忍者
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著名な忍者
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実在の人物と関係がありそうだと言われているが本当に関係があったかわからない忍者
実在した忍者
実在した人物でも、実体の部分と虚像の部分の両面がある。
- 青山虎之助 - 甲賀流忍者。徳川家康に仕えた。
- 伊賀崎道順 - 戦国時代 伊賀者
- 出浦盛清 - 戦国時代、真田十勇士の霧隠才蔵のモデルとなった実在の人物
- 上月佐助(下柘植ノ木猿) - 真田幸村に仕えた真田十勇士の甲賀忍者 猿飛佐助のモデルとなった人物
- 加藤段蔵(飛び加藤あるいは鳶加藤とも)戦国時代
- 唐沢玄蕃 - 戦国時代 「飛び六法」と称される。
- 空閑三河守光家 - 戦国時代 肥前国龍造寺隆信の重臣。常に忍びの上手を多く抱え置き、忍者の頭目としての役割を担っていた。
- 高坂甚内 - 戦国時代 透破 甲州流。鳶沢甚内(古着商の元締)、庄司甚内(遊郭の元締)と共に「三甚内」と呼ばれる。
- 古賀源太夫 - 幕末の頃、佐賀藩の支藩である蓮池藩は長崎警備を担っており、外国船の動静を探らしむため、藩士の古賀源太夫を密偵として派遣した。
- 鹿折信濃 - 戦国時代 黒脛巾組
- 諏訪薩摩守 - 戦国時代、摂津国で三好氏に仕えた。
- 竹永隼人兼次 - 戦国時代、奥州の人
- 田原安右衛門 - 江戸時代 佐賀藩の支藩である蓮池藩で藤津衆鉄炮隊組頭。島原の乱の際、細作として現地に派遣されたという記録が蓮池藩日誌に残る。
- 鉢屋弥之三郎 - 戦国時代 鉢屋衆 尼子家に仕えた。
- 服部半蔵保長 - 戦国時代 伊賀者 服部半蔵の初代
- 服部半蔵正成 - 服部半蔵保長の子。2代目服部半蔵。徳川家の旗本。厳密には忍者ではなく、伊賀忍者を管轄下においていた。
- 服部半蔵正重 - 服部半蔵正成の次男。長安事件に連座して失脚した。後に桑名藩主・松平定綱(定勝の子)に召し抱えられて、桑名藩で服部半蔵家は存続した。
- 風魔 - 戦国時代 後北条氏に仕えた。風魔小太郎のモデルの1人
- 藤林長門守 - 戦国時代 伊賀の三大上忍の1人
- 藤原千方 - 平安時代
- 弁慶夢想(伝林坊頼慶) - 伝林坊頼慶はタイ捨流の忍術を学んだあと、山伏として佐賀の霊山に渡り、彦山八天狗弁慶夢想として忍術を伝えた。
- 三田村次郎衛門 - 福岡藩初代藩主の黒田長政に仕えた渡り忍者。黒田流でありながら甲賀の流れを汲むとされており、後藤又兵衛暗殺の任を受けた。
- 百地丹波 - 戦国時代 ?-1581 架空の人物である百地三太夫のモデルとなった実在人物
- 横谷庄八郎 - 真田氏の配下横谷左近の弟。こちらも真田十勇士猿飛佐助のモデルと言われる。
忍者とする説・忍者のイメージを仮託された人物
- 天武天皇 - 天文遁甲に通じていたことを根拠に豊田有恒が忍者説を唱えた。通常、この「天文遁甲」は忍術ではなく占術のことと解釈されている。
- 杉谷善住坊 - 織田信長を狙撃して失敗した根来衆。
- 果心居士 - 戦国時代 幻術師
- 山本勘助(菅助) - 甲斐武田氏の足軽大将・伝説的軍師。勘助を忍者とする記録は見られないが、近代には新田次郎の歴史小説『武田信玄』で忍者として描かれた。
- 滝川一益 - 織田信長仕官までの経歴が不詳で、甲賀出身であることから、忍者との関係が取り沙汰される。
- 石川五右衛門 - 安土桃山時代の盗賊。古典芸能から映画まで忍術使いとして描かれた作品多数。
- 松尾芭蕉 - 伊賀出身の俳諧師。忍者説の初出は1966年に松本清張と樋口清之が発表した共著『東京の旅』である(該当項参照)。
- 間宮林蔵 - 薩摩藩の鹿児島城に潜入して城中の蘇鉄に名前を刻んだ偉業で知られる公儀隠密。伊能忠敬の弟子でもあり、ロシアの南下に際し幕府の命を受け、樺太の調査を行う。今でも日本の地図には、樺太とシベリヤの海峡に間宮海峡として名を残している。
- 柳生宗矩(柳生但馬守) - 徳川幕府初代大目付。剣豪であり二代秀忠らのボディーガード、さらには徳川家指南役を務めた柳生石舟斎の子。二代将軍・徳川秀忠、三代将軍・徳川家光の信頼が厚く、1636年に一万石に加増され、大名となる。多くの映画・ドラマにより、忍者の総元締めとして認知されるようになった。
- 中根正盛(中根壱岐守) - 公儀隠密の元締。三代将軍・徳川家光、四代将軍・徳川家綱 / 時代の御側・大目付で、将軍の側近として権勢を振るった。配下の与力22名は国目付として諸国監察を任とし、主に諜報活動に従事した。正盛は、これらの与力を通して全国(各藩)津々浦々に隠密組織を保持し、情報網を張り巡らせていた。その隠密組織を幕閣という政府組織の一角に諜報機関として組織化し掌握した。
近現代の忍術の伝承者
- 藤田西湖 - 甲賀流忍術の継承者で甲賀流忍術14世。「最後の忍者」と呼ばれ、昭和中期まで生きていた。
- 川上仁一 - 甲賀流忍術の伴家忍之伝の継承者で甲賀流伴党21代目を称している。
- 高松寿嗣 - 戸隠流忍術33代目継承者とされる。
- 初見良昭 - 戸隠流忍術34代目継承者を称している。
- 島津兼治 - 伊達黒脛巾組忍術継承者を称している。
- 星憲明 - 伊達黒脛巾組忍術の実戦技を継承している。
- 星徳一 - 伊達黒脛巾組忍術の技を継承している。
- 柴田仁一朗 - 徳川幕府の隠密活動の隠密武芸・隠武器工芸を継承し、現NPO法人武蔵忍士団に武蔵(柴田)流を伝承。
- 林邦史朗 - 日本、琉球(忍者の記載文献無し)の忍者の技をNHK大河ドラマなどに取り入れている。
- 筒井巧 - 俳優(『世界忍者戦ジライヤ』主演)、戸隠流忍術35代目継承者。
現代に忍術を伝えると称している武術家が少数ながら存在する。
- 坂口拓 - ウェイブという格闘技の使い手。現代忍者拓と自称している俳優。強さは不明。
注釈
出典
- ^ a b c d 山田雄司(三重大学教授)忍者 はたしてその正体は◇古文書読み解き研究、国内外ファン向け催しで解説◇」『日本経済新聞』朝刊2017年11月2日(文化面)2020年2月25日閲覧
- ^ 藤木久志『雑兵たちの戦場』朝日新聞社。[要文献特定詳細情報]
- ^ 新井孝重『黒田悪党たちの中世史』日本放送出版協会、2005年7月。[要ページ番号]
- ^ “白土三平とカムイ伝の世界”. カムイ伝から見える世界. 2009年5月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月4日閲覧。
- ^ 黒井宏光『忍者完全攻略本』(スタジオタッククリエイティブ、2011年1月)20頁。
- ^ 藤木久志『雑兵たちの戦場』朝日新聞社。[要文献特定詳細情報]
- ^ 折口信夫 『ごろつきの話』 中央公論社。[要文献特定詳細情報]
- ^ a b “忍者(にんじゃ)の意味”. goo国語辞書. 2020年11月6日閲覧。
- ^ 藤田 2012, p. 25.
- ^ 磯田道史『歴史の愉しみ方:忍者・合戦・幕末史に学ぶ』中央公論新社〈中公新書〉、2012年10月。[要ページ番号]
- ^ 童門 1982, p. 215.
- ^ 藤田達生「伊賀者・甲賀者考」(『忍者研究』第1号、2018年8月31日発行)ISSN2433-8990、 p. 25.
- ^ 忍びの館 - 忍者の歴史 - 詳細14 寛永15年(1638)1月 島原の乱に甲賀忍者10人が参加(甲賀)
- ^ 甲賀古士その1 島原の乱 - 忍びの館の忍者コラム 2016年1月8日
- ^ 乍恐以訴状言上仕候[要文献特定詳細情報]
- ^ 藤田 2012, p. 86.
- ^ 山北篤『概説忍者忍術』新紀元社、2004年12月。[要ページ番号]
- ^ 藤田 2012, p. 165.
- ^ 藤田 2012, p. 169.
- ^ a b c d e f クバーソフ・フョードル. “第6回「外国人の目から見た忍者」”. 三重大学 人文学部・人文社会科学研究科. 三重大学. 2018年12月4日閲覧。
- ^ a b c d e f 中村博一 (2011-03). “忍者表象のグローカリゼーション : ナリウッドにおけるソッコト忍者” (PDF). 言語と文化 (文教大学) (23): 256-271 .
- ^ 井上稔浩. “第5回 「Ninjaになった日本の『忍者』」”. 三重大学 人文学部・人文社会科学研究科. 三重大学. 2018年12月4日閲覧。
- ^ mr_hearts_. “日本だけの忍者 : 閑 話 叢 ~北越 《不識庵》にて~”. 閑 話 叢 ~北越 《不識庵》にて~. 2021年5月11日閲覧。
忍者と同じ種類の言葉
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