幕張 歴史

幕張

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/20 03:12 UTC 版)

歴史

昆陽神社
再開発が進む幕張駅北口エリア

「幕張」という名前自体の発祥は定かではない。一説にはマクワウリの栽培に適しており、それが所以と言うが、マクワウリが栽培された記録は残っていない。近世までは馬加(まくはり)と表記し、まくわりと読んだ。

千葉に多くみられる頼朝伝説のひとつとして、源頼朝が幕張の地にたちよった、馬を乗り換えた(馬を加えた)ので「馬加」になった、または、天幕を張ったので「幕張」になった、などという言い伝えもきかれる。

12世紀後半、下総国千葉郡武石郷と呼ばれていた。領主は、千葉常胤の三男。武石三郎胤盛であった。その後、次第に開発が進められ、13世紀後半には、約1500軒を数えるまでの集落に発達したようである。室町時代下総国守護千葉満胤の子・康胤が馬加城主(馬加城は、現在の二宮神社付近と言われる)となり馬加氏と名乗る。1455年千葉氏で内紛が発生し、反主流派の盟主となった馬加康胤は甥である千葉胤直親子を滅ぼして当主の座を奪い、千葉康胤と名乗る。以後佐倉に移った康胤の子孫が千葉氏の当主の地位を継いだ。

大正期に編纂された「千葉郡幕張町誌」(家鴨文庫所蔵)によれば、中世では須賀(または素加)すがと読ばれていた。子守神社の旧名も素加天王社といい、大須賀山、須賀原などの地名も見える。

江戸時代には江戸町奉行与力給地が置かれ、その関係で享保20年(1735年)に青木昆陽サツマイモの試作を行った場所として有名である。このため、天明の大飢饉の際に餓死者は皆無だったようだ。弘化3年(1846年)に村人たちは彼の徳を敬い、昆陽神社を建設した。京成幕張駅の近くには昆陽神社や甘藷試作地記念碑がある。また、京成とJR線をくぐるトンネルは昆陽隧道と命名されている。また、江戸後期の大相撲で活躍した荒馬大五郎宮城野馬五郎、二代目宮城野)の出身地であり、その墓が大須賀山にある。

明治時代になると、千葉郡に編入され馬加、武石、長作、天戸の各村の役場を統一して、馬加に行政を統一した(明治11年)。そして同時期にJRおよび京成電鉄の幕張駅周辺[18]東京近郊の海水浴場として賑わった。そのため千葉市内にある駅としては幕張駅は千葉駅に続いて設置され、総武線の中でも古い駅の一つになっている。沖合いの埋め立てが始まるまでは幕張駅から数分のところ(国道14号辺り)に砂浜があり、その先に東京湾が広がっていた。そのため、昔は漁業も行われ、のり養殖なども盛んであった。また、首都圏の需要を支える野菜の産地としても栄え、特に砂丘部分の畑で収穫される幕張人参は味がよいことで高い評価を得ていた。

この先の海浜部分の埋め立てが始まったのは1960年代中頃からである。全体が計画都市として設計され、団地や教育施設、公共施設などが計画的に配置された。また災害時の場合を考慮して道路が広く取られていることも特徴である。これとほぼ時を同じくして、人参畑やサツマイモ畑が広がっていた花見川区の総武線沿線でも風景が変わり始め、ベッドタウン化が始まった。埋立地では1970年代から住民の入居が始まったものの、予定されていた鉄道の開業が遅れ、1986年にようやく千葉港駅(現:千葉みなと駅)[19]-西船橋駅間で京葉線が部分開通した。その後1989年には東京モーターショー東京都中央区晴海から幕張メッセに移り、1993年には地域のランドマークとなるホテルも開業し、新都心への飛躍を果たした。

一方、JR幕張駅周辺は1980年代ごろ、再開発計画がJR海浜幕張駅周辺の都市計画と同時に持ち上がり、幕張メッセへの総武線側の玄関としての構想[20]が練られ、実際に一部自治体による土地買収も実施されたが、駅周辺や商店街の一部の商業者の賛同を得られず、計画は白紙撤回された。代わりに幕張本郷駅がその役目を担うことになった。


  1. ^ なお、前述の通り、1954年まで町制施行時の幕張町は実在しており、千葉郡に属していた。
  2. ^ a b 「幕張市はありません、千葉市です」 市長ツイートが共感を呼ぶ”. Jタウンネット(2017年3月24日作成). 2019年12月29日閲覧。
  3. ^ 実在しない「千葉県幕張市」をテレビ放送 ⇒「私は幕張市長になってしまう」と千葉市長が苦言”. ハフポスト日本版(2019年12月29日作成). 2019年12月29日閲覧。
  4. ^ “幕張市”爆誕!? 千葉市長ツイートが話題 「え?千葉市だったの」”. ちばとぴ!ニュース(2017年3月26日作成). 2019年12月29日閲覧。
  5. ^ 熊谷俊人(千葉市長)@kumagai_chibaのツイート(2019年12月29日作成)”. 2019年12月29日閲覧。
  6. ^ a b c d e 花見川区の地名と面積: "花見川区内町名一覧",千葉市公式サイト、2008年8月1日.2008年8月5日閲覧.
    美浜区の地名: "美浜区の町名の由来",2006年11月29日.2008年8月5日閲覧.
    美浜区を含む埋め立て事業: "埋め立て事業の変遷",2006年11月29日.2008年8月5日閲覧.
  7. ^ "住居表示実施町名一覧表",千葉市、2008年2月4日.2008年8月5日閲覧。
  8. ^ "各駅情報(幕張駅)",東日本旅客鉄道株式会社.2008年8月5日閲覧。
  9. ^ "各駅情報(幕張本郷駅)",東日本旅客鉄道株式会社.2008年8月5日閲覧。
  10. ^ "各駅情報(海浜幕張駅)",東日本旅客鉄道株式会社.2008年8月5日閲覧.
  11. ^ ここでは都心機能に注目してこの2町域とした。他町域を含めて広く「幕張新都心」と呼ばれることもある。
  12. ^ "沿革",千葉県立幕張総合高等学校
  13. ^ "神田外語グループについて",神田外語グループ
  14. ^ "設立主旨",神田外語大学異文化コミュニケーション研究所
  15. ^ "学校紹介",渋谷教育学園幕張中学校・高等学校
  16. ^ "沿革",昭和学院秀英中学校・高等学校
  17. ^ "沿革",放送大学
  18. ^ 当時の京成電鉄幕張駅は、JR幕張駅南口から駅前通にある踏切付近に存在した。その後、この位置に移った。
  19. ^ 誤読を避けるために駅名表記が改められた(港名「千葉港」は「ちばこう」)。
  20. ^ JR幕張駅及び京成幕張駅を含む区域を、商業ビルや居住地用ビルなどを建設し再開発する予定だった。


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