新井白石 著書

新井白石

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 00:15 UTC 版)

著書

諸大名の家系図を整理した『藩翰譜』、『読史余論』、古代史について書いた『古史通』、また白石自身「奇会」と断言したシドッチへの尋問後に記した西洋事情の書『西洋紀聞』『采覧異言』、さらに琉球の使節(程順則・名護親方寵文や向受祐・玉城親方朝薫など)らとの会談で得た情報等をまとめた『南島志』や、回想録『折たく柴の記』などを残した。著書『古史通或問』の中では、古代史上最大の謎といえる邪馬台国の位置を大和国と主張しており、日本で初めて本格的に論じたものとして有名である(邪馬台国の位置については、晩年の『外国之事調書』で九州説に転じた)。歴史関連では、他に晩年執筆された『史疑』があるが、白石の没後所在不明となっている[7]


注釈

  1. ^ 太田亮『姓氏家系大辞典』(1934年)などでは白石の遠祖は新田義房の子荒井(荒居)覚義の子孫とする。加えて『系図纂要』では白石の祖父の代に新井氏に改めたと伝える。
  2. ^ 21歳の時(1678年:延宝6年)、父親が土屋家の内紛に関係して追放禁固刑に処され(約2年間)たとの説がある[4]
  3. ^ 大石慎三郎などの研究による。
  4. ^ 荻生徂徠は白石の通貨政策の失敗を、病気をなおすのに劇薬をもっておこない、それが過度のものであったと評している[6]

出典

  1. ^ 山本博文監修『江戸時代人物控1000』(小学館、2007年)18頁。ISBN 978-4-09-626607-6
  2. ^ a b 『新井白石全集 第6巻』「附録 白石先生年譜」(国書刊行会、1977年、原著は1905年)
  3. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰『コンサイス日本人名辞典 第5版』(株式会社三省堂、2009年)57頁。
  4. ^ a b 岡田俊裕『日本地理学人物事典 [近世編]』(原書房、2011年)p54
  5. ^ 奈良本(1974)pp.83-86
  6. ^ 奈良本(1974)p.86
  7. ^ 『日本近世人名辞典』吉川弘文館、2005年、31頁






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