松浦郡 松浦郡の概要

松浦郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/10 01:13 UTC 版)

長崎県松浦郡の位置

郡域

概ね現在の下記の区域にあたるが、行政区画として画定されたものではない。肥前国で最大の面積を持つ郡であった。

歴史

古代

魏志倭人伝』に見える「末廬国」は松浦のことと考えられており、現在の唐津市付近と想定されている。

郡衙は現在の唐津市内に置かれていたと推定されている。

日本三代実録貞観18年3月9日条(876年)には、当時の大宰権帥在原行平の建言により庇羅郷・値賀郷を分けて値嘉島(ちかのしま)を設置し、島内に上近郡(かみつちかのこおり)と下近郡(しもつちかのこおり)を置くことを認めたとの記録がある。現在の平戸島及び五島列島とその近辺の島を区域とし、島府と上近郡家が平戸に、下近郡家が五島列島内にいずれかに置かれたと推定されている。記事から半世紀足らずの10世紀始めに編纂された「延喜式」には値嘉島の記載はなく、それまでに値嘉島は廃され肥前国松浦郡に復したものとみられる。[1]

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
松浦郡 2座(大1座・小1座)
田島坐神社 タシマノ- 名神大 田島神社 佐賀県唐津市呼子町加部島 [1]
志志伎神社 シシキノ 志々伎神社 長崎県平戸市野子町
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近世以降の沿革

所属町村の変遷は東松浦郡#郡発足までの沿革西松浦郡#郡発足までの沿革北松浦郡#郡発足までの沿革南松浦郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照

脚注


  1. ^ 「図説長崎県の歴史」外山幹夫責任編集、河出書房新社刊(1996年)
  2. ^ 明治初年の町村の再編により、町村数の合計は「旧高旧領取調帳」の記載とは一致しない。


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