加藤陽一 加藤陽一の概要

加藤陽一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 14:44 UTC 版)

加藤 陽一
Yoichi Kato
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1976-08-12) 1976年8月12日(47歳)
出身地 大分県大分市
ラテン文字 Yoichi Kato
身長 190cm
体重 88kg
血液型 A型
選手情報
愛称 カトウ
ポジション WS
指高 253cm
利き手
スパイク 345cm
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来歴

学生時代

ママさんバレーをやっていた母親の影響で上野ヶ丘中学でバレーボールを始める。中学2年、3年時には全国都道府県対抗中学バレーボール大会の選抜に選ばれた。大分工業高校の高校3年時はキャプテンとしてプレーし、1994年春の高校バレーで3位入賞、インプレッシブプレーヤー賞を受賞した。

筑波大学に進学後、2年生から4年生までの3年間、チームのインカレ3連覇に貢献。大学在学中の1998年世界選手権全日本代表デビューを果たし、朝日健太郎西村晃一とともに全日本代表の顔となった。その後も1999年ワールドカップ2001年ワールドグランドチャンピオンズカップで全日本代表のエースとして活躍した。

東レ時代

筑波大学卒業後、Vリーグの東レ・アローズに入団。チームを準優勝に導き、新人賞と敢闘賞を受賞。Vリーグオールスターでもファン投票1位に選ばれるなど、Vリーグを代表する選手となった。しかし、全日本代表がシドニーオリンピック最終予選で五輪出場権を逃すと、加藤は徐々に世界との差を感じ始め、海外挑戦を決意する。

海外挑戦

2002年イタリアセリエAシスレー・トレヴィーゾへ移籍[1]。当時の全日本代表の選考基準に「Vリーグ、もしくは大学に所属する選手」という規約があり、日本バレーボール協会は加藤の海外移籍をよく思っていなかった。そのため、加藤は自分で宣伝資料を作り、ほぼ個人で売り込みに行った。移籍直後のイタリア地元紙の新聞では「ベンチを温めにきた日本人」と報道された。

当時のトレヴィーゾはバレリオ・ベルミリオアレッサンドロ・フェイアルベルト・チゾーラら、イタリア代表が所属する強豪クラブで、サムエル・パピの怪我により試合出場の機会が増えると、加藤は攻守に渡り活躍。その年のセリエAのオールスター戦で外国人選抜に選ばれ、2002-2003シーズンにスクデットを獲得、トレヴィーゾは6度目のリーグ優勝を飾った。

2003年、全日本との日程を合わせるため、ギリシャPAOKに移籍。この頃、日本バレーボール協会も動き出し、加藤のために全日本代表の選考基準から「Vリーグ、もしくは大学に所属する選手」の規定を削除。全日本代表に復帰し、2003年ワールドカップではキャプテンとしてチームを牽引した。

2004年1月、フランスリーグ・プロAアラゴ・デ・セテへ、同年9月にはセリエAのRPAペルージャに移籍。ペルージャでは2004-2005シーズン準優勝を果たすが、加藤自身に試合出場の機会はあまりなかった。

Vリーグ復帰

2005年7月、VリーグのJTサンダーズに移籍。2009年1月24日の東レ・アローズ戦では、ゴードン・メイフォース監督の意向により、チームのリベロを務めた[2]

2009年5月、JTサンダーズを退部。

同年7月、母校の筑波大などを母体としたチャレンジリーグのつくばユナイテッドに移籍。同時にチーム運営母体であるNPO法人つくばユナイテッドVOLLEYBALLの常任理事にも就任した。2010年6月、選手兼任監督に就任。

2010V・サマーリーグ1次リーグ男子大会では、チームのセッターを務めた[3]。2012年3月、つくばユナイテッドのチャレンジリーグ初優勝に大きく貢献し、自らもMVPに輝いた[4]。2014年5月の黒鷲旗大会をもって現役引退[5]

指導者として活動

現役引退した2014年の9月にV・プレミアリーグ女子の久光製薬スプリングスのコーチに就任[6]中田久美監督の下でコーチとして2年間活動。2015/16シーズンにはチームが優勝を果たした。

2016年、久光製薬のコーチを退任し、PFUブルーキャッツコーチに就任[7][8]寺廻太監督の下で2年間コーチを務め、2018年、寺廻が代表女子強化部長就任のため監督に昇格[9]。しかし、2018-19シーズン、チームはレギュラーラウンドで20戦全敗と振るわず、チャレンジステージの2試合を残して休養[10]。そして、同シーズン終了をもって退団[11]

PFUを退団後、同年にJTマーヴェラスのコーチに就任した[12]。チームは、2019-20シーズン2020-21シーズンにリーグ戦で優勝を果たした。

2023年5月31日をもってJTマーヴェラスを退団[13]天津女子バレーボールクラブジュニアチームのアドバイザリーコーチに就任した[14]

所属チーム

選手

指導者


  1. ^ 夢と感動と愛を与えた日本バレー界の偉人5人”. 【SPAIA】スパイア (2016年7月23日). 2020年11月19日閲覧。
  2. ^ 日刊スポーツ - 加藤が人生初リベロで勝利に貢献 2009年1月24日23時54分
  3. ^ Vリーグ - トピックス 2010V・サマーリーグ1次リーグ男子大会
  4. ^ チャレンジリーグ最終結果”. Vリーグ機構. 2012年3月4日閲覧。
  5. ^ 黒鷲旗にかける:バレーボール/下 つくばユナイテッド・加藤”. 毎日新聞. 2014年4月30日閲覧。
  6. ^ 加藤陽一氏コーチ就任のお知らせ”. 久光製薬スプリングス. 2014年9月3日閲覧。
  7. ^ 退部選手・スタッフのお知らせ”. 久光製薬スプリングス (2016年6月30日). 2019年12月30日閲覧。
  8. ^ 新コーチ入団のお知らせ』(プレスリリース)PFUブルーキャッツ、2016年8月1日https://www.pfu.fujitsu.com/bluecats/topics/2016/20160801-1.html 
  9. ^ 寺廻監督の退任ならびに加藤新監督の就任について”. PFUブルーキャッツ (2018年3月14日). 2019年12月30日閲覧。
  10. ^ PFUの新監督にFC東京GMの坂本将康氏「光栄」”. スポーツ報知 (2019年6月22日). 2019年12月30日閲覧。
  11. ^ 谷選手、正選手、秋山選手、加藤監督 退団のお知らせ”. PFUブルーキャッツ (2019年5月8日). 2019年12月30日閲覧。
  12. ^ 新コーチ入部のお知らせ”. JTマーヴェラス (2019年9月19日). 2019年12月30日閲覧。
  13. ^ 加藤陽一コーチ退部のお知らせ”. JTマーヴェラス (2023年5月19日). 2023年5月19日閲覧。
  14. ^ 元日本代表の加藤陽一氏が中国・天津女子バレーボールクラブジュニアチームのアドバイザリーコーチに就任”. バレーボールマガジン. 2024年3月6日閲覧。


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