大喜利 (笑点) 大喜利 (笑点)の概要

大喜利 (笑点)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/22 09:15 UTC 版)

笑点 > 大喜利 (笑点)
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本項では、BS日テレの『BS笑点』と日テレプラスの『笑点Jr.』の大喜利コーナーについても記載する。

概要

大喜利は通常、演芸の後に行われる。時々、演芸内でも日本テレビのアナウンサー6名による「アナウンサー大喜利」や、若手噺家6名による「若手大喜利」を行うことがある。その際は大喜利メンバーが司会や座布団運びを務める。

初代司会の立川談志から3代目司会の三波伸介まではCMが終わって画面が切り替わった時点で既にメンバー全員が板付きでの挨拶状態だったが、4代目司会の5代目圓楽以降は笑点のオープニング曲に合わせて、上手からメンバーが登場するようになった(現在では、小遊三好楽木久扇三平6代目三遊亭圓楽たい平山田隆夫の順に登場する)。メンバーが座り、一旦全員の姿が映された後で司会者(春風亭昇太)が登場し(上手から登場するが、歌丸のみ2014年7月13日放送分以降は下手から登場するようになった)、席に着いて大喜利が始まる(5代目圓楽と歌丸は、席に着いた際に扇子を一打ちしていた)[1]このオープニングに変えたのはプロデューサーの「番組に動きを作りたい」「笑点の象徴として定着しているテーマ曲を何とか使えないか」という意向があったためである。[要出典]

大喜利開始の際に司会者は「○○な(大抵は罵倒ネタ)皆様方のご挨拶からどうぞ」と言い、続いて大喜利メンバーによる20〜30秒ほどの短めの挨拶(小遊三→好楽…の順)となる。この時にメンバーが出演する寄席やイベント、書籍などの告知をすることがある。その後、司会者は「続いてはですね、○○な(メンバー以上の罵倒ネタ)座布団運びのご挨拶どうぞ」と言い座布団運び(山田)の短めの挨拶となる。地方収録の場合、歌丸は司会就任当初、1週目はメンバーには「東京を石もて追われた皆さん」と紹介し、山田には「呼ばれてもないのについてきた山田君(または「座布団運び」)」と紹介した。2週目は開催地にちなんだ紹介をした。メンバーの挨拶が一通り終わると司会者は座布団10枚の賞品のキーワードを言ってから本題に入る。

大喜利の最中に不自然な座布団の増減が見られるときがあるが、これは時間調節や下ネタなどの関係で映像が編集されることがあるためで、編集でカットされた途中で増減があるとそうなる。答えを考えるために動きのない時間も生じるため、実際の大喜利の収録にはテレビ放送の2〜3倍の時間がかかっている。

1年間の締め括りでは三本締めとして、会場の観客と共にその年を締めるが、2006年平成18年)5月14日の放送開始40周年記念特番のエンディングでも行われた。

また、毎年11月頃になると大喜利終了後に2人の笑点メンバーが来年の「笑点暦」の告知をする(1976年昭和51年)版が最初)。現在は昇太と山田を除いたメンバーが2人1組のペアで、3組が週替わりで告知する。

ルールの起源

大筋は創設者である立川談志が考えたとする話が広く知られている[2][3]。しかし、座布団を使うという点に関して言えば、実際にはのちにチーフプロデューサーを務めた小暮美雄が考案している。小暮によれば、以下のような経緯である。

アトラクションとしての大喜利は昔からあり、寄席でも存在し、テレビでも行われていた。駄目な答えのペナルティとして、あたかも羽子板遊びのように「顔にを塗る」ということなどが行われていた。しかし、新しく始める『金曜寄席』でも「顔に墨を塗る」ということをやったのでは先行の演芸番組との差別化を図ることは難しいと判断されたため、最初は「そばを一杯食べさせる」という案が出たが実現せず、考えた末に「罰を与えるより褒美を与える」という逆転の発想が生まれた。ところが、褒美を与えるのなら何を与えるべきかという点でまたもや詰まってしまい、とりあえず「人形を与える」という案が出たものの気持ち悪いと思われ話が進まなかった。『金曜寄席』の初放送日が間近に迫る中、小暮は「私にまかせてくれ」と言い切って新宿末廣亭に行ったが、褒美の事で頭がいっぱいで落語を楽しむところではなかった。何も思いつかないまま末廣亭を出た小暮であったが、その時一緒に出てきた2人連れが「どうして落語家さんが代わる時、下の人(前座)が出て来て(座布団を)裏返すの?」という会話を耳にした小暮は、ここで初めて「座布団を与える」という発想が出てきた。そして、寄席で落語などを演じるところを高座と呼ぶところから「高いところをもっと高くしたら喜ぶかもしれない」と思いつき、「私にまかせてくれ」と周囲に言っていたことや初放送日が間近だったこともあって、「よい答えには座布団を与える」という小暮の案がそのまま通った。[4]

基本ルール

司会者(昇太)が3問出題し、挙手制で指名されたメンバーが機知を利かせた答えを返す。良い答えに座布団1枚(特に優れた答えには2枚以上)が与えられ、悪い答え(具体例後述)は座布団を没収される。獲得した座布団は次回に引き継がれる。

座布団10枚を獲得すると、座布団運び・裏方から紙吹雪による祝福を受けながら「ものすごい豪華賞品」が贈られる。その際「座布団10枚獲得おめでとうございます。賞としてoo(キーワード)にちなんだ素晴らしい賞品を差し上げます」と司会者が目録を読み上げる。

なお座布団10枚が達成された翌週(次の回)は、全員座布団1枚からのスタートとなる。24時間テレビのチャリティー大喜利・正月特番の寿大喜利・チーム対抗戦などは、翌週へ繰り越さずに「座布団の多い方は」と言って計算し、賞品を贈っている(チャリティー大喜利は賞品無し)。

稀に司会者が座布団を獲得(主に大喜利メンバーへの上手い返答時、他の出演者が判断して与えることがあるが、司会者が自ら座布団を持ってくるように指示することもある)する事がある(この座布団は持ち越されない)。また、大喜利メンバーが代理司会を務めた際には、自身の定席に座布団を与える事があった。

座布団を与えるか没収するかは基本的に司会者の裁量であり、これをめぐるメンバーと司会者の絶妙なやりとりが展開される。司会者・番組・番組スポンサー(主に長らくスポンサーである日本香堂サントリー)をよいしょする(歌丸曰く「スポンサーだからやらないわけにはいかない」)答えでは座布団がもらえることが多い(但し、これらのネタで毎回必ず貰える訳ではなく、ネタや状況によっては没収されることもある)。他にも司会者罵倒ネタに対して仇を討った答えも座布団獲得の対象になる(歌丸司会時代)[5]

数週に1度は10枚達成かというシーンがあるが、座布団の枚数が10枚に近づいた場合は大抵司会者が過剰に座布団を取り上げたり、良い答えでも座布団を没収したりする(結果的に5枚以下になる)ため、実際は年に1回〜2回程度(年によっては3回以上もある)、場合によっては1年間座布団10枚が発生しないこともある。 前田時代には「大喜利ナンバーワン」と称し、後述の通り前田が中央に座り、二組に分けて前田の左右に座り、座布団5枚を奪い合うルールとなっていた。また、大喜利メンバーが6人になってからは通常版とコスチューム大喜利の2本立てで行っていた。

座布団を没収されることの多い回答

以下のような場合、大抵は座布団を没収される。

  • 司会者を罵倒したり、気分を害する発言・答えを言った場合[6](全部没収がほとんど)。
    • 挨拶で遠回しに司会者を罵倒した場合、第1問出題前に没収される事もある(主に6代目圓楽)。
    • 司会者の罵倒ネタに便乗したメンバーがいた場合、そのメンバーも一緒に座布団を没収される。歌丸時代は6代目圓楽が昇太やたい平、希に全員を巻き込んで歌丸を罵倒することがあり、そのため全員の座布団が全部没収されたこともあった。
    • 司会者が問題で被り物をする際にけちをつけた際も没収の対象(主に6代目圓楽)。
  • 既存する、同じような答え(罵倒ネタは例外)。
  • 下品な(放送時間帯にそぐわない、下ネタ、長寿番組としてのブランドに傷をつけるような)答え(主に小遊三)。
  • 観客を罵倒する答え(「笑点の公録はタダ」など)。
  • 座布団運びが気分を害した場合(山田に対して「クビ」ネタ、ずうとるびの悪口など)。座布団運びが当該回答者を突き飛ばし、勝手に持っていく。(主にこん平・たい平)
    • 5代目圓楽は「山田君に任せます」と言ってそのままにしていたが、歌丸・昇太の場合は山田が没収した座布団の枚数+1枚(2枚以上の時もある)の座布団を与える。但し、状況によってはそのまま没収になったりするなど例外あり。
    • 山田は稀に「いつも取ってるから」などと言い、座布団を1枚くれるのかと思いきや元あった座布団ごと没収するケースもある。
  • 舞台上で騒ぐネタ(主にたい平。内容としては花火ネタ、秩父祭りネタなど)。便乗したメンバーがいると、そのメンバーも没収の対象になる(大抵は全部没収)。全員が便乗したために全員の座布団が全部没収されたことがある。
  • 「歌と告知は禁止」ルール(歌はお題になった時のみ、告知はご挨拶の時のみ)に違反した場合(歌丸時代、ただし場合や答えの良さによっては獲得など例外あり。)。
  • 実際に寄席などで演じる落語のネタを用いた答え(司会者が「これはね、古典落語のオチにあるんですよ」などとネタを説明する)。
  • 「次期司会者は自分」「司会は誰でも出来る」「司会者の横暴」「世間は自分が次期司会だと信じていた」「消去法で(司会が)選ばれた」など司会に関するもの(歌丸時代は主に好楽・木久扇、昇太時代は主に6代目圓楽)。
  • 2問目・3問目において前の問題の形式で答える(答えの良さによっては例外あり)。
  • 座布団の状況をネタにする(例外なく没収、主に6代目圓楽)。
  • 座布団を司会者に直接ねだる(ねだった枚数分没収)。または「座布団を取るな」「座布団を返せ」といったネタ(逆に「座布団を没収しろ」やそれを促すネタはそのまま受け入れられる)。
    • 座布団をねだった場合は基本的に没収されるが、座布団が1枚も無い時は司会者が同情して座布団を与える場合がある。
    • 司会者に座布団を催促するような素振りをした場合も没収される事がある(主に木久扇。5代目圓楽・歌丸が「山田君、いらないんだって」と言って没収させる)。
  • 他のメンバーの座布団の横取りや貰った座布団(主に6代目圓楽。たい平がネタなどで席を外した隙に横取りすることがある)
  • 延々とネタや物まねを披露する(主に木久扇・たい平)。
    • 木久扇の場合他のメンバー(主に好楽・昇太)にやらされることもあり(雨乞い師や河童など)、その場合はふったメンバーないしは両者の座布団が没収されることもある。
  • 司会者が合いの手を入れる前に答えを言う(三波時代を踏襲したもの)。
  • お題に合っていない。
  • 観客や司会者に先に答えのオチを言われる或いはオチが司会者の予想通り(主に木久扇・6代目圓楽)。
    • 木久扇の場合はダジャレネタ、6代目圓楽の場合は見え見えの罵倒ネタであることが多い。
  • 答えを途中で忘れる(主に木久扇)。
  • 答えを噛む(歌丸時代は主に昇太、昇太時代は主に三平、自主的に座布団を山田に返す事が多い)。
    • 早口言葉を他のメンバーから振られ、噛んだ場合も没収となる。
  • 昇太の独身、結婚できないネタ。他のメンバー(主に6代目圓楽・たい平)がネタにした場合も昇太の座布団が没収される(歌丸時代)。
  • 自身が襲名した名前を放棄するような事を示唆するネタ。
  • 自身の夫婦生活や、ノロケ話を自慢する。(昇太時代以降、主に三平)。

座布団

現在座布団を作っている会社は荻原舞台美術で、大きさは67cm × 77cmと一番大きい「夫婦判」と呼ばれる規格のものよりさらに横幅が長く取ってある。布地にはちりめんが使われており、高級感もある。1枚当たりの製作費は3万2000円(2011年4月3日放送「誰だって波瀾爆笑」から[出典無効])する。中綿が通常の座布団の倍近く詰められており、さらに中に小さな座布団を1枚入れているため、重さも1枚4キロある。10枚重なった時でもバランスが保てるといわれている。

2015年現在、座布団の販売は行われてない。番組側は出演者全員が10枚獲得する事態を考えて60枚用意している[7]。しかし、1991年(平成3年)12月29日の放送で全員が10枚獲得した際には座布団が足りなくなり(歌丸・小遊三が11枚だったため)、5代目圓楽(4代目司会者)の座っていた座布団や山田が最初の挨拶のときに座っていた赤い座布団を急遽メンバーに渡すという珍事があった(賞品は「好きなだけ岩清水を飲める」というもので、1992年(平成4年)5月10日放送の慰安旅行にて贈呈された)。

また、小遊三がすでに10枚獲得していたのに5代目圓楽が気付かずに11枚目の座布団を与えてしまい、最終的に13枚まで増やしたこともある。ちなみにこの時は10枚以上獲得したメンバーが同時に3人出ている。

放送開始時は水色の座布団を使っていたが1年ほどでピンクに変わり、三波の司会就任後の1972年(昭和47年)に現在の紫色に変わっている。

役目を終えた座布団は大喜利レギュラーの元に引き取られているが、過去には視聴者プレゼントされたり、1973年(昭和48年)8月の日本テレビ開局20周年記念イベントとして浅草寺で「笑点まつり」を開き、座布団を読経と奉焼で厳かに供養する「座布団供養」が行われた。

座布団は数年に一度不定期で交換されており、2009年(平成21年)3月22日放送分から最新の座布団が使用されている。そのため新品の座布団は綿が柔らかく厚みがあり、高く積んだ場合にバランスの取り方が難しく、楽太郎(現・六代目圓楽)曰く「(バランスを取るのに気を取られ)答えを考える暇が無い」。また座布団に座るのも難しく、小遊三と楽太郎が7枚の際は山田の補助を借りてやっと座っている。これは歌丸が「普段座布団剥奪の対象のネタでも積極的に座布団を獲得できる」などで、普段から罵倒合戦が続いている6代目圓楽にワザと多く座布団を上げた結果で、後に全部没収となっている[8]

なお、『笑点』が長寿番組となり世間に広く認知されたこともあって、気の利いた表現や面白いことを言ったときに「座布団1枚!」、逆に面白くないことを言ったときなどに「座布団取れ!」などの表現が日常会話で使われることもある。

また、座布団の位置は、司会から全員の手が挙がっているのを分かる様に、奥に進むに連れ、5cmずつ前にずれて[9]いる。

出題

主な出題例としては以下のものがある。

  • 都々逸/川柳(特定の言葉を初句あるいは結句で固定するのがほとんど)/なぞかけ前句付け
  • 頭文字シリーズ(2つ以上の頭文字から始める小話や川柳などを作る。地方収録の1週目1問目に多い)
  • あったらいやな/誰だったらどんなシリーズ
  • 二度と○○したくない●●
  • 笑点・新漢字の遊び(特定の部首に、色々な漢字を書いて新しい読みを作るのが基本)
  • 笑点お詫びシリーズ○○編(両隣のメンバーとお詫びをした後司会者もしくは謝罪されたメンバーが「それだけじゃないでしょ」や「それだけじゃないだろ!」と言った後に答えを返す)
  • 笑点○○自慢合戦(相手のメンバーを1人指名する)
  • もっと○○シリーズ(メンバーが「○○なのは□□」と言い、司会者が「もっと○○なのは?」と聞いた後、もっと○○なものを答える)
  • 笑点イエス・ノークイズ(司会者はどんな場合でも「イエス」としか答えない。クイズの正解を言った後、答えを返す)
  • 笑点お笑い窃盗団○○編(窃盗団の子分に扮したメンバーが親分に扮した司会者に「○○を盗んでめえりやした」と報告、親分が「でかした」と言った後に答えを返す。地方収録の2週目3問目で行われることもある)
  • 笑点お笑いタクシードライバー○○編(地方収録の2週目3問目で行われることがほとんど。タクシードライバーに扮したメンバーが収録地の名所を案内し、観光客役の司会者が「ほんと?」と感心した後に答えを返す)
  • 笑点運命の旅シリーズ(かつて地方収録の2週目3問目で多かった)
  • 運命の○○年(その年の最後の放送で行われる)
上記「運命の旅」「運命の○○」では、メンバーが言う「でも...」の後にベートーベンの「交響曲第5番」が流れる(「番組放送50年目第1回放送」である2015年(平成27年)5月17日の3問目でもこの問題が出された)。
  • 老夫婦の会話(3問目に行われる。回答者はお爺さんまたはお婆さんに扮し、もう一方に扮した司会者と会話する)

なお、1966年(昭和41年)5月15日放送の第1回目では「この世に女がいなければどうなるか」という問題が出された(後に2001年(平成13年)5月20日放送の35周年記念大喜利でも同じ問題が出題されている)。

1問目、2問目は多くが最近の時事問題や芸能人の話題をネタにしたものが多いが、「新しい漢字を作る問題」・「都々逸シリーズ」・「あったらいやな/誰だったらどんなシリーズ」が出ることもある(歌丸の司会就任後はあまり出ていない)。ご当地での収録では土地柄にちなんだ問題が必ず用意される。

3問目は後楽園ホール収録分では被り物を使うものが多く、地方収録では「笑点お笑い窃盗団○○編」「笑点お笑いタクシードライバー○○編」などが出される。

寿大喜利では毎年「干支大喜利」と称し、3問目にその年の干支の動物の着ぐるみを着た問題が出される。

問題では「例の物」として小道具が用いられることがある。「例の物」として一番多いのは「フリップ」で、折り込み句(ご当地名等を平仮名にし、一文字ずつ文の最初に置いて川柳や都々逸調に詠む)シリーズや穴埋め問題などでも登場する。中には「被り物(多くがかつら王冠帽子着ぐるみの頭の部分など)」が出てくることがある。被り物ネタでは司会者が被り物を被った姿がクローズアップされるのがお約束である。その他の定番としてはチャイムデパートなどでの呼び出し。鉄琴風のタイプ)やコップ・帽子・手拭いマイク拡声機携帯電話ハンドルなどがある。時には1問目から3問目まで、その日の問題全てに道具を使った問題が出ることもある。

色紋付

スタッフが容易に識別できるよう、笑点メンバーは衣装の色によりラベリングされている。談志時代の頃から導入されていたが、その当時カラーテレビの普及率が低かったため1968年(昭和43年)〜1969年(昭和44年)の冬場の数ヶ月のみの着用だった。談志の降板後は落語家ではない司会者の前田のみほぼ毎週着用していたが、1970年(昭和45年)秋口頃からはメンバーも毎週着用するようになり、そして司会が三波に代わった後でほぼ現在の形に落ち着いた。

カラフルな色紋付を着るようになったのは、カラー放送用の映像の色調整をするためだったという。そのため各人は深く考えずに適当な色紋付を選んだが、これが番組本編内で定着してしまい現在に至ったのである[10]

5月から10月までは羽織を着ない(2008年以降は11月,12月も羽織なし、2009年以降は1月も羽織なし)。また、例年8月の放送ではメンバー全員が同じ「笑点」の柄の入った浴衣もしくは白色のの着物で登場する(近年はそれぞれ2週ずつの着用となっているが、収録日の都合で9月の放送でも浴衣や麻の着物で登場することもある。また、例年8月にある24時間テレビや、8月に地方収録がある場合は色紋付を着用している)。

現在、色紋付は銀鼠水色桃色黄色丁子色薄紫橙色朱色の8種類である[11]

歴代席順

『金曜夜席』放送開始時から現在までの席順の一覧表を紹介する(1965年から2006年までの圓楽は5代目圓楽、2010年以降の圓楽は「楽太郎」から襲名した6代目圓楽)。またここでは歴代のメンバー落語家の配色も並べる。なお斜体文字は代理出演。

笑点ではメンバー交代があると席替えが行われるが、メンバー自身の希望等の理由により席替えをすることもある。最近では、2016年(平成28年)5月29日より昇太が大喜利メンバーから司会者に昇格、三平が加入のようにメンバーの入れ替えがあっても席替えが行われず前のメンバーが座っていた場所に新メンバーがそのまま入るケースが続いている(厳密な意味での席替えは、1992年(平成4年)4月に好楽と小遊三の座る位置が入れ替わったのを最後に行われていない。この時は好楽が師匠・5代目圓楽が隣の席で、答えの後に「師匠どうですか?」と尋ねていたため萎縮気味で、1つ置いた席の方が力を発揮出来るのではないかとスタッフが考えたため)。

歌丸がメンバーだった時代に、馬鹿(木久蔵→木久扇のキャラクター)と腹黒(楽太郎→6代目圓楽のキャラクター)の間を嫌がるやりとりが定番であった。なお、木久扇と6代目圓楽は1986年(昭和61年)1月以降、小遊三と好楽は1992年(平成4年)4月以降代理大喜利司会を置いていた時期を除いては全く位置が替わっていない。

大喜利メンバーが代理司会を務める場合は、以前は代理司会者の定位置を詰めて行っていたが、2014年5月以降は定位置を空席にした状態(前回まで獲得した座布団のみが積まれている状態)で行われている。

チーム対抗戦

新春スペシャルなどの時に3対3の対抗戦形式で大喜利を行う場合、通常とは異なる司会者を真ん中に配置した特殊な席順となり、アシスタント1名も座布団運びとして参加することがある。2004年(平成16年)のこん平(休演扱い)、2006年(平成18年)の5代目圓楽降板後は長らく行われていなかったが、2007年(平成19年)12月30日に年忘れ大喜利大会として約4年ぶりに行われた。歌丸は司会者として、たい平と昇太は初のチーム対抗戦でもあった。歌丸司会就任以降はチームメンバーも固定されるようになった。以降、2012年までは年内最後の放送分は毎年この形式で行われていたが、2013年以降は行われていない。



  1. ^ 2013年・2014年は何度かこれが省略された回があり、その際には以前と同じく、板付きの状態から開始となった。
  2. ^ 追悼立川談志「反骨の美学」と「喧嘩人生」(3) 「笑点」の大喜利を考案した”. 徳間書店. 2016年5月23日閲覧。
  3. ^ 「笑点」最高視聴率は74年36・1% 座布団は立川談志さん考案”. スポーツニッポン (2016年5月23日). 2016年5月23日閲覧。
  4. ^ 小暮美雄「座布団が笑点を生んだ」 『笑点』 日本テレビ放送網、2006年ISBN 4-8203-9955-1 p.35
  5. ^ [1]
  6. ^ 主な罵倒ネタとして、5代目圓楽に対しては「」「借金」或いは若竹(寄席)ネタなど。歌丸に対しては「ハゲ(または「(頭の)毛が無い」「毛が薄い」)」「ミイラ」「ジジイ」「骸骨」或いは死去ネタや葬式ネタなど。昇太に対しては「チビ」「未婚」など。(歌丸と昇太は回答者時代もこのネタでいじられていた)
  7. ^ 公式サイト[2]2015年12月11日閲覧
  8. ^ 第2157回放送分2016年6月13日閲覧
  9. ^ つまり、小遊三からたい平まで25cm前にズレている事になる。
  10. ^ 2006年(平成18年)11月6日放送の「極上の月夜」で林家木久蔵(当時)談
  11. ^ なお、現在メンバーにつけているピンマイクのスポンジ部分は黄色か黒となっている。
  12. ^ その時前田の席は左端ではなく、歌奴と金馬の間の中央部分だった。
  13. ^ この日は北海道収録であり、演芸のゲストがてんぷくトリオだったため
  14. ^ 定位置には座布団、その上に折りたたまれた水色の紋付が置かれた。
  15. ^ この日の席順は鶴亀大喜利の席順で、愛川の左側に上方噺家がいる東西対抗戦方式だった。
  16. ^ ドレミファ大喜利はこん平が代理。
  17. ^ この頃は週代わりで自前の紋付を着ていた。
  18. ^ 昇太以外はその日の前半に放送された大喜利下克上で優勝した若手落語家。のちにレギュラーになる昇太とたい平もいた。
  19. ^ 定位置には、残された4枚の座布団が積まれていた。
  20. ^ 当時たい平はこん平の代理出演であり、本人は「師匠を差し置いて司会をすることはできない」という理由で辞退している。
  21. ^ 木久蔵が実子きくおの真打昇進・2代目木久蔵襲名に伴うもの
  22. ^ 冒頭の挨拶と演芸の紹介は、いずれも木久扇と楽太郎の2人で担当。
  23. ^ 冒頭の挨拶と演芸の紹介も2人で担当。
  24. ^ a b c d e f g h i j 代理司会を担当したメンバーの定位置には、前回までに獲得した座布団が積まれていた。
  25. ^ 冒頭の挨拶と演芸の紹介は、いずれも昇太とたい平の2人で担当。
  26. ^ 定位置には、残された3枚の座布団が積まれていた(しかし、他のメンバーのネタによって歌丸に2枚没収され、1枚獲得したため、最終的には2枚になった)。
  27. ^ 林家木久扇さん、初期の喉頭がんで休養へ 「笑点」は代役立てず 産経新聞 2014年7月21日閲覧
  28. ^ 前回の2015年1月18日放送で、圓楽の歌丸罵倒ネタにメンバー全員が巻き込まれたため、全員の座布団が全没収で終了。そのため、見た目上は山田用の赤い座布団のみが置いてある状態でスタートした。
  29. ^ 桂歌丸が体調不良で休養発表 『笑点』収録もお休み
  30. ^ 冒頭の挨拶と演芸の紹介は、その放送分の代理司会者が担当(ただし2015年7月19日分は木久扇が担当。2015年7月12日・7月26日・8月2日分は挨拶なし)。
  31. ^ 2015年7月19日放送分で代理司会を務めた6代目圓楽が、自身を除いた全員の座布団を全部没収したため、9枚ある圓楽の座布団と山田の座布団が置かれた状態でスタート。
  32. ^ 「笑点」新メンバー・林家三平、着物は丁子(ちょうじ)色に決定 スポーツ報知 2016年5月29日閲覧
  33. ^ a b ただしこの回では両チームに賞品が与えられた。
  34. ^ この年に放送25周年を記念してパリで大喜利を開催する予定だったが湾岸戦争のため中止になった。
  35. ^ 好楽“一生無料”日テレ社食へ 30人で20年食べると3億円超”. sponichi annex (2014年11月23日). 2014年11月23日閲覧。
  36. ^ 林家たい平の著書「笑点絵日記」に『BS笑点の座布団はトータル20枚程度しか用意されていない』という記述がある。
  37. ^ 愛知収録の回を含めると14回。


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