徳富蘇峰 旧宅・墓地

徳富蘇峰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/05 06:07 UTC 版)

旧宅・墓地

蘇峰の墓(京都市・同志社墓地)
多磨霊園にある徳富蘇峰の墓

久恒啓一は、1人の人物について5つもの「記念館」が存在することは他に例をみないとして蘇峰の偉業を称えている[15]。そのうちの2館は旧宅、1館は生家である母の実家である。

徳富旧邸・大江義塾跡
蘇峰・蘆花の兄弟が父・一敬とともに居住したのが熊本市大江4丁目の徳富旧邸である。明治3年(1870年)の熊本藩の藩政改革の際、一敬は藩の民政局大属に任命されて水俣から熊本に移り住むこととなり、元田永孚の斡旋でこの家を入手した。蘇峰が民主的な学校を目指した私塾、大江義塾の跡地でもある。建物は熊本市の有形文化財、跡地は熊本県指定史跡となっている[69]
山王草堂
蘇峰が「山王草堂」と名づけた旧宅跡が大田区立山王草堂記念館として公開されている[注釈 22]1924年(大正13年)から昭和18年(1943年)まで住み、『近世日本国民史』等の主要著作を著した。1988年(昭和63年)、大田区により「蘇峰公園」として整備公開され、蘇峰の書斎があった家屋2階部分と玄関部分が園内に復元保存された。館内には蘇峰の原稿や書簡類が展示されている。
  • 所在地:東京都大田区山王1-41-21。JR京浜東北線大森駅下車、徒歩15分。
  • 開館時間:AM9:00-PM4:30(入館は4時まで) 休館日:12月29日-1月3日、入館無料。
多磨霊園
墓所は東京都府中市の東京都立多磨霊園。碑銘は「待五百年後、頑蘇八十七」。右に蘇峰の戒名「百敗院泡沫頑蘇居士」、左に静子夫人の戒名「平常院静枝妙浄大姉」とある[1]
その他の墓地
出身地である熊本県水俣市牧の内の徳富家代々の墓地、静岡県御殿場市の青竜寺、京都府京都市左京区の若王子同志社墓地にも分骨埋葬がなされている[1]

注釈

  1. ^ 1884年(明治17年)3月刊の山脇之人『維新元勲十傑論』に由来する。
  2. ^ このとき蘇峰は西京第二公会に退会を申し出て、除名処分を受けた。しかし、新島に寄せた敬意は終生変わることがなかった[1]
  3. ^ 大江義塾の思い出として宮崎は、当時21歳の蘇峰が口角泡を飛ばして清教徒革命フランス革命について熱く語っていたことを述懐している[10]
  4. ^ 1883年(明治16年)10月には「東京毎週新報」に「官民ノ調和ヲ論ズ」という評論を4回にわたり連載している。
  5. ^ 板垣は、原稿よりもむしろ蘇峰の人物そのものに興味をもち、政治家をやらせてみたいと述べたといわれる[14]
  6. ^ ウイリアム・グラハムの『新旧社会主義』やジョン・レーの『現時の社会主義』によりながら社会主義原論・歴史を体系的に叙述し、社会主義入門書として当時の青年に影響を与えた[17]
  7. ^ 1894年3月28日には、硬六派を支持する反政府系、反自由党系の新聞記者たちは、尾崎行雄肥塚龍末広鉄腸鈴木天眼陸実川村惇、徳富蘇峰を中核として「新聞の同盟」を結成することを約している[21]
  8. ^ 国木田独歩は、国民新聞記者として軍艦千代田に搭乗して威海衛攻撃に従軍した[23]
  9. ^ 『蘇峰自伝』によれば、蘇峰はこのとき、清国に返還した遼東半島にとどまることを潔く思わず、せめていったんは日本の領土となった記念にと旅順の小石ハンカチに包んで一刻も早い帰国を願ったと続けている[27]
  10. ^ 奇しくも弟蘆花もトルストイをのちに訪ねている。蘇峰は、このとき「人道と愛国心は背反する」と述べたトルストイに反論している。
  11. ^ 松方内閣で同志社出身の蘇峰が勅任参事官となったのと同時に東京専門学校高田早苗外務省通商局長となり、隈板内閣では東京専門学校校長鳩山和夫が外務次官となるなど、明治30年代にはいると、政府と民間の垣根はしだいに取り払われ、私学の反政府的傾向も徐々に弱まっていった[28]
  12. ^ 朝鮮語新聞では『毎日申報』のみが発行を許された[32]
  13. ^ 桂太郎の死後すぐに発足した立憲同志会は、中国の辛亥革命に直面した桂が従来型の特定勢力の利害を代表する政党では対外的危機に充分に対応することができないとして、帝国の有力者を網羅することによって危機克服をめざす意図でつくられた。同志会の会員には、日比谷焼打事件などに関係した、都市民衆運動のリーダーも含まれていた[37]
  14. ^ 1900年(明治33年)に伊藤博文が立憲政友会を組織して藩閥が伊藤系と山縣系とに分裂する状態になると、『東京日日新聞』と『中央新聞』が伊藤系に、『国民新聞』と『やまと新聞』が山縣系について、たがいに争った[43]
  15. ^ 明治時代後期から大正時代中期にかけて、『日本』、『中央新聞』、『毎夕新聞』、『大阪新報』が政友会系ないし政友会機関紙であったが、原が敵視していたのは『報知新聞』、『やまと新聞』、『万朝報』、さらに蘇峰の『國民新聞』であった[44]
  16. ^ 白色人種のヘゲモニーに対峙する国民的自覚を持つべきの意。澤田次郎は蘇峰が同語を使い始めたのは、1913年(大正2年)のカリフォルニア州外国人土地法(排日土地法)の成立が契機となったと指摘している[50]
  17. ^ 当時の原稿用紙の余白に「本日は顔面神経尤も劇(はげし)。ソノ為シバシハ筆ヲ投シ、漸ク之ヲ稿了セリ。後人ソノ苦ヲ察セヨ」という文が記されたものがある[52]
  18. ^ 2006年(平成18年)から2007年(平成19年)にかけて『徳富蘇峰終戦後日記:「頑蘇夢物語」』と題し、講談社から全4巻が刊行された。
  19. ^ 山本武利は「天皇批判は戦後60年、メディアの世界で最大のタブーと目されてきたので、右翼側からの提起として傾聴すべきだろう」と述べている[54]
  20. ^ 有山輝雄1986年(昭和61年)に、創刊直後の『朝日新聞』が政府から厖大な助成金を得て政府寄りの報道をおこなう密約をむすんでいたことを一次史料を駆使して明らかにしており、1992年(平成4年)には『徳富蘇峰と国民新聞』を著して言論の独立と政治・経営の関係を追究している[64]
  21. ^ 蘇峰と蘆花の関係については、2003年(平成15年)、『近代日本と徳富兄弟 徳富蘇峰生誕百四十年記念論集』が東京蘇峰会によって出版されている。
  22. ^ JR京浜東北線大森駅の西側に広がる台地一帯は、付近に山王社が鎮座することにより、古くから「山王」と呼ばれていた。山王草堂の名はこれに由来する。1868年(明治元年)の神仏分離令により、社号は日枝神社へと改められるも、(大字・おおあざ)新井宿の中に、「山王」と「山王下」の地名が小字(こあざ)として残されていた。蘇峰移転当時の山王草堂付近は新井宿字源蔵原という地名であったが、1932年(昭和7年)には付近の「山王」、「山王下」と併せて「山王1丁目」と改められた。
  23. ^ 兆民の著した『三酔人経綸問答』の一部を『国民之友』に掲載し、蘇峰がその評を寄せた。
  24. ^ 前身の南都正強中学(現:奈良大学附属高等学校)の創立者藪内敬治郎(陸軍士官学校出身)は、蘇峰の信奉者で学園に冠された「正強」の二文字は蘇峰が贈ったものである。

参照

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 杉井(1989)
  2. ^ a b c d e f g 田代(2004)
  3. ^ 父42歳、母35歳、祖父美信が猪一郎と命名。猪は亥で文久3年癸亥に生まれたことを証明するものである(徳富蘇峰著 『徳富蘇峰 「蘇峰自伝」』 [人物の記録22] 日本図書センター 1997年 p.31)
  4. ^ 人間は真面目かつ正直で重厚質実であり、どこを探しても横着や軽薄という所はなかったという。老年に至っては好々爺であり、篤実の君子として世間からも生ける聖徒のように思われていた。しかし非常な癇癪持ちの側面もあったとされる(徳富蘇峰著 『徳富蘇峰 「蘇峰自伝」』 [人物の記録22] 日本図書センター 1997年 p.25)
  5. ^ 肥後の最南端で、薩摩と境を接している。前は海に面し、後ろに山を背負っている。熊本から二十五里、鹿児島から二十八里で、双方のほぼ中間である。上古よりの駅路にて、延喜式にも記載せられている。大なる部落で山から材木、炭、薪をだし、浜辺には塩田があった。価格は第三位であった(徳富蘇峰著 『徳富蘇峰 「蘇峰自伝」』 [人物の記録22] 日本図書センター 1997年 pp.18-19)
  6. ^ 徳富蘇峰著 『徳富蘇峰 「蘇峰自伝」』 [人物の記録22] 日本図書センター 1997年 p.43
  7. ^ この学校は細川侯が維新に当初に創立した。横井太平氏などの尽力でできた。多分最初は兵学校にでもするつもりであった。(徳富蘇峰著 『徳富蘇峰 「蘇峰自伝」』 [人物の記録22] 日本図書センター 1997年 p.53)
  8. ^ (徳富蘇峰著 『徳富蘇峰 「蘇峰自伝」』 [人物の記録22] 日本図書センター 1997年 p.53)
  9. ^ a b c d e 遠山(1979)pp.231-232
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m 松岡正剛の千夜千冊:徳富蘇峰『維新への胎動』
  11. ^ 徳富蘇峰著 『徳富蘇峰 「蘇峰自伝」』 [人物の記録22] 日本図書センター 1997年 p.144
  12. ^ 『将来之日本』
  13. ^ a b c 高野静子『後藤新平と徳富蘇峰の交友』
  14. ^ 高野(2005)
  15. ^ a b c d e f g h 久恒(2011)p.27
  16. ^ a b c d e f 人物探訪「徳富蘇峰」文章報国70余年
  17. ^ 海野(1992)pp.262-263
  18. ^ 隅谷(1974)p.173
  19. ^ a b 徳富蘇峰記念館「略年譜」
  20. ^ 多仁(1989)pp.54-55
  21. ^ 佐々木(1999)p.194
  22. ^ 大日方(1989)p.284
  23. ^ 海野(1992)p.77
  24. ^ 『大日本膨脹論』
  25. ^ 隅谷(1974)p.57
  26. ^ 隅谷(1974)pp.57-58。原出典は『蘇峰自伝』中央公論社、1935年。
  27. ^ 隅谷(1974)p.58
  28. ^ 隅谷(1974)p.212
  29. ^ 隅谷(1974)p.60。原出典は『第二嶺雲揺曳』
  30. ^ 佐々木「徳富蘇峰と権力政治家」(2006)
  31. ^ 佐々木(1999)p.227
  32. ^ a b 松尾(1989)p.8
  33. ^ 『官報』第8454号、明治44年8月25日。
  34. ^ 隅谷(1974)pp.441-444
  35. ^ 隅谷(1974)p.457。原出典は『大正政局史論』
  36. ^ 大学の開講足立宇三郎、同志社大学
  37. ^ 加藤(2002)p.167
  38. ^ 佐々木(1999)pp.242-243
  39. ^ 有馬(1999)pp.24-25
  40. ^ 佐々木(1999)p.245
  41. ^ 佐々木(19999)pp.267-268
  42. ^ 佐々木(1999)pp.270-271
  43. ^ 佐々木(1999)p.267
  44. ^ 佐々木(1999)p.389
  45. ^ 久恒(2011)p.26
  46. ^ a b c d e f g h i j k l m 久恒(2011)p.28
  47. ^ 「第13回(大正12年5月27日)」『恩賜賞・日本学士院賞・日本学士院エジンバラ公賞授賞一覧 | 日本学士院日本学士院
  48. ^ 『近代日本思想大系8 徳富蘇峰集』所収「国民自覚論」(1923)
  49. ^ 東京堂年鑑編輯部編『出版年鑑 昭和5年版』東京堂、1930年、pp.11-12
  50. ^ 澤田(1999)
  51. ^ 森(1993)p.218
  52. ^ a b 久恒(2011)p.29
  53. ^ 梨本宮・平沼・平田ら五十九人に逮捕命令(昭和20年12月4日 毎日新聞(東京))『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p341-p342 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  54. ^ 山本(2006)pp.248-254
  55. ^ 同志社々史々料編纂所 『同志社九十年小史』 学校法人同志社、1965年、679頁
  56. ^ 『同志社九十年小史』 567頁
  57. ^ 沖田行司編 『新編 同志社の思想家たち 下』 晃洋書房、2019年、39-40頁
  58. ^ 『近世日本国民史』第100巻
  59. ^ 「第十四章七十七」四百頁
  60. ^ 上田(1989)p.303
  61. ^ 杉原(1995)
  62. ^ a b 佐々木(1999)p.16
  63. ^ 佐々木(1999)p.265
  64. ^ 佐々木(1999)p.21
  65. ^ a b 書翰通数と発信人数は『財団法人 徳富蘇峰記念塩崎財団所蔵 徳富蘇峰宛書簡目録』財団法人徳富蘇峰記念塩崎財団、1995年による。
  66. ^ a b 「普及版刊行に就て」『近世日本国民史』
  67. ^ 歴史探訪「肥後の猛婦」”. 満遊くまもと. 2012年9月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月25日閲覧。
  68. ^ 『弟 徳富蘆花』(1997)
  69. ^ 徳富旧邸・大江義塾跡
  70. ^ 『官報』第4302号「叙任及辞令」1897年11月1日。
  71. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1915年11月10日。
  72. ^ 『官報』号外「授爵・叙任及辞令」1928年11月10日。
  73. ^ 渡辺康人編、主に戦後昭和に執筆した著作を収録
  74. ^ 浅野学園『浅野学園六十年史』昭和55年、p.92。
  75. ^ 浅野学園『浅野学園六十年史』昭和55年、p.45。






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