東海地方 東海地方の概要

東海地方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/02 02:26 UTC 版)

東海地方のデータ
4県の合計
日本
面積 29,316.53 km2
推計人口 14,664,857
(直近の統計[注釈 1]
人口密度 500.2人/km2
(直近の統計[注釈 1]
位置
東海地方の位置

概要

一般的には愛知県岐阜県三重県静岡県の4県を指すとされるが、「中部日本南部の太平洋沿岸地方の称」で、通常、静岡・愛知・三重と岐阜の一部を指すとする文献[1]や、五畿七道南関東から近畿地方まで)の東海道として、内陸の岐阜県(五畿七道の東山道)を除く本州中央部太平洋側の地方である「静岡、愛知、三重の東海3県」とする文献[2]など、特にその範囲は固定しているわけでもない。

愛知県名古屋市民放各局は放送エリアの関係上、静岡県を除く3県(中京圏とも呼ばれる名古屋市を中心とした名古屋都市圏に含まれる県)を「東海地方」「東海3県」などと表現する(詳しくは「東海3県」の項目を参照)。省庁の出先機関では静岡県は関東に含まれる場合がある。

東海地方という概念は、近代になってから愛知県を中心として人為的に設定された枠組みであって、岐阜県と三重県、岐阜県と静岡県、三重県と静岡県は、現在も互いに交流が少なく、文化面での共通性も少なく、一つに纏まった地方とはなっていない。

名前の由来

名称は、五畿七道の東海道に由来してこのように呼ばれている[3]

地理

東海の範囲

東海地方は、古代の東海道とは異なる。東海道は広大で、甲斐国(現在の山梨県)をも含み、東は関東東岸まで伸びる。一方、東海地方のうち、岐阜県(美濃国飛騨国)は東山道、三重県東紀州紀伊国の一部)は南海道であり、東海道には含まれない。

愛知県、岐阜県、静岡県は中部地方に属し、三重県は近畿地方に属する。

岐阜県の飛騨中央高地地方、三重県の伊賀関西地方としてそれぞれ扱われ、東海地方に含まれない場合もある。

地形

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東海地方の主要地形(三重県を除く)
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三重県の主要地形

地質的には、糸魚川静岡構造線(糸静線)や中央構造線が縦断している。東部から北部にかけて富士山赤石山脈木曽山脈飛騨山脈など火山活動や造山運動により形成された中央高地と接し、南は太平洋に面している。岐阜県北部(主に飛騨地方)は造山活動によって形成された中央高地の一部で、飛騨山脈など日本有数の山岳地帯となっている。

沿岸がプレート境界になっているため、東海地震東南海地震などの警戒区域になっている。南東端の伊豆半島は火山活動と海面の上昇で形成されたリアス式海岸に山地が迫った地形である。伊豆半島の西側に広がる駿河湾岸は火山活動や造山運動により形成された山岳地帯を狩野川富士川安倍川大井川といった大河川の浸食作用で形成された小規模な平野が分断している。駿河湾の西側の遠州灘沿岸部および三河湾沿岸部は駿河湾岸より火山活動や造山活動の停止が比較的早かったため、海面の下降により形成された台地が広がっている。伊勢湾沿岸は木曽三川などの河川の堆積作用により、濃尾平野伊勢平野などの大規模な平野が広がっている。志摩半島から熊野灘沿岸はリアス式海岸となっている。

山地

主な山脈
主な山
主な高原

河川

主な川

湖沼

主な湖

海岸

主な湾

島嶼

土地

景勝地

気候

三重県から愛知県の大部分、静岡県の沿岸が太平洋側気候、三重県の伊賀と愛知県山間部の奥三河、岐阜県の大部分が内陸性気候、岐阜県西濃から飛騨地方日本海側気候である。濃尾平野は高温多湿で、全国でも有数の酷暑地帯である。は、濃尾平野で伊吹おろしという乾燥した冷たい風が吹くため、体感温度が北日本並みにまで低下する日がある。強い冬型の気圧配置になると、岐阜県関ケ原町付近で伊吹山地と鈴鹿山脈の間が途切れている為雪雲の通り道になる事もあり、岐阜県西濃や愛知県西部、三重県北部などに大雪を降らせることがある。近年の稀有な記録的大雪例として、1995年(平成7年)12月25日から12月27日にかけての寒波で、三重県四日市市で最深積雪53cm1996年(平成8年)1月9日から1月10日にかけての寒波で、岐阜県岐阜市で最深積雪48cmの大雪を記録した。他にも2005年2014年に名古屋市でも最深積雪23cmを記録している。岐阜県と静岡県の一部は豪雪地帯に指定されているところがある。三重県南部は雨の多い地域で、台風が頻繁に通過することから「台風銀座」と呼ばれている。また、静岡県は東日本で最も台風上陸数が多い。

歴史

歴史地理学的な東海地方は、木曽三川富士川の間の東海道沿線のうち、愛知県の全域と静岡県の富士川以西に当たり、畿内政権の領土になった三重県と、関東の諸政権の領土になった静岡県東部とに挟まれた範囲である。次第に、鈴鹿関から箱根関の間へと拡大していった。

古代

平野部は、比較的温暖な気候のため、登呂遺跡に見られるように、古代から人類の定住が見られた。特に濃尾平野においては、弥生人の勢力が強くあらわれている。一宮市にある西上免遺跡などに大規模な前方後方形墳丘墓が建設されたなど、前方後方墳は伊勢湾岸一体から誕生し、全国へ広がったと考えられている。律令制五畿七道東海道が整備されたが、律令時代は大陸との外交がメインとなっていたため山陽道が大動脈の時代であった。当時の東海道は、関東などの東国から畿内や北九州などの西国へ向かう防人の通行路であり、東海道は字義通り、「へ通じるの道」であった。

中世から近世まで

戦国時代から江戸時代にかけては、木曽三川と富士川の間は、特に「海道」と呼ばれていた。主な用例として、「海道下り」、「海道一の大親分清水次郎長)」などがある。

関東畿内との間の「廊下地帯」として、鎌倉時代以降に権力者から重視された。かつて源義朝京都での内部抗争の末に、伊豆国蛭ヶ小島流刑された。最期の地も知多半島で迎えている。後に、子の源頼朝鎌倉幕府を開くと、富士川以東は鎌倉幕府の領土となった。

戦国時代になり戦国大名が濫立すると、東海道は、「桶狭間の戦い」や「長篠の戦い」「小牧・長久手の戦い」「関ヶ原の戦い」などの大規模合戦が繰り広げられ、権力争いの場となった。中でも、現在の愛知県に当たる尾張国三河国の2地域からは、織田信長豊臣秀吉徳川家康といった「三英傑」の他、多くの藩祖となる大名を輩出した。また駿河国駿府(静岡)は、今川義元と徳川家康の本拠地となった。

江戸時代になると、江戸東京)と京都を結ぶ「東海道五十三次」が整備され、その往来は日本最大規模の大動脈となった。この東海道沿線の中には、駿府掛川濱松吉田岡崎桑名など、宿場町城下町から発達した都市も多い。

近代以降

明治維新中央集権体制が成立すると、名古屋が地方統治の拠点となり、それ以降は政府機関が集中するようになった。又、廃藩置県期の東海地方には、名古屋県額田県豊橋県浜松県静岡県足柄県などが分立していたが、1876年(明治9年)8月以後は愛知県と静岡県に削減。さらにこの時、静岡県域だった伊豆諸島1878年2月に東京府に移管され、現在に至っている。
1889年(明治22年)2月には東海道本線が開業し、天竜川木曽三川の間の地域は、綿織物工業の中心地となった。

明治時代以降、名古屋市を中心とする中京地方製糸紡績業などが盛んになり、昭和に入ると鉄鋼機械工業などが集積して「中京工業地帯」が形成される。そのため戦前・戦時中にかけては軍需産業の重要拠点となるが、戦後になると自動車産業を主とした機械工業へと転換を遂げ、日本最大の工業集積地帯となる。また第二次世界大戦後の高度経済成長期には、静岡県地域にも「東海工業地域」が形成されるようになる。
近年では、各務原市の航空宇宙産業などの新たなる分野の産業も発達した地域となっている。
越県合併で福井県大野郡石徹白村長野県木曽郡山口村の村域がそれぞれ岐阜県郡上市・中津川市へ加わったため、埋立地を除いた区域の面積が昭和戦前期より若干増加した。


注釈

  1. ^ a b 統計日は、岐阜県が2024年2月1日、静岡県が2024年3月1日、愛知県が2024年2月1日、三重県が2024年2月1日。

出典

  1. ^ 広辞苑第7版、2018年1月、新村出編、岩波書店
  2. ^ 現代国語例解辞典、1985年4月、林巨樹編、小学館
  3. ^ 『日本地名大百科』、小学館、1996年、p.768 ISBN 4-09-523101-7






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