日露戦争 日露戦争の概要

日露戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/09/02 06:47 UTC 版)

日露戦争
RUSSOJAPANESEWARIMAGE.jpg
戦争:明治三十七八年戦役
年月日:1904年2月8日 - 1905年9月5日
場所清国満州南部[1]朝鮮半島沿岸、樺太日本海
結果:日本軍の勝利、休戦・講和(ポーツマス条約
交戦勢力
日本の旗 大日本帝国 ロシア帝国の旗 ロシア帝国
Flag of the Principality of Montenegro.svg モンテネグロ公国(ただし宣戦布告はしたが、戦闘には参加せず)
指揮官
Flag of the Japanese Emperor.svg 明治天皇 Imperial Standard of the Emperor of Russia (1858–1917).svg ニコライ2世
戦力
約300,000人 約500,000人
損害
戦没88,429人,うち戦死戦傷死は55,655人[2]
病死27,192人
負傷者153,584人[3]
捕虜1,800人[4]
戦死25,331人
戦傷死6,127人
病死11,170人
負傷146,032人
[5]
捕虜79,000人[6]
日露戦争

戦争目的と動機

戦場となった地域の俯瞰図

日本の旗 大日本帝国

三国干渉および義和団の乱後満洲を勢力圏としていたロシア帝国による朝鮮半島への南下(朝鮮支配)を防ぎ、日本の安全保障[8]を目的とした戦争。[要検証 ]

ロシアの旗 ロシア帝国

遼東半島の旅順、大連租借権等の確保と満洲および朝鮮における自国権益の維持・拡大を目的とした戦争。[要検証 ]

関与国・勢力

日本側 ロシア側
戦争参加国・勢力

日本の旗 大日本帝国

ロシアの旗 ロシア帝国
Flag of the Principality of Montenegro.svg モンテネグロ公国(ただし宣戦布告はしたが、戦闘には参加せず)

支持勢力

Flag of Korea 1882.svg 大韓帝国
一進会をはじめとする親日派知識人と親日派両班) 

Flag of Korea 1882.svg 大韓帝国
高宗をはじめとする支配者階級と親露派・独立派知識人)

同盟国・支援国

イギリスの旗 イギリス帝国日英同盟
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国

フランスの旗 フランス露仏同盟
ドイツの旗 ドイツ帝国
China Qing Dynasty Flag 1889.svg大清帝国露清密約により参戦しようとしたが日英同盟のために阻止された)

観戦武官

沙河会戦後に撮られた、黒木為楨と観戦武官の集合写真

日露双方に多数の観戦武官が派遣され日本にはイギリス、アメリカ合衆国、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、スペイン、イタリア、スイス、スウェーデン=ノルウェー連合、ブラジル、チリ、アルゼンチン、オスマン帝国の13ヶ国から70人以上の武官が派遣されていた。日英同盟を結んだイギリスからの派遣が最多の33人となっている。観戦武官が持ち帰った日露戦争の戦訓は、第一次世界大戦の各国で生かされることになる。


[ヘルプ]
  1. ^ 露清密約(特に1900年締結第二次露清密約)により、ロシア帝国の事実上の植民地状態にあった。
  2. ^ 靖国神社資料、靖国神社戦争別合祀者数による。日本長期統計総覧によれば死没84,435人(帝国書院[1])、(戦死戦病死は「日清戦争ヨリ満州事変ニ至ル日本外交ノ経済的得失」[2]によれば55,655人
  3. ^ 日本長期統計総覧による帝国書院[3]
  4. ^ 時事ドットコム:日露戦争のロシア将兵捕虜(2012/11/26-14:36)
  5. ^ Samuel Dumas, Losses of Life Caused By War (1923)
  6. ^ 時事ドットコム:日露戦争のロシア将兵捕虜(2012/11/26-14:36)
  7. ^ ロシアと同盟を結んでいたモンテネグロ(当時はモンテネグロ公国)も日本に対し宣戦を布告したという説もある。いずれにせよ実際の戦闘には参加せず。
  8. ^ NHK高校日本史・日清戦争 〜中国観の変化〜
  9. ^ 横手慎二『日露戦争史――20世紀最初の大国間戦争』(中央公論新社[中公新書], 2005年)、John W. Steinberg・Bruce W. Menning・David Schimmelpenninck van der Oye・David Wolf・横手慎二共著“The Russo-Japanese War in Global Perspective (History of Warfare)”BRILL; illustrated edition edition (February 28, 2007)
  10. ^ 徳富蘇峰編述『公爵山縣有朋傳 下』541ページ(原本の漢字表記は旧字)
  11. ^ 徳富蘇峰編述『公爵山縣有朋傳 下』539-540ページ(原本の漢字表記は旧字)
  12. ^ この項目、「マーチャント・バンク」山本利久(新潟産業大学経済学部紀要 弟29号)[4]より起筆した。
  13. ^ 「財務省今昔物語7」寺井順一(財務総合政策研究所主任調査官)[5][6]
  14. ^ “日露戦争の戦費、英首相の高祖父から助力…首相”. 読売新聞. (2013年6月20日). http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20130620-OYT1T00639.htm 2013年6月20日閲覧。 
  15. ^ 帝国書院・資料統計・歴史統計・戦争別戦費[7]
  16. ^ 日露戦争ではしばしば高橋による外債工面が注目されるが、金本位制においては正金は交換の媒体にすぎず、海外からの物資調達は日本からの交易品輸出により支弁され正金はその融通のための仮の穴埋め(ヴェール)にすぎない。高橋の外貨調達がなければ決済資金不足により海外との交易が途絶する可能性があったためロンドン金融街とシフらによる与信供与の重要さは特筆されるものであるが、彼らが日本人の為に費用を負担してくれたのかと言えばそうではなく、日本人を信用して資金を用立ててくれたという事である。最終的な戦費は(外債用の支払い利息を含め)すべて日本政府(すなわち日本人)が負担した。ポーツマス条約戦争賠償金が期待できないことが明らかになるとロンドンにおける日本国外債の評価は一時混乱した。
  17. ^ 戸高一成『海戦からみた日露戦争』2010年 角川書店(角川oneテーマ21新書)
  18. ^ 日本軍による戦闘行為は国交断絶後に開始されており当時は国際法上合法とされた。
  19. ^ 鎌田芳朗『海軍兵学校物語』「江田島移転のころ」(原書房)、アジア歴史資料センター「????三隻の被補者員数取調の件」(Ref:C04014276700 )
  20. ^ 長南政義「児玉源太郎は天才作戦家ではなかった」(『坂の上の雲5つの疑問』並木書房)132p。他にも同書132pには期日が不明ながら軍令部参謀山下源太郎の「(陸軍の)上陸直後、海軍は旅順の陸上攻撃を要求せざるべし」との発言があったといい、なるべく陸軍の援助なく独力にて旅順を陥れんとする野心があった。
  21. ^ 北海道新聞「サハリンの日本兵慰霊碑再建を 苫小牧の梅木さん訴え」2008年10月14日
  22. ^ 捕虜も参照。
  23. ^ この内、東部シベリア狙撃第13連隊に所属していた「イグナティアン・ドレヴイチャセウイチ」の墓が熊本市のフランシスコ修道院の近くに現存する(熊本市教育委員会『島崎 -歴史と文化財-』1988年)。
  24. ^ 従来は、島国である日本本土の防衛を重視して海軍の充実が主唱されてきたが、アジア大陸最東部の満洲・韓国を支配圏に置いた以上は、日本も大陸国家としての備え(即ち強力な陸軍)が必要であるとする主張のこと。
  25. ^ 「日露戦争と日本外交」伊藤之雄[8]PDF-P.63
  26. ^ 曹樹基著『中国人口史 第5巻』復旦大学出版社、2001年5月、704ページより。やや時間のとっているスパンが長いが、同時期の人口の急激な増加がうかがえる。
  27. ^ Montenegrina, digitalna biblioteka crnogorske kulture (Montegreina, digital library of Montenegrin culture), Istorija: Đuro Batrićević, citing Batrićević, Đuro. (1996). Crnogorci u rusko-japanskom ratu (Montegegrans in the Russo-Japanese War); retrieved 2011-05-12; compare Dr Anto Gvozdenović: general u tri vojske. Crnogorci u rusko-japanskom ratu (Dr. Anto Gvozdenovic: General in Three Armies; Montegegrans in the Russo-Japanese War)
  28. ^ 〔備考〕外交関係の回復に関する書簡について- 外務省
  29. ^ “一九五六年の日ソ共同宣言などに関する質問主意書”. http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a164069.htm 2011年3月19日閲覧。 
  30. ^ “衆議院議員鈴木宗男君提出一九五六年の日ソ共同宣言などに関する質問に対する答弁書”. http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b164069.htm 2011年3月19日閲覧。 
  31. ^ モンテネグロの承認及び山中総理特使のモンテネグロ訪問について 外務省 平成18年6月16日
  32. ^ "Montenegro, Japan to declare truce," UPI通信社 (US). June 16, 2006; "Montenegro, Japan End 100 Years' War," History News Network (US). citing World Peace Herald, June 16, 2006; 2014年8月9日閲覧
  33. ^ 山中外務大臣政務官のモンテネグロ共和国訪問(概要) 外務省 平成18年6月
  34. ^ 日英同盟の主旨の一つは、日本とロシアが戦争に突入した際に、フランスなどロシアの友好国が参戦するのを牽制することである。イギリスが簡単に参戦してしまっては、逆にロシアの友好国が参戦する呼び水になってしまう。
  35. ^ ネルー『父が子に語る世界史』
  36. ^ たとえばカナダサスカチュワン州のウクライナ系移民は自分達の町にミカドと名付けている。
  37. ^ Baryshev Eduard第一次世界大戦期における日露接近の背景--文明論を中心として







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