大垣共立銀行 大垣共立銀行の概要

大垣共立銀行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/05/17 16:25 UTC 版)

株式会社大垣共立銀行
The Ogaki Kyoritsu Bank, Ltd.
Ogaki-Kyoritsu Bank HeadOffice01.JPG
大垣共立銀行本店
種類 株式会社
市場情報
東証1部 8361
名証1部 8361
本社所在地 日本の旗 日本
503-0887
岐阜県大垣市郭町3丁目98番地
設立 1896年(明治29年)3月
業種 銀行業
金融機関コード 0152
SWIFTコード OGAKJPJT
事業内容 預金業務、貸出業務、有価証券売買業務・投資業務、為替業務など
代表者 代表取締役頭取 土屋嶢
資本金 361億円
発行済株式総数 3億5,331万8千株
純資産 1,744億58百万円(単体)
総資産 4兆1,289億81百万円(単体)
従業員数 2,612人
決算期 3月31日
主要株主 日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口) 5.77%
みずほコーポレート銀行 3.30%
岐建 2.44%
明治安田生命保険 2.23%
日本マスタートラスト信託銀行(信託口)2.16%
主要子会社 共友リース株式会社
共立コンピューターサービス株式会社
株式会社共立総合研究所
共立信用保証株式会社
共立クレジット株式会社
共立キャピタル株式会社
共立ビジネスサービス株式会社
共立文書代行株式会社
共立不動産調査株式会社
外部リンク http://www.okb.co.jp
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大垣共立銀行のデータ
店舗数 国内147
(うち出張所31ヵ所),海外駐在員事務所4ヵ所
貸出金残高 2,904,163百万円
預金残高 38,146億円(譲渡性預金を含まず)
特記事項:
2012年3月31日現在
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マス・リテール戦略に基づく、独自のあるいは全国初となるサービスが多い(後述)。また2002年、大日本土木経営破綻により大幅赤字を計上した際、公的資金未投入の金融機関としては異例の「賞与8割カット」を断行するなど、色々な話題を提供する金融機関である。イメージキャラクターはパディントンベア

目次

歴史 [編集]

第百二十九国立銀行が起源 [編集]

大垣共立銀行は1896年(明治29年)3月に設立を免許され、4月に開業した(初代頭取は旧大垣藩藩主戸田氏ゆかりの士族で大垣藩家老の家柄である 戸田鋭之助。後に正五位勲五等、大垣商工会議所会頭を務め、朝鮮総督府の要職等に就く)。1878年(明治11年)12月秩禄処分によって交付された国債の運用先を求めていた大垣藩士を中心に創立された第百二十九国立銀行の営業を実質継承したものである。名称は、株主に旧大垣藩士族と西濃各郡の地主が加わったことから、士族平民が協力して新発足したので、「共立」にしたものである。明治の前期、岐阜県内には6行の国立銀行が設立されたが、現存しているのは大垣共立銀行と十六銀行(第十六国立銀行)の2行のみである。

安田財閥の傘下に [編集]

大垣共立銀行は、明治年代に2行、大正年代に4行、昭和時代に3行を合併し、西濃地域の農業・商業金融を中心に発展してきた。一大転機となったのが、1904年(明治37年)、大垣に本店を有する美濃商業銀行の臨時休業に端を発する、西濃一帯の取り付け騒ぎである。この時、安田財閥総帥・安田善次郎は、第三銀行(のちの安田銀行)を通じて大垣共立銀行を支援する。これをきっかけに、1909年(明治42年)7月、安田保善社が大垣共立銀行の総株数の14.2%を引き受けその傘下に入ることになった。この結果、創立以来の頭取であった戸田鋭之助は副頭取となり、安田財閥より新頭取に安田善三郎(善次郎の娘婿)、取締役に安田善八郎(善次郎の娘婿・安田忠兵衛の娘婿)、監査役に杉田巻太郎が派遣された。以後、歴代頭取は同社から派遣されることになるが、頭取は在京のままのケースが多かった。

もともと、大垣共立銀行の源流である、第百二十九国立銀行は旧大垣藩主の異母兄・戸田氏寛が頭取を務め、取締役に旧藩上層部(元家老戸田三弥・戸田鋭之助など)がいたこともあり、地元では『殿様銀行』とあだ名されていた。こうした中、安田保善社より派遣された行員は、大垣共立銀行内に”前垂れ主義”、顧客第一主義を徹底させる。また、安田財閥傘下の銀行は、人事・貸出(1万円以上)に関する重要事項は全て安田保善社本社が稟議・承認する方針であった為、資金運用の効率化や健全性を求め営業基盤拡大が模索された。

1923年(大正12年)12月、名古屋市大曽根の農産銀行が乱脈経営により破綻した際、安田保善社を通じて大垣共立銀行に救済を求められ、同行買収により愛知県進出の地歩を築いた。さらに、1926年(大正15年)4月、共営銀行の買収によって三重・滋賀両県に進出した。

太平洋戦争直前と1943年(昭和18年)、金融当局より一県一行主義に基づき、同じ岐阜県内の十六銀行との統合を打診された際、大垣共立銀行役員会は『安田保善社系列以外との合併は拒否する』と決議しこれに抵抗する。安田銀行は大垣共立銀行との合併を検討したが、日銀より資金効率の観点から難色を示される。再三にわたる金融当局の勧奨により、1945年(昭和20年)5月には、役員会の大勢も『十六銀行との合併やむなし』に傾き、同年7月に十六銀行との統合交渉を開始するも、直後に岐阜空襲大垣空襲が発生し交渉は中断、そのまま終戦となり合併は雲散霧消することになる。

敗戦と自主経営 [編集]

終戦後、GHQ財閥解体措置により、安田保善社が解散、同社より派遣されていた会長・専務が退陣した。この為、当時大垣共立銀行生え抜きであった第7代社長(1950年に頭取制に復帰)土屋義雄(神戸高商卒後、2年間の兵役を経て1909年7月入行。1923年支配人、1930年常務、1942年専務、1944年社長、1950年頭取、1962年会長、1967年相談役、1970年10月没、享年87)が中心となり自主経営が開始される。

以後、第8代頭取の寺田畊三(大阪高商卒。日銀大阪支店調査役を経て1951年入行、1958年専務、1962年-1967年頭取)、長期にわたり在任した第9代頭取土屋斉(義雄の次男。東大文卒、1933年同盟通信社入社。岐阜放送常務を経て1957年入行、1967年頭取、1986年会長、1993年終身名誉会長。2003年7月没、享年95)、第10代頭取外村次郎(東大経卒。1946年入行、1986年頭取、1993年-1996年会長。2001年6月没、享年78)、第11代頭取土屋嶢(斉の長男。慶大法卒、1970年富士銀行入行。1977年入行、名古屋支店長・本店外国部長を経て1993年頭取)へと経営が引き継がれている。

土屋斉の第9代頭取就任に当たっては、前任の寺田畊三頭取はじめ一部より世襲批判(1997年3月4日付日経金融新聞「あの日あの時私の金融史」)があったが、結果として土屋家より3名の頭取(3名の合計在任期間は2006年現在50年)を輩出し、また本店前には土屋一族出身の頭取経験者胸像があるなど、現在まで、土屋家の影響力が強い。元々、土屋家は大垣近郊の大地主であるが、この土屋家は分家筋にあたり、本家筋当主は十六銀行勤務であった。ちなみに、土屋嶢現頭取はインタビュー等を通じてマスコミへの露出が多く、2000年(平成12年)にはベストファーザー賞を受賞している。

しかし自主経営早々に、これまでの安田保善社との関係から制限会社の指定を受けることになる。この時、制限会社指定を受けたのは12行であったが、このうち地銀は当行と四国銀行のみであった。指定解除となる1949年(昭和24年)まで店舗新設などの積極経営を著しく抑制され、戦後における発展が他行に後れをとることを余儀なくされる。1948年(昭和23年)、金融機関再建整備法によって、資本金の90%減資を行ったが、その後、貸金・預金などの回収、資産再評価、所有不動産の売却などに努力し、旧勘定の整理は順調に進んだ。この結果1952年(昭和27年)には第二次封鎖預金の払戻を行い、1954年(昭和29年)に株主への減資分担金および利息を支払って、全国の銀行に先駆け調整勘定の閉鎖を完了した。1949年(昭和24年)の制限会社指定解除と共に、再建の条件がいち早く整うことになる。この間、1948年に岐阜県関市多治見市に店舗開設、県内中濃東濃地区に進出している。

国際取引の進展 [編集]

経済成長に対応して東海経済圏に積極的な店舗展開を推進し、1960年(昭和35年)に東京事務所、1961年(昭和36年)に大阪支店、1964年(昭和39年)に東京支店を開設。また、もともと岐阜県は陶磁器刃物繊維を中心とした輸出産業が盛んな地であったため、業務国際化の動きにも対応、1960年に外為業務を開始、1972年(昭和47年)に外国部を設置、1978年(昭和53年)に海外コルレス業務を開始、1984年(昭和59年)に海外コルレス包括承認銀行の認定を受けた。また、1986年(昭和61年)に香港駐在員事務所(1989年6月香港支店。現在は、再び駐在員事務所)、1988年(昭和63年)ニューヨーク駐在員事務所(1990年10月ニューヨーク支店。現在は再び駐在員事務所)、1990年(平成2年)ブラッセル駐在員事務所(1992年1月欧州大垣共立銀行となるが現在は解散)、2004年(平成16年)上海駐在員事務所を設置した。

県外展開とサービス深度化 [編集]

もともと、大垣共立銀行は、岐阜県内では規模及び業務面から県都岐阜市に本店を置く十六銀行の後塵を拝していた。そこで、大垣共立銀行がとった政策は、積極的な「県外進出」と、マス・リテール戦略に基づく、「サービス深度化」であった。なおこうした政策の類型はスルガ銀行・かつての西京銀行にも見られる。

店舗展開においては、2006年(平成18年)時点で、岐阜・愛知・三重・滋賀・東京・大阪の6都府県に店舗を有し、地銀の県外進出の先駆けとなっている。東海地方の全国地方銀行協会加盟銀行では最も広範囲な展開でもある。

特に愛知県には県内競合金融機関の十六銀行の本格的進出が第2次大戦後(正確には大正年間に名古屋市に進出したものの、不良債権を築いただけで1921年に撤退)であったのに対し1923年(大正12年)に進出、現在では県内に全店舗の3割にあたる46ヶ店舗を展開し、進出地銀では最大の預貸金量である。また、2007年(平成19年)度中には愛知県内向け貸出金総額は、岐阜県内向け総額を超えるのは確実とされる(2007年1月19日付ニッキン紙)。三重県・滋賀県には1926年(大正15年)に進出し現在でも桑名支店(三重県桑名市)・長浜支店(滋賀県長浜市)は同地でも存在感のある店舗になっている。

独自のあるいは全国初となる一連のサービス深度化は、“収益にほとんど寄与しないとの大手証券アナリストの指摘”(2005年1月25日付日経金融新聞)もあるが、大垣共立銀行の狙いは“斬新なサービスによる知名度向上で、新規顧客獲得へつなげる戦略を立てている”(同)。その結果、2005年(平成17年)のダイヤモンド社の調査では、「顧客満足度で全国第1位の銀行」に選ばれた。また、2006年(平成18年)8月30日に日経新聞が三大都市圏の消費者を対象に行った地域金融満足度調査でも、大垣共立銀行は、利便性が高く評価され86.2点を獲得し首位となった(なお、近隣金融機関では岐阜信用金庫が77.2点で13位、十六銀行が77.0点で15位)。ちなみに第9代頭取土屋斉(現頭取・嶢の実父)は、元々同盟通信社出身のマスコミ人であり、PR戦略に長けた人物であった。

サービス深度化の先駆けとなったのが、ATM稼動の順次延長である。1990年(平成2年)6月より日曜稼働キャッシュサービスコーナー「サンデーバンキング」を開始し、1994年(平成6年)9月には、ATM365日無休稼働「エブリデーバンキング」、1995年(平成7年)1月には、機械の稼働開始時刻を午前8時45分から午前8時に繰り上げる「モーニングバンキング」(同年6月には午前7時に変更)を開始し、いずれも全国初であった。

これらの政策は、個人取引に強みを発揮し、2007年(平成19年)3月期現在、預かり資産(公共債、外貨預金、年金保険、投資信託の合計)は7,123億円、個人ローンは7,367億円と、ともに東海3県に本店がある地方銀行・第二地方銀行間でトップの残高となっている。

十六銀行との比較 [編集]

岐阜市に本店を構え、県を代表する地銀の十六銀行とは何かと対照性を見せる。例えば、1973年(昭和48年)に大蔵省(当時)の反対を押し切って建設した17階建新本店(建設時は地銀本店として、また東海地方の高層ビルとして最も高いビルであった。なお、この階数は“16(十六)を超える”意味があるとされる)の象徴性など、ライバル意識が強い。このライバル意識は、融資競争における低金利傾向(岐阜金利)の遠因ともされている。

消費者からの評価については、前述のように大垣共立が高い評価を受ける一方、現在の財務指標においては、行員一人当たりの業務純益が大垣共立の593万円に対して十六は975万円、総預貸金利鞘の0.18%に対して0.5%、不良債権比率は4.54%に対して4.19%等、十六がより安定的な優位性を見せる。(数値は2006年3月末決算)




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