利根川 交通

利根川

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交通

利根川流域における交通手段は奈良時代から江戸時代に掛けては水運を主とした水上交通網が発達していたが、明治時代以降道路鉄道による陸上交通網が整備されるのに伴って水運は衰退。現在は流域を縦横に道路網・鉄道網が高度に発達しており、交通・物流の面からも利根川流域は幾つもの要衝を抱える重要な位置を占めている。以下水運、道路、鉄道の利根川流域における発達について述べる。

水運

利根運河の項目も参照
利根運河流路図。
1915年頃の利根運河。汽船も運航し往来は盛況だった。
利根川に残る数少ない渡船の一つ、赤岩渡船
江戸川を渡る矢切の渡し
帆掛け船と川で洗濯する女性(大正時代)

利根川における水運の歴史は835年承和2年)6月29日の太政官符において、利根川旧河道である現在の隅田川に常設の渡船が存在し物流を行っていたことが確認されるほか、『万葉集』巻十四・三三八四番の和歌にも帆掛舟による水運が行われていたことを示唆する文言が記されている[216]。鎌倉時代から室町時代に掛けて関東地方に貨幣経済が浸透すると市場が発展、関東各地の特産品が水運を利用して京都方面へ流通しており、『旧大禰宜家文書』・『香取文書』により1372年応安5年)から1419年応永26年)に掛けて8箇所の水路関所が設置され[注 34]、商船から津料を徴収していた[216]。戦国時代に入ると後北条氏が関東に勢力を伸ばすが、当時軍事・水運の要衝であった関宿城を巡る攻防が繰り広げられる。関宿城は3代当主・北条氏康が『喜連川文書』において「一国を獲るに等しい」と評価した要衝であり、城主の簗田晴助持助父子と争った末1572年(天正2年)氏康の跡を継いだ北条氏政が落城させ、付近一帯を直接の支配下に置いた[217]。以後利根川水系の水運は後北条氏の支配下となり、氏政の弟である北条氏照による判物で航路の拡大が見て取れる[218]

江戸時代に入ると、幕府は後北条氏の整備した水運航路を整備・拡大する一方で江戸防衛の観点から利根川への架橋を禁止し、代わりに渡船の設置を行った。しかしこの渡船についても1616年元和2年)8月の御触書で幕府指定の「定船場」と呼ばれる渡船場以外での渡船を厳禁とした。この時定められた定船場は上野国白井渡から下総国神崎までの15箇所である[219]。一方で利根川を物流の大動脈として利用するための整備が利根川東遷事業と連携して幕府によって実施され、1671年(寛文11年)河村瑞賢による東廻り航路整備を機に利根川は江戸への廻米には欠かせない航路となり、東遷事業以降東北・北関東諸藩の廻米が本格化した[220]水戸藩では3代藩主・徳川綱條1706年宝永3年)松波勘十郎良利を登用、松波は涸沼と北浦を連結して那珂湊から直接利根川への水運を図る勘十郎堀を着工したが、激しい農民一揆が起こり勘十郎堀は未完に終わっている[221]。また見沼代用水を利用した見沼通船堀が1731年開削され、利根川中流の物流が強化された。

この廻米を輸送・備蓄するための拠点として河岸の整備も同時に行われた。1599年(慶長4年)に伊奈忠次が権現堂河岸を設けたのを皮切りに、水運遡行の上流端で中山道と連絡する上野国倉賀野河岸(高崎市)から河口の飯沼河岸(銚子市)まで利根川本流・支流の各所におびただしい数の河岸が設けられ、銚子や足尾などから高瀬舟で各河岸へ年貢米や足尾銅山の銅、特産物[注 35] が輸送された。河岸の発展に伴い荷の積み下ろしを生業とする河岸問屋が成立し、そこに旅籠など様々な店舗が開業して人口が増加し一つの町が形成された。例えば下総国境河岸(猿島郡境町)では1785年天明5年)時点で409戸、1,851人が暮らしている[222]。しかし河岸の多くは市場構造や商品流通構造の変化、さらに河川が運搬する土砂による航行の支障などがあり盛衰を繰り返し、荷物の運搬を巡る河岸間の紛争も続発。最終的に水戸街道に近く那珂川水運で運搬された荷物の運搬に至便な下総国布施河岸(我孫子市)が1724年(享保8年)に幕府評定所の裁決で公認ルートとして認可され、鬼怒川・利根川下流の物流を独占して繁栄した[223]

明治に入っても引き続き利根川の水運は活発で、1871年(明治4年)には汽船が就航。内国通運(現日本通運)の通運丸など数十隻の汽船が利根川を航行した[224]。こうした中1878年(明治11年)に内務卿大久保利通は北上川から東京湾を結ぶ内陸運河構想を『一般殖産及華士族授産ノ儀ニ付伺』として太政大臣三条実美に建議した。この構想では印旛沼を利用した運河建設が提案されていたが紀尾井坂の変で大久保が暗殺された後、茨城県令人見寧1884年(明治17年)5月に『茨城県五工事起業提言』を太政官に提出。大久保の印旛沼運河に替わる運河として利根運河の建設を提案した。これに対し千葉県は当初反対したが、当時利根川改修計画を進めていた内務卿・山田顕義が予定地視察後に運河建設をヨハニス・デ・レーケ、後に改修計画立案の中心となるローウェンホルスト・ムルデルに命じると賛成に転じ、1888年(明治21年)運河工事が開始された[225]。1890年に完成した利根運河の開通で東京 - 鬼怒川・銚子間航路は従来の関宿経由に比べ38 kmの航路短縮と、3日の行程を1日に短縮する効果があり利用船舶は激増。翌1891年には1日平均103隻、年間3万7594隻が航行している[226]。運営には利根運河株式会社が設立され、運河の管理を行っていた。

しかし鉄道や道路整備といった陸上交通網の発達(後述)は次第に水運自体を衰退させ、利根運河も1935年には1日平均20隻以下にまで利用船舶が落ち込み、1941年7月洪水で堤防が決壊し運河自体の使用が不能になった。河川管理者の内務省は利根川改修増補計画の一環として利根運河の放水路化を計画し、利根運河株式会社から運河を買収するが放水路計画自体が頓挫し、運河は1978年に野田暫定緊急導水路として復活するまで事実上廃川となった[226]。また汽船も1939年末までに全廃され、渡船も最盛期の1884年には利根川に89箇所、江戸川に28箇所の渡船場があった[227]モータリゼーションの発達で次第にその姿を消していく。現在も運航している渡船は伊勢崎市の島村渡船(伊勢崎市営)、熊谷市と邑楽郡千代田町を結ぶ赤岩渡船埼玉県道・群馬県道83号熊谷館林線)、取手市の小堀の渡しなどわずかしかない。また江戸川には伊藤左千夫小説野菊の墓』や映画男はつらいよ』、細川たかし演歌などで知られ松戸市と葛飾区を結ぶ矢切の渡しが、潮来市・香取市では水郷巡りとして観光用の船が運航している。

道路

利根川に架橋された道路橋では最も歴史が古い利根橋。写真は1963年架け替えの4代目。
国道4号利根川橋1924年(大正13年)供用開始。

利根川流域の道路交通については、後北条氏が本拠である相模国小田原城と関東各地の主要な支城を結ぶ軍事的交通網の整備を進めたのが発祥となる[228]。その後江戸幕府は江戸日本橋を起点とする五街道の整備を進め、利根川流域では奥州街道日光道中中山道が整備された。またこれとは別に水戸街道佐倉街道が利根川流域において整備されている。奥州街道、日光道中、水戸街道については利根川を渡河するが、利根川への木造橋梁の架橋は禁止されていた。このため舟橋が設けられたがこれも期間限定的で、史料上確認されているのは『慶長記』に記された1600年(慶長5年)の栗橋における舟橋と、『房川御船場図』に記された将軍の日光社参拝で臨時に架橋された1843年(天保14年)の栗橋における舟橋程度しかない[229]。橋梁の代わりに設けられたのが幕府公認の定船場15箇所で(前述)、その後流通の発達に伴い河岸の整備が進み、河岸より荷揚げされた荷物を運搬するための街道整備が行われた。

明治に入り道路交通網の整備が進むが、利根川に本格的な道路橋が架橋されたのは1885年(明治18年)の前橋市街の利根橋であり[230] 、続いて前橋と渋川を結ぶ坂東橋が1901年(明治34年)に完成している[231][注 36]。中流部では1922年(大正11年)に木造として熊谷・太田間に架橋された刀水橋があり、1924年(大正13年)には栗橋・古河間に利根川橋が架橋され、以後坂東大橋(1926年)、大利根橋(1930年)、上武大橋(1934年)が相次いで架橋された[232]。こうした道路橋の建設により従来利根川の主要な交通手段であった水運は陸上交通へと取って代わり、水運は衰退していく。開通当初は砂利道であったが、利根特定地域総合開発計画において旧奥州街道・日光道中である国道4号や旧水戸街道である国道6号の整備も盛り込まれたことで、道路幅員の拡張や舗装といった道路整備が行われ北関東南関東を結ぶ重要な道路交通網として利用されている。利根川本流に架かる道路橋の上流端は矢木沢ダム直下にある東京電力の管理用の橋(名称不明)、下流端は河口の直上流にある国道124号銚子大橋である。

利根川流域には国道4号、国道6号を始め国道14号(千葉街道)、国道16号国道17号国道18号(中山道)、国道50号国道51号国道119号(日光街道)、国道120号(沼田街道)、国道121号(日光例幣使街道)、国道122号(会津西街道)などの国道を始め、おびただしい数の県道が縦横無尽に走行している。また高速道路網整備により、利根川本流には上流より関越自動車道北関東自動車道東北自動車道常磐自動車道東関東自動車道が、支流には上信越自動車道が渡河しており関東と東北・北陸地方を結ぶ重要な交通網となっている。しかし交通量の増加に伴って主要な橋梁では交通渋滞が多く発生、対策として群馬大橋新上武大橋新利根川橋などのバイパス道路下総利根大橋有料道路などの有料道路橋の整備が行われている。

このほか利根川には自転車専用道路も存在する。特に中流部から下流部にかけては堤防上の管理用道路を利用したサイクリングコースが自治体などにより整備されている。一例としては行田市から加須市までの間、総延長16.7 kmに及ぶ利根サイクリングコースがあり、加須サイクリングセンターで自転車の無料貸し出しも行われている[233]。対岸には渡良瀬川から利根川に沿って整備された自転車道路、茨城県道503号古河坂東自転車道線がある。県道の自転車専用道路は珍しい。

利根川の主要道路橋[230][231][232][234][235]
掲載対象は供用年が判明している橋を対象とする。緑色欄は有料・高速道路。
橋梁 供用道路 供用年 左岸所在地 右岸所在地 備考
湯原橋 1955 群馬県利根郡みなかみ町 群馬県利根郡みなかみ町 1995年架け替え
水上橋 1936 群馬県利根郡みなかみ町 群馬県利根郡みなかみ町
諏訪峡大橋 1994 群馬県利根郡みなかみ町 群馬県利根郡みなかみ町
上牧夢のブリッジ 2002 群馬県利根郡みなかみ町 群馬県利根郡みなかみ町 人道橋
大峰橋 関越自動車道 1985 群馬県利根郡みなかみ町 群馬県利根郡みなかみ町
矢瀬橋 群馬県道271号 1976 群馬県利根郡みなかみ町 群馬県利根郡みなかみ町
月夜野橋 群馬県道273号 1957 群馬県利根郡みなかみ町 群馬県利根郡みなかみ町
徒渉橋 2017 群馬県利根郡みなかみ町 群馬県利根郡みなかみ町
月夜野大橋 国道17号 1982 群馬県利根郡みなかみ町 群馬県利根郡みなかみ町 土木学会田中賞受賞
月夜野バイパス
沼田大橋 国道17号 1999 群馬県沼田市 群馬県沼田市 沼田バイパス
鷺石橋 国道120号(側道橋) 1929 群馬県沼田市 群馬県沼田市 歩行者専用
新鷺石橋 国道120号 1970 群馬県沼田市 群馬県沼田市
戸鹿野橋 群馬県道269号 1935 群馬県沼田市 群馬県沼田市
浅田橋 2016 群馬県渋川市 群馬県渋川市
大正橋 国道353号 1929 群馬県渋川市 群馬県渋川市 1974年架け替え
利根川橋 関越自動車道 1985 群馬県渋川市 群馬県渋川市
坂東橋 国道291号 1901 群馬県渋川市 群馬県渋川市 1959年架け替え
新坂東橋 国道17号 2010 群馬県前橋市 群馬県北群馬郡吉岡町 前橋渋川バイパス
上毛大橋 群馬県道161号 1999 群馬県前橋市 群馬県北群馬郡吉岡町
大渡橋 群馬県道6号 1921 群馬県前橋市 群馬県前橋市 1988年架け替え
中央大橋 群馬県道10号 1973 群馬県前橋市 群馬県前橋市
群馬大橋 国道17号 1953 群馬県前橋市 群馬県前橋市 高崎前橋バイパス
1997年増設
利根橋 群馬県道109号 1901 群馬県前橋市 群馬県前橋市 1966年架け替え
平成大橋 1991 群馬県前橋市 群馬県前橋市
南部大橋 1978 群馬県前橋市 群馬県前橋市
昭和大橋 群馬県道27号 1972 群馬県前橋市 群馬県高崎市 1986年増設
横手大橋 群馬県道13号 2001 群馬県前橋市 群馬県高崎市
利根川橋 北関東自動車道 2001 群馬県前橋市 群馬県高崎市
福島橋 群馬県道40号 1926 群馬県佐波郡玉村町 群馬県佐波郡玉村町 1984年架け替え
玉村大橋 群馬県道40号 2001 群馬県佐波郡玉村町 群馬県佐波郡玉村町
伊勢玉大橋 国道354号 2014 群馬県伊勢崎市 群馬県佐波郡玉村町 東毛広域幹線道路
2016年増設
五料橋 群馬県道142号 1971 群馬県伊勢崎市 群馬県佐波郡玉村町
坂東大橋 国道462号 1931 群馬県伊勢崎市 埼玉県本庄市 2004年架け替え
上武大橋 群馬・埼玉県道14号 1934 群馬県伊勢崎市 埼玉県深谷市 2018年架け替え
新上武大橋 国道17号 1992 群馬県太田市 埼玉県深谷市 上武道路
刀水橋 国道407号 1943 群馬県太田市 埼玉県熊谷市 1971年架け替え
武蔵大橋 栃木・群馬・埼玉県道20号 1968 群馬県邑楽郡千代田町 埼玉県行田市 利根大堰
昭和橋 国道122号 1962 群馬県邑楽郡明和町 埼玉県羽生市 2006年架け替え
2014年増設
利根川橋 東北自動車道 1972 群馬県邑楽郡明和町 埼玉県羽生市
埼玉大橋 埼玉県道46号 1972 埼玉県加須市 埼玉県加須市 完成時は有料
利根川橋 国道4号 1924 茨城県古河市 埼玉県久喜市 日光街道
1966年増設
2009年上り架け替え
新利根川橋 国道4号 1981 茨城県猿島郡境町 茨城県猿島郡五霞町 春日部古河バイパス
完成時は有料
2015年増設
圏央利根川橋 首都圏中央連絡自動車道 2015 茨城県猿島郡境町 茨城県猿島郡五霞町
境大橋 茨城・千葉県道17号 1964 茨城県猿島郡境町 千葉県野田市
下総利根大橋 茨城・千葉県道162号 1990 茨城県坂東市 千葉県野田市 完成時は有料
芽吹大橋 茨城・千葉県道3号 1958 茨城県坂東市 千葉県野田市
利根川橋 常磐自動車道 1981 茨城県守谷市 千葉県柏市
新大利根橋 茨城・千葉県道47号 1980 茨城県取手市 千葉県柏市 守谷街道
完成時は有料
大利根橋 国道6号 1930 茨城県取手市 千葉県我孫子市 水戸街道
1974年架け替え
栄橋 千葉・茨城県道4号 1930 茨城県北相馬郡利根町 千葉県我孫子市 1971年架け替え
若草大橋 茨城・千葉県道68号 2006 茨城県北相馬郡利根町 千葉県印旛郡栄町 若草大橋有料道路
長豊橋 国道408号 1968 茨城県稲敷郡河内町 千葉県成田市
常総大橋 茨城県道・千葉県道103号 1979 茨城県稲敷郡河内町 千葉県成田市
新利根川橋 首都圏中央連絡自動車道 2014 茨城県稲敷郡河内町 千葉県香取郡神崎町
神崎大橋 茨城県道・千葉県道107号 1967 茨城県稲敷市 千葉県香取郡神崎町
水郷大橋 国道51号 1936 茨城県稲敷市 千葉県香取市 土木学会田中賞受賞
1977年架け替え
利根川橋 東関東自動車道 1987 千葉県香取市 千葉県香取市
小見川大橋 茨城・千葉県道44号 1973 千葉県香取市 千葉県香取市
利根川大橋 茨城・千葉県道260号 1971 茨城県神栖市 千葉県香取郡東庄町 利根川河口堰
利根かもめ大橋 茨城・千葉県道198号 2000 茨城県神栖市 千葉県銚子市 銚子新大橋有料道路
銚子大橋 国道124号 1962 茨城県神栖市 千葉県銚子市 完成時は有料
2013年架け替え
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鉄道

利根運河を渡河する千葉県営鉄道野田線。
利根川下流域における鉄道路線の一部(常磐線つくばエクスプレスなど)。
JR吾妻線川原湯温泉駅旧駅舎。八ッ場ダム工事に伴い解体され、跡地はダム湖に水没した。

1872年(明治5年)の新橋駅 - 横浜駅間における鉄道開業以降、関東地方では急速に鉄道網の整備が進められた。1880年(明治14年)には日本初の私鉄である日本鉄道が発足[注 37]1883年(明治16年)に上野駅 - 熊谷駅間を開通させたのを皮切りに翌1884年には高崎駅 - 前橋駅間が、1891年(明治24年)には日本鉄道奥州線(現・東北本線)、1895年(明治28年)には日本鉄道土浦線(現・常磐線)が田端駅 - 土浦駅間で開通した。こうした鉄道網発達に伴い利根川にも鉄道橋梁が建設され、1885年(明治18年)に利根川初の橋梁である東北本線利根川橋梁が完成、続いて1896年(明治29年)には常磐線利根川橋梁が完成した[236]

日本鉄道による東北本線の建設に際しては、利根川の架橋工事の問題が沿線の開発と並んで問題となった。大宮から分岐して宇都宮へ向かう実際に採用された案(甲線)と、熊谷から分岐して館林・佐野・栃木を経て宇都宮へ向かう案(乙線)が提案され、栃木県では県南部の開発をにらんで乙線を推進し、甲線は栗橋において利根川に長大な架橋を必要として工事が難しいことを訴えて運動を行った。しかし、両者を比較測量した結果、乙線では甲線に比べて新設する区間は5マイル(8 km)短いが、大宮 - 熊谷間21マイル(33.6 km)が加算されて全体としては遠回りになること、甲線は利根川に長大架橋が必要なものの大きな橋はそれ1箇所で他は工事が難しくないのに対して、乙線は多数の橋梁を必要として結果的に建設費が高く、また架橋の完成まで甲線は船で連絡して仮営業できるが乙線は鉄道が多くの区間に分断されて仮営業が難しいこと、全体の工期が甲線の方が短いことなどから甲線がよいと結論し、利根川橋梁の建設に繋がった[237][238]

日本鉄道による利根川流域の鉄道網整備は他社を刺激し、以後続々と鉄道の敷設が進む。1894年に総武鉄道(現・総武本線)、1897年(明治30年)に成田鉄道(現・成田線)、1903年(明治36年)に東武鉄道伊勢崎線の利根川橋梁が完成し3年後の1906年(明治39年)羽生駅 - 川俣駅間が開通。1911年(明治44年)に千葉県営鉄道野田線(現・東武野田線)、1916年(大正5年)には流山軽便鉄道(現・流鉄)がそれぞれ運行を開始した[236]。こうした鉄道網の整備は道路網の整備と並行して進められており、陸上交通網が発達することで水運から輸送の座を奪った。特に千葉県営鉄道野田線と流山軽便鉄道の開通はそれまで水運を利用していた野田の醤油、流山のみりん製造業が鉄道輸送に切り替えたことで水運業者は大打撃を受け、後に利根運河が廃止される一因にもなった。また1889年に開通した両毛線は沿線の栃木県足利市や群馬県桐生市織物業輸送に利用され、鬼怒川方面からの流通が水運から離れたことも水運衰退の要因となっている[236][239]

利根川流域の鉄道網は戦後に入ると東京への通勤に利用するための鉄道網整備が進められ、複線化や複数の鉄道会社による相互乗り入れなどによる路線拡充が行われたほか、新規路線の整備も進められ2005年の首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス開通まで多くの鉄道路線が整備された。利根川における橋梁で最も新しいのがつくばエクスプレス利根川橋梁である。現在利根川本流を渡河する鉄道路線は上流から上越線、両毛線、東武伊勢崎線、東武日光線、東北本線、東北新幹線、つくばエクスプレス、常磐線、鹿島線があり、流域内には東日本旅客鉄道上越新幹線北陸新幹線信越本線吾妻線高崎線八高線武蔵野線日光線水戸線、総武本線、成田線、京葉線が走行し、私鉄では先述の東武鉄道、流鉄のほか京成電鉄新京成電鉄東葉高速鉄道北総鉄道銚子電鉄秩父鉄道上信電鉄上毛電鉄わたらせ渓谷鐵道真岡鐵道野岩鉄道関東鉄道鹿島臨海鉄道といった私鉄各社の本線・支線が縦横に走行している。また地下鉄では都営新宿線東西線が江戸川下流域を走行する。これらの鉄道路線は特に利根川以南の路線で年間の利用旅客数が多く、カスリーン台風のような大水害が発生すれば首都圏の鉄道網が大規模に寸断される危険性がある。

鉄道に関しては河川開発による路線変更例がある。草木ダムでは当時の国鉄足尾線(現:わたらせ渓谷鐵道)の一部区間が水没するため、事業者の水資源開発公団と国鉄の間で特殊補償交渉が行われた。最大の問題点はダムによって水没する草木駅の存廃であったが、結果的にダム湖右岸部に草木トンネルを建設し神土駅(現:神戸駅) - 沢入駅間を繋ぐことになり、草木駅は廃止された[240]。吾妻線に関しては八ッ場ダムの建設により路線の一部が水没するため、岩島駅 - 長野原草津口駅で線路付け替え工事が行われ、川原湯温泉駅が高台に移転した。また沼田ダム計画の折には上越線の一部区間と沼田駅岩本駅が水没するため、ダム湖沿いに新路線と新沼田駅の建設が予定されていたが、1972年にダム計画が中止となるに及んでこれらの路線変更計画も白紙となった[241]。上越新幹線は関越自動車道とともに沼田市街地を大きく迂回しているが、これは沼田ダム建設が念頭にあったという新潟大学名誉教授(河川工学)の大熊孝による指摘がある[242]

利根川上流域に当たる群馬県と新潟県、長野県境は勾配が急なため、鉄道の敷設に関し特別な対策が取られていた。上越線上りでは湯檜曽川沿岸を走る土合駅 - 湯檜曽駅間にループ線が設けられている。一方信越本線では碓氷川沿岸を走る横川駅 - 軽井沢駅[注 38]アプト式ラックレールを用いたラック式鉄道1893年(明治26年)より日本で唯一採用していたが、1963年に廃止されている[注 39]

利根川の鉄道橋梁[232]
橋梁 鉄道路線 供用年[注 40] 上り側最寄駅 下り側最寄駅 備考
上越線第八利根川橋梁 上越線 1931 水上駅 湯檜曽駅
上越線第七利根川橋梁 上越線 1931 水上駅 湯檜曽駅
上越線第六利根川橋梁 上越線 1931 水上駅 湯檜曽駅
上越線第五利根川橋梁 上越線 1924 岩本駅 沼田駅
上越線第四利根川橋梁 上越線 1924 津久田駅 岩本駅
上越線第三利根川橋梁 上越線 1924 津久田駅 岩本駅
上越線第二利根川橋梁 上越線 1924 津久田駅 岩本駅
上越線第一利根川橋梁 上越線 1924 渋川駅 敷島駅
両毛線利根川橋梁 両毛線 1889 新前橋駅 前橋駅
東武伊勢崎線利根川橋梁 東武伊勢崎線 1903 羽生駅 川俣駅 1962年改築
東武日光線利根川橋梁 東武日光線 1929 栗橋駅 新古河駅
東北本線利根川橋梁 東北本線 1885 栗橋駅 古河駅 1980年改築
東北新幹線新利根川橋梁 東北新幹線 1974 大宮駅 小山駅 年代は橋梁の完成年
つくばエクスプレス利根川橋梁 つくばエクスプレス 2005 柏たなか駅 守谷駅
常磐線利根川橋梁 常磐線 1896 天王台駅 取手駅 直近では2013年・2014年改築
常磐線新利根川橋梁 常磐線 1977 天王台駅 取手駅
鹿島線利根川橋梁 鹿島線 1970 十二橋駅 潮来駅

注釈

  1. ^ 烏川の支流・鏑川に注ぐ二次支流である南牧川へ合流する三次支流、馬坂川の上流が長野県佐久市を流域としている。狭岩峡を参照。
  2. ^ 年間流出量および年平均の流量は、信濃川、最上川阿賀野川北上川、利根川の順で多い。利根川より上位の河川は、冬季の降水量(すなわち積雪量)が山間部・平野部ともに利根川に比べて多い地域を流れており、流域に豪雪地帯も存在するため、これらの河川の年間流出量は日本最大の流域をもつ利根川よりも多い。
  3. ^ マスクラットによる河川施設への被害としてはチェコボヘミアでは1906年頃ため池の堤防に穴を開けたことが訴訟問題に発展。ドイツテューリンゲンでは1927年堤防決壊が6件発生し、ドレスデンのモーリッツブルクではダム決壊事故まで発生した。
  4. ^ 例えば淀川の場合滋賀県では瀬田川京都府では宇治川の別称で呼ばれており、淀川の名称は木津川桂川合流点より大阪湾河口までの名称となる。ただし河川法上では琵琶湖流出口から河口までを淀川本流としている。
  5. ^ 国土交通省直轄ダムおよび水資源機構管理ダムについては全て該当する。これを特定水利と専門的には呼ぶ。
  6. ^ 「頃」とは当時の面積の単位で、1頃はおよそ1ヘクタールに相当する。この場合2,000ヘクタールの被害があった。
  7. ^ 1539年(天文8年)説もある。
  8. ^ 武蔵国、相模国、伊豆国、下総国、上総国一円と沼田を除く上野国、下野国の南部。
  9. ^ 同名の用水路は茨城県水戸市にも存在する。名の由来は忠次の官職である備前守に由来する。
  10. ^ 『下総国旧事考』では1621年開削とするが、『新編武蔵風土記稿』では1642年(寛永19年)開削説を採る。
  11. ^ 豊田堰自体は1839年(天保9年)に完成しているが、その前身となった堰は忠常が建設している。
  12. ^ 棒出しについては根岸門蔵『利根川治水考』で天保説を挙げるが、土木学会『明治以前日本土木史』では寛永説を採っている。
  13. ^ 1725年成立。勘定奉行支配下で江戸川・鬼怒川・小貝川・利根川下流を管轄する。1732年(享保17年)廃止。
  14. ^ 利根川のほかには北上川鳴瀬川江合川最上川、信濃川、常願寺川、木曽川、淀川、吉野川、筑後川の各水系が指定された。信濃川と常願寺川以外はダム計画が立てられている。
  15. ^ 22地域の詳細は河川総合開発事業#特定地域総合開発計画を参照
  16. ^ 現在は利根川、淀川のほか荒川、豊川、木曽川、吉野川、筑後川の各水系が開発対象となっている。
  17. ^ 川治ダム以外では八ッ場ダム、桐生川ダム(桐生川)、南摩ダム(南摩川)、湯西川ダム(湯西川)および霞ヶ浦開発が対象となっている。
  18. ^ この時に徳島県で建設省が進めていた細川内ダム計画那賀川)が凍結、後に中止されている。以後大規模ダム事業の中止・凍結が相次ぐ。
  19. ^ 利根川水系で中止されたダム事業については中止したダム事業#関東の項目を参照
  20. ^ 完成年は導水先である佐久発電所の運転開始年とする。
  21. ^ 黒部川の川底を掘削して河道内の容量を増加させ、確保した容量を治水と上水道供給に利用する河川総合開発事業。
  22. ^ 貯水容量の1400万m3は牛久沼の治水容量である。
  23. ^ 『疏水名鑑』では1000年以上前に長野康業が開削したと記すが、『群馬県史』などの長野氏関連文献に康業の名は確認できない。史料上で長野氏の動向が確認できるのは室町時代後期以降である。また1526年当時の長野氏当主も諸説ある。詳細は上野長野氏を参照。
  24. ^ 現在も東北電力三居沢発電所(1,000 kW)として稼働している。
  25. ^ 重荒廃地域の定義は何れも大規模な1崩壊面積が0.3 km2以上、1禿しょ面積が2 km2以上、滑落崖地面積が1 km2以上存在する山地を指し、日本全国で14地域が指定されている。
  26. ^ 一般荒廃地域の定義は崩壊地(1%以上)・禿しょ地(10%以上)・滑落崖地(5%以上)が点在し、延べ面積が地域の相当量を占め、治水上重大な被害を及ぼす可能性がある地域を指す。日本全国で26地域が指定されている。
  27. ^ 足尾地域では毎年春に山焼きを行うのが恒例であったが、突風に煽られ野火が延焼し大火となった。
  28. ^ マグニチュードは6.8と推定されている。
  29. ^ ただしこの値は相対的なもので、猪名川大和川鶴見川といったワースト常連の河川も急速に水質改善が進んでいるためである。
  30. ^ 常陸利根川を含む
  31. ^ 宮城県の長沼と同率7位である。
  32. ^ 利根川水系以外では琵琶湖、八郎潟児島湖諏訪湖野尻湖宍道湖中海および釜房ダム貯水池(釜房湖)が指定されている。
  33. ^ 久慈川、多摩川支流の浅川と並んで関東地方では最もBOD平均値が低い。
  34. ^ 成立順に行徳(市川市)・長島(江戸川区)・猿俣(葛飾区)・戸崎(三郷市)・大堺(八潮市)・鶴ヶ曽根(八潮市)・彦名(三郷市)と成立年代不明の鷲宮(久喜市)の8箇所。
  35. ^ 主なものとして大豆タバコ木材醤油綿などがある。
  36. ^ 1959年に現在の坂東橋が架橋され、旧橋は吾妻郡六合村の白砂川に架橋し直されている。
  37. ^ 1906年に国有化され、路線は国鉄を経て再度の民営化により現在は東日本旅客鉄道の所有である。
  38. ^ 1997年北陸新幹線の一部先行開通に伴いこの区間は廃止される。
  39. ^ アプト式ラックレールはその後1990年(平成2年)に長島ダム大井川)建設に伴う大井川鐵道井川線付け替えにおいてアプトいちしろ駅 - 長島ダム駅間で採用され復活している。
  40. ^ 年代は特記しない限り路線開通年とする。
  41. ^ 2011年は行われない。

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