新潟放送 アナウンサー

新潟放送

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 14:24 UTC 版)

アナウンサー

アナウンサーは全て報道制作局・情報センターに所属している[要出典]。※は元アナウンス部長。○はアナウンサーではなくラジオパーソナリティ。●は故人。

現職

男性
女性
アナウンス担当部長

異動したアナウンサー

男性
女性

過去のアナウンサー

男性
女性
入社年度不明
  • 吉弘知代
  • 若林祥子
  • 石田万里子

アノンシスト賞受賞歴

  • 第2回(1976年度)テレビ「CM」部門優秀賞(北見裕子)
  • 第3回(1977年度)ラジオ「CM」部門最優秀賞(金親顕男)
  • 第4回(1978年度)ラジオ「CM」部門最優秀賞(中村靖国・斎藤千恵子)
  • 第5回(1979年度)テレビ「CM」部門最優秀賞(吉弘知代)、ラジオ「CM」部門優秀賞(大塚浩・小原三永子)
  • 第6回(1980年度)テレビ「CM」部門優秀賞(山中景子)、ラジオ「CM」部門優秀賞(若林祥子)
  • 第7回(1981年度)ラジオ「CM」部門優秀賞(池葉宏・小島京子)
  • 第8回(1982年度)ラジオ「番組」部門優秀賞(大塚浩)、「CM」部門優秀賞(石田万里子)
  • 第9回(1983年度)テレビ「CM」部門優秀賞(鈴木磐・前川万利子)
  • 第10回(1984年度)テレビ「CM」部門最優秀賞(小野沢裕子)、ラジオ「CM」部門優秀賞(鍵冨徹・増山由美子)
  • 第11回(1985年度)テレビ「CM」部門最優秀賞(伊藤充)
  • 第12回(1986年度)テレビ「CM」部門優秀賞(増山由美子)、ラジオ「番組」部門最優秀賞(斎藤千恵子)
  • 第13回(1987年度)ラジオ「CM・ショッピング番組」部門優秀賞(高坂元己・中岡みち)
  • 第14回(1988年度)テレビ「CM・ショッピング番組」部門優秀賞(杉山明子・大塚浩)、ラジオ「CM・ショッピング番組」部門優秀賞(石塚かおり・河内潤一)
  • 第17回(1991年度)テレビ「CM」部門優秀賞(渡辺菜穂子)、ラジオ「CM・ショッピング番組」部門最優秀賞(高坂元己)
  • 第20回(1994年度)ラジオ「CM」部門最優秀賞(増山由美子)
  • 第22回(1996年度)テレビ「CM」部門最優秀賞(田巻直子)
  • 第24回(1998年度)ラジオ「番組」部門優秀賞(石塚かおり)
  • 第27回(2001年度)ラジオ「フリートーク」部門優秀賞(石塚かおり)
  • 第28回(2002年度)テレビ「読み・ナレーション」部門優秀賞(近藤丈靖)
  • 第29回(2003年度)ラジオ「読み・ナレーション」部門優秀賞(近藤丈靖)
  • 第30回(2004年度)ラジオ「読み・ナレーション」部門優秀賞(近藤丈靖)、「CM」部門最優秀賞(田巻直子)、活動(新潟放送アナウンサーグループ)
  • 第31回(2005年度)ラジオ「スポーツ実況」部門優秀賞(星野一弘)
  • 第34回(2008年度)テレビ「フリートーク」部門優秀賞(田巻直子)
  • 第36回(2010年度)ラジオ「スポーツ実況」部門最優秀賞・グランダプレミオ(高橋知幸)、「CM」部門優秀賞(實石あづさ)
  • 第38回(2012年度)活動部門賞(新潟放送アナウンス部)
  • 第39回(2013年度)ラジオ「スポーツ実況」部門優秀賞(喜谷知純)
  • 第43回(2017年度)テレビ「読み・ナレーション」部門優秀賞(近藤丈靖)、ラジオ「CM」部門優秀賞(坂部友宏・黒崎貴之・田中碧・石塚かおり)
  • 第44回(2018年度)テレビ「読み・ナレーション」部門優秀賞(坂部友宏)
  • 第46回(2020年度)テレビ「スポーツ実況」部門優秀賞(黒崎貴之)

注釈

  1. ^ JASDAQ市場。
  2. ^ しかしこの申請後、河渡に送信所を設置することで難航し、その後競馬場、綱川原、清五郎、中木戸、飛行場付近等に変転したものの、最終的には翌月(6月)の12日に、綱川原に送信所を設置することで決着し、後日、内容変更書類を提出することにした。
  3. ^ 2010年6月に閉店し、跡地は「新潟プラザビル」に変わっている。
  4. ^ 時間は、11時~15時と17時~21時の1日8時間で、ニュース、音楽等を流していた。
  5. ^ この時の放送時間は、毎日朝6時から夜10時半までで、途中朝10時、午後3時からそれぞれ1時間休止があった。
  6. ^ 前月(11月)の26日に本免許を取得(周波数:1460kHz、出力:100W)。11月29日には、直江津小学校にて、同放送局の開局式典が行われた。
  7. ^ 同月13日に本免許を取得(周波数:1220kHz、出力:100W)し、この日(13日)の15時55分より、サービス放送を開始している。開局日の15日には、長岡市公民館で開局式が行われた。
  8. ^ 大和新潟店7階の演奏所が完成からわずか3年足らずで焼失する。しかし、引火する寸前まで大和屋上から火災の実況生中継を行い、実況スタッフが避難した直後より網川原ラジオ送信所から行った臨時放送と合わせ、各方面から高く評価された。この日から新社屋が機能するまでの約8ヶ月間、送信所内の仮設アナブースからの番組と県内各所からの公開番組で放送をカバーする。
  9. ^ 二年参りで混雑する弥彦神社で深夜0時過ぎ、参拝客が将棋倒しになり死傷者201人の大惨事が発生。ラジオ新潟の社員2人が現場に居合わせたため早期取材体制に入る。放送開始時間を30分繰り上げ4時30分から放送開始。この日に予定していた正月特番を急遽報道番組に変更する。
  10. ^ 当時のラジオ東京(KRT)テレビ等で放送された当番組が第13回芸術祭大賞を受賞したため、ビデオテープで収録していた本放送をこの日に全国にマイクロネットで記念再放送したもの。同番組は現在、TBSテレビの番組における最古の番組資料でもあり、またビデオテープでもある。
  11. ^ ちなみにこのタイプの英文社名は、BSNの他にはこの3か月後に株式会社ラジオ山陰(RSB)から社名変更した株式会社山陰放送(BSS:〜 of San-in)だけである。
  12. ^ 1960年11月29日に、株式会社ラジオ東京がTBS(株式会社東京放送)に社名を変更した流れを受けたものであるといわれている。また、この頃より旧ロゴ(1992年(平成4年)3月末まで用いられたもの)の使用を開始した。
  13. ^ NEC製の放送用VTR(型番:TT-1)を2台購入。このVTRの値段は当時で、1台2490万円だった。
  14. ^ 最初の稼働は、この日の「武田ロマン劇場」(日本テレビ制作)のVTR送りによる遅れネット放送だった。
  15. ^ これを記念した特別番組として、「リクエスト合戦」を放送。
  16. ^ 尚、番組編成上、同局のカラー放送開始は翌々日の10月3日となった。
  17. ^ 同局のカラー放送第1弾は、日本テレビからのネットで、米映画ドラマ『カート・ライト兄弟』だった(同日20時からの55分番組)。同局のカラー放送開始当初、レギュラーのカラー番組は同番組の他に、日本テレビの『私のクイズ』、TBSテレビのカラーアニメ『トムとジェリー」の計3番組だけだった。新潟日報 1964年10月9日 オリンピック特集特別紙面 P.8 BSN新潟放送のテレビオリンピック放送広告に記載(新潟日報マイクロフィルム版にて閲覧)
  18. ^ 初めはテストケースで行われた。番組内容は記録映画『若人の祭典』だった。
  19. ^ 後に音声多重化等の改造工事等も行ったが、新館局舎移転になる前日の1987年(昭和62年)4月5日まで使用された。
  20. ^ 同年の4月からNHKがカラー契約を開始したことや、同局の「第11回テレビスポットコンクール」の開始が同日だったこと、更に同年の11月29日にNST新潟総合テレビがサービス放送を開始したこと(同局の開局は翌月の16日)が影響している。
  21. ^ カラー化に伴いテレビスタジオには、東芝製カラープランビコンカメラ3台が配置される。
  22. ^ ただし、番組の前半部分は『ミュージックポスト』放送開始以降、新潟放送局周辺以外の地域(上越・中越地方)でも放送していた。
  23. ^ それまでは朝日系をTBSテレビ系列の局が、毎日系をNET系の局がネット受けしていた。
  24. ^ ただし、朝日放送テレビの一部の番組(NST新潟総合テレビの番組枠の都合で放送できない番組、一部の一本買いの番組等)は、1983年9月30日の新潟テレビ21開局前日まで放送された。
  25. ^ 但し、NRN公式サイトでは昭和45年加盟となっている。
  26. ^ JODO上越放送局の1530kHzは、9kHzごとの所定の周波数であったため、変更する必要がなかった。
  27. ^ ちなみに初めの同放送は、朝6時57分の『天気予報』のステレオ放送で、同日放送開始前のテストパターンの音楽もステレオ放送だった。
  28. ^ 移行した主な番組は、「笑点」、「グランド劇場」、「健康増進時代」。
  29. ^ 16時からの55分番組。ステレオ放送だったものの、同日の新聞のテレビ番組欄には同番組のステレオ番組の表記がなかった。
  30. ^ その後は、ENGを使ったビデオ取材に1本化される。
  31. ^ この時は、番組の演出上、シンガーソングライターの泰葉がピアノを弾きながら歌っている最中(楽曲は『水色のワンピース』)に切り替えられた。また、この変更の瞬間を収録したテープを送ってプレゼントを当てる懸賞キャンペーンも行われた。
  32. ^ あまから問答」等が移行。
  33. ^ 第1ラジオスタジオ内の吸音素材にはラジオスタジオでは日本初、特殊セラミックパネルを壁一面(副調整室のある壁面のみ張られていない)に張る工法を採用し、完成後は多くの放送、音響に関わる関係者が見学に訪れた。またこの頃は、セラミックパネルの効果を活かした生演奏企画が番組内で多く行われた。
  34. ^ スタジオには、東芝製カラーCCDカメラが3台導入される。音声はステレオ対応。このスタジオ運用開始に伴い、ローカル番組『土曜はヨイショ!!』がステレオ放送になる。
  35. ^ ローカル番組でも、『土曜はヨイショ!!』等のテレビスタジオの番組にて同放送が行われた。
  36. ^ JNNでは、TBSテレビ、毎日放送に次いで3局目であった。
  37. ^ 同放送が、後に開始される地上デジタルテレビ放送におけるデータ放送に変わることによる処置である。
  38. ^ この日は新潟県を含む全国のNHKの地方局13局と、全国の地方民放40局が同時に予備免許を取得した。インプレス社AV Watch 2005年6月9日付記事
  39. ^ スタジオカメラはテレビ放送開始以来東芝製であったが、ハイビジョン放送の開始に伴い初めてソニー製(品番:HDC-900)になる。
  40. ^ 報道取材に於けるハイビジョン取材の開始は、JNN系列では最も遅い方だった。
  41. ^ a b 局の経済的事情により4時を起点とする23時間放送となる。番組表では、午前3時から4時のフィラーの時間は『深夜音楽』という番組タイトルになっているが、毎日同じクラシック音楽J.S.バッハ作曲 『ブランデンブルク協奏曲』第4 - 6番)と途中2回(同曲第5・6番の冒頭後直ぐ)IDが読まれるだけである。この処置に伴い、以前同時間帯でTBSラジオからネットしていた『JUNK ZERO』と『MIXUP』の2番組が打ち切りとなる。同日時点で信越放送(SBC)でも同じ処置が採られていた(SBCのそれはフィラー音楽がなく、停波を伴う休止枠だった)が、2009年秋よりネット受けを再開。現在は全国で唯一ネット受けをしていない。なお、2013年度(同4月6日深夜=4月7日から)は、土曜深夜(日曜未明)の『深夜音楽』の時間が3時-5時に拡大されるため、日曜日付けの実質的な放送は5時開始となる。
  42. ^ 自前でのローカルテレビ中継でのハイビジョン化は、県内民放では最も遅かった。いずれも報道等の簡易中継用である。
  43. ^ 但し、スポーツ等の大規模な中継番組は、引き続き自前のSD画質の大型中継車を使って行っている。
  44. ^ 九州朝日放送株式会社(KBCグループホールディングス株式会社)と同日に移行予定であった。
  45. ^ 火災の翌々日、秋田放送からもお見舞いの社員2人が送信所を訪れトランク2つ分の各種電気工具コード等を持参し寄贈した。秋田放送技術部長の指示によるもので火災で何もかも亡くしたのだから工具なんかなくて困っているだろうと自社のストック品を提供してくれたため何もなくて困っていた技術系社員は感激したという。
  46. ^ リクエストランキングデータがTBSテレビ製作『ザ・ベストテン』のラジオ総合ベスト10のBSNのデータとして毎週提供されていた。(1978年-1985年頃まで)
  47. ^ 1985年頃より、『BSNサテライト・ヒットパレード』から『ザ・ベストテン』のラジオ総合ベスト10のBSNのデータとして毎週提供されていた。
  48. ^ 新潟本局からのみ放送(他の親局では非放送)。
  49. ^ a b 2019年3月25日放送回をもって放送を一時休止。2020年9月時点の 番組ページ では終了と記載。
  50. ^ 不定期ながら土曜 16:00 - 17:00の枠で再放送あり。
  51. ^ 『土曜ランチTV なじラテ。』の中の1コーナーを編集して再放送。
  52. ^ カメラマンが魅せた新潟の風景(深夜から早朝にかけてのフィラー番組(過去には「TBS NEWS」休止時または開始前の時間調整として放送)で、県内の四季の風景映像を放送している。ただし、新潟本社演奏所あるいは弥彦送信所において停波を伴う大規模工事を行う場合はこの限りではない。)なお、県内の民放4局での通常時での終夜放送を初めて行った局でもある(1994年よりお天気フィラーを実施。)
  53. ^ 土曜のみ時差ネット。
  54. ^ CBCテレビでは48分番組として放送されているが、当局では30分編集版が放送されている。
  55. ^ テレビドラマ版はテレビ新潟放送網で放送。
  56. ^ スポーツ中継等で短縮もしくは休止の場合あり。
  57. ^ 『ノブナガ』で放送された企画の一つである『地名しりとり』コーナーを再編集した番組。
  58. ^ アニメ版はNST新潟総合テレビで放送。
  59. ^ レギュラー放送第2期はテレビ新潟で放送。
  60. ^ ウルトラマン クロニクルZ ヒーローズオデッセイ』以前は県内未放送。
  61. ^ スポンサーのJRAの都合で、日曜日の競馬中継を1999年12月まで放送していた。
  62. ^ 1981年3月までNNSに加盟していたNST新潟総合テレビは当大会の中継には不参加。(他にNNSに加盟しながら当大会の中継に参加しなかった局はKTSである。)
  63. ^ NST新潟総合テレビの競馬中継が7月の『FNSの日』や10月第2日曜の『F1日本グランプリ』等で放送休止された時に放送。
  64. ^ ラブライブ!スーパースター!!』はNHKEテレ・新潟で放送。
  65. ^ 1970年代半ばには既に設置されていた。同カメラは1985年に完成された現在の新潟県庁舎(新潟市中央区新光町)の工事状況の映像をこまめに保存しており、その模様は、2008年12月23日の「発見! 発掘! 新潟とテレビの50年」にて放送された。2005年10月には既にハイビジョン化されており、サイマル試験放送前のデジタルテレビ放送の試験電波でも、このカメラで撮った生の映像がハイビジョンで放送されていたことがある。
  66. ^ BS日本(BS日テレ。日本テレビ系BS放送局)もこの影響でドメインが「bs-n.co.jp」となっており、新潟放送や該当の他社と紛らわしくなっていた(2008年にBSデジタルリモコンキーID「4」を意味する「BS4」を略称としたことで「bs4.jp」に変更)。

出典

  1. ^ a b c 株式会社新潟放送 定款 第1章第1条2項
  2. ^ a b c d e f g h i BSN新潟放送|会社概要”. 新潟放送. 2023年6月10日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2023』コーケン出版、2023年11月30日、333頁。 
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  5. ^ a b c 株式会社新潟放送 定款 第1章第1条
  6. ^ a b c 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、565頁。 
  7. ^ a b c 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、564頁。 
  8. ^ a b 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、563頁。 
  9. ^ a b c d e f 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、562頁。 
  10. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、560頁。 
  11. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、56、559頁。 
  12. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、558~9頁。 
  13. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、556頁。 
  14. ^ a b c 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、553頁。 
  15. ^ a b 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、552頁。 
  16. ^ 新潟日報2017年12月4日付テレビ欄の下部広告(P.28)に記載。
  17. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、551頁。 
  18. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、550~1頁。 
  19. ^ 新潟放送『新潟放送15年のあゆみ』新潟放送、1967年10月15日、622頁。 
  20. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、550頁。 
  21. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、549頁。 
  22. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、547頁。 
  23. ^ a b c d e 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、543頁。 
  24. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、542頁。 
  25. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、541頁。 
  26. ^ a b 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、540頁。 
  27. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、540頁。 
  28. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、535頁。 
  29. ^ a b 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、76、534頁。 
  30. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、533頁。 
  31. ^ a b c 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、528頁。 
  32. ^ 新潟放送『新潟放送15年のあゆみ』新潟放送、1967年10月15日、452頁。 
  33. ^ 新潟放送『新潟放送15年のあゆみ』新潟放送、1967年10月15日、608頁。 
  34. ^ a b c 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、527頁。 
  35. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、526頁。 
  36. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、525頁。 
  37. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、524頁。 
  38. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、523頁。 
  39. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、522頁。 
  40. ^ a b 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、521頁。 
  41. ^ 新潟日報の同日付の新聞の番組欄に記載。同新聞の2017年12月4日付テレビ欄の下部広告(P.28)にも記載されている。
  42. ^ a b c >新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、519頁。 
  43. ^ 新潟日報 1964年10月3日朝刊 P.8 テレビ欄(新潟日報マイクロフィルム版にて閲覧)
  44. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、517頁。 
  45. ^ a b 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、516頁。 
  46. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、515頁。 
  47. ^ 新潟放送社史編纂委員会 編集『新潟放送十五年のあゆみ』新潟放送、1967年、416頁。 
  48. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、512頁。 
  49. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、509頁。 
  50. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、508頁。 
  51. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、504頁。 
  52. ^ 新潟放送十五年のあゆみ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  53. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、502頁。 
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  72. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、466頁。 
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  76. ^ a b 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、458頁。 
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  79. ^ 新潟日報 2017年12月4日付朝刊 P.28 テレビ欄の下部広告に記載。放送時間は、平日の18時から30分間。
  80. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、451頁。 
  81. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、146、448頁。 
  82. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、447頁。 
  83. ^ a b 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、444頁。 
  84. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、443頁。 
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  88. ^ 新潟日報 1980年11月29日朝刊 P.24 テレビ欄 及び P.5 BSN新潟放送広告「BSNテレビで、きょう開始 音声多重放送」(新潟日報マイクロフィルム版にて閲覧)
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  107. ^ [2]
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  127. ^ 2016年10月29日放送のNHK Eテレ『全日本ソフトテニス選手権』の実況担当者として記載あり(週刊ザテレビジョン北海道・青森版2016年11月4日号 p45及び週刊TVガイド北海道版2016年11月4日号 p53で確認、いずれも2016年10月26日閲覧)
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  129. ^ http://texfarm.com/works/entry-199.html TEX FORM INC,ホームページ
  130. ^ 松本 [@matsushin1978] (2021年8月26日). "BSN新潟放送のキャラ、熊っぽいほうが「タネマキスキー」、植木鉢のほうが「はぐっくま」なの、見た目の印象とキャラの名前が逆じゃないですか…?". X(旧Twitter)より2022年12月15日閲覧






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