日本テレビ放送網 歴史

日本テレビ放送網

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/16 08:30 UTC 版)

歴史

開局当日の番組編成(1953年8月28日)

  • 11:20に放送開始。第一声は「JOAX-TV、こちらは日本テレビでございます」。
  • 11:20 「開局記念式典」の実況中継(当時の内閣総理大臣であった吉田茂が開局の祝辞を述べた。)
  • 11:50 祝賀舞踊「寿式三番叟」
  • 12:00に本来ならテレビCM第1号となる精工舎(現:セイコーホールディングス)提供の正午時報が放映される予定であったが、人為的ミスにより映像が裏返しに映り、無音の状態で放送されてしまった。
  • 12:00 歌の祭典
  • 12:30 記録映画「上代の彫刻」
  • 13:00 NTVニュース天気予報(ここで一旦放送中断。テストパターン画像が放送された。)
  • 17:30 放送再開 日本南方民謡集
  • 17:40 テレビ浮世絵
  • 17:55 リサイタル
  • 18:10 国際ニュース
  • 18:20 週間テレニュース
  • 18:40 記録映画「天竜川」
  • 19:00に精工舎のCMが放送された。これが実質的なコマーシャルの第1号。
  • 19:00 花競祝写絵
  • 19:45 劇場中継「ニューヨーク幻想曲」(会場:帝国劇場
  • 21:00 「開局記念式典」の録画中継
  • 21:15 テレニュース(これで当日は放送終了。)

開局から1980年代まで

正式社名が「日本テレビ放送網」であるように、元々は一社で日本全国にテレビネットワークを形成することを目的として設立された。東京に中央放送局としてメインスタジオとマスターを置き、大阪や名古屋、札幌、福岡など主要都市に放送局を設置。拠点間は独自に通信網を設置してマイクロウェーブで結び、テレビ放送で使用しない帯域は通信目的として賃貸、またファクシミリ新聞などに使用する事としていた。同社は放送事業のみならず、通信事業の民営化も目指していたことになるが、この構想(正力構想と呼ばれる)は当時の郵政省に一蹴され、結局関東地区のローカルテレビ局として開局する事となる。正力構想が実現していれば、現在の日本国内の民放の仕組みは異なるものになっていた可能性がある。

開局当初、テレビ受像機のない家庭が殆どであったため、広告媒体としての民放テレビをアピールすべく、首都圏の主要箇所に街頭テレビを設置。テレビ普及に役立てた。また、麹町局舎横のテレビ塔を展望目的に一般へ公開。東京タワーができるまでは観光名所となっていた。

プロ野球やプロレス中継などのスポーツ番組や『なんでもやりまショー』などのバラエティー番組に強みを持ち、ラジオ東京(現在のTBSテレビ)開局後も営業成績では上回っていた。特に後楽園スタヂアム(現在の東京ドーム)と同社施設の独占中継権を掌握していたのが有利に働いた。

日本民間放送連盟には、当初加盟しなかった。電波の送信もNHKや他の民放とは異なり、東京タワーではなく自社鉄塔からの送信を継続した。「全ては自社こそテレビのパイオニアである」ということを自負していたからであるが、東京タワーより低い麹町の自社鉄塔からの送信は、局舎周囲に高い建物が増加するにつれ難視聴地域を拡大させた。このため、正力は新宿区東大久保一丁目(現・新宿六丁目)に用地を確保。東京タワーの2倍の高さを誇る、通称「正力タワー」を構想するが、後に頓挫する。建てる予定であった用地は後に日本テレビゴルフガーデンとしてオープンした。

しかし、読売新聞社主の正力松太郎が社長を務めていることで、大阪の完全系列局である読売テレビの開局が「大阪読売新聞」の部数増に繋がったことなどの事例もあり、いくら強いコンテンツを持っていても「読売色」を警戒する地方局が多く、ネットワーク形成ではTBSの後手に回ってしまう。このため報道が手薄になり、かつ番組販売も芳しくなかった。加えて上記の通り難視聴地域が増加したこと、さらに肝心の自社制作番組そのものが不振となり、1960年代半ばから業績は下降した。

正力の死後、粉飾決算の公表や東京タワーへの送信所移転、名古屋地区の中京テレビへの単独ネット化、読売新聞への完全系列化、ラジオ日本との提携など、正力の娘婿である小林與三次の手で改革が行われ、一連のバラエティー番組が気を吐いて視聴率は持ち直す。その後、朝枠に『ズームイン!!朝!』などの情報番組を投入し、夕方の報道番組も強化した。しかし、ようやく持ち直した視聴率も1980年代当時「軽チャー路線」で成功し視聴率三冠王に輝いていたフジテレビの後塵を拝し、番組制作現場では「どうすればフジテレビに勝てるのか」を常に研究していたという。

1990年代以降

そんな中で日本テレビが打ち出したのがとにかく視聴者が興味を持つ内容を番組制作や内容に盛り込むことで、高い視聴率を確保しようというものである。また、視聴率を強調することも含めた形で始められた番宣バラエティ『TVおじゃマンボウ』を開始することで、視聴者へのPRを行った。

1990年代は1980年代末に発足した社内チーム「クイズプロジェクト」を機にバラエティ番組『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』・『マジカル頭脳パワー!!』が登場。早朝5時台に『あさ天5』を立ち上げ、『ジパングあさ6』や『ズームイン!!朝!』など報道・ワイドショーが人気コンテンツとなる。1993年夏頃から、バラエティー番組や巨人戦中継などの人気番組を持つ日本テレビは、以前から「三冠王」であったフジテレビを追い抜くと、その勢いも次第に強まっていった。1994年から2003年に10年連続「年間視聴率四冠王」、1994年度から2002年度に9年連続「年度視聴率四冠王」(ゴールデンタイムプライムタイム全日に更にノンプライムを加えての表現)を達成した。更に、「月間四冠王」を史上最高となる46か月連続で達成するなど一時代を築いた。

しかし2003年度には、巨人戦中継の視聴率低下によるプライムタイムでの視聴率低迷の結果、プライムタイムが2位になり、「三冠王」の一角をフジテレビに奪われた。そして2004年度(2004年4月 - 2005年3月)の調査では、全部門で2位となり「三冠王」のタイトル全てをフジテレビに奪われた。

この時期には長寿番組が続々と終了した。午前の帯番組のワイドショー『ルックルックこんにちは』(2001年春)を皮切りに、朝の情報番組『ズームイン!!朝!』(2001年秋)、サスペンスドラマ番組『火曜サスペンス劇場』(2005年秋)、夕方の報道番組『NNNニュースプラス1』(2006年春)、お昼の生活情報番組『午後は○○おもいッきりテレビ』(2007年秋)といった番組が次々と打ち切られた。52年間続いた民放テレビ局最長寿の報道番組『NNNきょうの出来事』(2006年秋)にもメスが入り、結果2000年代前中盤の数年で日本テレビのタイムテーブルはほとんど塗り替えられた。

2000年代終盤以降はスポンサーニーズの高いコアターゲット層(T層・F1層・F2層)を意識した番組編成が功を奏し、全時間帯での視聴率向上に成功している。2008年・2009年には2年連続でノンプライム帯での年間・年度視聴率首位を獲得した。

2011年には8年ぶりに「年間視聴率三冠王」、2011年度には9年ぶりに「年度視聴率三冠王」をそれぞれフジテレビから奪還した。

2014年には3年ぶりに「年間視聴率三冠王」、2014年度には3年ぶりに「年度視聴率三冠王」を奪還。また、放送収入(地上波放送におけるタイムCMスポットCMの年度売上高の合計)でもフジテレビを追い抜き、民放トップに躍り出た[注 11]

2015年1月第5週から6月第2週には歴代最高記録となる20週連続三冠王を達成した。

2015年には2年連続となる「年間視聴率三冠王」、2015年度には2年連続となる「年度視聴率三冠王」を達成した。また、年間売上高でも3000億円の大台を突破して前年まで31年間首位だったフジテレビを追い抜き、民放トップに躍り出た[注 12][15]

2016年には3年連続となる「年間視聴率三冠王」、2016年度には3年連続となる「年度視聴率三冠王」を獲得した。またこの年は「週間視聴率三冠王」を年間で49回獲得し、1991年にフジテレビが記録した年間46回の記録を抜いて民放新記録となった。

2016年6月20日週から2017年2月27日週には民放歴代新記録となる35週連続「週間視聴率三冠王」を獲得した。




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注釈

  1. ^ a b カール・ムント米上院議員は、「VOA(ボイス・オブ・アメリカ)」構想を打ちたて、世界中で広まりつつあった共産主義の撲滅に乗り出した「プロパガンダの雄」である。ムントはCIA正力松太郎を推薦した。正力松太郎は、1951年、大蔵大臣だった池田勇人を説得、さらに朝日新聞村山長挙毎日新聞本田親男に働きかけ、3社でテレビ事業を行う約束を取り付ける。正力の仕掛けた3大紙協力体制のもと、「受信機も無い時代に民放テレビは時期尚早」と反対する吉田茂総理の説得に成功する(ベンジャミン・フルフォード『ステルス・ウォー』 講談社 2010年 ISBN 9784062161244, Page238,241)
  2. ^ 日本テレビは同年6月30日と7月1日の2公演分をカラーVTRにて収録している。その経緯については、「ビートルズ#日本公演」を参照のこと。
  3. ^ 日本テレビは当時、この映画をテレビにて放映する為に、放送権を6億円で購入したとされる。(引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争-そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、130頁に記載されている。ISBN 4062122227
  4. ^ 当初は緑色の体に黒色の線で縁取りしたものが使われていたが、2003年7月に新ブランドマークが導入され、現在は体を塗りつぶさず、線を金色で縁取りしたものとなっている。現在このブランドマークは日本テレビのほか、グループ会社のBS日テレ、CS日本、RFラジオ日本、日テレ・グループ・ホールディングス、日テレイベンツ、日本テレビアートなどでも使用されている。
  5. ^ 青森放送で放送される「ZIP!FRIDAY」の最後に流れる翌週月曜日の「ZIP!」の予告でのロゴは、現在もこのロゴが使われる。
  6. ^ ただし、海外向けには「NTV」の使用を継続、ロゴも「日テレ」の部分に「日テレ」と同様の書体で「NTV」と表記。また、番組キャラクター・グッズ商品の承認済シールに貼られている「NTV」は従来から使用している開局当時のロゴを表記している。
  7. ^ CI導入当初はクレジットに「製作著作 日本テレビ『日テレ(ロゴ)』」と混乱防止の為に表記していたが、2005年10月より「製作著作『日テレ(ロゴ)』」という表記になり、新ロゴへの移行をほぼ完了した。『ぐるぐるナインティナイン』、『あなたと日テレ』などごく一部の番組は「製作著作 日本テレビ『日テレ(ロゴ)』」の表記が残っていたが、後述の「日テレ55」表記化に伴って現在は完全消滅した。また、番組表など業務目的の略称としての「NTV」は引き続き使用されている。なお、2008年1月1日から「なんだろう」が消滅し「日テレ55」のクレジット表記(ロゴの色は「日テレ」部分は、「55」部分は)に変更された。これは、2008年8月28日に開局満55周年を迎えるためで、2009年3月までの限定使用となった。ただし、東京ドームにある第2放送席の背後に書かれているロゴは、前代のロゴのままである。また、読売ジャイアンツ球場のレフトフェンスに書かれているロゴも、前代のままである。
  8. ^ 汐留移転前はスタジオ内映像のみハイビジョンであったが、移転後はスタジオ内映像の他、社屋屋上のお天気カメラ(麹町旧社屋など既存の設置地点でも一部HD化)、お天気情報などのCG画像、一部のニュース素材、月1回放送の「ディリープラネット金曜発言中」もハイビジョン化された。
  9. ^ この試合は、地上波の日本テレビ及びネット局、BSデジタルのBS日テレ、CS放送の日テレG+でも放送されたが、それらでは通常の2Dでの放送であった。なお、この3D中継に於いては、3D中継専用の中継車・専用カメラを5台手配し、実況・解説等のコメンタリーおよび画面表示もそれ専用とする等の特別体制で実施した。
  10. ^ なお、BS日テレとCS放送の日テレG+、日テレプラスではすでに開局当初から一部のモノラル二重音声番組を除き編成上全ての番組でステレオ放送(一部はモノステレオ放送)を実施している。しかし、『24時間テレビ』内のドラマ企画は未だにモノラル二重音声放送のままである。
  11. ^ 放送収入がフジテレビの2013年度:233,316百万円→2014年度:231,121百万円に対し、日本テレビは2013年度:228,014百万円→2014年度:238,511百万円となり逆転した。
  12. ^ 年間売上高がフジテレビの2014年度:310,012百万円→2015年度:289,708百万円に対し、日本テレビは2014年度:290,460百万円→2015年度:307,077百万円となり逆転した。
  13. ^ かつては土曜12時台に再放送枠を設けていた。
  14. ^ フジテレビでも実施しているが日本テレビが業界初。他にも都営地下鉄日暮里・舎人ライナーの時刻表、都営バスの時刻表や接近情報も表示している。なお情報提供元はジェイアール東日本企画である。ちなみに、私鉄・地下鉄はレスキューナウが担当。
  15. ^ 設置当初は、読売テレビ本社(当時は大阪市北区岩井町)内に支社(当時は大阪支社)が置かれていた。(出典:『民間放送十年史』第2部の各社史録378頁「日本テレビ放送網」)
  16. ^ 1993年開始の『ザ・ワイド』(日本テレビ・よみうりテレビ共同制作、2004年度よりよみうりテレビ(→読売テレビ)・日本テレビ共同制作)が始まりである
  17. ^ 基本的に20時54分頃は地方局ごとのミニ番組が放送されることが多い為、読売テレビ中京テレビ以外の系列局は基本的に21時開始となっていた。そのため、系列局への配慮として20:54からは放送内容の告知を中心とした『まもなく!○○』と言う名称のミニ番組扱いとなり、実質的には21時から番組本編に入っていた。ただし、特別番組の多い改編期には20:54から番組本編が始まる事もあった。
  18. ^ 日テレNEWS24(CS)制作の番組。
  19. ^ 月-金曜版は日テレNEWS24制作(CS)の番組。
  20. ^ 調布市議時代は自民党所属、その後みんなの党維新の党などを経て現在は民進党所属。
  21. ^ 青森放送など一部系列局でも使われた。

出典

  1. ^ 2003年10月1日より。
  2. ^ Research Aid: Cryptonyms and Terms in Declassified CIA Files Nazi War Crimes and Japanese Imperial Government Records Disclosure Acts
  3. ^ 『日本テレビとCIA』関連年表
  4. ^ 「大衆とともに25年沿革史」(日テレ社史)に記載の当日のタイムテーブルから参照。
  5. ^ ちなみに、毎日放送(MBS)のアナログ放送チャンネルおよびデジタル放送チャンネルは日本テレビと同じ「4」だが、この当時のMBSは日本教育テレビ(現在のテレビ朝日系列だった。
  6. ^ RKB毎日放送もアナログ放送および地上デジタル放送のチャンネルは日本テレビ同様「4」だが、RKBはTBS系列である。
  7. ^ テレビ夢50年 データ編 148ページ 日本テレビ放送網 2004年発行
  8. ^ ブロードバンド時代にふさわしいコンテンツ流通市場 「B-BAT(ビーバット)」の創設についてNTT東日本2000年7月3日
  9. ^ 日テレが10月に持ち株会社に移行 グループ経営を強化,産経新聞,2012年3月29日
  10. ^ 日本テレビ放送網株式会社、株式会社BS日本及び株式会社シーエス日本などの認定放送持株会社への移行(会社分割、簡易株式交換及び商号変更)による経営統合に関する基本合意書の締結並びに日本テレビ放送網株式会社の子会社(分割準備会社)の設立についてのお知らせ
  11. ^ 日本テレビ放送網株式会社、株式会社BS日本及び株式会社シーエス日本の 認定放送持株会社体制への移行に関する統合契約、吸収分割契約及び株式交換契約の締結 についてのお知らせ 7ページ
  12. ^ 株式会社タツノコプロの子会社化
  13. ^ Huluの日本市場向け事業を継承し定額制動画配信に参入
  14. ^ 日テレとIIJ、動画配信プラットフォームの合弁会社設立。民放各局にも出資募る,AV Watch,2016年12月1日
  15. ^ 日テレがフジを抜いて民放テレビ局売上トップ - 2015年度キー局決算発表マイナビニュース)2015年5月13日閲覧
  16. ^ 沖縄テレビ30年の歩み(1990年刊行)より。







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