松岡修造 選手経歴(1986年〜)

松岡修造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/14 02:17 UTC 版)

選手経歴(1986年〜)

1986年-

ブレットの言葉を受けてプロにはなったものの、父からはプロ転向に際し一切の援助は行わないと条件を付けられていたため、松岡はまず金銭の工面に苦労する事となった。幸い一ヶ月ほどでとあるマネージメント会社と契約を結ぶことができ、一年300万円の活動資金を与えられた。松岡にとってこの契約は大変な助けとなったが、それでも航空費などの移動費や宿泊費も全てこの予算から捻出せねばならなかったため、当初は貧窮に堪えながら世界中を転戦した[36](予算を切り詰めるため、宿泊するのは3流以下の安モーテルの一室であり、さらにその部屋を知り合った外国人選手と折半してシェアした上で、ランキングが下の松岡はいつも汚い床の上で寝た。酷いときには食事にも困ったため、ホテルの朝食に出たクロワッサンを隣のテーブルから盗んで食べたこともあったという[36][37])。

また、アジアからやって来た無名の選手でしか無かった松岡には、練習相手さえおらず、既に自分達の仲間内でライバルを持ち、練習相手にも事欠かない各国の選手たちにとって、ルーキーとの練習など得る物は無く、誰も相手にはしなかった。しかし、松岡は、強くなりたい一心で、空いてるコートを見つければ、他の選手が来るまで黙々と練習を続け、一人で壁打ちをしている選手を見かければ、良ければ自分の練習相手になってくれないかと必死の思いで頭を下げて願い出た。この願いは、何度も断られ、時には侮蔑の目で拒絶されることすらあった。しかし、それでもたまたま練習の同意を得たときは、松岡は、「お前のお陰で本番前の良い練習になったよ」と思われたいがために、いつも150%の力を出して練習に臨み、その質の高い練習が次第に周囲の評判となり、練習相手として受け入れられていった。それがまた自身の練習にもなり、レベルも知らず知らずのうちに上がっていったのである[38]

1988年 世界ランク100位入り

このようなツアー下部大会を中心に転戦する生活は、2年ほど続き、更にこの間コーチのブレットが当時世界ランク2位のボリス・ベッカー西ドイツ)のコーチとなるため松岡から離れ、新たなコーチとして同じホップマン・キャンプのコーチであったロッド・フェルナンデスと契約[39]1988年頃から本格的にツアーレベルの大会に出場するようになり、1月の全豪オープンで予選を勝ち上がりグランドスラムシングルス初出場を果たすと[40]、ノーシードで出場した4月のサントリー・ジャパン・オープンでは、1回戦で主催者推薦の土橋登志久を6-2, 6-3のストレートで、2回戦でジョナサン・キャンター英語版を6-2, 6-4のストレートで、3回戦では当時世界7位の大会第2シードミロスラフ・メチージュを7-6, 6-3のストレートで破る番狂わせを起こし、自身初のツアーシングルスベスト8に進出。続く準々決勝では第7シードのジョン・マッケンローに敗れたものの、スコアは6-7, 6-7のストレートと予想以上に善戦し[41]、大会当時271位だった松岡のランキングは、一気に149位まで上昇した[42]。これで自信を付けた松岡は、さらにノーシードで本戦から出場した8月の全米オープンの1回戦で、サイモン・ユール英語版を3-6, 6-4, 6-3, 6-2で破り、グランドスラムシングルス初勝利を挙げると、続いて出場した9月のソウルオリンピックアジア予選ではジーシャン・アリ英語版シャハー・ペルキス英語版ら当時のアジア強豪選手を次々とストレートで破り、オリンピック初出場を果たす[43]

10月第1週のクイーンズランド・オープンでは1回戦でピーター・ドゥーハン英語版を6-4, 6-4のストレートで、2回戦で日系カナダ人グレン・ミチバタを6-4, 6-7, 7-6のフルセットで、準々決勝でジェイソン・ストルテンバーグを6-3, 6-4のストレートで破り、当時世界ランク9位の大会第1シードティム・メイヨットとの準決勝まで進出し[44]、10月第2週のスワン・プレミアム・オープン英語版では1回戦で当時世界ランク62位の大会第8シードジョーイ・ライヴ英語版を4-6, 7-6, 6-3のフルセットで、2回戦でマーク・クラッツマン英語版を6-1, 7-6のストレートでそれぞれ破り、当時世界ランク21位の大会第2シードアンドレス・ゴメスとの準々決勝まで進出[45]

主催者推薦で出場した10月第3週のセイコー・スーパー・テニスでは、1回戦で当時世界ランク26位のダレン・ケーヒルを7-6, 6-1のストレートで、2回戦でマーティン・デイヴィス英語版を7-5, 7-6のストレートで破り、リチャード・マトシェウスキ英語版との準々決勝まで進出するなど、3週連続で好成績を収めた[46]。2番目のコーチであったフェルナンデスとは今一つ相性が悪く、シーズン中新たにブレッドから紹介されたアルバロ・ベッタンコにコーチを変更するといった環境の変化もあったものの[47]、これらの活躍によりシングルスランキングも年初の252位から年度末には82位と大幅に上昇、日本人選手としては1976年に76位でシーズンを終えた九鬼潤以来12年振りの年間トップ100入りを果たし、JTAランキングにおいても1981年から7年連続で年間1位の座を保持してきた福井烈を抜き日本人選手トップに立った。当初ブレッドと話していた「5年で100位内に入れれば上出来」という目標を大幅に短縮し僅か3年でトップ100入りを果たした松岡は、こうして「世界に通用する日本人プレイヤー」として一躍注目を浴びるようになったのである[6][48]

1989年 ATP初タイトル

1989年は大会第4シードで出場した年初のBP国際選手権英語版1回戦でフランク・デンハルト英語版を6-2, 6-1のストレートで、2回戦で予選から勝ち上がってきたデビッド・ウィートンを7-6, 7-6のストレートで、準々決勝で第5シードのトビアス・スヴァントソン英語版を6-4, 6-4のストレートで、準決勝で第7シードのグレン・ミチバタを6-0, 6-3のストレートでそれぞれ下し決勝に進出。決勝では第2シードのケリー・エヴァーンデン英語版と対戦し5-7, 1-6, 4-6のストレートで敗れたが[注 2]、日本人選手として1976年4月にパルマ・デ・マヨルカ大会で準優勝した九鬼潤以来13年振り、自身初となるツアーシングルス準優勝を果たす[49]。翌週のハイネケン・オープンではスティーブ・ガイ英語版と組んで出場したダブルスでは決勝でジョン・レッツ英語版/ブルース・マンソンヒン英語版組を7-6, 7-6で倒しATPツアー初優勝をする等引き続き好成績を収めていった。しかし両膝の半月板を損傷するという故障に見舞われ、3月のマイアミ・マスターズ2回戦敗退を最後にツアーの一時離脱を余儀なくされる。

1990年 怪我との闘い

その後2度に渡る手術からリハビリの末7月のメルセデス・カップで復帰するも、その後は多くの試合に出られず、出場した大会も全て1回戦負けという成績で年度末ランキングを181位にまで落としてしまう。更に1990年のセイコースーパーテニスでは転倒した際に左足首の3本の靭帯全てを断裂するという大怪我を負い選手生命さえ危ぶまれたがこれも諦めずリハビリを続け、1991年にはツアー復帰。

1991年 復帰

怪我明けながらこの年は好調で、2月のアメリカーナのチャレンジャー大会で優勝。7月のカナダ・マスターズ3回戦では当時世界ランク9位の第4シードピート・サンプラスを2-6, 6-4, 7-6(8)のフルセットで下し、アンドレイ・チェスノコフとの準々決勝まで進出、完全復活を印象付けた。

1992年- ATPシングルス初タイトル 日本男子シングルス最高位

1992年には4月のソウル・オープン英語版決勝で、トッド・ウッドブリッジを6-3、4-6、7-5のフルセットで下し、日本の男子選手として初のATPツアーシングルス優勝を達成。同年6月のクイーンズ・クラブ選手権では2回戦でマラビーヤ・ワシントンを4-6, 7-5, 6-3の逆転で、3回戦で第5シードのゴラン・イワニセビッチを6-4, 6-3でそれぞれ下すと、準決勝では当時世界ランク2位のステファン・エドベリと対戦。これを1-6, 7-6(6), 10-8の接戦で制す番狂わせを演じ、ウェイン・フェレイラとの決勝戦に進出。決勝ではフェレイラに3-6, 4-6のストレートで敗れ準優勝に終わったが、この活躍により翌週のATPシングルスランキングで自己最高の46位を記録した。この順位は2011年10月17日に錦織圭が更新するまで日本の男子選手が記録したシングルス最高位であった。しかし、同年末に伝染性単核球症に罹患し、またも長期の入院生活を余儀なくされる。

1995年 ウィンブルドンベスト8へ

その後、世界ランキング100位の壁を突破できずに苦しむが、1995年ウィンブルドン選手権では、出場者に欠員が出たことにより、当初予選からの挑戦予定だった松岡に、本戦出場資格が回ってくる。この大会が、松岡のハイライトとなった。

1回戦でカレル・ノバチェクに24ものサービスエースを奪われながらも、6-4, 6-7(5), 3-6, 6-3, 6-4で粘り勝ちを収めた。また、3回戦のハビエル・フラナ英語版戦も、7-6(3), 3-6, 6-7(6), 7-6(4), 6-3のフルセット、3時間45分の大接戦を制した。さらに、4回戦ではマイケル・ジョイス英語版を6-3, 6-2, 6-4で破り、日本人の男子テニス選手として1933年佐藤次郎以来62年ぶりのベスト8入りを果たす(晴れてラストエイトクラブのメンバとなる)。その時の松岡の感動の大きさは、コートを駆け回り、最後はコート上で大の字になって空を仰いで表現していたことからもうかがえる。その準々決勝では、1番コートに立ち、大会第2シード、当時世界ランク2位のピート・サンプラス相手に第1セットを先取するも7-6(5), 3-6, 4-6, 2-6のスコアで惜敗した(念願だったセンターコートでの試合は1996年2回戦、ミヒャエル・シュティヒ戦で実現する)。オリンピックにもソウル五輪バルセロナ五輪アトランタ五輪と3大会連続出場を果たした。

1998年- 引退とその後

1998年2月に元テレビ東京アナウンサー田口惠美子と結婚し、程なくして30歳という若さで現役を引退した。引退会見では、引退という言葉は使わず「卒業」という表現にこだわった[50]。その後はジャパン・オープン・テニス選手権のトーナメントアドバイザーとして大会運営に携わる他、後継者育成のための指導を行っている。またスポーツコメンテーターとしても活動しており、日本テレビの『スポーツMAX』(2004年3月まで放送、月曜日)に出演。

テレビ朝日等の1998年長野オリンピック2002年ソルトレークシティオリンピックアテネオリンピックといった国際スポーツ大会の解説にも参加。2004年1月〜3月に『エースをねらえ!』が実写ドラマになった時は、出演者のテニス監修を担当。番組の最終回には、実況解説者として出演を果たしている。

フジテレビの『くいしん坊!万才』のレポーター、2004年4月からはテレビ朝日の『報道ステーション』でもスポーツキャスターを務めている。また、たびたびTBSの『さんまのSUPERからくりTV』にも出演し、同番組内で明石家さんまと対決。現役テニス選手時代と少しも変わらない熱血ぶりを、テレビ解説を含む引退後の仕事でも披露している。近時はその好感度からイメージキャラクターとしての人気が際立って高く、2008年のCM起用ランキングでは木村拓哉と並ぶ男性1位(10社)に輝いた(ニホンモニター調べ)。

2012年3月、日本テニス協会強化副本部長に就任。


注釈

  1. ^ 松岡自身も後年に至るまで自身のテニスにおける素質の無さを自認しており、むしろテニスに関して自分よりも遥かに世界に通用する素質を有していたのは兄のほうであったと述懐している[12]
  2. ^ 当時の国際ツアーであったグランプリサーキット英語版では、一部の高額賞金大会や現在のATPワールドツアー・マスターズ1000に該当する大規模大会の決勝戦のみ5セットマッチで争われた
  3. ^ 平成元年に大阪商船三井船舶と合併[78]

出典

  1. ^ 松岡 修造”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2017年3月23日閲覧。
  2. ^ 公益財団法人日本テニス協会平成27〜28年度組織図・業務分担図 (PDF)
  3. ^ 役員等名簿 公益財団法人 ミズノスポーツ振興財団
  4. ^ 歴代優勝者(男子)”. 全日本学生テニス連盟. 2013年6月2日閲覧。
  5. ^ 松岡、p.38
  6. ^ a b 過去の全日本ランキング”. 日本テニス協会 (2010年6月22日). 2013年6月2日閲覧。
  7. ^ 松岡、p.39
  8. ^ a b c トップインタビュー:松岡宏泰・東宝東和代表取締役社長”. 文化通信社 (2008年7月30日). 2013年6月16日閲覧。
  9. ^ a b 『別冊1億人の昭和史 タカラヅカ 華麗な舞台とスターを育てた70年』、毎日新聞社、1981年、P195最下段 ご無沙汰しています いま、私は…IIにおける母親・千波静の近況報告から
  10. ^ 松岡、p.86
  11. ^ 松岡、p.87
  12. ^ 松岡、p.88
  13. ^ 松岡、p.89
  14. ^ 松岡、p91
  15. ^ 松岡、p.92
  16. ^ 松岡、p.94
  17. ^ 松岡、p.95-96
  18. ^ 松岡、p.96-98
  19. ^ 松岡、p.100-101
  20. ^ 松岡、p.98-99,p.101
  21. ^ 松岡、p.101
  22. ^ 松岡、p.104-105
  23. ^ 松岡、p.105-106
  24. ^ International Junior Championships of France” (英語). ITF. 2013年6月2日閲覧。
  25. ^ The Junior Championships, Wimbledon” (英語). ITF. 2013年6月2日閲覧。
  26. ^ 松岡、p.106-107
  27. ^ 松岡、p.107-109
  28. ^ 松岡、p.110-111
  29. ^ 松岡、p.111-112
  30. ^ Japan Open Tennis Championships” (英語). ATP. 2013年6月2日閲覧。
  31. ^ 松岡、p.114-115
  32. ^ 松岡、p.115-116
  33. ^ 松岡、p.116-117
  34. ^ 松岡、p.118-119
  35. ^ 松岡、p.122-123
  36. ^ a b 松岡、p.120-121
  37. ^ 松岡、p.30
  38. ^ 松岡、p.29-p32
  39. ^ 松岡、p.168-p169
  40. ^ Australian Open” (英語). ATP. 2013年6月10日閲覧。
  41. ^ Japan Open Tennis Championships” (英語). ATP. 2013年6月10日閲覧。
  42. ^ ATP RANKINGS HISTORY” (英語). ATP. 2013年6月10日閲覧。
  43. ^ Player Profile - MATSUOKA, Shuzo (JPN)” (英語). ATP. 2013年6月10日閲覧。
  44. ^ Brisbane” (英語). ATP. 2013年6月10日閲覧。
  45. ^ Sydney Indoor” (英語). ATP. 2013年6月10日閲覧。
  46. ^ Tokyo Indoor” (英語). ATP. 2013年6月10日閲覧。
  47. ^ 松岡、p.169-p170
  48. ^ 松岡、p.128-p129
  49. ^ 松岡、p.132
  50. ^ (41)スポーツキャスターの松岡修造さん 「引退」とは終焉ではない”. msn産経ニュース (2011年10月22日). 2013年1月10日閲覧。
  51. ^ ATP. “RICOH ATP MatchFacts”. 2011年11月9日閲覧。
  52. ^ ATP. “RICOH ATP MatchFacts”. 2011年11月9日閲覧。
  53. ^ ATP. “RICOH ATP MatchFacts”. 2011年11月9日閲覧。
  54. ^ ATP. “SHUZO MATSUOKA”. 2011年11月9日閲覧。
  55. ^ a b c ATP. “SHUZO MATSUOKA”. 2013年6月10日閲覧。
  56. ^ ITF. “Shuzo MATSUOKA”. 2013年6月10日閲覧。
  57. ^ 松岡、p.75-76
  58. ^ ROBIN FINN (1995年8月29日). “U.S. OPEN '95; Matsuoka Crumples in Pain and Defaults” (英語). NYタイムズ. 2013年6月10日閲覧。
  59. ^ 松岡、p.48-53
  60. ^ Ruhi Batra (2008年4月13日). “Why tennis pros should thank Shuzo Matsuoka” (英語). ザ・タイムズ・オブ・インディア. 2013年6月9日閲覧。
  61. ^ a b TOM TEBBUTT (2010年1月17日). “New Cramping Rule Takes Aim at Gamesmanship” (英語). NYタイムズ. 2013年6月10日閲覧。
  62. ^ Tennis - ATP World Tour - Singles Rankings” (英語). ATP. 2013年6月7日閲覧。
  63. ^ Tennis - ATP World Tour - Singles Rankings” (英語). ATP. 2013年6月7日閲覧。
  64. ^ 週刊朝日 2001年8月3日号 ナンシー関の小耳にはさもう
  65. ^ ソチの松岡修造 カメラが止まると目が完全に死んでいる説
  66. ^ くいしん坊・松岡テロ現場で危機一髪 - ウェイバックマシン(2001年10月6日アーカイブ分)
  67. ^ テニスマガジン12月号, SHUZO Magazin 第72回 105頁上段 「こんなあなたに…」を素材にした動画について
  68. ^ 松岡修造の「熱い」MAD動画 「元気もらえる」とネットで人気 - J-CASTニュース、2009年10月26日。
  69. ^ a b “松岡修造“伝説”再び…リオが猛暑に 例年平均大幅上回る30度超”. デイリースポーツ. (2016年8月11日). https://www.daily.co.jp/gossip/2016/08/11/0009377935.shtml 2016年9月18日閲覧。 
  70. ^ “松岡修造が神対応 雨で試合開始遅れるも「臨時トークショー」開催”. 東スポWeb. (2016年9月18日). https://web.archive.org/web/20160918160207/http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/othersports/594549/ 2016年9月18日閲覧。 
  71. ^ “松岡修造氏、愛弟子“金星”に放心状態「ただ一人冷静なのが錦織圭」”. スポニチアネックス. (2016年9月8日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/09/08/kiji/K20160908013317670.html 2016年9月18日閲覧。 
  72. ^ 週刊現代2015年2月7日号より
  73. ^ [1],goo
  74. ^ 近代デジタルライブラリー - 現代有馬郡人物史14~15頁”. 三丹新報社. 2013年6月9日閲覧。
  75. ^ 神戸大学 電子図書館システム --一次情報表示--呉羽紡績創立”. 大阪朝日新聞 (1929年5月22日). 2013年6月9日閲覧。
  76. ^ a b c 広瀬、p.159
  77. ^ 神戸大学 電子図書館システム --一次情報表示--改革俎上の貴族院 (上)”. 中外商業新報 (1937年7月6日). 2013年6月9日閲覧。
  78. ^ 商船三井オーシャンエキスパート株式会社 会社沿革”. 商船三井. 2013年6月9日閲覧。
  79. ^ “テニス太郎:番組リニューアルで松岡修造の新コーナーなどスタート 季葉が公式サポーターに”. MANTANWEB. (2016年4月18日). https://mantan-web.jp/article/20160418dog00m200020000c.html 2016年4月20日閲覧。 
  80. ^ “松岡修造&寺川綾、テレビ朝日リオ五輪キャスター「その先には東京がある」”. ORICON STYLE. (2016年7月2日). https://www.oricon.co.jp/news/2074454/full/ 2016年7月4日閲覧。 
  81. ^ 松岡修造、『陸王』でドラマ初レギュラー「自分を変える覚悟はある」”. ORICON NEWS (2017年11月26日). 2017年11月26日閲覧。
  82. ^ 松岡修造「どこでもドアがほしい」 『映画ドラえもん』を熱烈応援”. ORICON NEWS (2013年2月2日). 2018年9月5日閲覧。
  83. ^ 松岡修造、アニメ声優デビュー 『クレヨンしんちゃん』との共通点とは?”. ORICON (2015年7月9日). 2015年7月9日閲覧。
  84. ^ 松岡修造のヒストリー”. オリコン. 2013年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月9日閲覧。
  85. ^ イメージキャラクター 会社情報 株式会社コナカ - 2015年11月22日閲覧。
  86. ^ 松岡修造のヒストリー”. オリコン. 2013年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月9日閲覧。
  87. ^ 松岡修造のヒストリー”. オリコン. 2013年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月9日閲覧。
  88. ^ 松岡修造のヒストリー”. オリコン. 2013年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月9日閲覧。
  89. ^ 松岡修造のヒストリー”. オリコン. 2013年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月9日閲覧。
  90. ^ a b c d 石川遼 選手 CMでもキング達成!〜 2009年タレントCM起用社数ランキング発表 〜”. ニホンモニター (2009年12月14日). 2013年6月9日閲覧。
  91. ^ a b c d 2008年間起用CM社数ランキング”. ニホンモニター (2008年12月12日). 2013年6月9日閲覧。
  92. ^ 松岡修造のヒストリー”. オリコン. 2013年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月9日閲覧。
  93. ^ 今夏よりギフト広告を一新、 新キャラクターに松岡修造さんを起用!!”. ニホンモニター. 2013年6月9日閲覧。
  94. ^ 松岡修造のヒストリー”. オリコン. 2013年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月9日閲覧。
  95. ^ あなたのWiiに明石家さんま&松岡修造のMiiがやってくる!”. ファミ通.com (2007年3月12日). 2013年6月9日閲覧。
  96. ^ 松岡修造のヒストリー”. オリコン. 2013年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月9日閲覧。
  97. ^ 松岡修造のヒストリー”. オリコン. 2013年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月9日閲覧。
  98. ^ CMキング&クイーン共に連覇!あのグループも大躍進!〜 ニホンモニター 2010タレントCM起用社数ランキング発表 〜”. ニホンモニター (2010年12月14日). 2013年6月9日閲覧。
  99. ^ SCEJ、PSP「みんなのテニス ポータブル」 松岡修造さんの熱血レッスンビデオが見られる「みんテニスクール」開設 ダブルス選手権「SHUZO OPEN DOUBLES」も開催決定”. Impress (2010年2月18日). 2013年6月9日閲覧。
  100. ^ 「アサヒ ダブルゼロ」新発売イベントで松岡修造が熱血PR!”. Walkerplus (2010年8月19日). 2013年6月9日閲覧。
  101. ^ 松岡修造を起用、Wii『みんなのリズム天国』TVCMオンエア”. インサイド (2011年7月7日). 2013年6月9日閲覧。
  102. ^ 松岡修造がトレーニングに夢中でベッキーに気付かない!?”. Walkerplus (2011年11月22日). 2013年6月9日閲覧。
  103. ^ ブラウン:「オーラルB」の新CMキャラに松岡修造起用 CM発表会で熱血PR”. 毎日新聞デジタル (2012年2月2日). 2013年6月9日閲覧。
  104. ^ ヤフオクのCMに松岡修造さん “修造だらけ”の特設ページも”. ITmedia (2012年2月14日). 2013年6月9日閲覧。
  105. ^ オリンピックを遊びつくせ!『マリオ&ソニック AT ロンドンオリンピック』TVCMに松岡修造さん起用”. インサイド (2012年2月16日). 2013年6月9日閲覧。
  106. ^ クレヨンしんちゃんと松岡修造が一緒にダンス 「ファブリーズ」新CMが話題”. アニメ!アニメ! (2013年4月30日). 2013年6月9日閲覧。
  107. ^ 任天堂、『マリオテニス オープン』TVCMに松岡修造さん&杉山愛さんを起用”. インサイド (2012年5月9日). 2013年6月9日閲覧。
  108. ^ 松岡修造氏 熱血応援団長!「アサヒジャパンゴールド」熱烈PR”. スポーツニッポン (2012年4月19日). 2013年6月9日閲覧。
  109. ^ 錦織圭:かっぽう着姿の松岡修造と初共演 「日清麺職人」新CM”. 毎日新聞 (2012年7月26日). 2013年6月9日閲覧。
  110. ^ 星蘭ちゃんお手製ミルクココアに松岡修造さんも満面の笑み”. 共同通信 (2012年11月1日). 2013年6月9日閲覧。
  111. ^ ピップマグネループ®EX 公式サイト
  112. ^ 松岡修造:USJ15周年開幕CMで新ナレーション担当 「さあ、やり過ぎよう!」”. MANTAN WEB (2016年2月15日). 2016年2月16日閲覧。
  113. ^ ハズキルーペ新CMに起用された松岡修造、気になるギャラは 渡辺謙はギャラ絡みで降板?”. リアルライブ (2019年3月13日). 2019年3月17日閲覧。
  114. ^ 天使のはねランドセル新CM4月4日(土)より全国放映開始! 松岡修造さんが“姿勢天使シャーン造”とて軽快に踊る新しい天使のはねダンスは必見!”. セイバン (2020年3月12日). 2020年4月8日閲覧。
  115. ^ ~ 「待っていたのは、この辛口!」と熱く応援! ~ タカラ「辛口ゼロボール」の応援団長に松岡 修造さんが就任 | 宝酒造株式会社”. www.takarashuzo.co.jp. 2023年3月17日閲覧。
  116. ^ ファンモン、夏目前シングル「それでも信じてる/ラブレター」のジャケットに松岡修造”. BARKS (2011年5月25日). 2013年6月9日閲覧。
  117. ^ KEYTALK×松岡修造のコラボレーションが実現! C.C.レモンオリジナルソング「Cheers!」をともに熱唱 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス”. SPICE(スパイス)|エンタメ特化型情報メディア スパイス. 2023年8月21日閲覧。
  118. ^ 土屋太鳳、“笑顔”にコンプレックス「迷うことが多かった」”. ORICON STYLE (2015年11月9日). 2015年11月9日閲覧。
  119. ^ 発表、“2015 年最も輝いた男たち”「GQ Men of the Year 2015」五郎丸歩さん、鈴木亮平さん、葉加瀬太郎さん、又吉直樹さん、松岡修造さん、吉田鋼太郎さん、BABYMETAL さん(特別賞)”. 共同通信PRワイヤー. GQ JAPAN (2015年11月19日). 2015年11月20日閲覧。
  120. ^ 松岡修造、流行語大賞TOP10入りに歓喜「毎日笑顔!毎日元気!毎日修造!!」”. マイナビニュース (2015年12月2日). 2015年12月6日閲覧。






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松岡修造」の関連用語

松岡修造のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松岡修造のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松岡修造 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS