楊貴妃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/01 03:24 UTC 版)
楊 貴妃(よう きひ、ヤン・グイフェイ)は、中国唐代の皇妃。姓は楊、名は玉環。貴妃は皇妃としての順位を表す称号。玄宗皇帝の寵姫。玄宗皇帝が寵愛しすぎたために安史の乱を引き起こしたと伝えられたため、傾国の美女と呼ばれている。世界三大美人の一人で古代中国四大美人(西施・王昭君・貂蝉・楊貴妃)の一人とされている。壁画等の類推から、当時の美女の基準からして実際は豊満な女性だった。また、才知があり琵琶を始めとした音楽や舞踊に多大な才能を有していたことでも知られている。
- ^ 竹村則行「<紀要論文>「長恨歌」から『長生殿』に至る楊貴妃故事の変遷(上)」『中国文学論集』第24号、九州大学中国文学会、1995年12月、11-28頁、doi:10.15017/9668、ISSN 02863715、NAID 120000985317。 p.22-23 より
- ^ 村山『楊貴妃』30P、35-36P。
- ^ レイシ(ライチ、茘枝)への嗜好、歌舞楽曲へのすぐれた才能、出世に対する民間の反応などから、身分の低い妓女出身ではないかという推測もされている。
- ^ 楊貴妃は寿王妃ではなかったという説もあるが、『旧唐書』では寿王妃と明示されていないものの、『新唐書』『資治通鑑』では寿王妃としており、また『唐大詔令集』の「冊寿王楊妃文」でも開元23年に叔父の楊玄璬の長女として冊立されているため、寿王妃であった可能性は高いと思われる。
- ^ 唐代の小説である『周秦行記』によれば、腰は細い(繊腰)とされている。
- ^ 西田禎元「『源氏物語』における中国の美人たち」『創大アジア研究』第12号、創価大学アジア研究所、1991年3月、75-86頁、ISSN 0388-7030、NAID 110007148106、2022年2月21日閲覧。 p.82 より
- ^ 場所にもよるが、大体1300キロから1800キロほど。余談だが、東京駅から博多駅までの距離は1175キロである。
- ^ 王仁裕. “開元天宝遺事”. 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ. 2020年1月1日閲覧。
- ^ a b “中国の伝統的なキャミソール「肚兜」 中国茶・中国茶器など厳選した銘品・珍品・貴重品の通販”. e-神. 2020年1月1日閲覧。
- ^ 『観光情報:楊貴妃伝説』長門市 。
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