古沢太穂 古沢太穂の概要

古沢太穂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/15 14:20 UTC 版)

略歴

富山県上新川郡大久保町(現・富山市)生まれ。生家は料理屋兼芸妓置屋。幼くして父を失い、一家は東京から横浜へ。法政大学商業学校(現在の法政大学中学校・高等学校)を経て、1938年東京外国語学校(現在の東京外国語大学)専修科ロシヤ語学科卒業[1]。その後結核のため療養生活に入る。療養所で俳句を勧められ、1940年、「馬酔木」を購読。のち加藤楸邨の「寒雷」創刊とともに参加。

戦後1947年赤城さかえらと同人誌「沙羅」を創刊。秋元不死男の推薦で新俳句人連盟に参加[2]、同連盟の中央委員長(後会長と改称)を長く務める。その後、顧問。1951年、職場の俳句サークルを母体として同人誌「道標」を創刊。1972年、「沙羅」と「道標」を合併して「道標」を太穂主宰誌とする。そのほか、1956年に秋元不死男、小林康治らとともに横浜俳話会を発足した。

1980年、句集『捲かるる鴎』で第12回多喜二・百合子賞を受賞、1983年、第32回横浜文化賞受賞[3]

その作風は変革の抒情ともいうべきものであるが、太穂自身は「自然流」としている。またスローガン的な俳句とは異なる、社会の矛盾を突きつつも人間味のある句を作った[4]根岸森林公園(横浜市中区)には、1983年作の「少年どち若葉染みに来くつわ展」の句碑(古澤太穂句碑建立委員会、1986年)がある[5]

1990年、現代俳句協会顧問に就任[6]

2000年3月2日、肺炎のため86歳で死去。

人物

句集、著作

  • 『三十代』神奈川県職場俳句協議会、1950年
  • 『古沢太穂句集』現代書房、1955年
  • 『火雲』現代俳句協会、1982年
  • 『捲かるる鴎』竹頭社、1979年
  • 『捲かるる鴎』新日本文庫、1983年(解説:松田ひろむ
  • 『古沢太穂-花神コレクション〈俳句〉』花神社、1993年
  • 『うしろ手』新俳句人連盟、1995年
  • 『古沢太穂全集』新俳句人連盟、2013年
  • 『古沢太穂全集 補遺 戦後俳句の社会史』新俳句人連盟、2015年

外部リンク


  1. ^ 『古沢太穂全集』(新俳句人連盟)「古沢太穂年表」953頁。
  2. ^ 『古沢太穂全集』(新俳句人連盟)「古沢太穂年表」954頁。
  3. ^ 第62回神奈川文化賞・スポーツ賞贈呈式」『神奈川県』。
  4. ^ 武田伸一 「古沢太穂」 金子兜太編 『現代の俳人101』 新書館、2004年、116-117頁。
  5. ^ 安藤今朝吉「古澤太穂句碑」『市民グラフヨコハマ』第116号、2001年6月、14頁。
  6. ^ 『古沢太穂全集』年表、961頁。
  7. ^ 月刊『俳句人』1993年11月号「特集・板垣好樹追悼」より。
  8. ^ 『俳句人叢書26 望月たけし 氷平線』(新俳句人連盟)著者略歴より。
  9. ^ 「近現代俳人系統図」[『新版・俳句歳時記(第三版)』(雄山閣)の別刷り]ほかによる。
  10. ^ 「70周年祝賀会」『俳句人』2017年2月号、p4-7。


「古沢太穂」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「古沢太穂」の関連用語

古沢太穂のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



古沢太穂のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの古沢太穂 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS