小松政夫 小松政夫の概要

小松政夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/06/26 14:21 UTC 版)

小松 政夫
本名 松崎 雅臣[1]
ニックネーム 親分さん
小松の親分
生年月日 1942年1月10日(73歳)
出身地 日本の旗 日本福岡県福岡市博多区
方言 博多弁
標準語
最終学歴 福岡県立福岡高等学校定時制課程普通科
師匠 植木等
出身 RKB放送劇団
芸風 コント
ものまね
事務所 ファインステージ
活動時期 1962年 -
過去の代表番組 シャボン玉ホリデー
笑って笑って60分
みごろ!たべごろ!笑いごろ!』 など
他の活動 俳優
社団法人日本喜劇人協会会長(第10代)

福岡県福岡市瓦町(現:博多区上川端町)出身。愛称は親分さん小松の親分(自らのコントから)。

来歴・人物

生い立ち

鐘紡福岡工場(現:キャナルシティ博多)の近くで育つ。実父は地元の実業家で名士だったが、早くして病死。以後、小松の家族は貧窮を極めた。この頃、小松は自宅前の焼け跡で行われていた露天商の口上をよく見聞しており、サクラがいるのを知っていたという。それらが自然と身に付き、学生時代から現在に至るまでの小松の明るさや笑いのセンスは作られた[2]

福岡県立福岡高等学校定時制課程普通科卒業。高校時代の小松は陽気で努力家だったという。この頃は、亡父が懇意にしていた菓子店・石村萬盛堂で働くなどして生計を支える[3]RKB毎日放送の劇団に所属後、1961年俳優を目指して上京。魚河岸など様々な職業を経験した後、横浜トヨペットのセールスマンになる。セールスマン時代、公募に応募して植木等の付き人兼運転手となり、その後芸能界入りした。

芸能界入りする前には様々な営業職を転々としたが、自動車セールスマンの職は他業種から引き抜かれて就職したものだった。自動車セールスマン時代の小松はセールストークに長けていたようで、教習所と交渉し、受講者に免許を5日で取得させる手筈まで整えて、免許を持たない人にまで車を買わせるなどしたという[4]。そういった顧客とのセールストークや会社内での上司との丁々発止のやりとりにより、小松は周囲から人気を獲得。周囲から押し上げられる形で、小松はコメディアンを志す。セールスマン時代の体験は、後に数々のギャグの礎となった。なお、セールスマン時代は初任給1万円の時代に月給12万円を稼いでいたが、植木の付き人兼運転手時代の月給はわずか7,000円だった。

芸能界デビュー

コメディアンとしてのデビューは『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ)。この番組に出演したきっかけは、同番組に出演していた植木に付いていった際、最年少であったためにスタッフからからかわれたことによる。その時に飛び出したアドリブである「知らない、知らない、知~らない」がプロデューサーの目に留まり、翌日の収録時には台本に小松の出番が設けられていたという。

付き人兼運転手からタレントに転身する際、植木からかけられた言葉は「明日から来なくていいから。マネージャーも契約も全部済ませてあるから」というあまりに突然なものだった。「そろそろデビューする頃か」などの前フリも無く、何年ぐらいで独り立ちできるかも知らず、覚悟すら出来ていなかった時期での発言であった。植木から言葉をかけられた後は運転中に涙がボロボロとこぼれ、運転に支障が出るほどだったが、そのことを植木に謝罪するも、植木は優しくそれを制した。この時のことを、小松は「目にワイパーが欲しいぐらいだった」と後に述懐している[4]

その後、学校の担任やキャバレーでのホステスの会話など身近な人からヒントを得たギャグや、レギュラー番組のコーナーからヒットした「電線音頭」(1976年発売)、「しらけ鳥音頭」(1978年発売、60万枚を売り上げた)、「タコフン音頭」(1980年発売)、淀川長治物真似などで一躍人気コメディアンとなる。

正式なコンビというわけではなかったが、伊東四朗との息の合ったコンビ芸は、1970年代を代表するギャグの一つとして今なお語り継がれている。『みごろ!食べごろ!笑いごろ!』や『笑って!笑って!!60分』では「小松の大親分」など数々の名コントを演じた(先の「電線音頭」や「ずんずんずんずん〜小松の大親分♪」、「ニントスハッカッカ」など)。

「お呼びでない」

植木等の代表的なギャグ「お呼びでない」が生まれるきっかけを作ったのも、小松である。植木の付き人時代、植木が出演していた生放送番組『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ)でのショートコントの最中、小松は勘違いして、出番前ではないのに「出番です」と植木に言ってしまい、植木はつい舞台に出てしまった。当然、周囲は植木の場違いな登場に唖然としたが、その瞬間に植木は機転を利かせて「お呼びでない……? ……こりゃまた失礼致しました!」とアドリブを放った[5]。傍で見ていたプロデューサーはこのアドリブに大爆笑し、以後、「お呼びでない」は毎回のように使われるギャグとなった。

なお、このエピソードについて、小松自身はこのような事実はないと完全否定している。植木の「お別れの会」での弔辞でも、「『お呼びでない』は小松がきっかけだとオヤジさん(植木)はおっしゃっていたようですが、私はオヤジさんの出番を間違えるようなことはしていないと思うのです」と述べている。そして、「事実でなくても、自分のため(小松を売り出すため)に作ってくれたエピソードであり、本当に感謝している」とも語っている[6]

また植木の逝去直後、TBSテレビで放送された追悼特番では、付き人時代から小松単独での番組出演オファーがあった時期のことを「自分は当時まだ勉強中の身でありながら、番組に出るなんてとんでもないと思っていたんです。しかしそれを植木さん[7]に相談したら、すごく喜んで頂いて『結構なことじゃないか。行って来い。行って勉強してきなさい』と、笑顔で背中を押してもらいました。一人で番組に出ることを咎められたことはありませんでした。あの優しさは今も忘れられませんね」と懐古している。

近況

現在もバラエティ番組テレビドラマ舞台など多方面で活躍中である。また、1970年代後半から1990年代にかけては『パナソニック ドラマシアター』(旧『ナショナル劇場』)や『月曜ドラマランド』の常連キャストでもあった。時代劇では悪党の子分役などが多かったが、近年では善人役を多く演じている。伊東は小松を「こんなに引き出しのある人はいないんだから」と評し、数多くのギャグの引き出しも健在である。

地元の博多祇園山笠には、現在でもしばしば参加している。かつては出身の岡流に属していたが、岡流が途絶えた後は、知り合いの多い中洲流に参加している[8]

2011年6月20日社団法人日本喜劇人協会の第10代会長に選出された[9]

主なギャグ

  • 「どうして! どうしてなの! おせーて!」(焼き鳥屋のカウンターで別れ話をするカップルの会話より)
  • 「もーイヤ、もーイヤこんな生活!」(ホステスの会話より)
  • 「どーかひとつ」(女性専門に自動車を売り上げていた同僚のセールストークより。 対面する相手の両肩に手を置き、膝を曲げて軽く押さえる)
  • 「ながーい目で見てください」(オカマの独り言より。両目尻を手で横に引っ張り長く延ばしながら)
  • 「知らない! 知らない! 知らない!もー」(セールスマン時代、厳つい風貌の上司の会話より)
  • 「ニンドスハッカッカ、マー! ヒジリキホッキョッキョ! トーベトベトベガッチャマン〜、[10]ガ〜ッチャマンニマケルナ、マケルナガッチャマン、ワ〜!」(最初の2フレーズは小学校時代の担任の女の先生が小松を励ました時に使った。一種のおまじないより)
  • 「表彰状、あんたはエライ! 以下同文…」(「あんたはエライ!」は、旧日本兵の小野田寛郎が戦後29年ぶりにフィリピンルバング島から帰国した際に、空港で小野田の母親がかけた言葉がヒントになったといわれる)
  • 「悪りーね、悪りーね、ワリーネ・デイートリッヒ
  • 「よーやる、よーやる、よーやるゼリー
  • 「まー随分ね! 随分随分随分ね!」
  • 「上手だね、上手だね、西方じょうずだね。東方xxxxだね。福岡県出身、鼻くそ部屋」(xxxxはシーンによって異なる)
  • 「暗いね、暗いね、アイネ・クライネ・ナハトムジーク!」(モーツァルトの曲より)
  • 「そーでしょ? そーでしょ ?そりゃそうだモン」



  1. ^ a b NHKアーカイブス”. 2012年3月3日閲覧。
  2. ^ 朝日新聞『人生の贈りもの』より
  3. ^ a b 同社の商品「塩豆大福」のCMに起用された際、字幕で紹介された。以来、「塩豆大福」のCMに出演する。2009年1月の時点では字幕表示は消えたが、ロケの休憩中にほおばり続けるというものである。
  4. ^ a b NHK 『ラジオビタミン「ときめきインタビュー」』 本人談
  5. ^ 青島幸男 『わかっちゃいるけど… シャボン玉の頃 』(1988年9月、文藝春秋ISBN 4163426205
  6. ^ 日刊ゲンダイ 2012年12月28日付
  7. ^ 小松は、普段は植木のことを「オヤジさん」と呼んでいたが、この番組では「植木さん」と呼称した。
  8. ^ 2009年の博多祇園山笠で、NHK生中継に出演した際の本人談
  9. ^ 日本喜劇人協会の新会長に小松政夫さん” (2011年6月20日). 2011年6月23日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2011年6月20日閲覧。
  10. ^ 「ガ〜ッチャマン〜」の台詞を言う際には、両手の親指と人指し指で輪を作り、手を逆さに顔にマスクの様に被せて云う。


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