大津事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/04 06:25 UTC 版)
大津事件(おおつじけん)は、1891年(明治24年)5月11日に日本を訪問中のロシア帝国皇太子・ ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ (後の皇帝ニコライ2世)が、滋賀県滋賀郡大津町(現・大津市)で警察官・津田三蔵に突然斬りつけられ負傷した暗殺未遂事件である[1][2]。湖南事件(こなんじけん)とも呼ばれる[3][4]。
注釈
- ^ 現在の2代目新橋駅ではなく、1872年に開設した初代新橋駅のことで後の汐留駅である。当時まだ東京駅は無く、この初代新橋駅が東海道本線の起点であった。
- ^ 『読売新聞』のみが行在所を二条離宮(二条城)と報道。他紙および『明治天皇紀』は「京都御所」と記している。
- ^ ただし山田の場合は、大津事件手記によると、内心では皇室罪の適用に消極的だったと思われる記述がある[9]。
- ^ 一部の書籍には発言者が陸奥宗光であるとされているが、青木周蔵日記によると後藤であると見られている[10]。
- ^ これは、大逆罪の類推適用を考慮していたため、皇室罪に関する裁判はすべて大審院における一審において判決が下されることから、適用可否判断を含め地裁ではなく大審院に持ち込まれることになった。
- ^ コミックでは他にも、直接ではないがゆうきまさみ「機動警察パトレイバー」の作中、登場人物の警察官が外国の要人に拳銃を向ける(ように見える)シーンにおいて触れられている。
出典
- ^ 『大津事件』 - コトバンク
- ^ 『大津事件』 - ジャパンナレッジ
- ^ a b c d 衝撃の大きさ3ページで伝える…大津事件 - 読売新聞会社案内サイト「読売新聞へようこそ」
- ^ a b c 大津事件 ~ロシア皇太子遭難をめぐって~ - 国立公文書館アジア歴史資料センター
- ^ 明治24年5月11日『官報』号外。国立国会図書館デジタルコレクション コマ12
- ^ 明治24年5月11日『官報』号外。国立国会図書館デジタルコレクション コマ13
- ^ 明治24年5月13日『官報』号外。国立国会図書館デジタルコレクション コマ8
- ^ 佐々木、p.71
- ^ 児島惟謙著『児島惟謙大津事件手記』関西大学出版部 ISBN 4873543754
- ^ 佐々木、72p
- ^ 『官報』第2373号、明治24年5月30日、p.362
- ^ 佐々木、a74p
- ^ 佐々木隆『藩閥政府と立憲政治』(吉川弘文館)
- ^ 保田孝一 『最後のロシア皇帝 ニコライ二世の日記』(朝日選書、のち講談社学術文庫)
- ^ 鉄砲安の生涯Movie Walker
- ^ Katia (2008年12月22日). “Boffins confirm authenticity of Last Tsar's remains”. CNN iReport
- ^ ナショナルジオグラフィックチャンネル「あなたの知らない世界史」第3話「ロマノフ家 処刑の謎」
- ^ 芸術祭参加作品 こがね虫テレビドラマデータベース
- ^ 鉄砲安の生涯Movie Walker
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