお市の方』PHP文庫。三女・お江を通じて徳川の治世にまで受け継がれた「浅井と織田」の気概を、膨大な資料をもとに描いた渾身の大作。
  • 井の中の井守『信長の妹が俺の嫁』男子高校生がある日突然浅井長政に転生するライトノベル
楽曲
ゲーム
アニメ
漫画 『信長の妹が俺の嫁』

同名のライトノベルのコミカライズ

浅井長政が登場した関連作品


注釈

  1. ^ 正室のお市との間の子とされるが、平井定武の娘が生母ともいわれている。
  2. ^ 『浅井氏家譜大成』を根拠として、一説に娘の茶々は正室のお市が嫁ぐ前に生まれたともいわれ、長政の実子ではないという説がある。
  3. ^ 『浅井氏家譜大成』によれば「喜八郎長春」
  4. ^ 『浅井氏家譜大成』によれば「円寿丸政治」
  5. ^ 名字および所領地名の「浅井」の読みは、以前は「あさい」が一般的であったが、現在は「あい」が正しいとされている。ただ、やはり「あさい」が正しいという学説もある[1]
  6. ^ 和田惟政三雲定持に宛てた書状に「浅井備前守と信長の縁辺(婚姻)、入眼候…」とあることから、近江国矢島の和田惟政の元にいた覚慶(足利義昭)が、上洛を目指すために織田と浅井の婚姻を結ばせたとする[9]。また、三雲が六角氏の家臣であることから、婚姻の主導者を当時義昭の支援者であり浅井長政とは停戦状態にあった六角義賢であったとする説もある[10]
  7. ^ 市は天文16年(1541年)出生とされ、永禄年間の終わり頃の婚姻では初婚としては遅い20代前半にあたることから市の出生年代や婚姻時期が誤りか、初婚でない可能性も考えられており、北近江をめぐる地域情勢から婚姻を永禄4年段階とする説や[11]、永禄2年6月以降遅くとも永禄6年を下らない時期とする説[12]もある。
  8. ^ 『安芸毛利元就宛覚書』(毛利家文書)に「浅井備前守別心易色之由、帰洛之途中へ告来候」とあることを根拠に浅井氏挙兵は凱旋途中にその報を受けたとする[9]
  9. ^ 当時、義昭と信長に両属する立場にあった明智光秀は同僚の細川藤孝に対して、浅井の動向を警戒する書状を送っている(「三宅家文書」)。
  10. ^ 実際は周辺の調略、自軍の補給、気候条件、信玄自身の体調などの問題があり、進軍不可能であった。
  11. ^ 一部文献では、信長の久政・長政や朝倉氏に対する怒り・恨みの根強さを象徴したエピソードのように綴られているが、実際は敵将への敬意の念があったことを表したもので、改年にあたり今生と後生を合わせた清めの場で三将の菩提を弔い新たな出発を期したものである、とする説がある[21]
  12. ^ ルイス・フロイスによると織田信長は酒を飲まなかったという。
  13. ^ 一説に浅井久政の娘ともいわれるが、『系図纂要』には浅井亮政の娘(久政の妹で養女)と記載されているため、後者の説が有力とされる。

出典

  1. ^ 宮島 2008.
  2. ^ 上田正昭津田秀夫永原慶二藤井松一藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 21頁。
  3. ^ a b c d e f 長谷川裕子「浅井長政と朝倉義景」樋口州男 他編『歴史の中の人物像―二人の日本史』【小径選書 4】小径社、2019年 ISBN 978-4905350101 P138-146.
  4. ^ 柴裕之『織田信長 戦国時代の正義を貫く』、平凡社〈中世から近世へ〉2020年 ISBN 9784582477474 Kindle版、位置No.全3884中 1419-1423 / 37%
  5. ^ 西ヶ谷恭弘『考証織田信長事典』東京堂出版、2000年、246-247頁。ISBN 4490105509 
  6. ^ 奥野高廣「織田信長と浅井長政の握手」『日本歴史』248号、1969年。 
  7. ^ 宮本義己「信長の婚姻大作戦」『歴史読本』31巻16号、1986年。 
  8. ^ 『浅井三代記』
  9. ^ a b 高澤等『新・信長公記』ブイツーソリューション、2011年。 
  10. ^ 久保尚文「和田惟政関係文書について」『京都市歴史資料館紀要』創刊号、1984年。 /所収:久野雅司 編『足利義昭』戒光祥出版〈シリーズ・室町幕府の研究 第二巻〉、2015年。ISBN 978-4-86403-162-2 
  11. ^ 太田浩司「北近江の戦国史」『戦国大名浅井氏と北近江-浅井三代から三姉妹へ-』、長浜市長浜城歴史博物館、2008年。
  12. ^ 宮島 2008, p. 177.
  13. ^ 黒田惟信編『東浅井郡志』、東浅井郡教育会、1927年のちに1971年に名著出版から復刻。
  14. ^ 佐藤 2000, p. 37.
  15. ^ 宮島 2008, pp. 163–164.
  16. ^ 佐藤 2000, pp. 37–38.
  17. ^ 太田浩司「浅井長政と姉川合戦: その繁栄と滅亡への軌跡」サンライズ出版、2011年
  18. ^ 久野雅司「織田信長と足利義昭の軍事的関係について」(初出:『白山史学』第53号/所収:久野『織田信長政権の権力構造』(戎光祥出版、2019年) ISBN 978-4-86403-326-8) 2019年、P137-140.
  19. ^ 荻野三七彦「浅井長政最期の感状」、『古文書研究』31号、1989年。
  20. ^ 小笠原長和「浅井長政の感状と主従関係」、『千葉史学』37号、2000年。
  21. ^ 宮本義己『誰も知らなかった江』毎日コミュニケーションズ、2010年、61-62頁。 
  22. ^ 近藤瓶城 編『国立国会図書館デジタルコレクション 通記第二十七 淺井三代記』 第6、近藤出版部〈史籍集覧〉、1919年、277頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3431173/144 国立国会図書館デジタルコレクション 
  23. ^ 村川浩平「天正・文禄・慶長期、武家叙任と豊臣姓下賜」、『駒沢史学』80号。


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