博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 06:02 UTC 版)
概要
「モノマネはもっとコアに、もっと深いところへ入っていかなければならない」をコンセプトに、細かすぎて周囲に伝わりづらいモノマネ芸を持つ者達にスポットを当てるゴングショー形式のモノマネ大会。出演資格はプロ・アマ問わず、予選オーディション(現在は「6次予選まである」といわれている[2])に合格した者が東京で行われる本放送に出演できるが、予選には毎回1000人以上が参加し、そのうち本放送に出演できるのは60組前後・もしくは120組前後[2]と極めて狭き門である。一方で普段日の当たらないマニアックなモノマネや芸人にスポットを当てるという性質上、芸人にとってはある種登竜門的な意味合いも兼ね、河本準一(次長課長)や博多華丸(博多華丸・大吉)、いとうあさこ、山本高広、キンタロー。、横澤夏子、阿佐ヶ谷姉妹、福島善成(ガリットチュウ)、チョコレートプラネット、アイクぬわら(超新塾)、こがけん(おいでやすこが)などがブレイク[3]。この他参加経験者からは若林正恭(オードリー)、ずん(やす、飯尾和樹)、ナイツ(土屋伸之、塙宣之)、日本エレキテル連合、おかずクラブなども別の番組などをきっかけとしてブレイクしている[2]。一方、「参加要件はプロ・アマ問わず」「地方においてもオーディションを行って合格者を出場させる」という特性から一般参加者も度々参加しており、過去3組4名、一般参加からの優勝者(それぞれ、牧田知丈[4]、松岡智子・柴田由美子[5]、松本賀代[6])が出ている他、地方からの参加者に関しても大阪を拠点とする吉本新喜劇座員や松竹芸能大阪事務所の他、福岡吉本などに所属している芸人がほぼ毎回参加している。
歴史
前身番組『とんねるずのみなさんのおかげです』及び『おかげでした』初期に行われていたコント「博士と助手」のキャラクターと世界観を引き継ぐ形で、「博士と助手~外国人ものまね選手権~」が2002年6月27日に放送された。さらに、翌2003年5月2日放送の「アクションギャグ選手権」と11月13日・20日放送の「フジテレビアナウンサー一芸大会」では落下スイッチ(後述)が導入され、「ネタ披露後に落下スイッチで奈落に落とされる」というシステムが出来上がった。これらを発展させてスタートしたのが当企画である。なお、第1回と第2回は、タイトルが「こまかすぎて伝わらないモノマネ選手権」と「細」の部分がひらがな表記だった。
初期は東京圏限定で予選を行いレギュラー枠の企画として放送する形を取り、好評を受けた2005年は10月までに4回放送したが、年末に特番として放送された第7回以降は「全国大会」となり、全国で予選オーディションを行う、複数人での出場を認めるなど、企画の大型化が進んだ。その後、第8回こそレギュラー枠放送となったが、2006年以降は改編期特番の企画として年に2回、2010年以降は毎年1回開催している。この他、名物出演者を集めた紅白対抗戦や出演者同士のコラボネタが披露される「紅白モノマネ合戦」(紅白)が年末特番として放送、またこのコーナーのスピンオフとして「2億4千万のものまねメドレー選手権」(2億)がレギュラー企画として放送された。
『みなさん』の放送終了決定にともない、2017年12月21日の第23回大会をもって番組内での放送を終えた。この際、石橋貴明は「この企画だけでも持って、日テレに行きます」と語っていた[7]。その後、フジテレビの「土曜プレミアム」枠(土曜21時 - 23時10分)の特番『ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ』として独立することが発表され、番組終了から11ヶ月後の2018年11月24日の放送から再スタートすることになった。またこの企画を続けるきっかけとして、石橋は「続けてるのは、山下達郎さんに言われたから」とインタビューで答えている。石橋が山下と一緒にカラオケに行った後に再度石橋と山下が会う機会があり、山下より「石橋くん『みなさん』終わっちゃうの?」、「あの”細かすぎて”だけは続けてくれよ」と「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」だけは続けてほしいと要望されたことを明かしている[8]。
特番ではタイトルから「博士と助手」と「選手権」が外れ、フジテレビ側では「とんねるず2人の出演が前提の『とんねるずのみなさんのおかげでした』とは別の番組」としている[9]。放送回数も『みなさん』を引き継いだ「第24回」からではなく、2018年11月24日放送分は「第1回」となっている。また、『みなさん』のレギュラーのうち石橋とバナナマンは継続出演するが、木梨憲武と関根勤は出演しない[9]。衣装も白衣から普通の衣装になり、セットも変わっている。
落下スイッチ
出場者はモノマネ披露後に審査員席の落下スイッチにより、足下の床が開いて舞台の奈落に落とされる[10]。
- 第8回以降はモノマネの幅を広げるために複数人で出場できるようになった(第13回以降はより広くなっている)。それに伴い落下するスペースも大きくなり(いわゆる同時落下)、それまで縦開きだった床が横開きに変わった。
- 第11回以降はセット前方や出場者の入場口にも落下ポイントが設けられている。セット前方の落下ポイントは床が開く形式ではなく、実際には落とされるというより自ら落ちる(もしくは飛び降りる)システムとなっている[11]。
「芸人がオチをつけた瞬間に芸人を落下させる」というシステムによって、通常のモノマネでの芸人のネタ終了後の時間やすべった時の雰囲気を解消している。ネタの時間が極端に短いのも長所である(ネタ内容の説明をする時間の方が長い場合も多い)。この手法は『爆笑レッドカーペット』にも活かされている。 参加者はいつ落とされるか分からないので、落ちるタイミングや体勢、状況によっては爆笑が起き、「落ちっぷり」を一つの芸としている参加者もいる(音も無く落下する「サイレント落下」[12] を武器とするアントニオ小猪木など。ただし、落ちるタイミングは出演者のリクエストであり、事前リハーサルもあるという話もあり)。また、第6回目のやす(ずん)や、第10回目の杉浦双亮(360°モンキーズ)は、落下時に落とし穴の外側(端の黄色い部分)に腕や足をぶつけるというハプニングもあった。第15回目では河本準一を中心としたモノマネで、敢えて落下させずに慌てる様をそのまま放送した。また、第3回紅白では、RG(レイザーラモン)が大会前のプロレスの試合で肋骨を3本折っていたため、特例としてセット横捌け口から退場することが認められた。
ルールの変遷
- 第1回は出場者がモノマネを披露して評価してもらうという形式であり、披露したモノマネが「細かすぎて伝わらない」と判断された時には、モノマネロボが出場者を落下させていた。モノマネ披露後に落とされず、モノマネロボにチューブラーベル[13] を鳴らされると合格とされ、その結果コージー冨田が合格者となった(現在の優勝者の立場と同等とされる)[14]。ただし、落下されたものの「ある意味合格」として増谷キートンも合格者となっている[15]。
- 第2回以降も同様のルールで進行する。ただし、第2回以降に落とされなかった者はおらず(落ちることを前提にネタを行う者もいる)、実質的にモノマネ披露後は必ず落とされることになる。そのため、全てのモノマネが終了した後に、出演者全員(博士、助手、大博士、モノマネロボ)による合議制で審査が行われ、優勝者が決められる。
- 第3回以降は、全てのモノマネが終了した後に合議制で優勝者候補(ファイナリスト)を数人選出し、再びモノマネを披露してもらう「決勝戦」が行われる。決勝戦終了後に再び合議制で優勝者を決定。
- 第5回以降は、本戦に出場した芸人の中から、特に自信のある者が決勝戦前にもう一度モノマネを披露する「おかわりタイム」が設けられる(第4回までは、決勝戦と関係なく1人が複数回登場してモノマネを披露していた)。なお、この「おかわりタイム」に決勝戦出場者が全員出るわけではない(「おかわりタイム」に出ないで決勝戦に進出するケースも多数ある)。
また、第6・8回では「あまりにも面白すぎたため」という理由から、前後半戦という形式で2週に分けて大会が放映された[16]。
全国大会の特別項目
- 全国9都市(札幌、仙台、新潟、東京、名古屋、大阪、広島、福岡、那覇)(第7回は仙台・新潟・那覇を除く6都市、第8回・第12回は新潟を除く8都市)にてオーディションを実施(全国の系列のテレビ局でオーディションが行われている)。合格者を東京のスタジオに招いて「全国大会」に参加させる。
- 第7回から落下スイッチが金色になっていたが、第8回では普通の色に戻っており第9回でまた金色に戻った。また、セットも第7回から「SPECIAL」と書かれた電飾がついていたが、第8回で一旦無くなり第9回からついていた[17]。
- ^ “石橋貴明とバナナマン出演「ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ」装い新たに”. お笑いナタリー (ナターシャ). (2018年11月14日) 2018年11月14日閲覧。
- ^ a b c ナイツ塙「M-1みたいな感じ」 『細かすぎて伝わらないモノマネ』出場は“6次審査”の狭き門(Techinsight(Yahoo!ニュース))
- ^ またこの企画が原因でコンビ解散した芸人(くじら、末吉くんなど)や改名している芸人も少なくない(常連出場者参照)。
- ^ 第9回、芸能事務所にも所属していない完全な一般人として唯一の優勝。
- ^ 第16回優勝。大阪の芸能事務所に所属しているが本業は芸人ではなくアナウンサーで、大阪予選からの一般参加で勝ち抜いている。
- ^ 第20回優勝。素人だが「オラキオ体操クラブ」のメンバーとして参加。
- ^ “『細かすぎて』特番で復活! 石橋貴明「場所を残しておかなければ」”. マイナビニュース (株式会社マイナビ). (2018年11月14日) 2018年11月14日閲覧。
- ^ 石橋貴明、“細かすぎて伝わらない―”復活の理由を明かす「達郎さんに言われたから」 ザ・テレビジョン 2020年2月4日
- ^ a b 特番「細かすぎて伝わらない」木梨憲武&関根勤不在のワケ 日刊ゲンダイDIGITAL 2018年11月17日
- ^ 奈落は大量のスポンジで埋め尽くされている(第7回のエンディングで確認できる)。
- ^ 落下地点にはマットが数枚敷かれている(第15回にて)。
- ^ 通常は床が開く瞬間と落下した瞬間にそれぞれ効果音が出る。
- ^ 現在もその名残として、モノマネロボの座席の後ろに置かれている。
- ^ 実際には1回目のモノマネ披露時には落とされており、2回目で合格となった。
- ^ しかし、「第1回チャンピオン」などとは書かれていない。
- ^ 特に第6回で大博士(関根)が「2週に分けてやりたいね」という発言から前後編形式になった経緯がある。
- ^ 第15回と第23回では「SPECIAL」が「FINAL」になっており、第20回では「SPECIAL」の上に「20th」とついていた。
- ^ 第1回、第6回、第19回は「大先生」と表記。
- ^ スケジュールの都合により「団体戦」より参加。
- ^ 落下スイッチの操作も担当。
- ^ “フジ『細かすぎて伝わらないモノマネ』視聴率10.1% 珠玉のネタで盛り上がる”. Yahooニュース (2022年12月19日). 2023年1月14日閲覧。
- ^ 第3回は裏番組と被ったため。
- ^ こちらも、河本と同じく「品川イマジカ秘蔵版」に収録されていた。
- ^ この後も華丸に次いで、弾丸ジャッキーのオラキオも第14回大会と第20回大会を制したが、純粋な2連覇だけでいうと唯一と言える。
- ^ 第5回のおかわりでも日本人選手(和田豊)を披露し、口ずさむBGMもそれ仕様(藤田平のものから流用された初期バージョン)にしている。
- ^ a b https://natalie.mu/owarai/news/265051
- ^ 芸人以外では第17回大会の松岡智子・柴田由美子や第19回大会の「みょーちゃん劇団」の一員である芝田美沙や第20回大会の「オラキオ体操クラブ」の一員で飲食店に勤務している松本賀代が優勝している。
- ^ 2014年現在、太田プロダクション所属。
- ^ 関和のモノマネは当企画で披露していない。
- ^ その後、DVDの「品川イマジカ秘蔵版」に収録された。
- ^ myspaceのページ
- ^ sumikaオフィシャルホームページ
- ^ 2015年4月2日の放送を持ってフジテレビを退社。
- ^ 博多華丸・大吉私信電心 の2006年9月30日付のコメントより(2010年10月7日閲覧)
- ^ 浅井企画・たかしひできの紹介ページ(右がひでき・2010年10月7日閲覧)
- ^ 田島に限らず、当企画内では現芸名の「ASKA」ではなく、旧芸名である「飛鳥涼」と言うように指導されている模様。
- ^ a b c DVDにのみ収録。
- ^ 正式には、氏名と同名のお笑いコンビ(旧称・ジパング上陸作戦)のメンバー。
- ^ 同様のケースでセ・リーグCSでは2013年より12回表終了時に同点および12回裏に後攻チームが同点に追いついた時点でコールドゲームとなる(例・2014年ファーストステージ)。
- ^ 優勝者の演技終了後、博士の無茶振りによって実現。博士達は席を離れてステージ上に座って観覧した。
- ^ a b OAでは「赤坂」と誤表記。
- ^ テロップでは「感情の起伏が激しいキャバクラ嬢」
- ^ a b OAでは「長谷川垣希」と誤表記。
- ^ テロップでは「トレーニングCMのモニター2人」
- ^ 牧田にしては珍しく、選手に呼称を付け忘れた。
- ^ 「三遊亭トム」と誤表記。
- ^ 「山口冶樹」より改名。
- ^ ライブ・アルバム『長渕剛LIVE』によれば、千葉県文化会館でのライブ開催日は1980年12月23日で、1981年1月9日は調布市グリーンホールでの開催だった。
- 博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜のページへのリンク