後楽園ホール 東日本大震災の影響

後楽園ホール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 08:56 UTC 版)

東日本大震災の影響

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)で後楽園ホールの建物や天井にも損傷が認められた。運営主体の株式会社東京ドームは、後楽園ホールが入る「青いビル」(当時。以下「本ビル」)が地震発生時点で竣工からまもなく半世紀を迎える古い建物であることと、同年1月に同じ敷地内にある東京ドームシティアトラクションズのアトラクションで死亡事故が発生したことを踏まえて安全対策に慎重を期し、日本ボクシングコミッションに要請して発生当日の11日に予定されていた三迫ジム一門会の試合を急遽中止した。

さらに翌12日に予定されていた女子トリプル世界タイトルマッチ、14日のダブル日本タイトル戦、スーパーフライ級の佐藤洋太vs河野公平戦、そしてスーパーバンタム級の瀬藤幹人vs玉越強平戦をメインにした興行も全て中止、13日以降もOZアカデミーなどのプロレス興行が中止・延期された。

その後竹中工務店によって安全確認がなされ、3月21日アイスリボン[21](昼)・大日本プロレス(夜)から稼働を再開(東京電力福島第一原子力発電所での事故による東京電力管内電力事情悪化により節電した上での開催)。4月に入ってからは順延された分を含めて興行が再開されている。

後楽園ホール当日券売り場(2017年)

一方、「笑点」の後楽園ホールでの公開収録も4月16日・23日・30日に予定された分が全て中止された。これらの収録の観覧者募集の時期が上記の使用自粛期間と重なり、利用再開の目処が立たなかったためである。収録自体は別の場所(日テレ麹町ビル)で行われ、番組も通常通り放送されている[注 4]。なお、6月4日から後楽園ホールでの「笑点」の公開収録が再開されている。

その後本ビルは耐震工事を実施。このため3階に入居していたサウナ東京ドームは2013年8月に閉鎖され、災害時に夜間の視認性を高めるためビルの外装色を前述のとおり青系から茶系に変更することになった[3]。また、1階エントランスに設置されていた当日券売り場が1階カウンターに設置された。


注釈

  1. ^ 当時、後楽園ホールは全日本プロレスの中継を行っていた日本テレビとの間で年間スタジオ契約を結んでおり、日本テレビが借りた上で全日本プロレスを招聘する形にしていたため、日本プロレスが妨害工作を行うことができなかった。
  2. ^ 一時期、原油価格高騰の影響で、2008年8月から2009年12月まで一脚6300円(税込)に値上げされた。
  3. ^ なお、袴田は2014年3月27日、死刑執行及び拘置の停止、再審開始が決定した
  4. ^ 2011年5月1日〜6月5日の放送分では通常司会者挨拶の時に出される「後楽園ホール」のテロップが消されている。また、番組オフィシャルサイトの放送内容のページにも収録場所が記載されていない。

出典

  1. ^ a b c 営業施設一覧 - 株式会社東京ドーム、2014年3月25日閲覧。
  2. ^ a b c 貸しホールのご案内 - 東京ドームシティHP > 後楽園ホール、2012年7月18日閲覧。
  3. ^ a b c 名称変更のお知らせ『青いビル』から『後楽園ホールビル』へ (PDF) - 株式会社東京ドーム2014年6月24日
  4. ^ a b 後楽園ホールアーカイブス 1952年~1969年 - 東京ドームシティHP、2014年3月25日閲覧。
  5. ^ a b c 東京ドームシティ事業 (PDF, 1.51 MB) - 株式会社東京ドーム、2014年3月25日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g ボウリング会館からスタート。格闘技の聖地「後楽園ホール」の知られざる進化の歴史 - テレ東プラス 2020年2月22日
  7. ^ a b c d ボクシング&プロレスの聖地「後楽園ホール」、実はダンスホールだった? - テレ東プラス 2020年2月21日
  8. ^ 後楽園ホール60周年 還暦祭 | 後楽園ホール”. 東京ドームシティ. 2022年4月17日閲覧。
  9. ^ 「新日本vs全日本に人数で負けたのがスゲー悔しい」後楽園ホール60周年還暦祭で女子プロレスオールスター戦が実現も尾崎魔弓が男子プロレスへ対抗心メラメラ!”. バトル・ニュース (2022年4月16日). 2022年4月17日閲覧。
  10. ^ 激動の昭和スポーツ史15 ボクシング p.18(1989年、ベースボール・マガジン社ISBN 978-4583027838
  11. ^ 事務所移転のお知らせ日本ボクシングコミッション 2014年5月15日
  12. ^ “33年前、東京ドームのこけら落としはマイク・タイソンだった?…では東京ドームで最初に投げた“意外な”ピッチャーは?”. Sports Graphic Number Web. (2021年6月22日). https://number.bunshun.jp/articles/-/848521?page=4 2022年4月1日閲覧。 
  13. ^ 『日本プロレス事件史 Vol.8』、P39(2015年、ベースボール・マガジン社)ISBN 9784583622699
  14. ^ AJPW 1972 Giant SeriesPuroresu.com(2015年8月10日閲覧)
  15. ^ NJPW 1973 Summer Big Fight SeriesPuroresu.com(2015年8月10日閲覧)
  16. ^ The 5th IWA World SeriesPuroresu.com(2015年8月10日閲覧)
  17. ^ 『忘れじの国際プロレス』P20 - P21(2014年、ベースボール・マガジン社)ISBN 9784583620800
  18. ^ “33年前、東京ドームのこけら落としはマイク・タイソンだった?…では東京ドームで最初に投げた“意外な”ピッチャーは?”. Sports Graphic Number Web. (2021年6月22日). https://number.bunshun.jp/articles/-/848521?page=5 2022年4月1日閲覧。 
  19. ^ “チェ・ドゥホ、昇侍との死闘制す。横田、桜井、菊野も快勝:6.15 後楽園”. バウトレビュー. (2013年6月15日). http://www.boutreview.com/2/reports/deep/130615deep.html 2015年2月12日閲覧。 
  20. ^ 愛すべきプロレスの原点、後楽園ホール45周年 Number 2007年4月19日
  21. ^ 3.21後楽園ホール大会開催について - 有限会社ネオプラス・アイスリボン事業部プレスリリース 2011年3月15日






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