新春かくし芸大会
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『新春かくし芸大会』(しんしゅんかくしげいたいかい)は、フジテレビ系列で1964年から2010年まで毎年1回、正月に放送されていた大型バラエティ番組。回によってタイトルに多少の変更がある。主に、元日のゴールデンタイム・プライムタイム(JST)に放送されていた。略称は『かくし芸』。
注釈
- ^ 『8時だョ!全員集合』は、ドリフが出演しているだけでなく当番組を制作している渡辺プロが企画と制作協力に関わっているため、どうしても当番組とは重複出来なかった。
- ^ 1987年(東軍優勝)の時は、優勝決定ファンファーレの時はスクールメイツによる紙テープ投げだけ。その後エンディングに入ると東軍のくす玉が割れるという変形パターンだった。
- ^ エンディングのナレーションでは「いったん幕を下ろすかくし芸、でもなくなるわけではありません。(中略)次の始まりまでさようなら。」と言っているが、2023年現在まで復活版として放送されたことは一度もない。
- ^ 当時『クイズグランプリ』と『スター千一夜』は土曜も放送していた。なお『土曜劇場 ぼんち』と『木枯し紋次郎』もこの日にスタートし、1972年元日のフジテレビは19:00から23:26まで全て通常番組だった。
- ^ 21:00のみ特別番組『アッ!はぷにんぐ・ニューイヤー』を放送した。
- ^ フジテレビでは当該時間帯にやはり『全員集合』のライバル番組だった『オレたちひょうきん族』の生放送特番『初笑い!ひょうきんスペシャル ワイド生放送』を放送していた。
- ^ 本来この日時は日本テレビ系で『新春スポーツスペシャル箱根駅伝 往路』が放送されているが、当時テレビ宮崎はまだ往路のネット受けはしていなかった。(翌2007年に12:00飛び乗りでネットを開始し、2017年にようやくフルネットに移行した。)
- ^ 1980年の東軍で、ザ・スパイダースが1967年に発表した『バン・バン・バン』を使った例がある。因みに、この時はスパイダースメンバーだった堺や井上らは参加しなかった。
- ^ 例外として、1977年大会で東軍が『東村山音頭』替え歌を使用した時、参加した志村は合いの手は元より、3番前の台詞「さあ、次は『一丁目』いきましょう! ワーオ!」「今年も東が優勝だ、ワーオ!」も志村自身が担当した。
- ^ このヒツジセットの顔は露木茂がモデルで、オープニングでも司会の堺が「もう一人紹介したい人がいます。露木茂さんでーす!」と紹介していた。
- ^ ただし1975年は、両軍の出演者席の最上部設置に変更された。
- ^ 1992年、1993年の各審査員の点数はLED電光掲示板(平成初期に日本のテレビ番組(同局の『関根&ルーの!クイズサクセス』やTBS系『敏感!エコノクエスト』など。)でよく使われていたもので、数字自体が若干右斜めに表示。)を使用した。
- ^ 当時編成から外れたフジテレビ系列番組を若干放送していた、広島ホームテレビ(NETテレビ系列)や中国放送(TBS系列)への放映権譲渡も行われなかった。
出典
- ^ “「新春かくし芸大会」はなぜ生き残れなかったのか 1994年に迎えた大きな曲がり角”. 週刊新潮. p. 1 (2022年1月2日). 2022年1月3日閲覧。
- ^ #52 バラエティー番組に進出! (YouTube配信). メディアあどりぶ倶楽部. 5 September 2020. 2021年8月27日閲覧。
元関西テレビアナウンサー杉本清さんにお話をうかがいました。
- ^ 産経新聞(岡山版)、1973年1月1日、テレビ欄。本来の放送時間ではNETテレビから『バビル二世』『緋牡丹博徒 お竜参上』『長谷川伸シリーズ』を同時ネットしていた。
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