安房国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/26 13:26 UTC 版)
安房国 | |
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■-安房国 ■-東海道 | |
別称 | 房州(ぼうしゅう) |
所属 | 東海道 |
相当領域 | 千葉県南部 |
諸元 | |
国力 | 中国 |
距離 | 遠国 |
郡・郷数 | 4郡32郷 |
国内主要施設 | |
安房国府 | 千葉県南房総市 |
安房国分寺 | 千葉県館山市(安房国分寺跡) |
安房国分尼寺 | (未詳) |
一宮 | 安房神社(千葉県館山市) |
「安房」の名称と由来
『古語拾遺』によれば、阿波国において穀物や麻を栽培していた天富命は、東国により良い土地を求め阿波の忌部氏らを率いて黒潮に乗り、房総半島南端の布良の浜に上陸し開拓を進めた。そして阿波の忌部氏の住んだ所は、「阿波」の名をとって「安房」と呼ばれたという[1]。また、『古語拾遺』の説のほか、『日本書紀』景行天皇53年10月条の東国巡狩の折の淡水門に因むとする説もある[2]。
領域
明治維新直前の領域は、現在の千葉県館山市・南房総市・安房郡鋸南町の全域と鴨川市の大部分(四方木を除く)に相当する。
沿革
律令制以前のこの地域には、阿波国造と長狭国造の2つの国造が置かれていた。律令制において令制国である上総国の一部となり、養老2年5月2日(718年6月4日)、上総国のうち阿波国造と長狭国造の領域だった平群郡、安房郡、朝夷郡、長狭郡の4郡を分けて安房国とした[1]。国造は「阿波」の表記であり、藤原京出土木簡に「己亥年十月上挟国阿波評松里」(己亥年は西暦699年)とあるなど、郡(評)の表記にもゆれがあるが、これに先立つ和銅6年(713年)の好字令で南海道の「粟国」が「阿波国」に変更されており「安房」の表記となった。天平13年12月10日(742年1月20日)に上総国に合したが、天平宝字元年(757年)に元に戻され、東海道に属する一国となり、国級は中国にランクされる[1]。
国府は現在の南房総市府中付近に置かれ、古代末期から中世にかけて丸氏、長狭氏、安西氏、神余氏などの武士団が活動し、平安時代末期には源頼朝の再起の地となる。鎌倉時代の守護は不明。室町時代の守護には結城氏、上杉氏が就いた。15世紀半ば頃より里見氏が台頭し、戦国期には安房統一を果たして上総から下総の一部に至るまで勢力を張った。
豊臣秀吉による小田原城攻め以後は、安房一国が里見氏の領地となった。関ヶ原の戦いでは、里見氏は徳川家康を支援して加封を受けたものの、江戸幕府成立後の慶長19年(1614年)に里見忠義が大久保忠隣改易に連座して伯耆国倉吉に転封。その後は、東条藩、勝山藩、北条藩、館山藩などの諸藩と、幕府領・旗本領が置かれた。村数は280ヵ村(天保期)。明治2年(1869年)安房では勝山、館山の2藩に、新たに長尾藩、花房藩の2藩が置かれた。この地の幕府領・旗本領は安房上総知県事・柴山典の管轄となり、翌年に宮谷県が置かれて柴山典が権知事となり、安房4郡の約5万6千石を管理した。明治4年(1872年)、廃藩置県によって木更津県に編入され、明治6年(1874年)木更津県と印旛県の合併により千葉県に編入された。明治30年(1897年)には安房国4郡が統合されて、千葉県安房郡に再編された。
明治以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での国内の支配は以下の通り。太字は当該郡内に藩庁が所在。国名のあるものは飛地領。(293村・95,877石余)
- 慶応4年
- 明治元年
- 明治2年
- 明治4年
- 明治6年(1873年)6月15日 - 木更津県が印旛県に統合して千葉県が発足。
国内の施設
国府
国府は『和名抄』によれば平群郡にあったとされ、現在の南房総市府中付近に推定される。しかし正確な位置は明らかでない。
国分寺
神社
- 『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく一宮以下の一覧[4]。
- 総社:鶴谷八幡宮(館山市八幡、北緯35度0分18.86秒 東経139度52分0.00秒 / 北緯35.0052389度 東経139.8666667度) - 元社は元八幡神社(南房総市府中、北緯35度0分43.05秒 東経139度53分21.11秒 / 北緯35.0119583度 東経139.8891972度)。
- 一宮:安房神社(館山市大神宮、北緯34度55分20.77秒 東経139度50分12.04秒 / 北緯34.9224361度 東経139.8366778度)
洲崎神社(館山市洲崎)を一宮、洲宮神社(館山市洲宮)を二宮とする説もあるが、これは「洲の神」を祀る神社として2社一体であった洲崎神社・洲宮神社の間での呼称と見られている[4]。
安国寺利生塔
- 安国寺 - 仏日山安国寺(鴨川市北風原、本尊:聖観世音菩薩)が継承。
- 利生塔 - 未詳。
駅
いずれも律令時代の駅。
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