北の国から
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 07:49 UTC 版)
放送日程
連続ドラマ
話数 | 放送日 | サブタイトル | 演出 | 視聴率[118] |
---|---|---|---|---|
第1話 | 1981年10月 | 9日廃屋 | 富永卓二 | 16.4% |
第2話 | 10月16日 | 手紙 | 11.2% | |
第3話 | 10月23日 | 決意 | 9.3% | |
第4話 | 10月30日 | 女弁護士 | 杉田成道 | 11.1% |
第5話 | 11月 | 6日キツネ | 10.3% | |
第6話 | 11月13日 | マフラー | 山田良明 | 13.5% |
第7話 | 11月20日 | 電話 | 富永卓二 | 13.2% |
第8話 | 11月27日 | 水道 | 山田良明 | 14.3% |
第9話 | 12月 | 4日来訪 | 富永卓二 | 13.5% |
第10話 | 12月11日 | 奇跡 | 杉田成道 | 16.0% |
第11話 | 12月18日 | 家出 | 13.8% | |
第12話 | 12月25日 | 罠 | 富永卓二 | 13.2% |
第13話 | 1982年 | 1月 8日帰京 | 13.5% | |
第14話 | 1月15日 | UFO | 杉田成道 | 13.2% |
第15話 | 1月22日 | 事件 | 山田良明 | 15.1% |
第16話 | 1月29日 | 転校 | 富永卓二 | 14.4% |
第17話 | 2月 | 5日別離 | 18.6% | |
第18話 | 2月12日 | イカダ下り | 16.2% | |
第19話 | 2月19日 | 後悔 | 杉田成道 | 17.0% |
第20話 | 2月26日 | 転勤 | 17.5% | |
第21話 | 3月 | 5日再会 | 山田良明 | 15.7% |
第22話 | 3月12日 | 誕生日 | 杉田成道 | 17.8% |
第23話 | 3月19日 | 破れた靴 | 山田良明 | 19.6% |
最終話 | 3月26日 | 丸太小屋 | 富永卓二 | 21.0% |
ドラマスペシャル
- 『'87初恋』はシリーズ完結前の「シリーズにおける最高の名場面は?」というアンケートにおいて、「純が汚れたお札を見ながら富良野を旅立っていく」というラストシーンが1位に選ばれている。また2021年3月24日に田中邦衛が亡くなった時は追悼番組で2021年4月3日に再放送された。
- 『'95秘密』以降、ハイビジョンで撮影。
- 『'98時代』は「フジテレビ開局40周年記念番組」として制作された。
- 『2002遺言』は「UHB(北海道文化放送)開局30周年記念番組」として放送。
- 前編は『2002 FIFAワールドカップ』、『第53回NHK紅白歌合戦』を除き2002年の最高視聴率番組。
- 中嶋朋子の実子が息子役で出演。吉岡秀隆と恋人役の内田有紀は共演をきっかけに2002年12月に結婚したが2005年に離婚している[119]。
話数 | 放送日 | サブタイトル | 演出 | 視聴率 |
---|---|---|---|---|
1 | 1983年3月24日 | 北の国から'83冬 | 杉田成道 | 26.4% |
2 | 1984年9月27日 | 北の国から'84夏 | 24.3% | |
3 | 1987年3月27日 | 北の国から'87初恋 | 20.5% | |
4 | 1989年3月31日 | 北の国から'89帰郷 | 33.3% | |
5 | 1992年5月22日 | 北の国から'92巣立ち 前編 | 32.2% | |
5月23日 | 北の国から'92巣立ち 後編 | 31.7% | ||
6 | 1995年6月 | 9日北の国から'95秘密 | 30.8% | |
7 | 1998年7月10日 | 北の国から'98時代 前編 | 25.9% | |
7月11日 | 北の国から'98時代 後編 | 24.8% | ||
8 | 2002年9月 | 6日北の国から 2002遺言 前編 | 38.4% | |
9月 | 7日北の国から 2002遺言 後編 | 33.6% |
関連番組
番外編
- ゆく年くる年(民放版、1982年 - 1983年)
- フジテレビ制作回。田中邦衛・吉岡秀隆・中嶋朋子の3人が開園を間近に控えた東京ディズニーランドから生中継で出演。ディズニーキャラ達と対面した後に年が明ける流れだった。
- 北の国から 記憶
- 2002年8月23日・30日放送。最終章「2002 遺言」の放送前に制作された総集編。2週にわたって「金曜エンタテイメント」枠にて放送。前編の「1980 - 1987」は、連続ドラマから「'87 初恋」まで、後編の「1989 - 1998」は、「'89 帰郷」から「'98 時代」までとなっている。この作品で大凡のストーリーが理解できるものの、前後編4時間弱という時間の関係上、細かなストーリーは省略されている。
- ドキュメンタリー“北の国から”
- 2002年9月9日放送。「2002遺言」の舞台裏を中心としたドキュメンタリー番組。語りは中嶋朋子。
本作終了後
- 5夜連続!アンコールドラマスペシャル「北の国から」
- 2003年12月16日 - 20日放送。ハイビジョン撮影がされていた「'95秘密」、「'98時代」、「2002遺言」を地上デジタル放送開始を記念して、初のハイビジョン版での放送。なお編成上の都合で時間枠が足りなかった「2002遺言・前編」については、冒頭で22年間を振り返る回想シーンが追加されている。
- カルトQ2005〜誇り〜(北の国から)編
- 2005年10月17日(月)深夜1:19 - 2:14の登龍門ニューカマーズ枠で放送。
注釈
- ^ TBSの裏番組「想い出づくり。」(山田太一脚本)が強かった。
- ^ 正式な時間軸が存在せず、純の仕事や震災などについて統一がされていない。また「北の国から全話収録DVDマガジン」第2号の倉本聰インタビューによると、倉本はスペシャルが終わっても頭の中に出演者たちの生活が描かれており、例えば「五郎が女性の帽子を購入している。まだこごみと関係が続いているのかと思いを巡らせている」と答えている
- ^ 同様に「北の国から全話収録DVDマガジン」第11号、pp.10-11五郎へのインタビューによると、飲料水はエキノコックス症感染の恐れがあるため連続ドラマ時代の沢の水は使用せず裏の山のワッカ(湧水)を使用しているなど生活についても時代と共に変化をしていることを表している。また螢が規格外野菜を貰ってきたときは、五郎は「鉄腕DASHO円食堂のようだ」と純から聞かされたと言っている。「北の国から全話収録DVDマガジン」第20号、pp.10-11より。
- ^ 倉本の『ドラマへの遺言』、及び2021年に富良野で行われた「北の国から40周年トークショー」によると、黒板一家の息子が吉岡、川下の娘が朋子、2人が原野の中でまぐわう(ママ)。2人がまぐわったところでCGとなり、一家の歴代のフィルムが重って5代目くらいで黒板五郎が出てきて最後に純と蛍が出てきて全部畑になったところで主題歌と共に1981年からの「北の国から」の物語につなげるものだったという。
- ^ 実際に富良野市にあるのは「太田生花店」であり「大田」ではないことに留意。
- ^ 助けようとしたのは正吉の子・快か他人の子供かは不明。
- ^ 7年ぶりとなっているが本編で二人が最後に会話したのは「95秘密」である。そこから計算した場合16年後となってしまうため仮に7年後が正しいとすれば2004年に二人は会っていることとなる。
- ^ 「遺言」で神戸へ嫁いだ相手か、離婚し再婚した相手なのかは不明。
- ^ ハンドルネームのことかと思われる。
- ^ 最初の家、二番目の家(火事で燃えてしまった丸太小屋)三番目の家(雪で倒壊)までは「帰郷」で「地べた放したら終わりだぞ」「家を売るの」という台詞から黒板家の土地であることが確認できるが、「巣立ち」で四番目の家は中畑家の土地(倉庫)を借りていると五郎は述べている。最後の石の家は五番目の家に当たる。三番目の家までの土地はその後どうなったか不明
- ^ 最初の家は戦後すぐに立てられた五郎が育った家で五郎の両親が死んでからしばらく放置していた。一話目で五郎が純と螢を連れて帰る前に一人で富良野を訪れ中畑和夫や北村清と住むところを相談した(『「北の国から」異聞』、p.100、pp.103-104)。
- ^ 倉本は個人的にアンケートを取って、見事に「れい派」と「シュウ派」に分かれたと語っている。
- ^ 倉本によると何度も富良野にキャンプに来ていた吉岡と話し合い制作。原稿も第7稿まで完成し、田中が死去していたため過去の映像を使用して映像化を計画。しかしフジテレビから映像の使用許可が下りなかったため映像化ができなかったと語っている。
- ^ 倉本は「40周年トークショー」では「さくらは7歳」。『広報ふらの」では「4歳」と話しているが、2009年生まれなので年齢が合わず詳細は不明
- ^ 倉本曰くその後「合体(ママ)している」いう。
- ^ 登場人物の経歴は書かれた媒体の時期によって大きく異なっているので注意が必要。
- ^ 倉本が執筆した黒板五郎インタビューによると、五郎は記者の質問に対し「倉本が『北の国から1900』を書こうとしたが止めた」と答えている。
- ^ すべてが男。長男は太平洋戦争のガダルカナルにて玉砕。爪の切れはしと髪の毛二、三本だけが富良野へ送られてきた。次男二郎、三男三平、四男四郎は五郎が富良野を離れて5,6年目に炭鉱事故で死亡。六男七男八男は農業に失敗し家も土地も捨てて失踪した(『「北の国から」異聞』、pp.90-92、p.99)。但し「北の国から全話収録DVDマガジン」第1号、北の国から秘話100、4によると、下の三人は病死となっている。
- ^ 資料館などに展示されている純の免許証は昭和46(1971)年8月10日生まれとなっている。
- ^ 最終的に卒業したか中退なのかは明らかにされていない。また初期の段階では高校から大学に進学する予定であった(椎名(1985)、p.150 倉本と椎名誠の対談)
- ^ 「'87」ではいつもペンチを持ち歩いて機械と見るや何でも分解してしまうから「ペンチ」。「'92」ではいつもダルそうにしているから「ダル」。「秘密」ではアイルトン・セナが死んだ時に泣いてしまったためにセナで泣いている唐獅子牡丹から「唐獅子」と呼ばれていた。
- ^ テレビシリーズDVD第6話及び第11話の草太と竹次の会話によると女子大卒。「北の国から全話収録DVDマガジン」第1号、北の国から秘話100、21」によると、立教大学文学部英文学科卒、または同大学同学部英文科卒とする資料もある(「北の国から」ガイドブック 2015年度版、p.7)。
- ^ DVD第12話では3軒が共同で経営していると述べられており、北村家、吉本家とあと1軒いるが稼げないため牧場から離れている。
- ^ 連続ドラマではボクシングの試合に勝ったら雪子に交際を申し込む予定だったが、敗戦したため叶わなかった。この試合の場面は、岩城が共演者のガッツ石松から指導を受けた上で、プロの4回戦選手と実際に対戦している[76]。「もし試合に勝ったらシナリオを変える」という約束があったものの岩城はKO負けを喫し、リング上で失神したため試合後に救急搬送された[76]。
- ^ 演じた地井も「遺言」の撮影に先立つ2001年6月、自身の妻を癌で失っている。奇しくも、亡くなる間際に出演を促したのが妻だった。
- ^ 杉田によると、中澤は実際に自衛隊へ三週間体験演習に参加していたという[82]
- ^ シナリオ本では別の店員は描かれていない
- ^ 「秘密」でれいの結婚式に来たかどうかは不明。
- ^ テレビシリーズ第11話でもスナックの客役で出ておりクレジットにもその名があるが別役。
- ^ 作品には黒木光彦本人は登場しないが倉本によるとイメージして書いた役者は役所広司だったという(2021年9月17日『北の国から』放映30周年富良野記念トークイベントより)
- ^ 長男敬は航海中の事故により死亡(倉本(1996)、p.9)。
- ^ 日下義雄とする資料もある(倉本(1996)、p.9)。この場合、シュウは実の父親の名字を名乗っていることになる
- ^ 「2002遺言」ではチーフカメラマンとして参加予定だったが、準備中に糖尿病の悪化による慢性腎不全で入院し、ロケから離脱。急遽森田が代理を務め、竹越はクランクアップ時の撮影のみ参加した。
- ^ 『2002遺言』では、フジクリエイティブコーポレーションのプロデューサーとして参加
- ^ 『2002遺言』では、アドバイザリースタッフとして参加
- ^ 長渕と倉本聰には交友関係がある。詳細なエピソードはこちらを参照のこと。
- ^ 八千草薫は別記の倉本聰『ひとり』の中で間接的に名前が登場する
- ^ 心因性膵臓炎
- ^ 結局1シーズン24話で当初予算の2倍以上の15億円かかった。
- ^ 純の口癖の「・・・なわけで」はフジテレビ「トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜」の「トリビアの種」のコーナーで集計したところ52回言っていたという[113]
- ^ a b 倉本は日活で契約ライター時代に「ナレーションと回想は卑怯な手法」という考えを叩き込まれ長くそれを守っていたが、1973年に制作された山田太一脚本のドラマ『それぞれの秋』で普通にナレーションを使用しているのを見て「こういう手もありだな」と考え『前略おふくろ様』で使用に踏み切ったという。
出典
- ^ “倉本聰「北の国から」放送当時は無収入だった?”. Smartザテレビジョン (2016年1月18日). 2016年2月4日閲覧。
- ^ “倉本聰が自ら語る「『北の国から』の五郎さんが伝えたかったこと」”. 現代ビジネス (2016年1月21日). 2016年2月4日閲覧。
- ^ 「私の履歴書 倉本聰(25)『リアル追求 演出に注文 視聴率、イマイチでも大反響』」日本経済新聞2015年8月26日
- ^ 「北の国から1900」黒板家のルーツを探る物語を考えていた日刊ゲンダイ(2018年4月6日)2018年4月22日アクセス。
- ^ 『ドラマへの遺言』、pp.146-148
- ^ 『ケトル』(41)、p.25
- ^ 『1980年代全ドラマ・クロニクル』(学研、2009)、pp.18-19。杉田と蛍原徹の対談より。
- ^ 倉本によると、この家はもともと螢と快の家のために五郎が建てようとした家だったが「遺言」のようにすみえ夫婦の家に変更されている(富良野市麓郷「拾ってきた家」掲示板より)
- ^ 『北の国から2004純と結の家』より。倉本の直筆の原稿で、麓郷の拾ってきた家に掲げられており『季刊 富良野塾』にも掲載された
- ^ a b c d e f g 北の国からDVD「The Inside StoryⅡ」
- ^ 2003年「倉本聰・富良野からの風を」での倉本聡と竹下景子の対談より。
- ^ 2006年12月12日付朝日新聞北海道版「『北の国から』は進行中 「純と結の家」完成 富良野 【北海道】 」。
- ^ 2007年1月27日付朝日新聞土曜版『be』「on saturday」、倉本インタビューより。
- ^ “ドラマ「北の国から」黒板五郎と令子―北海道・富良野”. asahi.com. (2007年1月27日) 2015年3月8日閲覧。
- ^ 『1980年代全ドラマ・クロニクル』(学研、2009)、pp.20-21。杉田と蛍原徹の対談より。
- ^ 『獨白 2011年3月』pp.97 - 98。
- ^ “『北の国から』の近況について”. 倉本聰 界隈. 2015年6月25日閲覧。
- ^ “富良野からの便り”. BEST! from北海道 (2011年6月10日). 2015年6月25日閲覧。
- ^ TBSラジオ「ニュース探究ラジオ Dig 第365回」(金曜日第73回 2011年8月26日)より。
- ^ フジテレビ人気ドラマ『北の国から』放映30周年記念 記念イベント - 2011.9.16。 2022年3月16日閲覧。
- ^ 文藝春秋2012年3月号、pp.324-328。
- ^ “<神話の果てに>大量消費が招いた悲劇/第16部・私の視座 (1) 倉本聰氏”. 河北新報 (2015年2月19日). 2015年3月8日閲覧。
- ^ 中村敏夫さん告別式しめやかに 吉岡秀隆、二宮和也ら250人SANSPO.COM-2015年6月1日(2018年3月11日アクセス)。
- ^ 倉本聰氏“幻の企画書”棺に…中村敏夫さん葬儀に北の国ファミリーSANSPO.COM-2015年6月2日(2018年3月11日アクセス)。
- ^ 「北の国からガイドブック 2015年版」、p.3
- ^ 「北の国から全話収録DVDマガジン」第1号、p.4。
- ^ a b 「北の国から全話収録DVDマガジン」第1号、pp.15-16。
- ^ 「北の国から全話収録DVDマガジン」第29号、p.10。記者からは「2でしょう」と突っ込まれている。
- ^ 「北の国から全話収録DVDマガジン」第9号、p.11。
- ^ 「北の国から全話収録DVDマガジン」第18号、p.10
- ^ 「北の国から全話収録DVDマガジン」第32号、pp.10-11。
- ^ 『「北の国から」異聞』、p191。あとがきより。
- ^ a b c 倉本(2019)、p.86
- ^ 倉本(2019)、p.67
- ^ 吉岡秀隆“父”田中邦衛さん死去で染みた“母”倍賞千恵子の優しさ「もうおかしくて…救われた」スポニチアネックス(2021年4月25日)2021年5月3日Lastaccess
- ^ 「北の国から」知らない訪問客が増「抜きに語れない」富良野は今毎日新聞(2021/4/17)、2021/4/18Lastaccess
- ^ 「黒板五郎は生きている」さだまさし23日「オールナイトニッポンGOLD」で倉本聰氏と故田中邦衛さん悼むサンケイスポーツ(2021.4.20)、2021.4.23Lastaccess
- ^ 北海道新聞2021年10月15日版。
- ^ 『広報ふらの』2021年11月号。
- ^ 現代ビジネス2021-10-3より(2021.10.31LastAccess)
- ^ “倉本聰が書き上げていた幻の新作『北の国から2021ひとり』、その衝撃の内容”. 現代ビジネス (2021年10月30日). 2021年10月30日閲覧。
- ^ “倉本聰さんが語る田中邦衛さんとの21年、作りたかった「さらば黒板五郎」”. 日刊スポーツ. 2022年1月12日閲覧。
- ^ “「北の国から」40周年事業実行委員会”. 思い出せ五郎の生き方. 2022年3月20日閲覧。
- ^ “『北の国から』40周年、復元された「黒板五郎の履歴書」”. Yahoo!オリジナルニュース (2021年10月2日). 2022年1月14日閲覧。但し、1924年10月5日生(倉本(1996、p.6)や1934年10月5日(「北の国から」ガイドブック 2015年度版、pp.6-9)、1935年10日10日生とする資料もある(『ケトル』(41)、pp.20-21)。
- ^ 椎名(1985)、p.150
- ^ 『北の国からDVDマガジンVo.5』p.11より。
- ^ “『北の国から』40周年、復元された「黒板五郎の履歴書」”. Yahoo!オリジナルニュース (2021年10月2日). 2022年1月14日閲覧。但し、麓郷中学卒業や麓郷青年学級卒とする資料もある(倉本(1996)、p.6)。
- ^ “『北の国から』40周年、復元された「黒板五郎の履歴書」”. Yahoo!オリジナルニュース (2021年10月2日). 2022年1月14日閲覧。但し、集団就職ではなく、同郷の知人を頼って上京とする資料もある(倉本(1996)、pp.6-7)、(「北の国から」ガイドブック 2015年度版、pp.6-9)。
- ^ “『北の国から』40周年、復元された「黒板五郎の履歴書」”. Yahoo!オリジナルニュース (2021年10月2日). 2022年1月14日閲覧。但し、1971年に知り合い同年結婚とする資料もある(倉本(1996)、p.7)。
- ^ 『北の国からDVDマガジンVo.8』p.10。
- ^ 「サワコの朝」2015年1月17日放送分より
- ^ 『獨白 2011年3月』p24
- ^ “『北の国から』40周年、復元された「黒板五郎の履歴書」”. Yahoo!オリジナルニュース (2021年10月2日). 2022年1月14日閲覧。但し、1971年4月1日生まれ(『ケトル』(41)、pp.20-21)や1972年1月生まれとする資料もある(倉本(1996)、p.7))。
- ^ “『北の国から』40周年、復元された「黒板五郎の履歴書」”. Yahoo!オリジナルニュース (2021年10月2日). 2022年1月14日閲覧。「時代」の母子手帳では1973年1月10日生となっており、『北の国からガイドブック』の1996年版、2015年版とも1973年1月生となっているが、1972年6月5日生とする資料もある(『ケトル』(41)、pp.20-21)
- ^ 「北の国から全話収録DVDマガジン」第6号、p.10。五郎によると保育園になったのはいろいろな諸事情が重なったため答えている
- ^ 富良野新プリンスホテル」北の国からパネル展示年表より
- ^ a b c d e f DVD「秘密」より
- ^ “『北の国から』の「ルールルルル」はどうやって生まれた?”. OHTA BOOK STAND. 太田出版 (2018年4月10日). 2023年11月23日閲覧。
- ^ 倉本(1996、p.7)
- ^ 「北の国からガイドブック 2015年版」、pp.7-8
- ^ 「北の国から」ガイドブック 2015年度版、p.7
- ^ 「北の国から」ガイドブック 2015年度版、pp.7-9
- ^ a b 倉本(1996、p.8)
- ^ 「北の国から全話収録DVDマガジン」第1号、北の国から秘話100、14
- ^ 「北の国から」ガイドブック 2015年度版、p.8
- ^ a b DVD「時代」より
- ^ 倉本聰(2002)、『定本北の国から』pp.771-772
- ^ 倉本(1996、p.9)
- ^ a b 「北の国から」ガイドブック 2015年度版、p.9
- ^ 『ケトル』(41)、p.61。その時の芸名は森田あかねであり、作品名は「あかね悶える 新進AV嬢森田あかねが悶える、そして吸い取る」であった。「秘密」では広介と共に見た雑誌に「何本かAVに出演」となっているが、『「北の国から」ガイドブック 2015年版』のシュウの年表によると、1本出演した後、事務所が火事になり、社長が失踪して2本目の出演は流れたとなっている。販売価格は15000円(「北の国から全話収録DVDマガジン」第1号、北の国から秘話100、82
- ^ a b 北の国から「2020 遺言」DVDより
- ^ a b c 北の国からガイドブック 2015年版、p.9
- ^ 「北の国から全話収録DVDマガジン」第32号、黒板家21年の記録
- ^ 倉本聰(2002)、『定本北の国から』pp.752-753
- ^ a b テレビシリーズDVD第11話より
- ^ a b 「北の国から」テーマ・パーティ - ギリークラブ(2002年9月)
- ^ 「北の国から」資料館閉館へ 私財投じ運営の仲世古さん「いつか日の目をみるように」HUFF POST SOCIETY 2016年07月14日
- ^ 「北の国から全話収録DVDマガジン」第1号、北の国から秘話100、37
- ^ 倉本聰(2002)、『定本北の国から』p.595
- ^ a b 「北の国から」ガイドブック 2015年度版、p.8
- ^ 「北の国から」ガイドブック 2015年度版、pp.8-9
- ^ a b c 【電波少年W】名作ドラマ「北の国から」SP!杉田成道監督にご登場頂き当時のエピソードを大公開 - YouTube
- ^ 倉本聰(2002)、『定本北の国から』p.806
- ^ 倉本聰(2002)、『定本北の国から』p.805
- ^ 『ケトル』(41)、p.54
- ^ 北の国から「2020 遺言」DVDより。DVD後編の「2020遺言」の出演者クレジットには名前は出ていないが、エンディングの「今までの出演者」には名前は登場する。中澤は芸能界を退き、一般企業に勤める会社員となっていたが本シリーズだけは特別に出演を続けていた。しかし「2002遺言」では仕事との両立が困難となったことでこのような扱いとなった。
- ^ テレビシリーズDVD第9話、第16話より
- ^ 「北の国から全話収録DVDマガジン」第1号、北の国から秘話100、21
- ^ DVD23話より
- ^ 倉本(2019)、p.74
- ^ “登場人物の歴史が化学反応 ドラマ「北の国から」40年 ”. 産経新聞 (2020/2/12 11:52). 2023年8月27日閲覧。
- ^ 倉本(2002)、『定本 北の国から』p.752
- ^ 倉本(2002)、『定本 北の国から』pp.750-751
- ^ 倉本(2002)、『定本 北の国から』p.751
- ^ DVD「時代」前編より
- ^ “北の国から”. ORICON STYLE. 2016年2月4日閲覧。
- ^ 『さだまさし ギター・ソロ・インストゥルメンツ』(ドレミ楽譜出版社、2007年)ISBN 978-4-285-11135-4
- ^ 倉本聰『冬眠の森 北の人名録PART2』新潮社より
- ^ 倉本聰『獨白 2011年3月』フラノ・クリエイティブ・シンジケート、2011年、p20
- ^ “BUNZO’s note 〜昭和のテレビ編成マンの昔話〜 15《青木ヶ原から北の国へ》” (2009年10月23日). 2022年9月13日閲覧。
- ^ “BUNZO’s note 〜昭和のテレビ編成マンの昔話〜 15《青木ヶ原から北の国へ》” (2009年10月23日). 2022年9月13日閲覧。
- ^ “BUNZO’s note 〜昭和のテレビ編成マンの昔話〜 16《フジの大改造。反撃の始まり》” (2009年10月27日). 2022年9月13日閲覧。
- ^ a b c TBSラジオ ニュース探究ラジオ Dig 倉本さんに聴く 2012年1月6日放送より
- ^ 私の履歴書 倉本聰(24) 配役決まる 五郎役、健さんも候補に 制作費15億円、予算の2倍に - 日本経済新聞 朝刊 2015年8月25日付
- ^ 『ケトル』(41)、p.23
- ^ 『日刊富良野新聞』1980年6月19日号。
- ^ 倉本(2019)、p.61、pp.65-66
- ^ 【北の国から オーディション】1度北の国からのオーディションに落ちていた!? - YouTube
- ^ 杉田成道「北の国から'95 秘密」秘話を告白 宮沢りえ起用の真相も映画.com(2019年3月10日)2021年5月11日Lastaccess
- ^ オフィス・マツナガ『なぜフジテレビだけが伸びたのか』こう書房 1990年 p129
- ^ 『獨白 2011年3月』p184 - 185
- ^ a b 『獨白 2011年3月』p51 - 53
- ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉~へぇの本〜 4』講談社、2003年。
- ^ 倉本(2019)、p.53
- ^ 『ケトル』(41)、p.51
- ^ 「連続告発企画 テレビが病んでいる4」『週刊文春』2003年3月6日号、pp.168-169
- ^ 『獨白 2011年3月』p230
- ^ テレビ視聴率季報(関東地区)」ビデオリサーチ
- ^ “吉岡秀隆と内田有紀夫妻、3年の結婚生活にピリオド。”. Narinari.com (2005年12月22日). 2008年6月3日閲覧。
- ^ “富良野 「北の国から」効果薄れ、客激減 再燃めざす”. 朝日新聞 (2006年9月19日). 2006年12月23日閲覧。
- ^ “路傍の石文学賞 休止(第23回まで)”. e-hon. 2022年12月15日閲覧。
- ^ “昭和62年度(第42回)芸術祭賞授賞一覧”. 文化庁芸術祭. 2016年2月4日閲覧。
- ^ “平成4年度(第47回)芸術祭賞一覧”. 文化庁芸術祭. 2016年2月4日閲覧。
- ^ “第21回(2002年度) 向田邦子賞”. 東京ニュース通信社. 2016年2月4日閲覧。
- ^ “『北の国から』主人公・黒板五郎の墓が完成、ファン涙の除幕式 倉本聰氏「今になっても皆さんに忘れられない幸せな男」”. サンケイスポーツ (2022年6月24日). 2022年6月24日閲覧。
固有名詞の分類
- 北の国からのページへのリンク