村田智弘 村田智弘の概要

村田智弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 07:04 UTC 版)

 村田智弘 七段
名前 村田智弘
生年月日 (1981-04-02) 1981年4月2日(42歳)
プロ入り年月日 2001年10月1日(20歳)
棋士番号 242
出身地 兵庫県高砂市
所属 日本将棋連盟(関西)
師匠 淡路仁茂九段
段位 七段
棋士DB 村田智弘
2019年12月19日現在
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人物

  • 1994年、第19回小学生将棋名人戦で優勝[1]
  • 2002年4月1日に妹の智穂が女流棋士となる。史上初の兄妹棋士の誕生であった[要出典]
  • かつて週刊ポストで連載されていた「トップ棋士が指導する将棋三番勝負」の中で、当時竜王だった羽生善治を相手に飛車落ちで勝ったことがある。また、その棋譜は「プロに勝った!駒落ち将棋必勝法」(1994年小学館出版)の中で詳細に採り上げられている。
  • C級1組への3人の昇級枠を争う第65期(2006年度)C級2組順位戦は、残り1局の時点で、村田、片上大輔広瀬章人上野裕和の4人が8勝1敗で並ぶ展開となった。村田は4人の中でリーグ表順位が最も上で、しかも、村田より順位が上の7勝2敗は佐々木慎しかいなかったため、極めて有利な状況であった、しかし最終10回戦の結果は、村田が負け、ほかは揃って勝利。村田は惜しくも昇級を逃した。
  • 2008年10月23日に竜王戦4組の3位決定戦を制して3組昇級(前年度と合わせて連続2回昇級)を決め、六段に昇段[2]
  • 2017年7月6日に一般女性と入籍[3]
  • 2021年3月5日、順位戦C級2組最終戦で敗れ、2勝8敗で3度目の降級点を喫し、フリークラスへの降級が決定した。

昇段履歴

主な成績

在籍クラス

順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦 (出典)竜王戦
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組
1組 2組 1組 2組
2001 60 昇段前 15 6組
2002 61 C243 16 6組
2003 62 C215 17 6組
2004 63 C225 18 6組
2005 64 C220 19 5組
2006 65 C210 20 5組
2007 66 C203 21 4組
2008 67 C209 22 3組
2009 68 C218 23 4組
2010 69 C231 24 5組
2011 70 C235 25 4組
2012 71 C231 26 4組
2013 72 C232 27 4組
2014 73 C206 28 4組
2015 74 C240 29 4組
2016 75 C228 30 4組
2017 76 C219 31 4組
2018 77 C229 32 4組
2019 78 C247 33 5組
2020 79 C228 34 5組
2021 80 F編 35 5組
2022 81 F編 36 5組
2023 82 F編 37 5組
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/プレーオフ以外)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。



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