忠犬ハチ公 忠犬ハチ公の概要

忠犬ハチ公

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/06/10 16:37 UTC 版)

ハチ
晩年のハチ
別名・愛称 忠犬ハチ公
生物 イヌ
犬種 秋田犬(あきたいぬ)
生誕 1923年大正12年)11月10日
日本の旗 日本 秋田県北秋田郡二井田村
(現・大館市
死没 1935年3月8日(満11歳没)
日本の旗 日本 東京府東京市渋谷区
飼い主 上野英三郎

渋谷駅前にはハチの銅像が設置されており、この「忠犬ハチ公像」は渋谷のシンボルともなっている。

概要

ハチは、飼い主が死亡した後も駅前で帰りを待ち続けた「忠犬」として知られる。東京・渋谷をはじめ、ゆかりの地には像が置かれており、渋谷駅前のハチ公銅像はいつしか待ち合わせの目印として使われるようになり、その銅像周囲は待ち合わせ場所として「ハチ公前」などとして親しまれている。

ハチの飼い主は東京府豊多摩郡渋谷町(現:東京都渋谷区)に住んでいた大学教授・上野英三郎であった。彼は大変な愛犬家であり、出かけるときには渋谷駅までハチを伴うことも多かった[1]。しかしながらハチを飼い始めた翌年にあたる1925年(大正14年)に上野は急死した。

上野英三郎の死後も渋谷駅前で亡くなった飼い主の帰りを毎日待ち続けたハチの姿は、新聞記事に掲載され、人々に感銘を与えたことから「忠犬ハチ公」と呼ばれるようになった。

さらに、1934年昭和9年)には渋谷駅前にハチの銅像が設置されることとなり、その除幕式にはハチ自身も参列した。同じく1934年(昭和9年)に尋常小学校2年生の修身の教科書にも、「恩ヲ忘レルナ」というハチの物語が採用された[2][3]

ハチの銅像は第二次大戦中の資材供出によって破壊されたが、戦後再建され、現在に至るまで渋谷のシンボルとして、また渋谷駅前における待ち合わせの目印となって立像している[1]

ハチの生涯

生誕

ハチは1923年大正12年)11月10日[4]秋田県北秋田郡二井田村(現・大館市)大子内の斉藤義一宅で誕生した[5]。父犬の名は「オオシナイ(大子内)」、母犬の名は「ゴマ(胡麻)」であった。

上野宅での生活

東京帝国大学農学部で教授を務めていた上野は秋田犬の仔犬を飼いたいとの希望があり、ハチは世間瀬という人物によって上野のもとへ届けられることになった。ハチの価格は30円(当時)であり、生後間もない1924年(大正13年)1月14日、米俵に入れられて大館駅を出発、急行第702列車の荷物車にて20時間の移動後、東京の上野駅に到着した[6]

上野の居宅は、東京府豊多摩郡渋谷町大字中渋谷字大向834番地(現:渋谷区松濤一丁目付近)にあり、ハチは、「ジョン」と「エス (S)」という二頭の犬たちと共に飼われた。このうちポインター犬のジョンは、特にハチの面倒見がよかった。

ハチは、玄関先や門の前で主人・上野を必ず見送り、時には最寄駅の渋谷駅まで送り迎えすることもあった。

上野の死後

ハチを飼い始めて1年余りが経った1925年(大正14年)5月21日、主人・上野は農学部教授会会議の後に脳溢血で倒れ、急死してしまう[1]。ハチは、この後3日間は何も食べなかった。同25日には故主・上野の通夜が行われたが、その日もハチは、ジョンとSと一緒に上野を渋谷駅まで迎えに行っていたという。

その後、ハチは上野の妻、八重の親戚の日本橋伝馬町の呉服屋へ預けられるが、人懐っこい性格から店に客が来るとすぐ飛びついてしまうため商売にならず、そのため浅草の高橋千吉(高橋子之吉[1])宅へと移された。しかし、ハチの上野を慕う心は甚だしかったためか、散歩中渋谷に向かって逸走するなどのことがあるほどだった[1]。さらに、ここでもハチのことで、高橋と近所の住人との間でもめごとが起こり、ハチは再び渋谷の上野宅へ戻されてしまう。渋谷に戻ったハチは近所の畑で走り回り、作物を駄目にしてしまうということから、今度は渋谷の隣、豊多摩郡代々幡町大字代々木富ケ谷(現:渋谷区富ヶ谷)に住んでいた上野宅出入りの植木職人でハチを幼少時から可愛がっていた小林菊三郎のもとに預けられる[1]

ハチが代々木富ケ谷の小林宅に移ったのは上野が死亡してから2年余りがたった1927年昭和2年)秋のことであったが、この頃から渋谷駅で、上野が帰宅していた時間にハチが頻繁に目撃されるようになった。

ハチは小林にもねんごろに愛育されていたのにもかかわらず、渋谷駅を訪れては道行く人々を見、食事のために小林宅に戻ってはまた渋谷駅に向かうということを繰り返していた[1]。ハチが渋谷駅を訪れる際には、途中の渋谷大向にある旧上野邸に必ず立ち寄って、窓から中を覗いていたという。

忠犬ハチ公

渋谷駅前に現れ故主を待つようになったハチは、通行人や商売人からしばしば虐待を受けたり、子供の悪戯の対象となっていた。

一方、上野を迎えに渋谷駅に通うハチのことを知っていた日本犬保存会初代会長・斎藤弘吉1932年(昭和7年)、渋谷駅周辺で邪険に扱われているハチを哀れみ、ハチの事を新聞に寄稿した。これは東京朝日新聞に、「いとしや老犬物語」というタイトルで掲載され、その内容は人々の心を打った。ハチに付いては翌1933年昭和8年)にも新聞報道され、さらに広く知られるようになり[1]、有名となったハチは「ハチ公」と呼ばれかわいがられるようになる。

ハチに食べ物を持参する者も多く現れるようになり、またその人気から渋谷駅はハチが駅で寝泊りすることを許すようになった[1]。ハチの晩年を写した写真では左耳が垂れているが、これは生まれつきのものではなく、野犬に噛み付かれた際の後遺症である[7]

1933年(昭和8年)11月、ハチが世界的な愛犬団体「ポチクラブ」から表彰される。

1934年(昭和9年)、ハチが映画『アルプス大将』(監督:山本嘉次郎)に出演する。この映画で生きているハチを見る事ができる。

ハチの死亡

青山霊園にあるハチと上野英三郎の墓所

上野が死去してから10年近くが経った1935年(昭和10年)3月8日午前6時過ぎ、ハチは渋谷川に架かる稲荷橋付近、滝沢酒店北側路地の入口で死んでいるのを発見された。ここは渋谷駅の反対側で、普段はハチが行かない場所であった。

ハチの死後、渋谷駅では12日にハチの告別式が行われ、上野の妻・八重や、富ヶ谷の小林夫妻、駅や町内の人々など多数参列した。また、渋谷・宮益坂にあった妙祐寺の僧侶など16人による読経が行われ、花環25、生花200、手紙や電報が180、200円を超える香典など、人間さながらの葬儀が執り行われたという[8]

ハチは上野と同じ青山霊園に葬られ、その墓は亡き主人の墓のすぐ隣に寄り添うように立てられた。死体は坂本喜一と内弟子の本田晋によって剥製にされ、現在は東京・上野国立科学博物館に所蔵され、幾度となくメディアにも登場している。

ハチの死因

ハチが死亡後、間もなく、死体の病理解剖が上野の勤務先であった東京帝国大学農学部において行われた。

解剖の結果、ハチの心臓肝臓には大量のフィラリアが寄生し、それに伴う腹水が貯留していた。また、の中からは焼き鳥のものと思われる串が3 - 4本見つかっている。

解剖後、ハチの剥製が作成されたが、内臓はホルマリンに漬けられて保存された。これら臓器については2010年平成22年)暮れから検査が行われ、重度のフィラリア症であったことが確認されたとともに、心臓とには重度のも見つかった。この再検査の結果が2011年に発表され、死因としてはフィラリアと癌によるものと結論された[9][10]

ハチの臓器標本は現在、東京大学農学資料館(弥生キャンパス農正門入ってすぐ右)に展示されており、フィラリアが寄生している様子も観察できる。


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  1. ^ a b c d e f g h i j 東京ふる里文庫11 東京にふる里をつくる会編 『渋谷区の歴史』 名著出版 昭和53年9月30日発行 p260-2
  2. ^ 文部省『尋常小学修身書:児童用 巻2』(1934)
  3. ^ アーロン・スキャブランド『犬の帝国』(岩波書店)によれば、「一九三〇年代の文脈でみれば、ハチ公の話は複雑に絡み合った不穏とさえ言える意味合いを帯びてくるのである。ハチ公が有名になったのはほかでもない、この犬が愛好家から政府官僚にいたるまで国家の理想を体現するもの、すなわち日本的体質、純血、ひとりの主人への献身、恐れを知らぬ闘士と見なされたからである」といって「日本が経験したファシズムの文化のなかでハチ公が果たした重要な役割」を持っているという。
  4. ^ 生年月日には、「大正12年12月16日」説もある
  5. ^ 斉藤宅は、元国連事務総長・明石康の母親の実家である
  6. ^ 鉄道ピクトリアル』No.813(2009年1月) p.78 電気車研究会
  7. ^ 「忠犬ハチ公の剥製は僕がつくった」(椎名仙卓著『大正博物館秘話』 論創社、2002年3月
  8. ^ 歴史雑学探偵団編「発見!意外に知らない昭和史―誰かに話したくなるあの日の出来事194  東京書店、2007年7月
  9. ^ ハチ公は「がん」だった 76年ぶり新たな死因判明 東大研究
  10. ^ 新たに判明し忠犬ハチ公の死因ついて(東京大学大学院 農学生命科学研究科 獣医病理学教室) (PDF)
  11. ^ a b c 林正春『ハチ公文献集』自費出版(非売品)1991年 全国主要図書館に寄贈
  12. ^ 「忠犬ハチ公の剥製は僕がつくった」(椎名仙卓著『大正博物館秘話』 論創社、2002年3月
  13. ^ a b 2010年9月30日放送、テレビ東京「土曜スペシャル:なるほど再発見!明治〜昭和の写真でめぐる東京散歩」内、安藤士・談
  14. ^ 忠犬ハチ公のおはなし
  15. ^ 忠犬ハチ公のおはなし
  16. ^ a b 渋谷図書館郷土資料 『写真集 渋谷の昔と今』 昭和60年3月31日発行(渋谷区立渋谷図書館)
  17. ^ 歴史群像 -学研デジタル歴史館- 「TOKYO銅像マップ」(2012年11月10日閲覧)
  18. ^ 「目撃者が語る日本史の決定的瞬間」 (別冊歴史読本 (新人物往来社))
  19. ^ ハチ公略年譜
  20. ^ 各地で精力的に講演-県内の耕地整理奨励に尽力
  21. ^ 山梨日日新聞 昭和57年1月9日 甲斐犬物語8ハチ公1 教科書には「いつも決まった時間に主人を迎えに行く」とあるが、当時の上野は大学教授だったので、出勤も帰宅も不規則だった。そのころ高橋も渋谷駅を利用していた。しかし、ハチは主人の出勤、帰宅に関係ない時間帯に駅前をぶらぶらしていた。高橋は「ハチ公が駅のまわりをぶらぶらしているのを見て、駅員が勝手に解釈したのではないだろうか」と言う。
    山梨日日新聞 昭和57年1月10日 甲斐犬物語9ハチ公2 高橋者「あまり騒ぐと秋田犬を飼う人におこられるので!」と注釈をつけ「忠犬ハチ公の話はデッチ上げたものだと思う」と結論づける。「ハチ公の話は戦争中、盛んに、”忠義”という言葉が乱用され、ハチ公もその忠義宣伝のために利用された」と分析する。
  22. ^ 宮脇俊三 『時刻表昭和史』 増補版 角川書店 平成9年 ISBN 978-4048834810
  23. ^ a b 交通新聞2010年1月20日報道
  24. ^ 第1回ベストアイドルドッグ
  25. ^ ひさい地域だより秋号 (PDF) - 津市
  26. ^ 一ノ瀬正樹・正木春彦 編『東大ハチ公物語』東京大学出版会(2015)
  27. ^ 渋谷駅『渋谷駅一〇〇年史・忠犬ハチ公五〇年』弘済出版社(1985)







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