宮本百合子 宮本百合子の概要

宮本百合子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 05:02 UTC 版)

宮本 百合子
(みやもと ゆりこ)
1918年と1919年の間に撮影
ペンネーム 中條 百合子、宮本 百合子
誕生 中條 ユリ
1899年2月13日[1]
東京市小石川区原町[2]
死没 (1951-01-21) 1951年1月21日(51歳没)[1]
東京都[1]
墓地 小平霊園2-11-6
職業 小説家評論家
国籍 日本
最終学歴 東京女子師範学校附属高等女学校卒業、日本女子大学中退
活動期間 1916年 - 1951年
ジャンル 小説評論
文学活動 民主主義文学運動
代表作貧しき人々の群』(1916年)
伸子』(1928年)
播州平野』(1947年)
『二つの庭』(1948年)
道標』(1950年)
デビュー作貧しき人々の群』(1916年)
配偶者 荒木茂 (1919年 - 1924年)
宮本顕治 (1932年 - 1951年)
親族 中條政恒(父方の祖父)
西村茂樹(母方の祖父)
中條精一郎(父)
所属 日本プロレタリア作家同盟日本共産党新日本文学会、NHK放送委員会[3]婦人民主クラブ
ウィキポータル 文学
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18歳で『貧しき人々の群』を発表し天才少女と注目された。米留学後結婚したが離婚、その経緯をまとめた『伸子』を発表。その後ソ連を訪れ日本共産党に入党。宮本顕治と結婚[注 1]。再三検挙されながらも執筆活動を続けた。戦後は『歌声よ、おこれ』を書いて民主主義文学運動の出発を宣言、『播州平野』『風知草』『二つの庭』『道標』などを書いた。日本の左翼文学・民主主義文学、さらには日本の近代女流文学を代表する作家の一人である。


注釈

  1. ^ 宮本顕治は百合子の死後に百合子の秘書だった大森寿恵子と結婚している。

出典

  1. ^ a b c “宮本百合子 みやもとゆりこ”, ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典, Britannica Japan, (2014), https://archive.is/bvcjI#6% 
  2. ^ “宮本 百合子 ミヤモト ユリコ”, 20世紀日本人名事典, 日外アソシエーツ, (2004), https://archive.is/oW48c#11% 
  3. ^ 加藤龍蘭「NHK経営委員会制度の形成過程--「委員会設置型公企業」の一事例として」『社会科学ジャーナル』第62号、国際基督教大学社会科学研究所、2007年3月、10-11頁、ISSN 04542134 
  4. ^ a b c d e 宮本百合子 自己形成への軌跡−デビュー作『貧しき人々の群』が書かれるまで正本君子、日本大学大学院総合社会情報研究科紀要 No.6, 427-438 (2005)
  5. ^ a b 『宮本百合子全集 第十八巻』新日本出版社、1981年5月30日。「宮本百合子 年譜」。
  6. ^ 『いまに生きる宮本百合子』(新日本出版社、2004年、ISBN 978-4-406-03108-0、p88-91に論考あり。
  7. ^ a b 『航路二十年』 1967, pp. 11–14.
  8. ^ ふぇみんとは”. ふぇみん婦人民主クラブ. 2024年2月20日閲覧。
  9. ^ 婦人民主クラブ』 - コトバンク
  10. ^ 『全国組織婦人団体名簿』 1981, pp. 2–3.


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