大日本帝国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/05/15 12:09 UTC 版)
一般には1889年(明治22年)の大日本帝国憲法発布時に憲法典の名称として使用されたことから権威づけられ、1947年(昭和22年)の日本国憲法施行時までの約58年間、天皇が大日本帝国憲法を通じて統治する日本として使用された国号のひとつとされる。1868年(明治元年)の明治維新から1945年(昭和20年)の太平洋戦争(大東亜戦争)の終戦時までの77年半の日本の歴史的時代を表象する国号として指すこともある。最盛時には現在の日本の領土に加え、南樺太、千島列島、朝鮮半島、台湾などを領有していた他、北東アジアや太平洋にいくつかの委任統治領や租借地を保有した。
以下は国号としての大日本帝国を解説し、また大日本帝国憲法下の日本について記述する。
目次 |
国名
経緯
明治天皇は1868年1月3日(慶応3年12月9日)、王政復古を宣言。1889年(明治22年)2月11日には大日本帝国憲法(帝国憲法)が発布され、1890年(明治23年)11月29日、この憲法が施行されるにあたり大日本帝國という国名を称した。初め伊藤博文が明治天皇に提出した憲法案では日本帝國であったが、憲法案を審議する枢密院会議の席上、寺島宗則副議長が、皇室典範案に大日本とあるので文体を統一するために憲法も大日本に改めることを提案。これに対して憲法起草者の井上毅書記官長は、国名に大の字を冠するのは自ら尊大にするきらいがあり、内外に発表する憲法に大の字を書くべきでないとして反対した。結局、枢密院議長であった伊藤博文の裁定により大日本帝國に決められた[1]。
帝国憲法の半公式の英訳(伊東巳代治訳)では「Empire of Japan」と訳され、「大」の意味合いはなかった。当時は国名へのこだわりがなく、帝国憲法と同時に制定された皇室典範では日本帝國、大日本國と表記し、外交文書では日本、日本國とも称したし、国内向けの公文書でも同様であった。その後、世界情勢の悪化などにより国名への面子に対する拘りが表面化した1935年(昭和10年)7月、外務省は外交文書上「大日本帝國」に表記を統一することを決定した[2]。国号を参照。
第二次世界大戦後、日本政府が1946年2月8日に連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) に提出した憲法改正要綱では、国名を「大日本帝國」のままにしていたが、2月13日、GHQ/SCAPのホイットニーにより、憲法改正要綱の不受理通知とGHQ/SCAP草案が吉田茂外務大臣、松本烝治国務大臣らに手交され、その草案の仮訳からは国名が日本國となり、国号に関して1946年7月23日時点における内閣総理大臣の公式見解としては「従来現行憲法(当時は大日本帝国憲法下)においても特に我が国の国号を一定する意味で「大日本帝国」といふ名称が用ゐられたものとは考えていない」ものとされた[3]。
その後1947年(昭和22年)5月3日に施行された日本国憲法により日本は憲法上日本國の名称を用いることとなり、日本国憲法下の日本では主権在民に変更されつつ象徴天皇制として皇室は維持された。
通称
通称では帝国と呼び、また皇国とも称した。日本海海戦での「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ」が有名。日本や日本国は通称としてだけでなく公文書にも使用された。
現在「帝国」の文字が公的機関に記されているのは東京都千代田区に所在する日本水準原点標庫のみである。民間では帝国データバンク、帝国劇場(通称「帝劇」)、帝国ホテル、帝国書院、帝国制帽、帝国石油のように、「帝国」を使用しているものもある。
2004年(平成16年)に東京地下鉄(東京メトロ)が運営を引き継いだかつての営団地下鉄も、運営者の正式名称は帝国の首都を意味する「帝都」を冠した帝都高速度交通営団であった。京王電鉄も同様に、社名変更前は「京王帝都電鉄」(京王電鉄と帝都電鉄が合併した名称)と「帝都」を冠し、警備会社ではテイケイが「帝国警備保障」を、帝人が「帝国人造絹糸」と「帝国」を冠していた。
東京大学、京都大学などの帝国大学令に基づいて設立された大学は、現在においても旧帝大と呼ぶことがある。
また、同様に「大日本」の文字が使用されている企業もある。(例: 大日本印刷、大日本除虫菊)
英称
英称は Empire of Japan、Great Japan、Empire of Great Japan、Great Japanese Empire などがあった。
国土
大日本帝国憲法下の日本の国土は、完全な領有権を有する領土のほか、領土に準じる区域として、他国から借り受けた租借地、国際連盟に統治を委任された委任統治区域があった。このほか、行政権及び自国民への裁判権を有する一部統治区域があった。
首都
憲法や法令に首都の規定はないが、大正12年9月12日詔書で「東京ハ帝国ノ首都」とされている。東京は大日本帝国の首都として帝都と称され、宮城(きゅうじょう、皇居)が所在し、内閣、各省、枢密院、大審院が位置し、帝国議会が開かれ、戦時には大本営が置かれた。
東京以外の首都機能としては、天皇の所在を示す高御座が京都御所に安置され、即位の礼や大嘗祭が行われていたことから、京都市がその一部を担っていたといえる。また広島は、日清戦争中に天皇の行在所や大本営が置かれ、帝国議会が開かれたので、臨時の首都を務めたとも言える。なお、大東亜戦争で本土決戦になる場合は天皇と大本営を長野県松代町の地下壕に移す予定であったが、本土決戦が行われることなく終戦したため実現しなかった。
領土
大日本帝国憲法(明治憲法)の形質の観点では、明治憲法には領土規定がなく、ロエスエル案の段階で領土は自明のものであり、また国体に関わり議院に属さないものだとして領土規定が立ち消えたのであるが、実際にはロエスエルの認識とは異なり日本の領土は北(樺太・北海道)も南(琉球)も対外政策は不安定な中にあった。明治政府にとって好都合であったことは確かで、露骨なものとしては「我カ憲法ハ領土ニ就イテ規定スル所ナシ、諸国憲法ノ或ハ領土ヲ列挙スルト甚タ異レリ、サレハ我ニ在リテハ、領土ノ獲得ハ憲法改正ノ手続ヲ要セス」(上杉慎吉「新稿・憲法述義」1924年P.143)と解されていた[4]。
比較法学の観点では、当時の国法学の観点では「国土」という確定された領域は国土学によって理論的に整除され、その結果を憲法に記述することが慣行となっていた。1831年のベルギー憲法、1848年プロイセン憲法、1871年ドイツ帝国憲法のように第一条に国土条項を記述するのが通例で、領土条項を欠いた憲法はなんらかの事情があり、その点で大日本帝国憲法は異例であった。石村修はこの点について江戸時代における長期の鎖国体制や地政学的特性に着目する。西欧型の植民地経営の特徴は、自国の法がおよぶ範囲を限定し殖民会社に軍備・司法・行政・外交の特権を付与することで、国家も直接植民地支配の煩わしさから解放されることになり、そこでは軍事警察力による暴力的な支配権力が不可欠であり、法的には内地と区分された(外地)という枠組みが形成されるにいたった。19世紀のヨーロッパは国家主権が欠落した空間に宗主国の主権が及ぶことを想定しながら、直接的な責任逃れの法理が適用されることを期待して「外地」(overseas territories)という領土を作り出したとする[5]。
領土は完全な領有権を有する区域であり、内地、樺太(後に内地に編入)、台湾、朝鮮からなる。このほか一時遼東半島を領土としたことがあった。各領土の来歴は下記の通り。領土面積は最大675,000km2。各領土の概要は下記の通り。
- 内地
- 日本列島及び周辺の島嶼からなり、現在の日本国の領土とほぼ一致する。内地の来歴は以下の通り。
- 本州・九州・四国:日本の古来からの領土(東北地方は平安時代以降)。『古事記』は淡路、対馬、壱岐、隠岐、佐渡と合わせて大八島と呼ぶ。
- 北海道:中世以来徐々に統治権を及ぼす(参照:和人地)。1855年の日本国魯西亜国通好条約(安政元年12月21日締結)により択捉島と得撫島の間に国境を確定。
- 沖縄:日清両属の琉球王国だったが、1872年、第一次琉球処分により琉球藩を設置して琉球国王を藩王とし(明治5年(1872年)9月14日詔勅)、領土であることを確認(公文録明治5年外務省付録)。
- 千島:1875年千島樺太交換条約(明治8年太政官布告第164号)により得撫島以北の18島を領土に加える。
- 小笠原:1876年、官吏を派遣し実効統治する旨を各国に通知し、領土として確定(明治9年10月17日小笠原島ニ関スル在本邦各国使臣宛文書)。
- このほか以下の島々を内地に編入した。
- 北大東島・南大東島:1885年調査隊を派遣し国標を建設。同年沖縄県編入(公文録明治18年内務省ノ部)。
- 硫黄島・北硫黄島・南硫黄島:1891年小笠原島庁の所轄とする(明治24年勅令第190号)。
- 南鳥島:1898年小笠原島庁の所管とする(明治31年(1898年)東京府告示第58号)。
- 魚釣島・久場島:1895年沖縄県の所管とし標杭建設を決定(明治28年内甲第2号閣議決定)。現在は尖閣諸島と呼ばれる。
- 沖大東島:1900年沖縄県に編入(明治33年沖縄県告示第95号)。
- 竹島:1905年島根県に編入(明治38年島根県告示第40号)。
- 中ノ鳥島:1908年小笠原島庁の所管とする(明治41年東京府告示第141号)。その後再発見できず、1946年水路図誌から削除。
- 沖ノ鳥島:1931年東京府小笠原支庁の管轄とする(昭和6年内務省告示第163号)。
- 樺太
- 日持上人が訪れるなど、古くは鎌倉時代から日本との関わりがあり、江戸時代は松前藩の陣屋やアイヌなどとの交易場所なども設けられていたが、樺太島仮規則などの不平等条約でロシアとの雑居地とされた後、1875年、千島樺太交換条約によりロシアに譲渡。1905年、日露戦争(樺太作戦)で占領し、同年のポーツマス条約(日露講和条約、明治38年勅令号外)により北緯50度以南を割譲させ回復。1943年内地に編入した(昭和18年法律第85号)。樺太庁を参照。
- 台湾
- 台湾本島と澎湖島を日清戦争で占領し、1895年、下関条約(日清講和条約、明治28年勅令号外)により、清国に割譲させて獲得。1938年、新南群島を台湾高雄市に編入した(昭和14年台湾総督府令第31号、台湾総督府告示第122号)。日本統治時代 (台湾)の項を参照。
- 遼東半島(奉天半島)
- 日清戦争で占領し、1895年、下関条約により清国に割譲させて獲得したが、三国干渉を受けて、同年中の奉天半島還付ニ関スル条約(明治28年勅令号外)により返還した。この間、ごく短期ではあるが、領土であった。
- 朝鮮
- 1910年、韓国併合ニ関スル条約(明治43年条約第3号)により領土に加え、韓国ノ国号ヲ改メ朝鮮ト称スルノ件(明治43年勅令第318号)により朝鮮に改称した。日本統治時代の朝鮮の項を参照。
租借地
租借地は領土とは異なり、潜在主権を租貸国が有し、租借期限があり、また在来の住民に日本国籍が与えられない。中国から関東州と一時膠州(青島)を租借した。
- 関東州
- 遼東半島先端の大連・旅順近辺。ロシアの租借地だったが、日露戦争で占領。1905年、ポーツマス条約により清国の承諾を条件に租借権を譲り受け、日清間満洲ニ関スル条約(明治39年勅令号外)により清国の承諾を得て租借した。租借期限は1923年までだったが、1915年に中華民国との南満洲及東部内蒙古ニ関スル条約(大正4年条約第3号)により1997年まで延長された。1932年の満洲国の成立に伴い、満洲国の一部を租借する形式に改定した(ポツダム宣言受諾により1945年に失効)。
- 膠州
- 山東半島南岸の青島近辺。ドイツ帝国の租借地だったが、第一次世界大戦で占領。1920年同盟及聯合国ト独逸国トノ平和条約(大正8年条約第1号)により租借地とするが、2年後の山東懸案解決ニ関スル条約(大正11年条約第3号)により中華民国に返還。
委任統治区域
- 南洋群島
- 西太平洋赤道以北の広い範囲に散在する島々。ドイツ領であったが、第一次世界大戦で占領、1920年同盟及聯合国ト独逸国トノ平和条約(大正8年条約第1号)により、国際連盟の委任に基づき統治する委任統治区域とした。国際連盟脱退後も引き続き委任統治を行う。
一部統治区域
- 南満洲鉄道附属地(満鉄附属地)
- 南満洲鉄道(満鉄)の線路両側数十メートル程度の地帯、および駅周辺の市街地や鉱山などからなる。満鉄に関するロシアの権利を1905年のポーツマス条約で譲り受けた際に、その一部として鉄道附属地における行政権を獲得した。行政権のほか、治外法権に基づき日本人に関する裁判権も有した。1937年、行政権を満洲国に移譲するとともに、治外法権を撤廃した(昭和12年条約第15号)。
- 租界
- 専管租界を1897年杭州と蘇州に、1898年天津と漢口に、1901年重慶に、それぞれ開設した。また、上海の共同租界に参加していた。北京には正式な租界ではないが、事実上の共同租界として機能した公使館区域があった。このほか沙市、福州、厦門に租界を設置する権限があったが設置しなかった。租界では行政権を行使するほか、治外法権に基づき日本人に関する裁判権も有した。1943年、中華民国(汪兆銘政権)に対し租界を還付し治外法権を撤廃した(昭和18年条約第1号、同第2号)。
第二次世界大戦での占領地
昭和16年(1941年)にイギリスやアメリカ合衆国に対して宣戦布告を行い太平洋戦争(大東亜戦争)が勃発、日本は東亜新秩序を大義名分とし大東亜共栄圏の建設を目標に掲げ、アジアに本格的に進攻し占領地を拡大していく。
- フランス領インドシナ(1940年 - 1945年)
- グアム島(大宮島)(1941年 - 1944年)
- ウェーク島(大鳥島)(1941年 - 1945年)
- イギリス領ギルバート諸島(1941年 - 1943年)
- イギリス領香港(1941年 - 1945年)
- イギリス保護国サラワク王国(1941年 - 1945年)
- イギリス保護国北ボルネオ(1941年 - 1945年)
- イギリス領マラヤ(1942年 - 1945年)
- イギリス領ビルマ(1942年 - 1945年)
- イギリス領インド(アンダマン・ニコバル諸島のみ)(1942年 - 1945年)
- イギリス領ソロモン諸島(1942年 - 1943年)
- オランダ領東インド(1942年 - 1945年)
- アメリカ自治領フィリピン(1942年 - 1945年)
- オーストラリア委任統治領ニューギニア(1942年 - 1945年)
- イギリス・オーストラリア・ニュージーランド共同委任統治領ナウル(1942年 - 1945年)
- アラスカ準州キスカ島(鳴神島)、アッツ島(熱田島)(1942年 - 1943年)
占領地での政権樹立
満洲事変で進出した中国大陸や、太平洋戦争(大東亜戦争)で米英仏蘭の植民地だった地域を次々占領すると、日本の影響下で独立政権を樹立して行った。しかし米英の反撃や日本の敗戦によりこれらの政権は日本の傀儡政権と見なされ、独立宣言は無効とされた国が多い。
- 中国大陸
満州国(1932年3月1日 - 1945年8月18日)
蒙古聯合自治政府(1939年9月1日 - 1945年8月9日)
中華民国南京国民政府(汪兆銘政権)(1940年 - 1945年)
- フランス領インドシナ
- オランダ領東インド
インドネシア(1945年8月19日に独立宣言する予定だったが、日本の敗戦によりオランダとの独立戦争が勃発する)
- アメリカ自治領フィリピン
フィリピン第二共和国(1943年10月14日 - 1945年9月3日)
- イギリス領ビルマ
ビルマ国(1943年8月1日 - 1945年3月27日)
- イギリス領インド
自由インド仮政府(1943年10月21日 - 1945年)
|
||||||||||||||||||||||||||
- ^ 枢密院会議筆記明治21年(1888年)6月18日午後。
- ^ 外務省条約局作成(昭和11年5月)「我国国号問題二関スル資料」(外務省記録「条約ノ調印、批准、実施其他ノ先例雑件」所収)。外務省外交史料Q&A[1]「戦前の日本では、国号の英語標記を "Japan" から "Nippon" に変更しようとする動きがあったそうですが、このことに関する史料はありますか。」
- ^ 昭和21年7月23日提出『衆議院議員田中伊三次外一名提出憲法改正案に関する質問主意書に対する答弁書』。
- ^ 「憲法における領土」石村修(法制理論39pp158-185.2007-03.新潟大学法学会ISSN-0286-1577)[2][3]
- ^ 「植民地法制の形成-序説-」石村修(専修大学法科大学院 第6回東アジア法哲学会シンポジウム)[4]
- ^ ただし満洲国には国籍法が存在しなかったため、法的な「満洲国民」は存在しなかった。満州国#国籍法の不存在を参照のこと。
- ^ 辻清明
- ^ 中曽根康弘、石原慎太郎共著『永遠なれ日本』(PHP研究所 2001年)p.115
- ^ 戦間期台湾地方選挙に関する考察 台湾研究フォーラム
- 1 大日本帝国とは
- 2 大日本帝国の概要
- 3 住民
- 4 統治機構
- 5 国際連盟常任理事国
大日本帝国と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
大日本帝国に関係した商品
- ★伝統的な天然素材の木綿製★海軍旗[旭日旗・大日本帝国海軍旗・軍艦旗][木綿天竺・70×105cm]あす楽対応トスパ・オンラインショップ
- WBC/ワールドカップ/情熱/大日本帝国/日本/心/応援グッズ/日本魂/団旗/冬/日本国旗◇国旗◇日章旗 旭日旗 日の丸 BIGサイズ 70cm×125cm 【情熱/大日本帝国/日本/心/応援グッズ/日本魂/団旗/冬】ht001T-LINK
- 大日本帝国海軍(IMPERIAL JAPANESE NAVY)史上最大の「戦艦大和」のTシャツ。大日本帝国海軍「戦艦大和」ミリタリーTシャツ歴史城楽天市場店
- 「大日本帝国」を含む用例の一覧
- 大日本帝国のページへのリンク








