森脇浩司
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/02/19 07:43 UTC 版)
| オリックス・バファローズ 監督 #88 | |
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2012年6月29日 京セラドーム大阪
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 兵庫県多可郡黒田庄町(現:西脇市) |
| 生年月日 | 1960年8月6日(52歳) |
| 身長 体重 |
177 cm 73 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 二塁手、遊撃手、三塁手 |
| プロ入り | 1978年 ドラフト2位 |
| 初出場 | 1981年4月15日 |
| 最終出場 | 1995年6月4日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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選手歴
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監督・コーチ歴
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この表について
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2012年はオリックス・バファローズのチーフ野手兼内野守備走塁コーチを務め、シーズン途中から監督代行。同年シーズン終了後、同チームの監督に就任。
目次 |
来歴・人物
現役時代
1978年のドラフト2位で近鉄バファローズに入団。1984年に加藤英司・大原徹也との2対2の交換トレードで福井保夫とともに広島東洋カープに移籍。その後、1987年シーズン途中に永田利則とともに西山秀二(+金銭)との交換トレードで南海ホークスに移籍。
当時、南海の遊撃手のポジションでは小川史、中尾明生、湯上谷宏、坂口千仙など何人もの似たタイプの選手がレギュラー争いをしており、遊撃・二塁に加えて香川伸行のコンバートが芳しくなかった三塁を守るなど、安定した守備力でユーティリティプレイヤーとして活躍した 1990年頃から藤本博史・湯上谷・小川との4人(4人とも名前読みが『ひろし』)で内野を守ることがたびたびあった。1994年に松永浩美の入団で出場機会が減り、1996年限りで現役を引退した。
その端正な顔立ちで、広島二軍時代から一部で非常に人気が高かった。「球界の草刈正雄」と呼ばれ[1]、漫画家の真柴ひろみは、自作の登場人物に「森脇浩司」と名付けたこともある。現役時代の応援コールには「森脇、森脇、男前!」というものもあった。ホークスの監督代行を務めていた時期にメディアへの露出が増えたことから、再びそのマスクが注目を集めている。
引退後
1997年からはホークスの内野守備走塁コーチ(1997年から1999年は二軍コーチ、2000年から2002年、2005年から2006年は一軍内野守備走塁コーチ(2006年はチーフコーチ兼任)、2003年から2004年は二軍監督兼内野守備走塁コーチ)を務めた。ノックの技術があり、あるテレビ番組のコーナーで「ここ(通常の右打席)から打って三塁線のフェアーの打球を3バウンドさせ外野フェンスの○△×□社の広告の“×”の文字に当てて下さい」と注文された森脇は、いとも簡単に言われた通りのノックを披露してみせた。
2006年のシーズン開幕前に監督の王貞治がWBC代表監督としてチームを離れていた間、オープン戦の指揮を執った。また同年7月6日からは王の胃癌手術に伴う休養のため、ソフトバンクの監督代行を務めた。リーグ優勝を逃したことについて、「残念」「罪の意識すらある」と語った。監督代行(チーフコーチ)兼内野守備走塁コーチであったため、王の監督休養後も攻撃時には三塁コーチボックスに立ち指揮していた。南海ホークスの選手だったこともあり、森脇が審判に抗議している時などは、南海時代のヒッティングマーチなどが演奏されていた。
2007年、2008年は秋山幸二の総合コーチ就任に伴い内野守備走塁コーチに専念。2009年は監督に昇格した秋山の下でヘッド兼内野守備走塁コーチを務めたが、11月24日に「組織の活性化」を理由に大石大二郎と入れ替わる形で解任された[2][3][4]。秋季キャンプでも指導し、秋山とも翌シーズンの話をしていたさなかの解任に対し、森脇は「今回の例は自分で最後にしてもらいたい」と発言した[3]。
2010年からはJ SPORTS、NHK福岡放送局(本数契約)、ラジオ日本(本数契約)の野球解説者を務め、2月8日からソフトバンクの編成アドバイザーとして契約を結んだ[5]。
2011年は読売ジャイアンツの二軍内野守備走塁コーチに就任したが[6]、1年限りで退団。
2012年からはオリックス・バファローズのチーフ野手兼内野守備走塁コーチを務める[7]。チームの最下位確定後の9月25日、岡田彰布監督の休養に伴い、同日から10月8日の最終戦まで監督代行として9試合指揮を執り、7勝2敗の好成績を残した。
監督就任
2012年10月8日、オリックス新監督就任を発表[8]。二軍監督ならびに一軍の監督代行として指揮を執ったことはあっても、正式に一軍の監督となるのは今回が初めて。同日のソフトバンクとの今季最終戦(ヤフードーム)後に監督就任の記者会見を行った[9]。会見の席では「悔しい思いを二度と味わわない。そして何よりもファンの方にも味わわす訳にはいかないという気持ちを一つに纏め、プロフェッショナルな意識を持っていきたい」と意気込みを語った。
人間関係
- 広島時代のチームメイトだった津田恒実とは無二の親友であった。津田が脳腫瘍に冒されて現役を引退し、晩年に福岡市内の病院で闘病生活に当たっていた時には、積極的に周辺の世話を行っていた。津田に対して「俺の年俸を半分にしてでも、お前を現役復帰できるように球団に掛け合ってやる」と言っていたほどである。また、1993年に結婚し披露宴を挙げた際には、他界した津田の席も用意してキャンドルサービスを行い、同席していた金石昭人・清川栄治ら友人たちの涙を誘った。
- 2000年に放送された、津田の生涯を綴ったドラマ「最後のストライク」では、森脇役を石黒賢が演じた。
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- ^ 週刊ベースボール2012年11月5日号 P33
- ^ 森脇 浩司ヘッドコーチの退団について
- ^ a b “何があったソフトバンク 指揮官戸惑い 愛弟子は号泣”. スポニチ (2009年11月26日). 2009年11月26日閲覧。
- ^ “あり得ない…ソフトバンク大揺れヘッド入れ替え人事”. スポニチ (2009年11月26日). 2009年11月26日閲覧。
- ^ 編成アドバイザー契約のお知らせ
- ^ “森脇浩司、清水崇行、小関竜也の3氏が二軍コーチに就任”. 読売ジャイアンツ (2010年10月26日). 2011年11月12日閲覧。
- ^ “【オリックス】森脇コーチの就任を発表”. 日刊スポーツ (2011年11月12日). 2011年11月12日閲覧。
- ^ [1]2012年10月8日 オリックス・バファローズ オフィシャルサイト
- ^ オリックス・バファローズ新監督就任記者会見の模様2012年10月8日 オリックス・バファローズ オフィシャルサイト
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