名古屋高速1号楠線 路線状況

名古屋高速1号楠線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/18 23:34 UTC 版)

路線状況

交通量

24時間交通量(台) 道路交通センサス

区間 平成17(2005)年度 平成22(2010)年度 平成27(2015)年度
東片端JCT - 東片端入口 71,486 48,408 49,632
東片端入口 - 黒川出入口 71,486 48,408 49,632
黒川出入口 - 楠出入口 71,486 48,408 49,632
楠出入口 - 楠JCT 71,486 48,408 49,632

(出典:「平成22年度道路交通センサス」・「平成27年度全国道路・街路交通情勢調査」(国土交通省ホームページ)より一部データを抜粋して作成)

道路施設

環境対策・都市景観への配慮

国道41号の片側3車線箇所(画像左)と片側2車線箇所(画像右)。片側2車線区間では民地との離隔を取るために橋桁を上下方向に振り分けることで圧迫感軽減に努めた。
通常、橋桁は1ブロック毎に架設し、鋼製のベント(橋桁を支える仮支柱)に載せて各桁を連結する(画像)。楠線の北区清水五丁目 - 東区白壁三丁目間ではこの工法によらず一括吊り上げ工法を採用した。

1号楠線は当初全線高架式で計画されたものが、その後日照阻害等の環境問題の観点から一部半地下式に変更されたものを高架式に再変更した経緯を持つ[66][67]。特に半地下式から高架式に戻す過程では沿線住民の反対が激しく、公社としても理解と納得を得るために環境対策として万全を期す構えで策定したのがY型ダブルデッキ(段違い式二層高架構造)と称する道路構造の採用であった[68]。これは1号楠線の直下を並行する国道41号の清水口 - 黒川間が、それ以外の区間と比べて片側2車線と幅員が狭く、そこに従来式のT型都市高速を建設した場合、民有地と都市高速の間隔が接近しすぎることで住民の受ける圧迫感が大きいことから、それを払拭する意図で考案されたものである[49][68]

段違い式とすることで高速道路の幅員を通常は19 m必要なところを14 mまで縮小することで民有地と都市高速のクリアランスが保たれ[69]、しかも低層部分を14 - 17 m、高層部分を23 - 26 mと高くすることで住民の受ける圧迫感はかなり軽減された[49]。さらにY型とすることで都市景観にも配慮している[66]。また、段違い式とすることで下層の走行音が上層高架裏面で反響して交通騒音が増大する懸念が生じたことから、上層高架裏面に吸音板を設置している[70]。なお、高架式再変更を検討中の1985年(昭和60年)当時、Y型高架式を採用するのは首都高速9号深川線辰巳JCT付近で、当時全国唯一の例であった。ただし、辰巳の場合は騒音、排気ガス対策、および辰巳JCTの構造上、接続する9号深川線も一部で路面を高くする必要があったことで段違い式を採用しているため、圧迫感軽減や都市景観の配慮を目的とした段違い式二層構造の採用は名古屋高速が最初の事例となった[49][71]

当該区間の橋桁の架設に当たっては、新工法を開発のうえ取り付けることになった。この区間は道路幅が狭く、坂道であることに加えて、Y型ダブルデッキの上段部の高さが28 mと非常に高いことから、クレーンで1ブロック毎に橋桁を吊り上げる従来の工法では大きな困難が予想されたためである[72]。新工法とは、地上であらかじめブロックをつなげておき、油圧式ジャッキを用いてワイヤで吊り上げて架設するもので、安全性に富み、ベントを設置する必要がないことから工事占用帯における交通規制を不要とした[72]

当初計画では段違い式二層構造は黒川から清水口までの1.3 km区間のみに適用し、清水口以南の広幅員街路区間は一層構造が検討されていた。しかし、清水口から東片端間には武家屋敷や明治時代と大正時代の面影を今に残す撞木町(しゅもくちょう)、白壁、主税町(ちからまち)の町並み保存地区があることから、景観を壊さないための配慮として二層構造を東片端まで延長することになった[51]。高架式への再変更が公表されて以来、地域住民からは町並み保存地区の景観が高架によって損なわれるとの声が上がっていたが[35]、名古屋市としても景観面の配慮から対策を打つことになったものである。

橦木町のクスノキ

東区橦木町(東片端入口付近)には1本の巨大なクスノキが存在する[73][注釈 2]。1965年(昭和40年)頃に国道41号の幅員拡張(15 m→50 m[73])が計画された当時は伐採の予定であった。しかし、住民の陳情がきっかけでマスコミでも報道されるようになり、杉戸名古屋市長が現地を視察してのち、市長判断で保存が決定した経緯をもつ[74][73]。その後、1号楠線が半地下式から高架式に再変更になった際に、クスノキが障害となることから名城公園に移植する計画が持ち上がった[75]。しかし、地元住民の陳情によって移植計画は無くなり、クスノキおよび主税町のイチョウを残すよう都市計画で定められたことから建設に際して必要な対策を打つことになった[76]。代表的な対策としては、工事による吸水性の低下を防ぐために樹木を囲むアスファルトを透水性タイプに打ち替えたほか[77]、高速道路位置を東側に寄せたうえで橋脚と樹木の間隔を開けて樹木の生育に配慮した点である[78]。工事の後も生育に影響はなく、国道41号北行きの第一車線と第二車線の間の交通島にあって青々と茂っている[75]

地理

通過する自治体

接続する高速道路


注釈

  1. ^ もっとも、1976年7月に当時の名古屋市助役が建設省街路課長にあてた文書と、1977年(昭和52年)4月に公社理事長が同課長にあてて出した文書には、将来の高架式への再変更に含みを持たせた内容が盛り込まれており、半地下・地下式への都市計画決定前後から将来の高架変更を織り込んでいたとされている(『朝日新聞(名古屋)』1985年10月15日夕刊)。
  2. ^ 樹齢300年、樹高20.5 m、幹回り3.2 m(『朝日新聞(名古屋)』1997年5月17日朝刊、1面)

出典

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  76. ^ 名古屋高速道路公社 工事誌編集委員会 1998, p. 247.
  77. ^ 名古屋高速道路公社 工事誌編集委員会 1998, pp. 249–250.
  78. ^ 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 2012, p. 261.


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