廃藩置県
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実行
明治4年7月14日(1871年8月29日)14時、明治政府は在東京の知藩事を皇居に集めて廃藩置県を命じた。
朕󠄂惟フニ更󠄁始ノ時ニ際シ內以テ億兆ヲ保安シ外以テ萬國ト對峙セント欲セハ宜ク名實相副ヒ政令一ニ歸セシムヘシ朕曩ニ諸󠄀藩版籍奉還󠄁ノ議ヲ聽納󠄁シ新ニ知藩事ヲ命シ各其職ヲ奉セシム然ルニ數百年因襲ノ久キ或ハ其名アリテ其實擧ラサル者󠄁アリ何ヲ以テ億兆ヲ保安シ萬國ト對峙スルヲ得ンヤ朕󠄂深ク之ヲ慨󠄁ス仍テ今更󠄁ニ藩ヲ廢シ縣ト爲ス是務テ冗ヲ去リ簡ニ就キ有名無實ノ弊󠄁ヲ除キ政令多岐ノ憂無ラシメントス汝群臣其レ朕󠄂カ意󠄁ヲ體セヨ明治四年七月󠄁十四日
10時に鹿児島藩知事・島津忠義、山口藩知事・毛利元徳、佐賀藩知事・鍋島直大及び、高知藩知事・山内豊範の代理を務める板垣を召し出し、廃藩の詔勅[17] を読み上げた。ついで名古屋藩知事・徳川慶勝、熊本藩知事・細川護久、鳥取藩知事・池田慶徳、徳島藩知事・蜂須賀茂韶に詔勅が宣せられた。午後にはこれら知藩事に加え在京中である56藩の知藩事が召集され、詔書が下された。
藩は県となって知藩事(旧藩主)は失職し、東京への移住が命じられた。旧藩主家の収入には、旧藩の収入の一割があてられ、旧藩士への家禄支給の義務および藩の債務から解放された。各県には知藩事に代わって新たに中央政府から県令が派遣された。なお同日、各藩の藩札は当日の相場で政府発行の紙幣と交換されることが宣された。
当初は藩をそのまま県に置き換えたため現在の都道府県よりも細かく分かれており、3府302県あった。また飛地が多く、地域としてのまとまりも後の県と比べると弱かった。そこで明治4年(1871年)10〜11月には3府72県に統合された(第1次府県統合)。その後12月に、この府県の列順(序列)が布告されている。最初に東京・京都・大阪の3府の順、次に神奈川・兵庫・長崎・新潟の4県が定められた。これは明治政府が開港地を重要視していたためである[18]。
その後、県の数は明治5年(1872年)3府69県、明治6年(1873年)3府60県、明治8年(1875年)3府59県、明治9年(1876年)3府35県(第2次府県統合)と合併が進んだ。しかし、今度は逆に面積が大き過ぎるために地域間対立が噴出したり事務量が増加するなどの問題点が出て来た。そのため、次は(明治14年(1881年)に堺県が大阪府に合併したことを除いて)分割が進められ、明治22年(1889年)には3府42県(廃藩置県の対象外だった北海道と沖縄県を除く)となって最終的に落ち着いた。
統合によってできた府県境は、令制国のものと重なる部分も多い。また、石高で30〜60万石程度(後には90万石まで引き上げられた)にして行財政の負担に耐えうる規模とすることを心がけたと言う。
また、新しい県令などの上層部には旧藩とは縁のない人物を任命するため、その県の出身者を起用しない方針を採った。しかし、幾つかの有力諸藩ではこの方針を貫徹できず(とはいえ、明治6年(1873年)までには大半の同県人県令は廃止されている)、鹿児島県令の大山綱良のように数年に渡って県令を務めて一種の独立政権のような行動をする者もいた。
一方、その中で山口県(旧長州藩)だけは逆にかつての「宿敵」である旧幕臣出身の県令を派遣して成功を収め、その後の地方行政における長州閥の発言力を確固たるものとした。なお、この制限は文官任用制度が確立した明治18年(1885年)頃まで続いた。
- 同県人の知事起用
- 明治5年(1872年)まで:静岡県、鳥取県、岡山県、徳島県、佐賀県
- 明治6年(1873年)まで:熊本県
- 明治8年(1875年)まで:京都府
- 明治9年(1876年)まで:高知県
- 明治10年(1877年)まで:鹿児島県
注釈
出典
- ^ “廃藩置県”. 琉球文化アーカイブ. 沖縄県立総合教育センター. 2022年5月14日閲覧。
- ^ 松尾正人、「廃藩置県」、中公新書、p47
- ^ a b 松尾正人、「廃藩置県」、中公新書、p152
- ^ 松尾正人、「廃藩置県」、中公新書、p65
- ^ 勝田政治、「廃藩置県」、講談社選書メチエ、p86
- ^ 松尾正人、「廃藩置県」、中公新書、p143
- ^ 勝田政治、「廃藩置県」、講談社選書メチエ、p133
- ^ “【知事対談】明治を支えた歴史を語る。-紀州人のDNA-”. 和(nagomi). 和歌山県知事室広報課. 2019年3月29日閲覧。
- ^ “紀の国の先人たち 政治家 津田 出”. 和歌山県ふるさとアーカイブ. 和歌山文化情報アーカイブ事業. 2019年3月29日閲覧。
- ^ 木村時夫、「明治初年における和歌山藩の兵制改革について」『早稻田人文自然科學研究』 1969年 4巻 p.1-60, hdl:2065/10122, 早稲田大学社会科学部学会
- ^ 松尾正人、「廃藩置県」、中公新書、p150
- ^ 松尾正人、「廃藩置県」、中公新書、p151
- ^ 松尾正人、「廃藩置県」、中公新書、p153
- ^ 松尾正人、「廃藩置県」、中公新書、p155
- ^ 松尾正人、「廃藩置県」、中公新書、p154
- ^ 勝田政治、「廃藩置県」、講談社選書メチエ、p157
- ^ 中村定吉 編、「廢藩置縣ノ詔」『明治詔勅輯』、p18、1893年、中村定吉。[1]
- ^ 勝田政治 『廃藩置県 近代国家誕生の舞台裏』 角川ソフィア文庫 [I-123-1] ISBN 978-4044092153、10-11p
- ^ 落合弘樹、「秩禄処分」、中公新書、p74
- ^ 勝田政治、「廃藩置県」、講談社選書メチエ、p165
- ^ 松尾正人、「廃藩置県」、中公新書、p82
- ^ 落合弘樹、「秩禄処分」、中公新書、p55
- ^ 富田俊基、「国債の歴史」、東洋経済新報社、p211
- ^ 落合弘樹、「秩禄処分」、中公新書、p71
- ^ 富田俊基、「国債の歴史」、東洋経済新報社、p212
- ^ 「法令全書」通番 明治4年太政官布告 第559
- ^ 「法令全書」通番 明治4年太政官布告 第565
- ^ 「法令全書」通番 明治4年太政官布告 第566
- ^ 「法令全書」通番 明治4年太政官布告 第594
- ^ 「法令全書」通番 明治4年太政官布告 第595
- ^ 「法令全書」通番 明治4年太政官布告 第600
- ^ 「法令全書」通番 明治4年太政官布告 第601
- ^ 「法令全書」通番 明治4年太政官布告 第602
- ^ 「法令全書」通番 明治4年太政官布告 第608
- ^ 「法令全書」通番 明治4年太政官布告 第609
- ^ 「法令全書」通番 明治4年太政官布告 第614
- ^ “1879年3月27日「沖縄県」の設置”. あの日の沖縄. 沖縄県公文書館. 2022年5月14日閲覧。
- ^ 「法令全書」明治12年 太政官布告第14号
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