姚明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 00:48 UTC 版)
2014年の姚 | ||||||||||||||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||||||||||||
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愛称 | 歩く万里の長城 | |||||||||||||||||||||||
中国語 | 姚 明 | |||||||||||||||||||||||
国籍 | 中華人民共和国 | |||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1980年9月12日(43歳) | |||||||||||||||||||||||
出身地 | 上海市 | |||||||||||||||||||||||
身長 | 229cm (7 ft 6 in) | |||||||||||||||||||||||
体重 | 141kg (311 lb) | |||||||||||||||||||||||
キャリア情報 | ||||||||||||||||||||||||
NBAドラフト | 2002年 / 1巡目 / 全体1位[1] | |||||||||||||||||||||||
ヒューストン・ロケッツから指名 | ||||||||||||||||||||||||
プロ選手期間 | 1997年–2011年 | |||||||||||||||||||||||
ポジション | C | |||||||||||||||||||||||
背番号歴 | 11 | |||||||||||||||||||||||
永久欠番 | ロケッツ 11 | |||||||||||||||||||||||
経歴 | ||||||||||||||||||||||||
選手時代: | ||||||||||||||||||||||||
1997–2002 | 上海シャークス | |||||||||||||||||||||||
2002–2011 | ヒューストン・ロケッツ | |||||||||||||||||||||||
エグゼクティブ時代: | ||||||||||||||||||||||||
2013–2018 | 上海シャークス | |||||||||||||||||||||||
受賞歴 | ||||||||||||||||||||||||
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NBA通算成績 | ||||||||||||||||||||||||
得点 | 9,247 (19.0 ppg) | |||||||||||||||||||||||
リバウンド | 4,494 (9.2 rpg) | |||||||||||||||||||||||
ブロック | 920 (1.9 bpg) | |||||||||||||||||||||||
Stats Basketball-Reference.com | ||||||||||||||||||||||||
バスケットボール殿堂入り選手 (詳細) | ||||||||||||||||||||||||
代表歴 | ||||||||||||||||||||||||
キャップ | 中華人民共和国 | |||||||||||||||||||||||
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姚明 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 姚明 |
簡体字: | 姚明 |
拼音: | Yáo Míng |
ラテン字: | Yao2 Ming2 |
発音: | ヤオミン |
広東語拼音: | Jiu4 Ming4 |
広東語発音: | ユーメン |
閩南語白話字: | Lâu Bêng |
日本語読み: | ようめい |
英文: | Yao Ming |
生い立ちと中国でのキャリア
姚明の父親、姚志遠(ようしえん、ヤオ・ジーユァン)は身長208cmの元バスケットボール選手であり、母親の方鳳娣(ほうほうてい、ファン・フェンディー)も、188cmの元バスケット選手で、中国代表チームでプレーしていた。出生時の体重は11.2ポンド(約5kg)。
9歳でバスケットボールを始め、10歳の頃には180cm、13歳になる頃には2mにまで達した。中学生でユース代表チームに選ばれ、17歳で地元の上海シャークスと契約し、中国プロバスケットボールリーグプレイヤーになった。1997-98シーズン、1試合平均10得点、9リバウンドを獲得した。翌シーズンは負傷で大半を棒に振る。1999-2000シーズン、1試合平均21得点、14リバウンドの成績に加え、5ブロックと活躍する。翌2000-01シーズンには1試合平均27得点、19リバウンドを記録し、20歳にしてリーグのMVPを獲得した。
NBA
2002年のNBAドラフト全体1位でヒューストン・ロケッツに指名された。長身を生かしたポストプレーや豪快なブロックショットが魅力で、ルーキーシーズンながらNBAオールスターゲームにファン投票で選出されるなどし、デビューから2シーズンは全試合に出場した。デビュー以降周囲からは「期待外れ」との声も囁かれてはいたが、3シーズン目となる2004-05シーズンには2年連続でNBAシーズン得点王に輝いていたトレイシー・マグレディがロケッツに加入し、マグレディとのコンビでチームのレギュラーシーズンの勝率を6割にまで上げる活躍を見せた。しかし姚、マグレディは共に怪我が多かったため、2人が共に在籍した6年間で一緒に出場する機会は少なかった。
2005-06シーズンから足の怪我に悩まされるようになり、2007-08シーズンまでの3シーズンは毎シーズン30試合前後の欠場を強いられた。 2006-07シーズンには大台の1試合平均25得点、9.4リバウンドという記録を残している。
2008-09シーズンはレギュラーシーズンに77試合出場し、プレーオフでも自身初となる初戦突破を果たした。カンファレンス・セミファイナルでロサンゼルス・レイカーズと対戦したが、2戦目に左足首を怪我し、3戦目以降は出場ができなかった(その後チームは7戦目まで戦った末敗れている)。
2009-10シーズンは怪我によりシーズンの全試合を欠場した。2010-11シーズンにはチームから怪我防止のために出場機会の制限を課されてシーズンに臨んだものの、レギュラーシーズン5試合に出場した後に怪我が見つかり、残りの試合を全て欠場した。
2011年7月20日、度重なる怪我の影響のため現役引退を表明。2017年2月にロケッツから背番号「11」を永久欠番に認定することが発表され[1]、同月3日に永久欠番授与式が執り行われた[2]。
- ^ Rockets to Retire Yao Ming’s #11 at Halftime of Game vs. Chicago on February 3, 2017
- ^ Rockets retired Yao Ming's no.11 jersey
- ^ “アジア人初の1位指名が誕生した2002年。“中国の至宝”を巡る攻防と、人生が一変した2位指名選手の物語【NBAドラフト史】”. DUNK SHOT (2020年10月15日). 2020年10月22日閲覧。
- ^ 上海出身の姚明ら著名人は政協に参加
- ^ “姚明参加政协会议座位很特殊椅子没有扶手(图)”. 捜狐 (2015年3月4日). 2018年3月20日閲覧。
- ^ 全国政協委員・姚明氏 CBAの発展は、外国人助っ人に頼るだけでは駄目
- ^ 元NBA選手の姚明氏、中国バスケ協会のトップに当選=ネットは全体的に歓迎も心配の声も―中国メディア
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