宮田工業 宮田工業の概要

宮田工業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/04/21 13:30 UTC 版)

宮田工業株式会社
Miyata Industrial Co., Ltd.
Miyatahonsha.jpg
種類 株式会社
市場情報
東証2部 7301 2009年7月28日上場廃止
本社所在地 日本の旗 日本
253-8588
神奈川県茅ヶ崎市下町屋一丁目1番1号
設立 1934年1月16日(創業は1890年4月1日
業種 輸送用機器
代表者 代表取締役社長 近藤勝
資本金 14億2,800万円
売上高 単独170億4,836万円
(2009年3月期)
純資産 単独44億8,478万円
(2009年3月現在)
総資産 単独117億9,772万円
(2009年3月現在)
決算期 3月31日
主要株主 株式会社モリタホールディングス
外部リンク http://www.gear-m.co.jp/
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1952年型アサヒ・ゴールデンビームFA

概要

ライフル等の製銃で祖を成し、自転車に続きオートバイ国産化で一流メーカーの仲間入りを果たした。大田区蒲田本社工場以外にも宮田村(長野県)、大多喜町(千葉県)に工場を持っていた。軍需の仕事が無くなった終戦後、新興オートバイメーカーの乱立により新製品開発の為に開発費が増大、新興メーカーが海外レース等で実績をあげ有名になると更に収益が悪化、オートバイ事業から撤退する。

日本興業銀行から株の譲渡を受けた松下電器産業のグループとなり(松下幸之助が丁稚奉公した五代自転車店時代、思い入れのある宮田の暖簾を消してはならぬと株を引き受けた)、大田区蒲田にあった広大な工場を松下に売却(現在の東京都立六郷工科高等学校のある付近、一部 パナソニックの社宅としても残っている模様)、そして当時評価額の低かった神奈川県茅ヶ崎市の更に広大な土地を購入・工場を建設し売却差額で負債を返済。

また米国へ自転車輸出の際、偶然見つけたアンスル消火器を日本に持ち帰り粉末消火器の国産化に成功し防災事業を核として再興したメーカー(一時は無借金経営の上場会社として有名だった)。現在は消防車のトップメーカーのモリタグループになり上場廃止。2010年には自転車部門を株式会社ミヤタサイクルとして分社化し、2012年に自転車製造を全面移管した。

沿革

  • 1871年 - 初代宮田栄助(1840~1900)農家の出身だが親類筋にあたる水戸藩の鉄砲指南役をつとめる国友家に師事して製銃技術を身につけ、常陸国笠間藩のお抱えとして苗字帯刀を得た鉄砲師であった。明治維新の廃藩置県(明治4年)により雇用を解かれ、その後 人力車などを作っていた。(1台18円で売った記録が残っている)
  • 1876年 - 次男宮田政治郎(1865~1931、後の二代目宮田栄助)を、明治9年から5年間、もと徳川家お抱えの鉄砲師、国友信之門下へ入門させる(銀座にあった)。
    • 初代宮田栄助は東京小石川にあった 陸軍砲兵工廠に勤務(日給1円の高給取り)
  • 1881年 - 初代宮田栄助が東京京橋区木挽町(現在の銀座)に宮田製銃所を創設。
  • 1887年 宮田政治郎は陸軍の銃工として大阪砲兵工廠へ入廠し軍用の潜水ポンプから羅針盤までの製作を経験し技術を取得後、兄 宮田菊太郎を入廠させ、自身は東芝の前身である 田中久重 工場に入所。「小タガネの名人」と称された。田中門下生には後の沖電気創業者・沖牙太郎池貝創業者・池貝庄太郎もいた。
    • 十二番宮田銃(猟銃)を開発 専売特許権を獲得
  • 1889年 - 東京築地鉄砲洲(現在の明石町)にあった外国人居留地に住む異人が、宮田製銃所に当時最新の安全型自転車を一台持参し修理を依頼した。(自転車との係わりの始まり)
  • 1890年 - 4月 東京本所区菊川町に工場を新築移転(現在の菊川3丁目 出羽松山藩下屋敷跡地)。明治政府の富国強兵、殖産興業政策を受け、最新の輸入工作機械を購入、約月産500挺)
    • (この頃の本所界隈は1891年 本所小泉町に石鹸マッチ取次の小林富次郎商店開業 のちのライオン、1893年本所柳島町に服部金太郎が時計製造の精工舎を設立 現在のセイコー)
  • 1893年 - 国産第一号自転車の試作車を完成、販売開始。
  • 1894年 - 日清戦争勃発(約月産400挺)
    • 9月17日 東京日々新聞 に広告 ギヤMでなく「井桁に宮」のマークを用いており、社名も特に宮田製銃所とは書かれておらず「各種自転車及猟銃製造所、宮田榮助」と書かれている
    • 9月2日 毎日新聞 大倉組銃砲店の広告内で 英国製(125円~200円)と並び宮田式自転車の空気入タイヤ付安全型自転車(95円)と紹介される
  • 1894年 - 3月11日 東京朝日新聞 宮田の広告
    • 7月24日  東京日々新聞 宮田、自転車製造起業一周年祝 の広告
    • 8月2日 東京朝日新聞 自転車製造起業一周年祝 の広告
  • 1895年 - 第4回内国勧業博覧会・京都 自転車出品
  • 1901年 - 狩猟法改正により猟銃の売上げが激減する。
  • 1902年 - 自転車の将来性に着目、従来の製銃を廃し商号を宮田製作所と改称。
    • アメリカ製クリープランド号をモデルにして「アサヒ号」を発売する。自転車製造に専念。
    • 輪友 第6号 "宮田工場主宮田栄助氏の談話"の記事 掲載
  • 1903年 - 大阪天王寺公園で開催された第5回内国勧業博覧会に旭号を出品し、自転車3等賞牌を授与
    • (この博覧会で横浜の商社が米国製 自動車8台を展示・デモストレーション走行を行う)
  • 1906年 - 安価なアメリカ製自転車の国内流入に対抗して パーソン号を発売(この頃の新聞広告では 宮田自転車製作所 となっている)
  • 1906年 - ギヤMマークを登録商標
  • 1908年 - 中国に輸出開始
  • 1906年 - 東京勧業博覧会が開催され、アサヒスペシャル号と米式旭号パーソン号を出品し、1等賞金牌を受ける
  • 1909年 - 四輪自動車 旭号乗用車(試作車)を完成。(空冷ヘンロイド式水平2気筒エンジン 1年2か月をかけて欧州製自動車を研究)
    • 国産一号自動車 山羽式乗合自動車(蒸気式)(製作技師 山羽虎夫 出資者は岡山の資産家 楠健太郎・森房造・萩原・伊達の4氏 1904年完成)
    • タクリー号(ガソリン式)(製作 吉田真太郎、三浦 両氏 共同経営の オートモビル商会 技師 内山駒之助 発注者は有栖川宮威仁親王 1907年完成)
    • 国末2号(国末1号は動かなかった)(製作 山田米太郎、国末良吉 両氏経営の 自働車製作所、技師 林茂木(エクセン創業者) 1910年完成)
    • アロー号 (製作技師 矢野倖一(矢野特殊自動車創業者) 出資・協力者 村上義太郎 1916年完成)
  • 1910年 - 国産オートバイの試作を開始
    • (同社 杉山鐘次郎が製作主任,名古屋の山田栄一から寄贈されたトライアンフをモデルに研究)
    •  (名古屋鶴舞公園で開催された第10回関西府県連合共進会に宮田製作所 国産「旭号」小型乗用車を出品 一等の金牌を受賞)
  • 1913年 - トライアンフ型オートバイ「旭号」の国産試作第二号車を完成。
    • (国産オートバイ試作第一号車は島津モーター研究所のNS号 1909年完成)
    • 水冷直列型の二気筒四人乗り国産乗用車「旭号」を試作
    • 逓信局(大阪)外国車に換え宮田製パーソン号を初めて納入
  • 1914年 - オートバイ旭号の市販第一号車は480円で警視庁に納入(黒バイと呼ばれていた)。 上野公園国産奨励会で金賞を受賞。
    • 東京大正博覧会で宮田製作所の旭号乗用車 銀賞受賞(快進社(日産の前身)のダット号は銅牌受賞)
    • 自転車年間生産25,000台となる
    • 国内初 盗難保険付自転車を発売、オランダ大博覧会出品。
  • 1916年 - 純日本製を表す国華号自転車発売。オートバイ旭号の生産を中止。
  • 1926年 - 個人経営組織を合資会社宮田製作所に改組。
  • 1927年 - ギヤエム号自転車の発売
  • 1930年 - 東京市蒲田区東六郷に本社・工場共に新築移転。
  • 1932年 - 逓信省に全国の局用車を納入、『宮田栄助追悼録』発行
  • 1933年 - 175cc(2ストローク)のオートバイ アサヒ A号を発売
    • (国立科学博物館の資料では1933~1939年約4万台生産となっている、これは A形AA形両方含まれると思われる)
    • 国益チェーン(株)、宮田、新家(現在の新家工業)、丸石(現在の丸石サイクル)各社の出資により設立。(6年後に大同工業KKと改称(DIDブランドで有名なチェーンメーカー))
  • 1935年 - 改良型 オートバイ アサヒ AA号を発売
  • 1934年 - 日の出号自転車の発売
  • 1941年 - 第二次世界大戦日本参戦、軍需指定工場を受け零式艦上戦闘機(ゼロ戦)等の脚等の車輪部分を生産。
  • 1946年 - フレーム・パイプの接合に、フラッシュ・バット(電気溶接 )技法を実用化。
  • 1949年 - オートバイ アサヒDC 号発売
  • 1949年 - 東京大阪証券取引所に株式上場。
  • 1950年 - アサヒDCオートレーサー発売
  • 1952年 - 日本で初めて粉末消火器を開発、製造開始。オートバイ アサヒゴールデンビームFA 発売
  • 1953年 - オートバイ アサヒMB60 発売
  • 1954年 - オートバイ アサヒ ゴールデン ビームFA2 発売
  • 1955年 - オートバイ アサヒKA 発売
  • 1956年 - 第一次南極観測越冬隊用、20-B型粉末消火器納入。オートバイ アサヒJA350発売
  • 1958年 - オートバイ アサヒHA4発売
  • 1959年 - 松下電器産業(現パナソニック)と資本・業務提携し、グループ会社となる。
    • (創業者 松下幸之助が1904年 宮田火鉢店 1905年に五代自転車店に丁稚奉公に出る そこで宮田の自転車を知る)
    • オートバイ ミヤペット20型 発売
    • 『宮田製作所七十年史』発行
  • 1960年 - オートバイ ミヤペットA20 発売
    • 家庭用消火器 ホームアンスルを発売。
  • 1961年 - オートバイ ミヤペットBスーパーデラックス 、ミヤペット マミー 、ミヤペット マミー90 、ミヤペットE 、ミヤタOA2スポーツ発売
  • 1962年 - ミヤペット スポーツ(試作車)完成するも、オートバイ生産から撤退。
  • 1963年 - 社名を宮田工業に改称。日本で初めて、A.B.C.粉末消火薬剤を開発。
  • 1964年 - 神奈川県茅ヶ崎市に新工場を新築移転。
  • 1964年 - 消防車 ミヤタ カノンを発表
  • 1969年 - 宮田八十年の歩み 発行
    • 幼児車 ピーターパンを発売
  • 1969年 - 西独 ケルンサイクルショーに出品
  • 1969年 - オランダ コガ社と提携 ヨーロッパ進出
  • 1979年 - 新潟石油コンビナートSSI泡消火設備国内第一号納入
  • 1980年 - ツール・ド・フランスでCAPRISONNE-KOGAmiyataがMIYATAのロードフレームを使用。
  • 1981年 - ツール・ド・フランスでピーター・ビネンがMIYATAのロードフレームで第17ステージ区間優勝、総合5位、マイヨ・ブラン(新人賞)を獲得。
    • 自転車 グッドデザイン賞を11回連続受賞
  • 1981年 - トヨダアメリカとの合併で戦後初の海外子会社 「ミヤタバイシクルオブアメリカインコーポレーテッド」M.B.Aをシカゴに設立
  • 1981年 - 家庭用自動消火装置 キッチンアイを発売
  • 1987年 - 青函トンネルに防災機器納入
  • 1989年 - 宮田工業百周年記念誌 発行
  • 1992年 - 石油タンク火災用泡消火設備「ミヤタエアフォームカーテンチャンバー200・日石型」を602基、国家プロジェクト「志布志石油備蓄基地」へ納入
  • 1995年 - 航空機格納庫消火装置の「電動モニター」を開発、関西新空港に納入
  • 1998年 - 有人セルフガソリンスタンド向けの消火設備を開発し、国内初の型式承認を取得して発売
  • 2001年 - 株式会社モリタと資本業務提携
  • 2002年 - ミヤタアルマックスGカラーモデル(DQMC6021~7321)グッドデザイン賞を受賞
  • 2003年 - 「スーパーステンレス・VスタイルDX」(DSVD-7AB3)グッドデザイン賞受賞
  • 2008年 - 10月8日資本提携関係にある株式会社モリタホールディングスによって連結子会社化のために株式公開買い付けが実施され、
    • 11月14日にモリタホールディングスが79.41%を取得し、連結子会社となる。
  • 2009年 - 8月1日 モリタホールディングスの完全子会社となる。
  • 2010年 - 自転車部門を株式会社ミヤタサイクル として分社化
  • 2010年 - 8月31日付けで、モリタホールディングスは、台湾Merida社に30%の株式を売却。

特記事項

  • 社章は歯車の中心に宮田の頭文字である「M」を配したもので「ギヤエム」と呼ばれる。自社ドメインgear-m.co.jpは上記にちなんでいる。
  • 戦前、宮田製作所としてオートバイ(アサヒ号)を製造販売していた事でも有名である。(1933年製アサヒ号AAスペシャルBは大分県大分郡湯布院町のゆふいん岩下コレクションで見る事ができた)
  • かつて「ミヤタ」のロゴ書体トヨタ自動車と似ていたが、トヨタとは資本関係はもちろん、現時点では同社との業務提携も行っていない。ただし、粉末消火設備等は研究施設に納入している。
  • 自転車・オートバイ・粉末消火器・自動車・鉄砲の国産の歴史を紐解くと同社が残した功績は大きい。

消防関連事業

消防関連事業においては初田製作所ヤマトプロテック旭硝子子会社の後、元米タイコグループ日本ドライケミカルなどと並ぶ大手企業である。二酸化炭素消火器はヤマトプロテックからのOEMで販売されている。また、宮田エコアンスルでは唯一のエコマーク認定品として発売された。消防分野で同業のモリタと資本・業務提携関係にある。 2009年 - 8月1日 モリタホールディングスの完全子会社となる。

現在はRoHS指令対応の消火器が殆どで、新型水消火器や食品添加物成分が入った新型消火器を最近になって発売した。丸山製作所でも中性強化液などの一部でOEMを実施している。2008年12月現在でもokマークが取れている場合は使用済になる表示ができるよう消火器が主流である。   かつては自転車販売事業との関わりを生かし、自転車用空気入れで空気を充填し水を噴射する消火器型の洗車機を販売したこともある。

自転車関連事業

かつて鉄砲鍛冶から自転車製造に変わっていった日本最古の自転車メーカーである。交番配備の警察用自転車「ミヤタ・メッセンジャー」を製作し警察庁に納入していたことは知る人ぞ知る事実。近年では自動車メーカーの富士重工業と自転車分野で関係を強化し、自転車レース大会を共同開催していた。なおパナソニック サイクルテックとの関係は特にない。

90年代には多くのメーカーが溶接フレームを採用する中、上級~ハイエンドモデルにはフレーム素材にカーボンやチタンを取り入れAPA接着工法を用いるなど、先進的なマウンテンバイクをリリースしていた。

スポーツブランドとして2010年より販売元となった『MERIDA』を保有している。かつては別のスポーツブランドとしてオランダのkogaと提携した『koga-miyata』を保有していた。

2010年に自転車部門を株式会社ミヤタサイクルとして分社化し、2012年に事業を全面譲渡した。なお他メーカーと同様に中国比率を高めており、いままでの国産高級自転車商品は減っている。

事業所一覧

  • 防災事業部
    • 東日本統括営業部
      • 仙台営業所
      • 札幌営業所
    • 首都圏統括営業部
      • 東京営業所
      • 特機営業所
      • 首都圏設備営業所
      • 北関東営業所
      • 神奈川営業所
      • 静岡営業所
    • 中部統括営業部
      • 名古屋営業所
      • 中部設備営業所
    • 西日本統括営業部
      • 大阪営業所
      • 関西設備営業所
      • 中国営業所
      • 福岡営業所

関連会社(モリタグループは除く)

  • 株式会社ミヤタサイクル
  • 東北ミヤタ社





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