山本文郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 05:50 UTC 版)
エピソード
アナウンサーとしてのモットーは、「担当番組のスタッフを大事にすること」。口癖は、「生涯現役」[3]「スタッフが作ったものを、その通りに伝えることが僕の仕事」。
ラジオ東京への入社後に、スポーツアナウンサーとして卓球、バレーボール、ラグビー、相撲、野球、アイスホッケー、競馬を担当する[61]。野球中継の時、スポンサーの企業名をずっと間違えて言い続けて、スポンサーを怒らせたことがある[12]。プロ野球公式戦の中継でサイクルヒット達成の瞬間を実況したことがある。達成した選手は第4打席でレフトスタンドに本塁打を放ちサイクルヒットを達成した。しかし山本は、第4打席で打球が上がった直後に遊撃手が後退したことから、誤って「ショートフライ」と実況。その直後に左翼手が後退する姿が見えたため、慌てて「レフトフライでした……レフト! レフト! ホームラン! サイクルヒット達成です!」と訂正したものの、この試合を最後にスポーツ実況の担当を外されたという[62]。
早稲田大学およびアナウンサーとしての後輩に、逸見政孝がいた。逸見はフジテレビアナウンサー時代の1978年10月2日から、関東ローカルワイドのニュース番組『FNNニュースレポート6:30』で初代キャスターに抜擢。抜擢を前に、放送時間は異なるもののライバル番組であった『テレポートTBS6』キャスターの山本に電話でアドバイスを仰いだ。これに対して山本は、できるだけニュースの現場に出ることを逸見に推奨。逸見は『ニュースレポート6:30』で山本のアドバイスを実践すると、後継の全国ネットニュース番組(『FNNニュースレポート6:00』→『スーパータイム』)でも長きにわたってメインキャスターを担当した[62]。
『こども音楽コンクール』の司会をしていた時、横浜市内の中学校のブラスバンド部を紹介した同校生徒の吉川美代子に対して「素晴らしい紹介だったよ。君は将来の吉川アナウンサーですね」と褒めた。吉川はこれがアナウンサー職を志すきっかけとなり、TBSのアナウンサー採用試験では山本がいる前でこのエピソードを披露して、1977年に同局に就職した。1978年に『こども音楽コンクール』の司会を在局2年目の吉川に担当させる際には山本から直接伝え、その後も吉川にとって山本は心の支えになっていたことを、山本急逝後の2014年5月にTBSを定年退職した吉川は同年7月のテレビ出演で明かしている[63][64]。
関東ローカルの報道番組『テレポートTBS6』で11年間キャスターを務めていたが、番組進行が主でありニュース原稿を読むことはほとんどなかった。報道局から料治直矢・藤林英雄・奈良陽がニュースを伝えていた。情報バラエティ番組の担当が専門だったからである。久米宏・生島ヒロシ・小島一慶・渡辺謙太郎・石川顯・松下賢次・林正浩・中村秀昭などもTBSアナウンサー時代はニュース原稿を読むことはなかった。1992年10月5日の『モーニングEye』放送時間拡大後はニュース原稿を読むようになった。
40代までは、1日に40本以上のたばこを吸うほどのヘビースモーカーであったという。しかし、42歳の時に糖尿病を患い[13][1][65]、糖尿病から派生した心臓病、肺気腫、間質性肺炎も抱えていたが[14]、体質改善の一環でタモギダケ茶を愛飲。フリーアナウンサーへの転身後に、タモギタケ茶と緑茶のブレンドによる「文さんの健康抹茶」シリーズの開発に携わった[66]。
注釈
出典
- ^ a b c d e 「いきいきと健康で年を重ねるために」『8020運動20周年記念号 歯っぴいスマイル』、日本歯科医師会、2008年10月、4頁、2016年6月15日閲覧。
- ^ a b “総合芸能プロダクション「カロスエンターテイメント」-山本由美子 プロフ-”. カロスエンターテイメント. 2015年11月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月19日閲覧。
- ^ a b c d “元TBS山本文郎アナ死去!最後まで「6」づくし見事「平成26年2月26日午前2時6分」”. J-CASTニュース. ジェイ・キャスト (ジェイ・キャスト). (2014年2月27日) 2015年8月24日閲覧。
- ^ a b “73歳山本文郎アナ30歳年下と再婚”. 日刊スポーツ. (2008年1月9日) 2015年8月24日閲覧。
- ^ a b “本紙で連載も 元TBSアナウンサー山本文郎さんが死去”. 日刊ゲンダイDIGITAL. (2014年2月27日) 2015年12月1日閲覧。
- ^ a b c d “元TBSアナ山本文郎さん急死 79歳”. 日刊スポーツ. (2014年2月27日) 2014年2月27日閲覧。
- ^ a b c d e “山本文郎さん突然の死 由美子夫人明かす”. 日刊スポーツ. (2014年2月28日) 2014年10月10日閲覧。
- ^ a b “73歳山本文郎アナが30歳差再婚”. 日刊スポーツ. (2008年1月8日) 2014年2月27日閲覧。
- ^ a b “元TBSアナ山本文郎、73歳で30歳差再婚”. 夕刊フジ. (2008年1月8日). オリジナルの2017年9月15日時点におけるアーカイブ。 2018年4月19日閲覧。
- ^ a b c “ひるおび! 2014年2月27日放送回”. NTTレゾナント. 2015年11月28日閲覧。
- ^ a b “お蔵入りした2ショットの宣材写真…山本文郎夫人の思い出”. 日刊ゲンダイ. (2015年2月15日) 2017年9月15日閲覧。
- ^ a b c “フリーを拒否し続けた山本文郎さんの“TBS愛””. 東京スポーツ (東京スポーツ新聞社). (2014年2月28日) 2015年5月28日閲覧。
- ^ a b “山本文郎さん、肺胞出血で死去 87年から9年間TBS朝の顔”. サンケイスポーツ. (2014年2月27日) 2017年9月15日閲覧。
- ^ a b “【甘口辛口】元TBSアナウンサー山本文郎さん、内助の功を天国で感謝しているに違いない”. サンケイスポーツ. (2014年3月2日) 2015年8月24日閲覧。
- ^ “山本文郎・父【山本文郎交遊録「文さんのTVワールド」】”. 日刊ゲンダイ (日刊現代). (2006年6月30日). オリジナルの2006年7月13日時点におけるアーカイブ。 2015年8月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g 東京放送 編「III. 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、236頁。"山本文郎[1994.9退社]『演芸、歌謡、情報番組』 R「こども音楽コンクール(1962)」「それ行け!歌謡曲」「昭和探検隊(1988)」 TV「テレポートTBS6(1976)」「モーニングEye(1987)」「スペースJ(1994)」"。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、10頁。"山本文郎…[66.1R局放送部兼TV編成局アナウンス部][67.11 アナウンサー研修室][80.11 兼TV本部報道局ニュース部][84.2 報道局編集部兼R局アナウンス部][85.6 報道局兼R局][87.10 社会情報局兼R局][88.7 報道総局社会情報局][94.9退社] 『演芸、歌謡、情報番組』 R「歌謡クイズ(58)」「TBS歌謡プレゼント(61)」「こども音楽コンクール(62)」「暮らしのダイアル(63)」「人気歌手の歌(63)」「今週のベストテン(63)」「ファン対抗歌謡曲ナイター(63)」「歌謡曲でぶっとばせ(67)」「レッツゴー・ドライバー(69)」「それ行け!歌謡曲(70)」「ミッチと歌おう(70)」「朝のファンファーレ〜一口ゼミナール〜(74)」「郷愁の歌(75)」「ウィークエンドインタビュー(85)」「昭和探検隊(88)」「つりと私(90)」 TV「楽しいジェスチュア(57)」「野球クイズ(58)」「歌謡アラベスク(61)」「私のえらんだ人(61)」「ビクター・オンパレード(63)」「四時です、さあ皆さん(64)」「スターロータリー(66)」「東西お笑い大作戦(67)〜東西爆笑トンチくらべ」「スターの窓(67)」「土曜デポルテ(71.4〜)」「ミッドナイトリサイタル(72)」「演芸特選会(75)〜落語特選会」「テレポートTBS6<二代目キャスター>(76)」「モーニングEye(87)」「ふるさと讃讃(90)」「スペースJ(94)」"。
- ^ a b “第5回 山本文郎さん(フリーアナウンサー)”. 著名人が語るおばあちゃんの知恵袋. NPOおばあちゃんの知恵袋の会. 2015年5月28日閲覧。
- ^ 山本由美子 2018, p. 70, §5.
- ^ a b c d 「≪基調講演≫ 演題「文さんの人生録」フリーアナウンサー 山本 文郎 様」(PDF)『第968回例会』、千葉東ロータリークラブ、2013年2月22日、6頁、2016年6月15日閲覧。
- ^ a b “山本文郎 新情報番組は自然体でいきたい(ズームアップ)”. 朝日新聞夕刊: p. 9. (1997年3月21日)
- ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、236頁。"1956.5<嘱託採用> 3名編成局嘱託(女3) 町田教子 〜(1957.5社員採用)"。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、9頁。"56.5 <嘱託採用>3人 編成局嘱託 町田 教子… 〜(57.5 社員採用)"。
- ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、236頁。"1957.4<5期生> 15人入社(男5・女10) 青柳純一 岡部 達 金坂光春 仁村秀雄 山本文郎 麻生雅子 石川知子 大場ゆかり 草間範子 佐藤美智子 鈴木美江 須藤孝子 前田和子 町田教子 三好和子"。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、9-11頁。"57.4 <5期生>15人入社(男5・女10) 応募2600人 青柳 純一 岡部 達 金坂 光春 仁村 秀雄 山本 文郎 麻生 雅子 石川 知子 大場ゆかり 草間 範子 佐藤美智子 鈴木 美江 須藤 孝子 前田 和子 町田 教子 三好 和子"。
- ^ 「座談会 炎の声〜スポーツとともに生きたアナウンサー達」『TBS社報』、TBS、1997年“出席者:小坂秀二 渡辺謙太郎 鈴木治彦 山本文郎 岡部達 池田孝一郎 藤田和弘 山田二郎 石川顯 司会:初田啓介”
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、22頁。"1967年11月15日 『アナウンサー研修室』設置 チーフ・アナウンサー 鈴木治彦、山本文郎"。
- ^ “東京放送人事・機構改革(7月28日、8月10日)コメント付き。”. 日経産業新聞: p. 15. (1982年8月12日)
- ^ “東京放送(会社人事)”. 日経産業新聞: p. 27. (1988年7月28日)
- ^ “TBS(会社人事)”. 日経産業新聞: p. 27. (1992年1月9日)
- ^ a b 日外アソシエーツ 編『現代物故者事典 2012〜2014』日外アソシエーツ、2015年3月25日、627頁。ISBN 978-4-8169-2527-6。
- ^ “山本文郎(やまもとふみお)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年11月24日閲覧。
- ^ a b c d “山本文郎アナ最高齢記録!30歳差再婚”. スポーツニッポン. (2008年1月9日) 2018年4月19日閲覧。
- ^ a b c d 「夫婦の階段 第89回 酒好き女好きのキャスターを支えた古女房の極意」『週刊朝日』、朝日新聞社、1995年5月26日、102-105頁。
- ^ “TBS「安住紳一郎」がフリー転身なら楽勝で「打倒・羽鳥慎一」 いつ退社するか?”. デイリー新潮 (新潮社). (2018年8月25日) 2018年10月8日閲覧。
- ^ 「ドクターは話し上手・聞き上手 : - 明確に意思を伝える話術 - アナウンサー 山本文郎」『日本臨床外科学会雑誌』Vol.62No.supplement、日本臨床外科学会、2001年、162頁、2016年6月15日閲覧。
- ^ “「ほとけの文さん」… 愛され亡くなった山本文郎さんの思い出”. 夕刊フジ. (2014年3月1日) 2014年10月10日閲覧。
- ^ “「昭和九年会」も多くが鬼籍に 藤村俊二らメンバーがコメント次々”. 夕刊フジ (産経新聞社). (2016年7月21日) 2016年8月6日閲覧。
- ^ “「メレンゲの気持ち」2009年11月28日(土)放送内容”. テレビ紹介情報. 価格.com. 2015年8月24日閲覧。
- ^ a b c 「山本文郎アナ『時間無駄使いできないから夫婦喧嘩しない』」『女性自身』第2557号、2012年10月 。2021年7月1日閲覧。
- ^ a b 山本由美子 2018, pp. 100–105, §8.
- ^ 「フリーアナウンサー・山本文郎さん ニュースと視聴者の懸け橋つくった」『朝日新聞』2014年3月29日付夕刊、9面、惜別。
- ^ a b “山本文郎さん“引退式”久米、徳光、小倉らシモネタで送る”. 東京スポーツ (東京スポーツ新聞社). (2014年5月8日) 2015年5月28日閲覧。
- ^ 週刊ポスト 2008年2月1日号 pp.173-175 ビートたけしの21世紀毒談(第919回)山本文郎アナ
- ^ “2008-2009年末年始特別番組のご案内 新婚さんいらっしゃい!新春芸能人スペシャル!『芸婚さん いらっしゃ-い!2009』”. 2015年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月28日閲覧。
- ^ 山本由美子 2018, p. 36, §2.
- ^ “山本文郎のTV出演情報 12ページ目”. ORICON STYLE. 2016年5月26日閲覧。
- ^ “「ひるおび!」2011年9月29日(木)放送内容 - テレビ紹介情報”. 価格.com. 2016年5月26日閲覧。
- ^ 「山本文郎アナ 急逝から1年…31歳年下妻が「新しい恋をします!」」『女性自身』、光文社、2015年2月26日、2021年7月1日閲覧。
- ^ 「故・山本文郎アナ妻、年齢差婚を「お金のため?」と言われる」『週刊女性』、主婦と生活社、2015年3月31日、2017年9月28日閲覧。
- ^ “山本文郎さん葬儀 由美子夫人涙こらえる”. 日刊スポーツ. (2014年3月1日) 2014年10月10日閲覧。
- ^ “山本文郎さん 遺骨は前妻眠る墓に…妻・由美子さん「バトンタッチ」”. スポーツニッポン. (2014年5月12日) 2015年5月14日閲覧。
- ^ “故・山本文郎さんの妻が明かす“夫ロス” 前妻のお墓に納骨した理由とは…”. スポーツニッポン. (2018年4月13日) 2018年4月19日閲覧。
- ^ “爆報︕THE フライデー 芸能⼈の死後トラブル&あの⼈は今 大追跡SP 2018/04/13(⾦)19:00放送 TBS”. TVでた蔵. 富士ソフト. 2018年4月19日閲覧。
- ^ 山本由美子 2018, p. 5, §はじめに.
- ^ “徳光和夫、久米宏アナら先輩追悼 山本文郎さんお別れ会”. スポーツニッポン. (2014年5月9日) 2016年8月6日閲覧。
- ^ “山本文郎さん“引退式”笑顔でお別れ(2)”. デイリースポーツ. (2014年5月9日) 2016年8月14日閲覧。
- ^ “山本文郎さんお別れ会に久米宏ら500人”. 日刊スポーツ. (2014年5月8日) 2014年12月1日閲覧。
- ^ “徳光和夫「ブンさんは下半身も生涯現役」山本文郎さん“引退式””. サンケイスポーツ. 産経デジタル. (2014年5月9日). オリジナルの2015年5月29日時点におけるアーカイブ。 2017年9月15日閲覧。
- ^ a b “山本文郎アナの妻がタレント転身へ”. デイリースポーツ. (2014年5月9日) 2014年5月9日閲覧。
- ^ 「座談会 炎の声〜スポーツとともに生きたアナウンサー達〜」『TBS社報』1997年1月号、23頁。
- ^ a b 週刊宝石 1989年3月14日号 本人記事
- ^ “あの人に聞きたい 著名人にロングインタビュー 吉川美代子さん(上)”. 日刊スポーツ: p. 21. (2015年2月28日)
- ^ “2014年7月20日放送 21:00 - 21:54 日本テレビ 行列のできる法律相談所”. テレビでた蔵. 2022年5月8日閲覧。
- ^ 山本由美子 2018, p. 102, §8.
- ^ “山本文郎氏プロフィール”. ガイアワークス. 2014年10月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月28日閲覧。
- ^ 放送ライブラリー program番号:132962
- ^ 放送ライブラリー program番号:142475
- ^ “星は何でも知っている”. 日活 (2016年9月6日). 2016年10月27日閲覧。 “山本文郎(ラジオ東京アナウンサー)”とキャスト一覧に記載。
- ^ “お問い合わせ”. セレコーポレーション. 2014年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月28日閲覧。
- ^ “山本文郎さん通夜…妻・由美子さん最期語る”. 日テレNEWS24 (日本テレビ放送網). (2014年2月27日) 2016年12月28日閲覧。
固有名詞の分類
- 山本文郎のページへのリンク