松田聖子 記録

松田聖子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 16:31 UTC 版)

記録

シングル

  • 首位獲得数:25作(歴代6位・女性アーティスト単独2位)
    • 12枚目のシングル「秘密の花園」でピンク・レディーの1位獲得数9枚を抜いて単独首位獲得数1位を記録する。首位獲得数25作まで記録を伸ばすが2000年10月にB'zに抜かれるまで(1983年2月〜2000年10月)の約17年8か月間首位獲得数1位を保持していた。
    • 女性アーティスト・ソロ部門では2006年3月に浜崎あゆみに抜かれるまで(1983年2月〜2006年3月)の23年1か月間首位獲得数1位を保持していた。
    • 厳密には「ガラスの林檎/SWEET MEMORIES」が「ガラスの林檎」で首位を取り、AB面入替え・ジャケット変更した「SWEET MEMORIES」で首位を取ったため、首位獲得「曲数」では26曲である。
  • 首位連続獲得数:24作(歴代7位・女性アーティスト単独2位)
    • 3作目の「風は秋色/Eighteen」〜26作目の「旅立ちはフリージア」(1980年10月〜1988年9月)まで首位1位獲得数を保持し、上記に続いて12枚目のシングル「秘密の花園」でピンク・レディーの首位連続数9作を抜いて首位連続最高数単独1位を記録保持する。2000年7月にB'zに抜かれるまで(1983年2月〜2000年7月)の約17年5か月間首位連続最高数1位を保持していた。
    • 女性アーティト・ソロ部門では2010年10月に浜崎あゆみに抜かれるまで(1983年2月〜2010年10月)の27年8か月間首位連続獲得数1位を保持していた。
    • 上記同様、厳密には「ガラスの林檎/SWEET MEMORIES」が「ガラスの林檎」、「SWEET MEMORIES」で首位を取ったため、連続首位獲得「曲数」では25曲である。
  • 月間チャート首位獲得曲:15作(歴代3位・ソロ1位)
  • 月間チャート1位月数:17月(歴代2位・ソロ1位)
  • 月間チャート1位最高連続獲得数:4作(計3回、歴代7位タイ・ソロでは単独3位)
  • 同曲による首位2週以上獲得数:14作(歴代1位)
  • オリコン首位獲得週数:50週(歴代4位・ソロでは単独2位)
  • オリコンシングル同作による首位返り咲き最長週数:11週(「ガラスの林檎/SWEET MEMORIES」・1983年8月15日付〜10月31日付)(歴代3位・ソロ1位、再発売の曲も含めると:歴代4位・ソロ2位)
  • オリコン首位・2位同時獲得:(「瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ」・「ガラスの林檎/SWEET MEMORIES」・1983年11月7日付)(藤圭子に次いで2人目)
  • オリコン首位返り咲き作品数:3作「ガラスの林檎/SWEET MEMORIES」・「瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ」・「Strawberry Time」(歴代1位タイ)
  • ベスト10位以内獲得数:33作
  • ミリオンセラー獲得数:1作
  • シングル総売上枚数;1543.9万枚(歴代14位・女性アーティスト単独5位)
    • 19作目の「ハートのイアリング」で、史上8人目(ソロでは7人目)、女性アーティストでは3人目のシングル総売上枚数1000万枚を達成。デビューからの4年8か月での達成当時は、ピンク・レディーに次いでの当時2番目の早さ。
    • 34作目の「大切なあなた」で沢田研二の総売上最多枚数を抜き総売上枚数単独1位になり、(1993年5月〜1994年8月)まで総売上最多枚数記録を保持していた。CHAGE and ASKAの37作目のシングル「HEART/NATURAL/On Your Mark」で総売り上げ最多枚数記録を抜かれた。
    • 53作目の「True Love Story/さよならのKISSを忘れない」でシングル総売上枚数1500万枚を達成。史上8人目で女性アーティスト・ソロでは2人目の快挙であった。
    • 日本人でアメリカのBillboard Hot 100にチャートインしたアーティストとしては3番目の順位である。「Right Combination」が最高位54位(1963年-坂本九「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」1位、1979年-ピンク・レディー「Kiss in The Dark」37位)。

アルバム

  • 首位獲得数:19作(歴代4位・女性アーティスト単独3位)
  • ベスト10位以内獲得数:50作(2017.06)(歴代2位・女性アーティスト1位タイ)
  • ベスト100位以内同時チャートイン作数:13作(歴代3位タイ・日本人歴代1位タイ・女性アーティスト単独1位)
  • 8年間首位獲得(歴代5位・女性アーティスト3位タイ)
  • アルバム総売上枚数1356.9万枚

ザ・ベストテンでの記録

  • 1位となった回数:44回(3位)
  • 1位となった曲数:15曲(2位)
  • 1位となった連続最高週数:「瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ」(1983年11月24日放送〜1984年1月12日放送)の8週で4位タイ
  • ベストテン入りした回数:218回(3位)
  • ベストテン入りした曲数:25曲(3位)
  • 1位となった年内最高獲得数:13回(1983年度による6位タイ)
  • 史上初の200回ランキング(1985年7月4日)※それを後に田原俊彦が達成し、通算回数も聖子を抜き『最多出演』のソファをゲット

その他の記録

  • アルバム・シングル総合売り上げ:2953万枚(歴代13位・女性ソロアーティスト5位)(2012年)
  • 日本武道館コンサート回数:121回(歴代2位・女性1位)(2022年9月3日現在)。2022年9月2日の公演で1982年12月25日の初公演以来120公演を達成した。
  • オリコンの年間アーティスト・トータル・セールス首位を獲得した(1984年)
  • 紅白歌合戦の大トリを2年連続(2014年〜2015年)でつとめる(紅組では美空ひばり八代亜紀以来史上3人目)。
  • オリコンアルバム通算トップ10入り獲得作品数:53作 (歴代2位・女性アーティスト1位タイ) [59]

注釈

  1. ^ ただし聖子に対する「ポスト山口百恵」という表現はマスコミが行っているだけであり、本人もプロデューサーの若松もそのような考えは念頭になかったことを著書「松田聖子の誕生」で明らかにしている。そもそもレコード会社は同じCBS・ソニーであったが、百恵は企画制作2部の酒井政利が担当し、聖子は企画制作6部の若松が担当していた。
  2. ^ Precious Heart』リリース時点。
  3. ^ 神田正輝との結婚披露宴の際に身に付けていた緞子織りの白無垢に左三巴紋が記されていた事がテレビでも放送された。
  4. ^ 尾木プロは1980年に浜田朱里をデビューさせる予定があったため。奇しくも松田聖子と浜田朱里は堀越時代の同級生であり、親友でもある。
  5. ^ 後に郷は「会見する事も知らなかった。あんなセリフも言っていない。僕が生まれ変わって虫だったらどうする気だろう?」とジョークを交じえて否定したという[26]
  6. ^ うたばん』で聖子の大ファンだという米良美一と共演。2008年3月10日放送の『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』で聖子の大ファンだという中川翔子と共演。2008年11月10日放送の『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』で聖子の大ファンだというはるな愛と共演。
  7. ^ 逮捕された男は沖縄の地元民ではなく、埼玉県入間市(旧高麗郡)に住むファンを名乗る19歳の少年であった。ノイローゼを患っており埼玉県の精神病院に入院していた精神病患者でもあった。2日前の26日に外泊許可を取得し、前日の27日に家族と一緒に買い物に東京に来ていたが、その最中に行方をくらまし、手持ちの小遣い35,000円で航空券を購入して沖縄へ飛ぶ。その後、凶器となった陳列ケース棚を留めるスチール製の金具を購入した。犯行動機については「有名人である松田聖子を殴る事で自分も有名になりたかった」と供述しており、聖子にとってはいわれなき災難であった コンサート中 暴漢に襲われた松田聖子 日刊ゲンダイDIGITAL、2023年3月30日閲覧
  8. ^ フジテレビ系列だが、ザ・トップテンの放送及び中継に参加していた。
  9. ^ 当該のセリフは本放送のみで、映像作品ではカットされている。
  10. ^ 松田聖子のプロデュサーであった若松宗雄の著書「松田聖子の誕生」では若松とデビュー前の聖子が話をしていた乃木坂の小さな喫茶店でほぼ必ず馬場が寛いでいたことが記されており、実際には聖子の顔を知っていた可能性がある。
  11. ^ 同作の「松田聖子」は中華料理店「幸楽」の従業員。聖子はドラマ中盤で結婚して苗字が変わったため、その後の役名は「田島聖子」になっている
  12. ^ 山下達郎のカバー曲、原曲は英語詞だが、松田が日本語詞を提供している。

出典

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  19. ^ 玉鶴姫の意地。詳しくは「蒲池氏#子孫たち(大木喬任、広津和郎、宇都宮徳馬、松田聖子他)」を参照
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