未来派 未来派絵画技術宣言より

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未来派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/15 11:00 UTC 版)

未来派絵画技術宣言より

『……網膜上でイメージが持続することにより、運動する物体は増殖し、変形し、連続して生起し、振動のように、空間の中を通過する。したがって疾走する馬の脚は4本ではなく20本であり、それらの動きは三角形をなす……。』(未来派絵画技術宣言より引用) ミラノ、1910年4月11日

画家 ウンベルト・ボッチョーニ
画家 カルロ・ダルマッツォ・カッラ
画家 ルイジ・ルッソロ
画家 ジャコモ・バッラ
画家 ジーノ・セヴェリーニ

未来派運動指導部:ミラノ、ヴェネツィア通り61番地

日本における未来派

日本において初めて未来派が紹介されたのは、1909年に「スバル」誌上に掲載された、森鷗外による未来派宣言[2]の翻訳としてであった。その後、1917年のロシア革命を避ける形で「ロシア未来派の父」ダヴィド・ブルリュークらロシア未来派の面々が日本に移住して来て、尾竹竹坡の八火社などと交流、各地で大規模な展覧会を開くに至って、未来派と言うものが日本でも本格的に知られ始めるようになる。1923年には木下秀一郎とブルリュークの共著による本格的な未来派の紹介書『未来派とは?答へる』(中央美術社)が出版され、美術家や文学者に広く影響を与えた[3]

日本における主な未来派としては、大正9年(1920年)に未来派美術協会を設立し独自の美術表現をした普門暁(ふもん・ぎょう;1896-1972)などがある。

日本語文献

  • 田之倉稔 『イタリアのアヴァン・ギャルド 未来派からピランデルロへ』(白水社 1981年、新版2001年)
  • キャロライン・ティズダル、アンジェロ・ボッツォーラ 『未来派』(松田嘉子訳、パルコ出版 1992年)
  • セゾン美術館編 『未来派 1909-1944』 エンリコ・スポルティ、井関正昭構成・監修(東京新聞社、1992年)
  • 井関正昭 『イタリアの近代美術 1880~1980』(小沢書店 1989年)
  • 井関正昭『私が愛したイタリアの美術』(中央公論美術出版2006年
  • 井関正昭『未来派 イタリア・ロシア・日本』(形文社、2003年
  • 図録『生誕140年 尾竹竹坡展』 遠藤亮平・菊屋吉生・坂森幹浩・堀川浩之 解説(富山県水墨美術館、2018年)

  1. ^ 福田和也 『イデオロギーズ』新潮社 2004年5月
  2. ^ a b c フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ|未来派宣言|ARCHIVE”. ARCHIVE. 2023年12月14日閲覧。
  3. ^ ただし、以上の経緯から、日本において受容された未来派が「イタリア未来派」ではなく「ロシア未来派ロシア語版英語版」であることに留意する必要がある。





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