東郷平八郎 外部リンク

東郷平八郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 04:07 UTC 版)

外部リンク

軍職
先代
相浦紀道
佐世保鎮守府司令長官
第9代:1899年1月19日 - 1900年5月20日
次代
鮫島員規
先代
鮫島員規
日高壮之丞
常備艦隊司令長官
第11代:1900年5月20日 - 1901年10月1日
第14代:1903年10月19日 - 同12月28日
次代
角田秀松
連合艦隊に再編
先代
-
舞鶴鎮守府司令長官
初代:1901年10月1日 - 1903年10月19日
次代
日高壮之丞
先代
有地品之允
連合艦隊司令長官
第3代・4代:1903年12月28日 - 1905年12月20日
次代
伊集院五郎
先代
伊東祐亨
海軍軍令部長
第8代:1905年12月19日 - 1909年12月1日
次代
伊集院五郎
日本の爵位
先代
(陞爵)
侯爵
東郷家初代
1934年
次代
東郷彪
先代
(叙爵)
伯爵
東郷家初代
1907年 - 1934年
次代
(陞爵)

注釈

  1. ^ 山梨勝之進は「世界史的な観点から海軍の名将を列挙するならば」として、テミストクレスフランシス・ドレークミヒール・デ・ロイテルホレーショ・ネルソンヴィルヘルム・フォン・テゲトフデヴィッド・ファラガット、東郷平八郎、山本五十六の8名の提督を挙げている[5]
  2. ^ 秋山真之参謀が起草。
  3. ^ この時には昭和天皇直々に「元帥は凡てに付き達観するを要す」と実質的戒告を受けた(茶谷誠一著『昭和天皇側近たちの戦争』 2010年、吉川弘文館、ISBN 4-642-05696-3)。
  4. ^ 実際、当事の海軍士官の俸給が内職を必要とするほど寡少であったとは考えにくい。
  5. ^ ただし、天皇の諮問機関である軍事参議官会議では最古参の大将(東郷の生前では最古参の元帥に等しい)が議長となるため東郷にはその職責はある。東郷は1929年に井上良馨が死去した後は海軍最古参の元帥であり、翌年に奥保鞏が死去した後は陸軍をも含めての最古参の元帥となった。
  6. ^ この状態の三笠の写真が残っている。
  7. ^ ただしハルゼー自身は日本海海戦は日本の卑怯な奇襲攻撃、舞踏会の日本人はニヤニヤした顔の裏でよからぬ事を企んでいると、この年別のパーティーで東郷と出会っていたチェスター・ニミッツレイモンド・スプルーアンスとは異なる感慨を抱いていたと言われる(詳細はウィリアム・ハルゼー・ジュニアの項を参照のこと)。
  8. ^ 他にもオオヤマカワゲラ(大山巌)、ノギカワゲラ(乃木希典)、カミムラカワゲラ(上村彦之丞)と、何れも日本の偉人に因んだ命名がある。
  9. ^ これは東郷の発言として有名であるが、聯合艦隊解散の辞を起草したのは秋山真之である。後に海軍兵学校の講義で井上成美は、この主張に対しもし敵の初弾が1/100の確率で味方の砲に当たった場合、反撃の手段を失うことになるとの確率論を根拠にこれに反証し、過度の精神主義に頼ることを批判した。
  10. ^ 1912年に作曲された管弦楽組曲で、『お江戸日本橋』、『かっぽれ』、『さらし(越後獅子より)』の三曲で構成された(志甫 2008, p. 126)。

出典

  1. ^ [https://kotobank.jp/word/%E6%9D%B1%E9%83%B7%E5%B9%B3%E5%85%AB%E9%83%8E-18977 朝日日本歴史人物事典、日本大百科全書(ニッポニカ)「東郷平八郎」
  2. ^ 入澤宣幸『日本史 重要人物 250人』(西東社、2018年4月30日) 169頁
  3. ^ 史料閲覧室 - 史料のなかの軍人たち - 知られざる素顔 - 2010年度史料紹介コーナー - 東洋のネルソン:東郷 平八郎(NIDS NEWS 2010年7月号)” (PDF). 防衛研究所. 2017年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月4日閲覧。
  4. ^ HMS Queen Elizabeth. “ツイート”. Twitter. 2021年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月23日閲覧。
  5. ^ a b 山梨 1981, pp. 17–20, 第一話 アメリカ海軍とファラガット提督 - 2 米海軍の伝統とファラガット提督
  6. ^ 小笠原長生『東郷元帥詳伝』(春陽堂、1921年)71頁
  7. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、579頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  8. ^ a b 山中速人 『ハワイ』 (岩波書店、1993年)127頁
  9. ^ 中村 2009, p. 384.
  10. ^ 神川武利『秋山真之 伝説の名参謀』(PHP文庫
  11. ^ a b 『ニュータイプ中学歴史資料 学び考える歴』浜島書店
  12. ^ 松本健一『なぜ日本にアメリカ軍の基地があるのか』(牧野出版、 2010年) P28
  13. ^ ご臨終の場に三元帥『大阪毎日新聞』昭和元年12月26日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p362 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  14. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』 吉川弘文館、2010年、192頁
  15. ^ 中野文庫: 誄(昭和時代)
  16. ^ 第2576号 9.6.2 外国海軍指揮官接待に関する件」 アジア歴史資料センター Ref.C05023436600 
  17. ^ 海軍大将有馬良橘外十七名葬儀委員長葬儀副委員長並葬儀委員被仰付」 アジア歴史資料センター Ref.A10110759500 
  18. ^ 第一編 第三章 第三節 宮司ノ葬儀委員長 第一 序説」 アジア歴史資料センター Ref.A10110735000 
  19. ^ 第二編 第二章 第一節 三 葬儀委員長、副委員長ノ更迭及委員ノ異動」 アジア歴史資料センター Ref.A10110736600 
  20. ^ 東郷元帥記念公園千代田区観光協会(2018年7月7日閲覧)
  21. ^ 周辺関連施設|有馬記念館”. 2021年7月21日閲覧。
  22. ^ 永藤欣久「16)元帥東郷平八郎使用と伝わる総義歯 入交直重東洋女子歯科医学専門学校教授所蔵」、『日本歯科医史学会会誌』第29巻第4号、日本歯科医史学会、2012年9月30日、 284頁、 ISSN 0287-2919。
  23. ^ 東郷公園について”. 秩父御嶽神社. 2019年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月17日閲覧。
  24. ^ 東郷平八郎元帥像|一般社団法人佐世保海軍墓地保存会(公式ホームページ)”. 一般社団法人佐世保東山海軍墓地保存会. 2019年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月17日閲覧。
  25. ^ 東郷平八郎元帥銅像”. 鹿児島県観光サイト かごしまの旅. 鹿児島県 PR・観光戦略部 観光課. 2019年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月17日閲覧。
  26. ^ a b 野村 1999, p. 203.
  27. ^ 野村 1999, pp. 224–225.
  28. ^ 小笠原長生『聖将東郷全伝 第2巻』(聖将東郷全伝刊行会、1940年)396頁
  29. ^ 神奈川新聞』昭和21年4月24日
  30. ^ a b c d 志甫 2008, p. 126.
  31. ^ 東郷ビール 330ml×1 【瓶ビール/アルコール:4.5%/辛口/ピルスナー】 よこすか海軍カレー通販専門店 調味商事オンラインショップ
  32. ^ コラム「南風録」『南日本新聞』1988年5月17日付
  33. ^ 「たたらのはなし」日立金属HP
  34. ^ 東人西人『東京朝日新聞』1938年(昭和12年)10月16日.『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p735 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  35. ^ a b 志甫 2008, p. 119.
  36. ^ a b c d e 志甫 2008, p. 120.
  37. ^ a b 歌崎 1998, p. 179.
  38. ^ a b c d 志甫 2008, p. 121.
  39. ^ a b c 志甫 2008, p. 124.
  40. ^ 『官報』第695号「賞勲叙任」1885年10月23日。
  41. ^ 『官報』第2207号「叙任及辞令」1890年11月6日。
  42. ^ 『官報』第3521号「叙任及辞令」1895年3月29日。
  43. ^ 『官報』第4483号「叙任及辞令」1898年6月11日。
  44. ^ 『官報』第5141号「叙任及辞令」1900年8月21日。
  45. ^ 『官報』第6076号「叙任及辞令」1903年10月1日。
  46. ^ 『官報』第6995号「叙任及辞令」1906年10月22日。
  47. ^ 『官報』第8510号「叙任及辞令」1911年10月31日。
  48. ^ 『官報』第1891号「叙任及辞令」1918年11月21日。
  49. ^ 『官報』第2222号「叙任及辞令」1934年5月31日。
  50. ^ 『官報』第1925号「叙任及辞令」1889年11月27日。
  51. ^ 『官報』第2974号「叙任及辞令」1893年5月31日。
  52. ^ 『官報』第3644号「叙任及辞令」1895年8月21日。
  53. ^ 『官報』第3838号・付録「辞令」1896年4月18日。
  54. ^ 『官報』第4754号「叙任及辞令」1899年5月10日。
  55. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
  56. ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
  57. ^ 『官報』第7771号「叙任及辞令」1909年5月24日。
  58. ^ 『官報』第216号「叙任及辞令」1913年4月22日。
  59. ^ 『官報』第1187号「叙任及辞令」1916年7月15日。
  60. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  61. ^ 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。
  62. ^ 『官報』第4267号「叙任及辞令」1926年11月12日。
  63. ^ 『官報』第2221号「授爵・叙任及辞令」1934年5月30日。
  64. ^ 『官報』号外「辞令」1934年5月30日。
  65. ^ 『官報』第2223号「故元帥海軍大将侯爵東郷平八郎葬儀」1934年6月1日。
  66. ^ 『官報』第5811号「辞令」1902年11月15日。
  67. ^ 『官報』第6819号「叙任及辞令」1906年3月27日。
  68. ^ 『官報』第8037号「叙任及辞令」1910年4月11日。
  69. ^ 『官報』第8502号「叙任及辞令」1911年10月21日。
  70. ^ 『官報』第4066号「叙任及辞令」1926年3月17日。
  71. ^ https://www.sankei.com/article/20180805-DNA3PKZDBVJAPIDOHMM3RK6L3I/2/
  72. ^ a b 志甫 2008, pp. 125–126.
  73. ^ 志甫 2008, 巻末.
  74. ^ a b c 記念艦「三笠」”. 一般社団法人日本望遠鏡工業会 (2021年1月24日). 2022年10月30日閲覧。
  75. ^ 双眼鏡の歴史:プリズム式双眼鏡の発展と技術の物語”. 地人書館. 2022年11月2日閲覧。
  76. ^ 東郷平八郎曾孫東郷宏重「心に住む曾祖父」、日本随想録編集委員会編『日本海海戦随想録<永久保存版>』(合資会社歴研、2003年初版、2005年永久保存版)第三篇 子孫が伝える「日本海海戦」所収。






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